この日の土曜日には長男のサッカーの試合観戦に行ってきました。
今回はコーチ代理としてライン引きを手伝うために開始30分前に現地到着。
すでにラインは他の父兄によって完成されていました。今回は余裕を持ってじっくりと試合観戦ができました。
そこで今回気づいたことです。
①長男がチームの中で最も小さい。身長だけでなく体重も最も低い数値でしょう。つまりヒョロヒョロしてます。したがって身体的なプレスには他の子に敵わず、よく倒されたり、当たり負けしてしまいます。
それでもハングリー・スピリットにおいてはチームでトップクラスです。
②つまり常にボールを全力で追いかけ、チャンスと見ると果敢にチャレンジを惜しみません。
それゆえ今期は彼が得点王で8点目。2位の3点を大きく引き離しています。
この日も1-0でチームの勝利に貢献した唯一の得点は彼のドリブルシュートでした。
③こう書くと飛びぬけて上手なプレーヤーであるかのように見受けられるでしょう。
ところがそうでもないのです。彼に特別なスキルがあるわけではありません。ただ我武者羅にボールに喰らいついているのでチャンスを物にできるのです。
彼よりもうまい選手はセレクト(選抜)チームにすでに引っ越しています。
たぶんそのセレクトのテストを受けたら彼は合格はできないでしょう。
④彼は勝負にかける意気込みはありますが、その結果に浮き沈みはしていません。
また自分が得点王だ、勝利に最も貢献していると言ってうぬぼれることもありません。この点は私の子供時代と大いに違う点です。
つまり彼は親からの期待に応えようとか、親やチームメイトからの愛や賞賛をもらうことがプレイの動機になっていないのです。カッコウをつける必要もなく、成功しておごることもなく、うまくできなくて落ち込むこともありません。
⑤負けるときも、勝ったときも"Good Job”と言って褒め、「楽しんだか?」と私たちは聞き続けました。
サッカーを純粋に楽しんでほしい、チームとの協調行動に喜びを見出してほしいとの私たち親の主眼が効いているのかな、多少自分たちの親業も認めていいかな、と思ったりしながら1時間の観戦を終えました。
Iー5から525号線に入り、その終着はMukilteoという町があります。
ここの岬からフェリーがWhidbey Islandに繋がっています。
シアトルは大きな入り江の本土側の縁に引っ付いている街で、その対岸には無数の島々が点在していて、南北4つのフェリーコースで結ばれています。
Mukilteoはその最北に位置するフェリー乗り場で、賑わうことほどでもなく落ち着ける所です。都会の喧騒を離れて、海を眺めをゆっくりと味わいました。
途中、525号線に沿ってボーイング・フィールドが広がっています。
ANAが成田~シアトル間就航を始めた787型機もここで作られました。
旅行会社が1日だけの日本往復格安航空料金をこの週末に売り出し、購入をだいぶ考えましたが、日程が策定できず今回は見送ることに。
でも次回帰国の際にはその787を利用したいものです。
いや、少しでも安い航空会社を選ぶことでしょう。
この日は私たちの15周年になる結婚記念日でした。
「もう15年になったよ」
「ここまで続いたのは奇跡だねえ」
これがこの日の朝、最初に交わした会話でした。
15年前、当時米国でベストセラーであった本のタイトルに「金星から来た女性、火星から来た男性」がありました。
「あなたは火星からやって来たんだから」
「しかたない、あなたは金星人だから」
こんなことをお互い言い合いながらその違いを認め合おうと努力したことを思い出します。
いまや米国での離婚率は67%、日本では34%だそうです。
経済的な理由、宗教的な理由、世間体などの理由から離婚はしていないけれど実際はその状態である家庭内離婚を入れればこの数値はもっと上がるはずです。
私たちもこれまで何度も危機を乗り越えていきました。
通常経験する男女の違いから来る軋轢(火星人と金星人が同居するのです)に加えて、言葉の違いから来るコミュニケーションや文化の障壁もまた大きなものです。
ここまで来れたのは私たちの何かではなく、ただ主の哀れみと恵みによるものです。
そして今後も二人が同じ道を歩めるとしたら、主の恵みによる以外ではありません。
この夜はお祝いのためにレストランへ行ったのですが、何故か子供も一緒となりました。
ロマンチックとは程遠く、すべての注目は子供に向けられました。
写真は最近長男がはまっているアニメのNinjagoです。
○と×ゲームでは長男との対決、1勝5敗で今回も負け越しです。
ここ数日一段と寒くなりました。
現在長袖を2枚重ね着しています。
ベッドで寝る時もブランケットの上に分厚い毛布をかけるようになりました。
裏庭にある名の知らない大木が紅葉を始め、赤色の葉が数枚混ざるようになりました。
商店街では、かぼちゃの飾り物も見受けるようになりました。
今月末にハロウィンがやってきます。
夏が過ぎ去り、しっとりと落ち着く秋が深まって行きます。
これもノースウエストならではの、味わい深い季節です。
