この11月に子供の学校での多文化週間のとき。日本ブース前で独楽回しを楽しむ子供たち。
私が子供の時、お正月をとても楽しみにしていました。
「もういくつ寝ると お正月
お正月には 凧あげて
独楽を回して あそびましょう」
この唱歌を暮れには歌いながら、指折り数えてお正月を待ってものです。
そしてこの言葉の通りに、毎日近所の友達と独楽回しをし、たこをあげて時間を忘れて遊びました。
弟とは、お昼に餅食い競争をしました。
こちらアメリカの子供たちは、近所の子供達と遊ぶことができません。
友人の家があまりに離れてるために、会うには車で送らねばならないのです。遊ぶためにも24時間前のアポイントメントが必要です。
本日は長女の友人が我が家に遊びに来て、餅つきをして楽しみました。
杵と臼でつくものではなく、洗濯機のような機械でこねる餅です。
杵と臼で作ったものとは、味も食感も桁違いです。
何時か、我が子らにも日本の正月を体験させてあげたいと思っています。
ビーコンヒルズの新しい駅舎
空港からシアトルダウンタウンまで伸びています
この日はビーコンヒルズへ行って来ました。
シアトル市の南に接している住宅街です。
その町出身の友人がいますが、彼は家庭を持ってからそこで子育てをしたくないと言って他の町へ引っ越しました。
治安もあまり良くない場所です。
1年ぶり以上に訪れたのですが、大きな駅舎を見て、その変貌ぶりに気づきました。鉄道はこの駅舎の地下を通っています。シアトルダウンタウンと空港を両極の終着駅に持つ鉄道です。まだ私は利用したことがないのですが、開通して間もないシアトルっ子の空港までの足となるものです。
独身ならこの町に住んでもいいな、とその駅舎を見ながら思いました。
丘の上で眺めもいいし、地価も安い上に移動にも便利です。
敵は、土の中にこれだけの巣を作っていたのです。
本日、ようやくハチに復讐ができました。
土の中に巣を作っていました。
その上にはプラスチックの皿やコンテナが多いかぶさっていたのです。
知らないうちにハチにとって最高のコンディションを用意していたいたのです。
そのコンテナと地面をしっかりと密封してから餓死してもらうことを考えましたが、巣には蜜があって死なないと高校同級生からのアドバイス。
家内がインターネットで調べると、熱湯を注ぎかけるのが壱番良いことがわかりました。
そこでやかん2つ分の熱湯を注ぎかけると、巣だけが不気味に浮き上がってきました。三重にも重なった巣です。
1匹も這い出てきませんでしたので、すべて冬眠しながらご臨終となりました。
その巣をどうするかです。
私は土に埋めてしまおうかと思いましたが、カミさんはヤードウエスト業者に持っていってもらおうと主張しました。ゾンビのまま近くで眠ってるのが気持ち悪い、とのこと。
それもその通りです。
これで来春、安心して庭を歩けるようになりました。
1月1日号のシアトルのフリーペーパー・報知新聞に載っていたのは助数詞。平たく言えば、日本語での物の数え方。
そういえばこれは日本語にはない独特のものでした。
今まで私の知らなかったものに、こんなものがありました。
門松・一対(いっつい)
プール・一面
日本舞踊・一差し(ひとさし)
タンス・一棹(ひとさお)
そしてコラムの最後にはこうありました。
「同じものを数える場合でも、対象に込める気持ちによって助数詞が変化する。難しく面倒と感じるかもしれないが、それぞれに込められた意味と歴史的背景を理解することは、より深い日本語と日本文化の理解につながるはずだ」
なるほど。
異国で暮らしているので、意識しないと日本語も捨てれてきてしまうのですね。
一段と肌寒くなってきました年末です。
この暮れには、初めての事となりますがお雑煮を作ることに挑戦します。そこでこの日、日系スーパーに食材を買い出しに行きました。
その食材すら知らない私はネットで食材を調べました。
そうしているうち、おせち料理にも挑戦しようと欲が出てきました。
若い時には少しも興味なかったのですが、異国生活も長くなると日本の伝統の味が恋しくなるようです。
買ったことのない食材もメモにしたためて、店内をウロウロしている時、「1人用お節料理」という広告が目に入りました。
天の助けとばかりにその弁当箱をいそいそと手にしました。
私のお節料理の挑戦はまた来年に持ち越しとなりました。
皆さん、明けましておめでとうございます。
我が家でもこの正月はゆっくりとしたスタートとなりました。
餅つきをして、お雑煮もつくりました。
生涯初めてのお雑煮は、鶏肉をダシにして醤油とベースとした関東風のものとなりました。
初めてにしては我ながら上等だと思うのですが、子供たちには好評でありません。彼らはピーナツバターやマヨネーズを餅にまぶして食べてます。
それから書初めをしました。
長女が「美しい心」、
長男は「にんじゃ」と書きました。
それからようやく、子供たちお待ちかねのお年玉の時間(^O^)
伝統継承だと私から口うるさく言われてる子供たちですが、この時ばかりは双手を上げて喜んでいました。
オリンピック半島のフラッタリー岬にて
2012年、我が家のハイライト10を紹介します。
10大ニュースとも言い換えられますが、以下は順不同です。
❶日本企業に勤め始めました。夏の日本帰国の際には京都にある本社を訪問し、社員の皆さんとお会いすることができました(妻)。
