岩のドーム(イスラム教聖地)と嘆きの壁(ユダヤ教聖地)
エルサレムは3つの宗教の聖地です。
{以下の文章は、明日からのイスラエルへの旅行に参加されるメンバーに送ったものです。主にある皆さん、末尾にある課題を覚えて、お祈りの援護射撃をいただけましたら幸いです。}
ハレルヤ。
今回、皆様方とともにイスラエル聖地旅行に行くことができることをうれしく思います。ガイドにも経験豊かで定評のあるルツさんにお願いできてとても心強く感じています。
さて皆様もここ数日間のイスラエルの問題をニュースで見聞されていらっしゃることと思います。今後も紛争がさらに拡大する恐れも出てきました。
それに伴い万全の安全対策を施して臨もうと検討中です。
基本的に紛争の恐れのある場所には行きません。圧倒的に優勢なイスラエル軍がガザ地区に侵攻することはあっても、ハマスが国境を越えてイスラエル領内に侵入することはまずないでしょう。
ニュースは紛争地だけを取り上げますので、その映像を見れば不安を感じられる方もおられるでしょうが、それはほんのごく限られた場所です。イスラエル国内では、今もなんら変わらない平穏な市民生活が続けられています。特に私たちの訪問する東部・ヨルダン渓谷一帯はロケットの射程外にあり、さらに危険は微小なものとなります。
ただ、すでに計画してある訪問地や日程の変更を迫られそうです。
これまでの例から紛争がエスカレートしますと、パレスチナ地区のベツレヘムやエリコへ通じる道路が閉鎖されます。また神殿の丘の入場も閉鎖されることがあります。極めてまれですが、先日一つのロケットがエルサレム近郊に着弾しました。これを受けて、エルサレム滞在日数を一日減らし、その分をガリラヤ滞在に変更すべくホテル側と現在交渉中です。27日に早めにガリラヤを出発すれば、エルサレムでの予定観光地はもれなく訪問できるとのことです。
ガイドのルツさんは、イスラエル当局や日本大使館から常時、最新情報を入手されておられます。旅行中に安全優先のため、ホテルや訪問地を急遽変更される場合もあります。これらは現地の経験豊かな旅行会社に一任しています。
私たちができるのはエルサレムの平和のために祈ることです。
今回このような時期に聖地旅行が重なったのも偶然ではありません。
緊張を肌で感じながら聖地において有史以来、世界の政治勢力の軋轢がここに集まって来る秘密を訪ねる事になるでしょう。エルサレム帰属問題、イスラム・パレスチナとイスラエルの抗争がなぜこんなにも長年続き、複雑さを増しているのか、その源流を聖書の世界に辿りながら解明していく機会でもあります。
21日早朝、ヨルダン・アンマンのホテルにて皆様方と元気にお会いできるのを楽しみにしています。
{祈りの課題}
•イスラエルとガザ地区、双方ともに死者や負傷者が最小に抑えられるように。
•一日も早く紛争が終わるように。
•イスラエルを地図から抹殺しようというハマスの悪魔的な野望が打ち砕かれ、ロケット攻撃におびえる必要のない平和な日が一日も早くイスラエルに訪れるように。
•私たちの旅行中、すべての事故や事件から守られるように。
•参加者の健康が支えられるように。
•ルツさんをはじめ、団長の高橋、大内先生などのスタッフが皆様を充分ケアすることができた上で、実り多い研修ともなるように。
•聖霊様の導きに一人ひとりが従い、各訪問地で主の声を聴くことができるまでに、それぞれが霊的に整えられるように。
2012年11月・イスラエル出発を前に
団長・高橋京太
ホサナキリスト教会「聖書広場」からの抜粋です。
http://hosannamin.org/jpn/page/home
マタイ福音書連続講解説教18 マタイ8章18~34節
「メシアの5つの力ある業―その②」
{メッセージからの抜粋}
これまで8章で3つの力あるメシアの業を見てきました。
その結果、主イエスの弟子になりたいと志願する人が二人現れたのです。
結論から言うと、その二人に主は不合格の認定をされています。
「どこにでもついていきます」という律法学者に対して、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」と言われて、献身には犠牲が伴うこと、その覚悟ができていないことを告げたのです。
パフォーマンスに魅せられて追従するだけの者に、神の国での働きは不向きです。
ここで主がご自身を「人の子」と自称されているのに注目しましょう。
これは主が多くの場合で使われてた呼称ですが、ダニエル7章13節から、メシア称号であることがわかります。ただ旧約聖書知識が充分でなかった一般民衆(彼らに印刷された聖書はないのですから、安息日に会堂で朗読されるのを聴くだけでした)にはそれが隠されていたことでしょう。政治的でローマ帝国から解放する王として祭り上げられるのを防ぐ意図があったものと言えます。
弟子たちのイエス理解も乏しいものでした。
それはガリラヤ湖で起こった嵐の際に露(あらわ)となります。
主が嵐に命じられると大なぎとなったので、彼らは「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう」と畏怖します。