「地の深みは主の御手の内にあり、
山々の頂も主のものである。
海は主のもの。主がそれを造られた。
陸地も主の御手が造られた。」
詩篇95:4-5
蜂に刺されてしまいました。
左腿と右腕上腕部を同時に刺すような痛みが走ったため、手のひらで蜂を追い払いました。上腕部には針が刺さったままでした。
裏庭の倉庫のあたりには数週間前から蜂が出回って、先週も刺されたばかりだったのです。ミツバチとは違い、何の警告旋回飛行もなく、目にも留まらぬ速さで急接近して刺すものですから避けようがありません。
痒みもひどく、患部は赤くはれ上がっています。
薬局ではアレルギー反応を抑える錠剤を買いました。アドバイザーは患部につける良い薬はなく、医者に診てもらうよう勧めてくれました。
キンカンを塗ればこの痒みもすっきりするように思うのですが、この国では売っていません。切り傷や火傷の応急処置などの薬品あるようですが、蚊に刺された際の痒み止めさえもないのに腹立たしく感じたときもあります。
この夏のキャンプでは日本から持ち帰った蚊取り線香が活躍してくれました。
薬品については日本のほうが充実しているように感じます。
それとも、私が無知なだけでしょうか。
ニューヨークからシアトルまでのフライトは約6時間あります。
約1時間ほど仮眠することができました。
それ以外の時間はi padでの作業に費やすことができました。
PCは大きすぎるし、バッテリーが続かないのでこれまで飛行中の作業はできなかったのです。これだけでもi padの意義には大きなものがあります。
没頭してると5時間なんて、すぐに経ってしまうものです。
窓側に座っていたこともありますが、その間1度もトイレに立ちませんでした。
家では常時水分を補給することもあって、ほとんど毎時のようにトイレに行っているのです。
こんなことから、追い詰められた人間の体はいかようにでも対応できるものであると知りました。
かつて大雪のためシアトルに着陸できないで、スポケーンに回されてしまったときのことです。次のフライトのチケットを確保するために朝5時から並びました。ようやくカウンターにたどり着いたときは、午後の3時を回っていたのです。その間一度もトイレに行くこともなく、立ち続けました。他の人たちは入れ代わり立ち代わりトイレ休憩をしていましたが、私は1人でしたので誰に頼むこともできず、行列に立ち続けたのでした。
10時間以上もトイレも行かず、食事もしないで立ち続けるなんて事は普段はあり得ません。
緊急事態の中、何としても次のフライトに乗ってクリスマスにまで帰宅したいという執念のようなものが私の体を対応させたのでしょう。
脳と体って密接に結びついてるんですね。
マタイの福音書5章17節~48節 「メシアによる義の解釈」 マタイ連講12
http://hosannamin.org/jpn/page/home
(メッセージの抜粋です)
主イエス様がお話しされた言葉の中には、多くの誤解されている箇所があります。
「あなたの右の頬を打つような者には左の頬も向けなさい」というのも、その誤解されている有名な言葉の1つではないでしょうか。
この言葉は、マタイ福音書5章38節から43節までの1つのセクションの中に収められているものです。
そしてそのセクションは、復讐について教えられているところなのです。
「目には目で、歯には歯で」と言われたのをあなたがたの聞いています。しかし私はあなた方にいます。(38節)
旧約聖書に出てくるこの同害復讐法と言われる法令は、世界最古のハムラビ法典にもある有名なものです。
本来旧約聖書では行き過ぎた復讐を抑えるための教えであったものが、これを根拠にして私的復讐を正当化し、さらに奨励するようなものとして使われていました。
そこでイエス様は本来の旧約聖書にある聖句意味を再解釈する必要を感じられたのです。
21節から48節までは6つのセクションに区切られますが、どれもよく知られた旧約聖書の聖句で、しかも身近な生活に関わるものを取り上げて主による再解釈をされました。殺人、性的不品行、離婚、誓い、復讐、そして隣人愛の6つです。
いずれの6つにも出てくる「わたしはあなたがに言います」と言う主の表現は、「わたし」が強調されているギリシャ語文法となっています。
かつてモーセに律法を授けられた、旧約聖書の著者なるお方が、ここで神的権威を持って解釈されている場面なのです。
さて、その第5番目の「復讐」についてのセクションです。
「悪い者に手向かってはいけません」とあってから、「あなたの右の頬を…」と言う言葉が続きます。
つまり犯罪者に対して私的制裁(リンチ)を禁止した教えであって、社会的制裁や正義を追求することを否定したものではありません。
主イエス様も頬を平手打ちされたとき、堂々と抗議されました(ヨハネ18章22節)。
パウロもまた鞭で叩かれたのを抗議し、謝罪を求め、正当な権利を主張しています(使徒16章37節)。
決して、悪に対して無抵抗に泣き寝入りせよ、と勧めてるものではないのです。
これに続く40節にある「下着を取ろうとする者には上着もやりなさい」。