❷長女の女子サッカーチームのコーチをしました。11歳になる少女たち18人と一緒に毎週三日間、練習と試合に打ち込みました(妻)。
❸ 7月から毎週日曜の夜7時より、聖書広場を始めるようになりました。
聖書研究を主軸としたミニストリーの展開がこれから楽しみです(京太)。
❹この11月に11日間、ヨルダンとイスラエルへの聖地旅行に行きました。日本国内COG教会から多くの参加者が与えられ、有意義な時となりました(京太)。
❺長女が中学に入学しました。毎朝6時半に起きなくてはならないのですが、彼女は学校が大好きです。学校の外では、ボイスレッスンや絵画教室も楽しんでいます。
❻親元離れて1人で1週間、オルカス島の馬キャンプに参加しました(長女)。
❼長野県にある忍者村で忍者としての特訓を受けました。それ以後、隠れながら忍び寄っては私たちを驚かせることが得意となりました(長男)。
❽サッカーでシーズン中最高得点獲得者となり、また最終戦ではウイニングゴールを決めたことです(長男)。
❾この夏には家族でオリンピック半島にキャンプしました。約180年ほど前の昔、3人の日本人漁民が漂着したフラッタリー岬に立ちました。
10 父親がいよいよナーシングホームに入居するようになりました。
これまで母親から24時間看護を3年間受けてきてからの大きな変革です。
過去1年間の歩みを写真アルバムで振り返りながら、多くの喜びや挑戦にも直面してきたのを思い起こしています。
それら全てに神の愛と祝福とが満ちていて、私たちと関わってくださった皆様方との出会いがありました。心からの感謝をもって今年を締めくくります。
一段と肌寒くなってきました年末です。
この暮れには、初めての事となりますがお雑煮を作ることに挑戦します。そこでこの日、日経スーパーに食材を買い出しに行きました。
その食材すら知らない私はネットで食材を調べました。
そうしているうち、おせち料理にも挑戦しようと欲が出てきました。
若い時には少しも興味なかったのですが、異国生活も長くなると日本の伝統の味が恋しくなるようです。
買ったことのない食材もメモにしたためて、店内をウロウロしている時、「1人用お節料理」いう広告が目に入りました。
天の助けとばかりにその弁当箱をいそいそと手にしました。
私のお節料理の挑戦はまた来年に持ち越しとなりました。
本日の夕食に義弟家族と両親が来られました。
一足早い新年の祝い会、というところ。
義弟家族には3歳になる双子の姪がいます。
ペイディンとアバリーという名です。
母親がフランス語教師であり、その子らの名前もフランス語です。
カタカナをそのまま発音しても、どこかが違っていて通じません。
1年かけてその名前は覚えましたが、どちらの子がどちらの名前か、そこまで覚えられないで毎度苦労しています。我が子に教えを請うのですが、数十秒後に見事に忘れています。もしかすると、すでに認知症が始まっているのかもしれません。
今日になって、名前を覚える方策を見つけて、一人でニンマリしていました。
ペイディンの方が若干色の黒い髪の毛をしているのです。
「ペイント」の「ペイディン」と覚えました。
この覚え方を我が子に披露すると、なぜそこまで苦労が必要なのか、と不思議な顔をされました。
それが大人の人知れない苦労というものなんだ。
日本の友人たちから年の瀬の話題が寄せられてきます。
おせち料理の品を買いに言ったり、大掃除の準備をしたり、故郷に帰ったり、、、
米国では正月がそれほど大それたイベントになりません。
「年を越す」なんて感慨は1ミリもなく、「月をまたいだ」ほどのこと。
せわしなさはないのですが、独特な日本の年越しを知っている身には侘しくもあります。
この日、シアトルまで行きました。
自宅のあるベルビューから東西に伸びる高速を走行します。
ベルビュー側の南北に伸びる高速405と合わせて、午後4時以降いつもなら渋滞のはずですが、あまりのスイスイ振りに拍子抜けしました。
すでに年末の休暇をとっていいる人が多いからなのでしょう。
ちなみに年始休暇をとる人はほとんどなく、この国では2日から通常の通勤風景となります。
昨日、家内は子供をシアトルの博物館に連れて行きましたが、私はして彼らをどこに連れて行くことができるだろうか、と考えました。
今晩夕食後、彼らを近所にあるコミュニティーセンターの体育館に連れ出したのです。シアトルはこのところ、雨雨雨が続いています。冬休みとなり、学校のない子供たちが家の中でゲームや映画を見てばかりでは、体がなまってしまいます。
そこで広い体育館の中で家族サッカーやバスケットしました。
ここのコミュニティセンターでは、わずかの料金で誰もが利用することができます。なのに、これだけの大きな街であるにもかかわらず、利用者は私達家族だけでした。
博物館などの芸術アプローチが子供たちにできなくても、体育なら任せてください。そんな自負を抱きながら走り回ったのですが、数分で息が切れてどうもなりません。出っ張った腹を撫でながら、それが恨めしくてなりません。
「これさえなければ、まだまだ子供などに負けないのに(^^)」
この時、重大決意をしました。
今後ご飯の御代わりをせず、一膳だけとします。
弟に出来た減量が私にできないはずがない(^ω^
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