大阪市での事件。
桑田さんのコラムがSNSで取り上げられる1位をここ数日キープしています。
http://www.asahi.com/national/update/0111/TKY201301110314.html
ここ米国では体罰なんて考えられません。
これは、子供の人権に対する意識の違いが根本にあると思います。
勝負に勝つよりも、勉強ができるよりも、行儀・作法・校則遵守よりも、(たとい子供であっても)人としての尊い尊厳を認めているかどうか、という点です。それは本来人が持って生まれた不可侵で神聖なものという認識が近代市民革命を通じて欧米で醸成されてきました。
明治維新での改革は「アンパン型」で、中身は和魂・あんこのままでした。政治制度やインフラなどはお上から改革されても、
自立した自由人が生まれるには、私たち一人ひとりの意識改革にかかっています。
桑田さんの提言には実に説得力があります。
どのマウンドから投げるボールより威力があって、どんな強力打線をも沈黙させるものです。
野球選手としての活躍以上に今後を期待します。
この冬休みに雪山ですべる。途中、転倒。
人生は七転び八起きだ、魁くん。
…昨日からの続編…
リビングに行ってみると、そこでは長男が朝食を食べていました。
なんだか、のっぴきならない空気となっています ~_~;
彼は学校が大嫌い。
なぜなら勉強が大嫌い( ̄▽ ̄)
この日が冬休みが終わっての登校初日でした。
朝起きるのも辛かった彼は、力を振り絞って食卓まで辿り着くと、涙を流しながら朝食を食べていたのです。
Life is so tough.
生きるって辛いことだね
妻に先ずストレスをぶちまけた後、彼につくづくとそう語りかけていました。
2人してブルーな朝を迎えたわけです。でもそれを共感し合えることが出来てから、お互い少し元気が出てきました。
朝食を終えた頃、彼は学校まで歩くのに心配はいらなくなっていました。
私も元気を取り戻して、彼と歩きながら歌を口ずさんだほどです。
彼はそれだけはやめてくれ、と懇願します。
小鳥が私の歌を待ってるんだ、と言ってめげずに歌い続けました。
さてさて、消去してしまったそのヘブル書4章14節から16節を再び引用します。
14 さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 (Heb 4:14-16)
イエスと言うお方は、神でありながら人となられた方です。ゆえに、私たちの弱さに同情できる方です。
罪を別として、私たちと同じように誘惑を受けて試みられ、苦悩の中を通って来られました。
「同情」と言うこと、「誘惑」を受けるという事、「私たちと同じようになる」ということがどういうことかについて原語からさかのぼって解説をしました。日本語では訳出できないニュアンスがあります。
「同情」と聞くと、上から目線でもの言ってるように受け取る言葉になるのでは?
それで原語が本来内蔵しているニュアンスを書いたのですが、それはすべておじゃんとなりました☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
ただ、この教えの実際的な適用をこの朝経験できたように思います。
主イエスは私の悔しさやもがき、長男の悲観なども同様に体験してこられたが故に、私たちと同じ立場にあって苦しみを担って下さることのできる方であるとの発見です。
30歳になるまで、主は家業の大工として働いて生計を立てられました。
完成した家具を納品する直前にどこかにぶつけて、台無しにしてしまった悔しさを味わったことがあったかもしれません。
苦手な依頼主のところに行かなくてはならない朝には、起き辛い経験もされたことでしょう。
昨年の11月、その主が生活をされておられたナザレにあるヨセフの家を訪問しました。
まさに私たちと同じように試みられた人生を歩まれまれた主を偲び、人間イエスを再発見したのです。
人間としてのイエスのゆえに、私たちは大胆に神の御前に出ることができます。
主イエスが私たちのために、父なる神の前で執り成しをしていてくださるからです。
ですから私たちは憐れみを受けて、恵みをいただいて、おりにかなう助けを受けることができます。
ハレルヤ(^○^)
この朝、ヘブル聖書研究を再開しました。
年末年始はお休みをいただいていました。
これは編集してから、ホサナ教会のウェブサイトへ投稿するものです。
今回は、ヘブル4章14節から16節までのところです。
14 さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 (Heb 4:14-16)
とても有名な聖句です。かなり力を入れて書きました。数時間ほどの作業を終えてようやく完成し、これを投稿しようとしたときのことです。
瞬時のうちに、すべての文章が消えてしまいました。
iPadで打ち込んだすべての文章をコピーしようとしたところ、その隣にあったpastというアイコンを押してしまったのです。
わずか1センチ右にタッチしただけ( ̄▽ ̄)
文章は消えてなくなり、以前にコピーしてあった数行の文書が出現しました。
このアイパットの雑記帳にはundoボタンがありません。どこ探してもないのです(≧∇≦)
数時間の労作が瞬時に永遠に消え去ってしまいました。
再び同じものを書こうだなんていう気力が残っていません。ただ悔しさと悲しさと怒りと、これら入り混じった感情がわき上がってきました。
この感情を誰かとシェアしなければ、爆発してしまいそうです。
そこで椅子から立ち上がり、書斎を出て台所に行きました。
…続きは明日に…
皆さん、I phone, I pad で文章入力される時には要注意です。