自然界を造られた創造主がその一端をコントロールするのはたやすいことですが、通常の人と変わらない2本足で歩き、疲労のため船の中で眠りこけている青年がその神ご自身であられると言うメシア理解に至るには、まだまだ訓練が必要でした。
その弟子たちによりも、悪霊のほうがより正確なメシア理解をイエスに対して持っていました。
ガリラヤ湖対岸のガダラ人の地に上陸した一行に、二人の人に乗移った悪霊どもが出会います。
悪霊どもは主イエスのことを、神的権威を持たれた神ご自身であると認識していることが分かります。
① 彼らは主を「神の子よ」と呼んでいます。聖書では御使いや信者にもそのことばが使われている場合がありますが、その場合、常に集合名詞として複数形で使われています。ここで悪霊が使った呼び方は、イエスが神ご自身であられること、つまり第二位格の子なる神・メシアであることを知っているものです。弟子たちに勝るメシア理解です。
② 「その時ではないのに、もう私たちを苦しめにこられたのですか」と言っています。彼らはやがて神の白い御座の前に引き出され、宣告を受け、苦しむ時が来る事(黙示20:10)を知っているのです。それまでにはまだ猶予期間があるではないか、との主張です。
③ 「底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った」(ルカ8:31)。「底知れぬ所」とはアビス(ギリシア語ではアブソス)という固有名詞が使われている悪霊どものために設けられた特定の幽閉場所です。そこはサタンとともに千年間縛られるところ(黙示20:2~3)でもあります。この千年期が過ぎた後に、火と硫黄の燃えるゲヘナで永遠の刑罰を受けることになっています。
「彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、底知れぬ所(アビス)に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。」 (黙示録20:2-3)
④ついでながら現在暗躍している悪霊どもよりもさらに凶悪な悪霊どもは、タータラスに閉じ込められています。このタータラスも固有名詞ですのでそのままギリシア語表記した方がよいのですが、ユダ6では「暗闇の下」と訳されています。また同じタータラスがⅡペテロ2:4にも使われており、それとの関連からそこに永遠の束縛を持って幽閉されているこれらの堕天使は、創世記6章の「神の子たち」であることが分かります。人間の女性と婚姻関係を結んでネフェリムというけったいな悪霊と人間との混血を生んだ悪霊たちです。彼らは「女の子孫」(創世記3章15節)の誕生を阻止するためにそのような越えてはならない一線を越えた凶悪犯罪者です。それゆえ神様は大洪水と言う非常手段に訴える事になります。「女の子孫」=メシアの誕生を確保するためです。タータラスの悪霊たちはすでにさばきが決定されていて、千年王国の後にゲヘナに直送されます。
「また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下(タータラス)に閉じ込められました。」 (ユダ1:6)
「神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中(タータラス)に閉じ込めてしまわれました。また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。」 (2ペテロ 2:4-5)
結論:私たちはどれくらい主イエスの権威を認め信頼を置いているでしょうか。
1. あなたの優先順位において
たとい犠牲を伴うことがあったとしても、主の弟子となる覚悟はあるでしょうか。それとも自分の都合を優先してしまうものでしょうか。
救いは恵みによって与えられるもので、自己犠牲が条件ではありません。ただ無代価で救われた者は、主の召しがあるときにこれに応えたいと願うものです。
2. あなたの専門(プロフェッショナル)分野において
ここだけは私がよく知っているので私のしたいとおりにさせてくれ、という分野がおありでしょうか。イエス様よりも自分の判断で決め込んでしまっている領域です。そうであるとしたら、あなたは主の権威をないがしろにしている事になります。
船や海のことなら大工であった主イエスより、漁師の自分たちの方が詳しいと自負していた弟子たちでした。しかしあの嵐の中、主の自然界に対する権威に驚くことになったのです。
3. 主は「神の子」として人と堕天使とを最後に審判される方であられます。
人の死後における最後の審判です。そこで天国か、火の池に行くのかが決められる厳かな瞬間がやってきます。
「たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方」(マタイ10:28)を畏れようではありませんか。
かっこいい、シアトルのお巡りさん。
この後始末はどうするのだろうか?