41節にある「1 ミリオン行けと強いるようなものとは一緒に2ミリオン行きなさい」。
これらは皆、法律で決められている以上のことを自ら進んですることにより悪に勝利せよとの教えです。いわば愛による復讐の勧めなのです。
私たち家族が毎年夏に滞在している山形県の大江町キリスト教会の始まりは、実にこの「愛による復讐」によるものでした。
戦争で山形の田舎に疎開された小出という少年は、足が不自由なため級友から散々いじめられ、悲惨な思いをされました。
戦争が終わり上京した小出少年はそこでイエス様と出会い、やがて献身し、神学校を卒業しました。そして卒業するとかつて子供時代にいじめられた山形の大江町で教会開拓をすることを決心したのです。
いじめられた仕返しに、愛をもって報いようと、その働きが始まりました。
それからすでに50年以上が経ち、3度の教会堂建設を経て、地域に溶け込んだすばらしいし宣教活動が続けられています。小出牧師は見事に愛の復讐を成し遂げたのです。
「悪に負けてはなりません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」ローマ12章21節
ニューヨークにも大きな韓国街があります。
竹島問題で日韓間が緊張してるだけに、この街に今回行くのを正直ためらいました。
32丁目でメトロを降りるとそこが韓国街となっていて、先ず日本食を扱っているレストランでランチを済ませました。
「アニョハセヨ」と声をかけて下さるので、店員の皆さんは韓国人であるのが分かります。知人の店はその向かいにあり、腹ごしらえした後、いざ出陣とあいなりました。
「出陣」だなんて気負っていたのは私だけで、韓国の十数人の知人達が私を大歓迎してくれました。店長曰く、最近はビジネスが停滞気味だそうです。
何とか突破口を開いてもらいたく、祈りながら最善の奉仕をさせていただいたつもりです。その結果も皆さんに喜んでいただいたばかりでなく、プラスアルファの報酬までいただいて、実に心和む時を持たせていたきました。
その直前に行った初めての日本人のお店からはかなり理不尽な扱いをいただいてへこんでいた時でしたので、韓国人の彼らと心を通わせることができたことに大きな慰めを感じました。
領土問題で両者が自分の出張を続けたならば、問題はこじれるばかりです。
おいしい日本料理を用意してくれた韓国の方たち、ビジネスを分かち合うことができた韓国の方たちは、私にとり大切な友人たちです。
その友人たちを向こうに回して、財産や権利のことで争うなんて事はしたくありません。
家族間で遺産相続をするような醜いものに感じてしまうでしょう。
ところが、もし私に一人も韓国の友人がいないとしたら、己の言い分を分からせようと意地を張ることもあったと思います。
竹島の領土問題は政府間が冷静に話し合い、不幸な歴史問題とは切り離して解決の道を探っていってほしいと思います。
私たち市民が出来ることは、近所の韓国人を友人として大切にもてなす事ではないでしょうか。国際親善は政府間の協定で完結ものでなく、私たちひとりひとりが良い友人付き合いをするところから始まっていくように感じました。
シアトルとニューヨークはかなり異なります。
大雑把に言えば、西海岸は若いヤンキー風のレイドバックに対して東海岸は重厚でヨーロッパ風の空気が漂います。
そんなニューヨークに来たなぁと感じさせるところが、この日行ったグランドセントラルと言う駅です。メトロ路線はもちろん郊外に延びる鉄道もこの駅に集中していて、いつも混雑。
シンプルでドッシリとした大理石の構内がが私の気分を落ちつかせてくれます。
この日はニュージャージにある日本人教会牧師のN先生と一緒にランチをしました。
お話しをしながら、今回が初めて会うものでないことが分かりました。
私たちは約30年ほど前にすでにいちどだけお会いしていたのです。
それも今回のその日まで、お互い気付かずにいました。
私は当時高校2年生、N先生は高校3年生。
そこは東京都大島で開かれた高校生クリスチャンキャンプでした。
忘れもしません、そのキャンプで私はイエス様を信じ受け入れる決心したのです。それまでの私の生き方とは全く違う価値観にひどい躊躇や戸惑いを覚えながらの、よろよろのクリスチャンとしての出発でした。
一方N先生は牧師家庭にお生まれになられ、聖書教育を幼い時から与えられて大変うらやましい環境にいるなぁ、と高校生ながら憧れたものです。
ところが当時の先生もまた激しい葛藤や試練の中を通られていて、はっきりとした信仰を抱くのは大学生になってから、との事でした。
キャンプで数日間同室だっただけですが、数年間を学窓で過ごした友との同窓会をしたような、大変楽しい時を過ごすことができました。
私にとり高校時代に主イエス様に出会えたことが何にも勝る宝です。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(聖書)
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