軽いタッチで書けても、軽く消去されてしまいます。
ダウンタウン・シアトルにあるスタバ1号店のロゴと同じものです。
この日は、長女と外出です。
女の子のしたいことは当然、男の子とは異なります。
彼女が選んだ行動は、もちろんショッピング(^ω^)
数時間もモールを徘徊するなんてやだなぁ、と文句をつい口走ってしまいました。
すると彼女は仲良しの友人に電話をし、アポイントメントをとり、彼女らが2人だけでモールショッピングすることになりました。
この先、彼女のレジメにも「問題解決能力がある」と書けるかもしれません。
現在私は、彼らがショッピングを終える時間まで、フッド・コートの一角で待機しています。
お陰で、本執筆を始めとした雑用が進みます。
目の前にあるスタバのコーヒーをゲットできたら、言うことはありません。先ほどから長い行列ができていて、未だに途切れる気配がしません。
すぐ近くの飲食店などはどこも閑古鳥が鳴いているのに、スタバだけは現在も盛況です。
ここベルビュー・スクエアのスタバは、シアトルにできた初期のトレードマークを採用していました。
無事に2人の女の子たちが待ち合わせ場所に帰ってきました。
それぞれショッピングを終えて満足した様子。
OKをいただいてここに写真アップ。
夕食は彼のお気に入りのクチーナ・クチーナへ。
Ninjaの絵を早速一筆書き。
友人と遊ぶ機会のない子どもたちは、どうしてもゲームやビデオに没頭しがちです。私から見ると不健康極まりないのですが、 かといってそれを取り上げることもできず、それに対抗出来る子守役を与えることもできないので、なすがままにさせている状態です。
本日は長男をレントンにあるファミリー・センターに連れていきました。パターゴルフをしたり室内でゲームをしたりしました。
凧揚げや独楽回しと比べると、味気もない遊び方に大人の私には見えます。彼は十分に楽しんでくれたようで満足しています。
この11月に子供の学校での多文化週間のとき。日本ブース前で独楽回しを楽しむ子供たち。
私が子供の時、お正月をとても楽しみにしていました。
「もういくつ寝ると お正月
お正月には 凧あげて
独楽を回して あそびましょう」
この唱歌を暮れには歌いながら、指折り数えてお正月を待ってものです。
そしてこの言葉の通りに、毎日近所の友達と独楽回しをし、たこをあげて時間を忘れて遊びました。
弟とは、お昼に餅食い競争をしました。
こちらアメリカの子供たちは、近所の子供達と遊ぶことができません。
友人の家があまりに離れてるために、会うには車で送らねばならないのです。遊ぶためにも24時間前のアポイントメントが必要です。
本日は長女の友人が我が家に遊びに来て、餅つきをして楽しみました。
杵と臼でつくものではなく、洗濯機のような機械でこねる餅です。
杵と臼で作ったものとは、味も食感も桁違いです。
何時か、我が子らにも日本の正月を体験させてあげたいと思っています。
ビーコンヒルズの新しい駅舎
空港からシアトルダウンタウンまで伸びています
この日はビーコンヒルズへ行って来ました。
シアトル市の南に接している住宅街です。
その町出身の友人がいますが、彼は家庭を持ってからそこで子育てをしたくないと言って他の町へ引っ越しました。
治安もあまり良くない場所です。
1年ぶり以上に訪れたのですが、大きな駅舎を見て、その変貌ぶりに気づきました。鉄道はこの駅舎の地下を通っています。シアトルダウンタウンと空港を両極の終着駅に持つ鉄道です。まだ私は利用したことがないのですが、開通して間もないシアトルっ子の空港までの足となるものです。
独身ならこの町に住んでもいいな、とその駅舎を見ながら思いました。
丘の上で眺めもいいし、地価も安い上に移動にも便利です。
敵は、土の中にこれだけの巣を作っていたのです。
本日、ようやくハチに復讐ができました。
土の中に巣を作っていました。
その上にはプラスチックの皿やコンテナが多いかぶさっていたのです。
知らないうちにハチにとって最高のコンディションを用意していたいたのです。
そのコンテナと地面をしっかりと密封してから餓死してもらうことを考えましたが、巣には蜜があって死なないと高校同級生からのアドバイス。
家内がインターネットで調べると、熱湯を注ぎかけるのが壱番良いことがわかりました。
そこでやかん2つ分の熱湯を注ぎかけると、巣だけが不気味に浮き上がってきました。三重にも重なった巣です。
1匹も這い出てきませんでしたので、すべて冬眠しながらご臨終となりました。
その巣をどうするかです。
私は土に埋めてしまおうかと思いましたが、カミさんはヤードウエスト業者に持っていってもらおうと主張しました。ゾンビのまま近くで眠ってるのが気持ち悪い、とのこと。
それもその通りです。
これで来春、安心して庭を歩けるようになりました。
1月1日号のシアトルのフリーペーパー・報知新聞に載っていたのは助数詞。平たく言えば、日本語での物の数え方。
そういえばこれは日本語にはない独特のものでした。
今まで私の知らなかったものに、こんなものがありました。
門松・一対(いっつい)
プール・一面
日本舞踊・一差し(ひとさし)
タンス・一棹(ひとさお)
そしてコラムの最後にはこうありました。
「同じものを数える場合でも、対象に込める気持ちによって助数詞が変化する。難しく面倒と感じるかもしれないが、それぞれに込められた意味と歴史的背景を理解することは、より深い日本語と日本文化の理解につながるはずだ」
なるほど。
異国で暮らしているので、意識しないと日本語も捨てれてきてしまうのですね。
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