シアトル・ダウンタウンでの警察は、車でパトロールするだけでありません。
マウンテン・バイクに乗っているのを頻繁に見かけます。
そして今日、私のすぐ横を通り過ぎて行ったのは乗馬のPolice officer!
「写真を撮ってもいいですか?」と勇気を出して聞いて見ました。
「もちろんいいよ。…どこから来たんだね?」
そんなこと頼むのは観光客に違いないと思ったのでしょう。
気さくなそのPolice officerさんは、馬を脇に移動させてポーズまでとってくれました。
お馬さんは、カメラを向けられて緊張してしまったのでしょう。
その瞬間大きな落し物をお尻からポトポト(^。^)
連続してかなりの量をニョキニョキ(^-^)/
数時間後その道を通りましたが、落し物はまだそこにありました( ̄▽ ̄)
排気ガスもなく環境に優しいお馬さんでしょうけれど、この排泄は環境を汚さないのでしょうか? その場所は駐車場の出入り口です。
本日未明、イスラエルがハマスの軍事施設を空爆しました。
軍の幹部の乗った車も爆撃して、殺害。
このところ続いているガザ地区からのロケット攻撃に対する報復処置です。
ハマスが報復に出るのは必死。
イスラエルでガイドをされているRさんに、日本大使館から注意を促すDMがメールで届いたとのことです。
今後も注意深く様子を見守らないといけませんが、来週からのイスラエル11日間の旅行は計画通りに実行します。危険水域に達したらもちろん中止となりますが、今のところは変更ありません。
ロケット攻撃で応酬している地区はイスラエルの西側。私たちは主に東側を巡り、距離にして数百キロも離れています。直接の被害の可能性は非常に小さいものです。
ただ、空港でのセキュリティ・チェックは厳しくなるでしょう。
そして、これ以上紛争がはげしくなると、神殿の丘には入場制限が課せられるかもしれません。
イスラエル・エルサレムの平和のためにお祈り下さい。
本日から出発されたハーベストタイム(中川健一団長)の9日間のイスラエル旅行の安全のためにもお祈りください。
各生徒に出身国の民族衣装・服装を描いてもらいます。
これも家内が一人で貼り付けました。
長男による製作中の黄金忍者
今年のパフォーマーは東ヨーロッパから。
今週は長男の通う小学校でMulticulture Week となります。
そこで私も家内も本日は登校。
昼休みを利用して子供たちに異文化経験をしてもらうパーフォーマーたちを案内するためです。
「異文化」といっても、もともとこの国は民族のサラダボールと言われています。
混ざり合わないけれど、各種民族が雑居している様子。
特にワシントン州のベルビュー市はアジア系も多く、世界の縮図。
英語以外の言葉が話されている家庭は、なんと40パーセントにも上ります。
これを夏に体験入学している山形県のある小学校で家内が紹介したところ、担任教師が生徒に聞きました。
「皆さんの家庭で日本語以外のことばを話しているところはありますか?」
「,,,,,,,,,,, 」
昨年は日本の太鼓。
その前年は中国のドラゴンの舞。
そして今年は東ヨーロッパからのダンスでした。
木曜は体育館が "It's a small world"となります。私も着物に着替えて日本ブースを守り、日本文化宣教師となります。
本日はVeterans Dayと言ってた退役軍人を記念する祝日です。
学校や官公庁はお休み。
子供達は自宅にいることとなり、親には休みもなし。
その前の晩からは長女の友人が泊まりに来た。
夜半過ぎの1時頃まで二人してベッドの上でべちゃべちゃ、べちゃべちゃ。
一体何をそんなに話すことがあるのだろう?
世界の七不思議の一つ。
彼女が昼前に帰った時、これと入れ替えで今度は長男の友人が来る。
彼らはもくもくとピザを食べるだけで会話ははずまない。
それでも心は通じ合っていて、サッカーやボール投げ、wiiなどのゲームを楽しそうに始める。キッキッと、まるで小猿が戯れているみたい。
女の子ってDoingより互いの関係性を確認し合うのが重要で、男の子はDoingがないと互いの絆も確認できない不器用さがあるみたい。
結婚当初、私たちの課題もこの辺りの違いを認識することから始まったように思う。
ホサナキリスト教会HPから
http://hosannamin.org/jpn/page/home
ヘブル 4:1 こういうわけで、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。
2 福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
3 信じた私たちは安息に入るのです。 「わたしは、怒りをもって誓ったように、 決して彼らをわたしの安息に入らせない。」 と神が言われたとおりです。みわざは創世の初めから、もう終わっているのです。
4 というのは、神は七日目について、ある個所で、「そして、神は、すべてのみわざを終えて七日目に休まれた」と言われました。
5 そして、ここでは、「決して彼らをわたしの安息に入らせない」と言われたのです。
6 こういうわけで、その安息に入る人々がまだ残っており、前に福音を説き聞かされた人々は、不従順のゆえに入れなかったのですから、
7 神は再びある日を「きょう」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、 「きょう、もし御声を聞くならば、 あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」 と語られたのです。
8 もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであったら、神はそのあとで別の日のことを話されることはなかったでしょう。
9 したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。
10 神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。
11 ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。
「安息」…これは何とも得難い財産ではないでしょうか。
「平安」と言い換えた方がより一般的で分かりやすいかもしれません。
それはどんなにお金を出しても買うことができず、どれだけ高い地位についたからといっても得られるものでもありません。
今回の聖書箇所は、神様が私たちに安息を約束してくださっていることを教えています。
3章と4章に多くの安息ということばが出てきますが、このギリシャ語には二つの異なる言葉が使われています。
❶katapausinー行動の停止を意味する言葉です。
本書に9回使われていますが(3:11,18; 4:1,3(2回),5,8,10,11)、それ以外は新約聖書に1回出てくるだけのことば(使徒14:18)です。
なお、新改訳聖書では、3:19,4:6も「安息」と訳していますが原語にはなくて代名詞(it)が使われているに過ぎません。
❷sabbatismos(4:9)ー安息日の祭り、祝福を意味していて聖書全巻でここだけに使われていることばです。
日常の活動を停止することよりもむしろ、人生を支えている主なる神を誉め歌い、妨げられないもとでの祝いの機会を意味します。
これら「安息」が10回(代名詞を含めると12回)使用されている聖句を注意深く見てみると面白いことに気づきます。
その安息が何を意味するかで、動詞の時制が変わってくるのです。
3つの異なる時制が、それぞれ異なる安息を意味しています。
❶過去時制(アオリスト)の時には、個人的で霊的な救いを意味しています。
❷未来時制の時には、天の(メシア)王国を意味しています。
❸現在時制の時には、霊的な成熟を意味しています。
4:1
カデシュバルネアの先祖達のように、この手紙の読者たちには「神の安息に入るための約束はまだ残っているのです。」
この安息は救いではありません。読者達はすでに信者となった人たちです(3:1)。また将来の天にある王国でもありません。危急の迫害下にあって将来を論じても無益ですし、カデシュのイスラエル人の目前に横たわる約束の国のひな形は将来のメシア王国ではないのです。
これは現在所有できる信仰(生活)の安息を意味します。主を信じて従うものに楽しむようにと約束されている祝福です。
4:3
「わたしの安息」、つまり神様の安息ですからこれは天地創造のときの安息です。神様が創造の6日間働かれて、次の日に休息を楽しまれました。
「信じた私たちは」…これは過去時制であり著者と読者を言及。そして「安息に入るのです」と現在時制に変更してます。彼らは霊的な安息に入りつつあるのです。すでに信じたのですから、この創造の安息に入るのを始めたのです。進行形です。だからユダヤ人信者はこの安息が提供する楽しみを味わい尽くすために、信仰を発揮し続けなくてはならないのです。
4:4
創世記2:2から引用して創造の安息について教えているこのところは、仕事が完成した、という点を表しています。これはメシアの働きによって贖いの安息が完成したひな形となります。また信者にとってもやがての将来、地上での働きを終えて天の御国に帰ったら、この「創造の安息」を体験するのです。
4:5
ここでの安息は地理的な救いの意味です。ヨシュアによって導き入れられる約束の国のことです。そこではこれまでのような奴隷生活でも放浪生活でもなく、安定した自由の民としての定住生活があり、それを「安息」と呼んでいます。
4:6-7
ここでは適応しているのを見ます。
出エジプトの世代は安息に入ることになっていたにもかかわらず、失敗しました。でも神様は御自分の目的を放棄されないのです。そこでもう一つの招きを始めたのがダビデによる詩篇95篇で、それが「きょう」という日に備えられている安息に入るよう進めたものです。そこへは信仰によって入るものです。イスラエルは不信仰と不従順により入れなかった。にもかかわらずに神は再び招いている、それはあなた方を招いている、というのです。
信仰により霊的な成熟の安息へ入るようにとの招きです。
「きょう」が幾度も強調されているのには理由があります。
この招きに直ちに応じなくてはならないのです。かつてカデシュバルネアが先祖達の限られた応答期限でした。読者にとり応答期限はAD70年です。もしかするとその当時、AD66年のユダヤ戦争がすでに始まっていたかも知れません。エルサレムがローマ軍によって包囲されつつあったかもしれません。本書がしばしば一度だけの、然も確固とした決断をして信仰の成熟段階に進むように読者を励ましているのは、そのような背景があります。撤回できない段階、回帰不能点に到達する前に前進しなくてはならないのです。
4:8
ここでは、現在神から提供されている安息は有効であるということです。なぜならヨシュアがイスラエルの子らに与えたのは成熟の安息でなかったからです。ヨシュアは敵からの安息を彼らに与えました(ヨシュア21:44,22:4,23:1)が、信仰により与えられる成熟の安息ではありません。
それはメシアによってのみ与えられる安息です。
4:9
先述してあるようにこの「安息」は、新約聖書でここだけに出現しているsabbatismosという語句です。祝祭的な意味を持ち、創造の7日目に起源を持ったものです。理想的な安息であり、神により備えられていて、きょう、信仰により所有できるものです。それは神の目的を十分に満たした後に獲得できるある特定のステージに達したことを意味します。
「ホーリネス」とか、「きよめ」とか言う神学的な言葉で表現されるものです。
神様は6日間で働きを終えられ、安息に入られました。その安息は霊的な成熟のタイプなのです。原始的にイスラエルのために定められたものです(出エジプト20:8-11)が、そのシンボルとしての意味は、イスラエル人でも異邦人でも、信仰者のために残されています。すべての信仰者にとって可能な安息なのです。もし信者が信仰を貫き通して、霊的な成熟に達するなら、基本的な教えの事柄の中でジタバタ・あたふたすることのない段階です。
4:10-11
これもまた信仰によって入った者の安息について教えています。
その者は神が御自分の業を終えて休まれたように、休止する(この節にあるkatapausinの意味)はずだと言うのです。自分の努力や働きに頼るのでなく、神が安息段階に導いてくださることを全面的に信頼する姿勢。
11節にある「この安息に入るよう力を尽くして努め」という語句の強調点は安息の将来的な側面にあります。それはイスラエル民族にとっては王国であり、個々の信者にとっては天国です。しかし同時に、信者がたった今ここで経験できることでもあります。
10節の「入った者ならば」ーアオリスト時制(完了した過去形)ですので、すでにある人々が霊的な安息に入り豊かな信仰生活を享受していることを表しています。その霊的な安息は、神様が備えられた安息を信仰により受け取ることから始まります。信者は現在の安息に入るのも、将来の安息に入るのにも、共通して神により頼まなくてはならないのです。
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