河の向こう側がオレゴン州、ポートランド。
鉄橋はI 5です。
今回のポートランド遠征では
コロンビアの河畔に位置するホテルに滞在。
レストランからの眺望が
幅広いコロンビア河を見渡せて良かったです。
毎朝、朝食後にそこで執筆や読書。
自宅よりも作業効率がUPしているように感じます。
場のもっている力のようなものがあるのでしょうか?
家人から要求されるものがないのは確かですが、
周りに余計なものが一切なく、持ち込んだ原稿・図書案件に集中しやすいのが大きいようです。
そうなると、その場から腰をあげるのが難しくなりますね。
サッカーを始めた親子
やがてタックルが始まりました。
ラグビーの発祥も熱狂したサッカーの試合から始まったのと同じですね。
数日前、
このブログを更新しようかと頭をひねらせていたとき
窓の外が賑やかになってきました。
書斎の窓は裏庭に面していて、そこで遊んでいるものがいたのです。
これまで冷たい雨に阻まれて
私が誘っても決して外に出ようとしなかった子供たちでした。
緩み始めた冷気に
冬眠から目覚めたようです。
ホサナキリスト教会
「聖書広場」からの引用です
http://wdx.hosannamin.org/
「メシアとの論争―その②:ベルゼブル論争」
マタイ12章22~ 37節
~マタイ福音書連続講解説教29~
⑴歴史の分水嶺
マタイ12章は歴史の分水嶺となった出来事が記されてあります。
これを聞いたパリサイ人は言った。
「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、
悪霊どもを追い出しているだけだ。」 (マタイ 12:24)
ここで、正式にユダヤ人がイエスを拒絶したために、
❶神の国の到来プログラムが変更しました。
メシア的な王国は将来実現…主の再臨にまで延期となりました。
「教会」が誕生することになった~「奥義」(OTでは明らかでなかった啓示)
❷ユダヤの歴史が二分された
AD70年のエルサレム崩壊の裁きを受けて、世界離散の運命
約2000年間の流浪の生活が始まりました。
やがてユダヤ人は将来の艱難時代にイエスをメシアと仰ぐようになります。
すなわち、神の選民計画はユダヤ人の失敗によって終わっていません。
❸主イエスの働きが激変した
説教は直接話法からたとえ話を多用するようになり、一般群衆には理解できないものとなりました。
奇跡は公に行われず、個人対して、しかも信仰を抱く者たちに限定されるようになりました。
群集からは身を引かれるようになり、時間のほとんどを弟子たちの訓練に使うようになりました。
⑵ルールを作る人とルールを守る人
ここで話は飛躍するようですが、
日本と欧米のポジショニングを比較して見ましょう。
昨日、日米首脳会談を終えた安部総理が帰国しました。
日本の最大課題は次の2点です。
①尖閣諸島問題でのアメリカの協力を引き出す。
②TPPで例外品目の余地を残すのを認めてもらう。
大きな成果を残せたと、日本中はお祭りムード。
一方、米国内ではニュースの片隅に小さく取り上げられたに過ぎません。
なぜいつも日本は、米国に対して下手に出るしか無いのでしょうか?
①太平洋戦争に負けたから
②東京裁判で断罪され戦争加害者の烙印をおされた
③以後、日本人が自虐史観の歴史観を植えつけられている
④米国の核の傘に守られている
⑤安保条約なくして日本の独立は守れないのだから
衛星国のような立場にいる他ない…など。
何れもその通りなのですが、
最近さらに問題の根源に踏み込んだある論文に遭遇しました。
それによると、日米では
「戦略の階層」
が異なるからだ、というもの。
日本の得意なことは物作りであり、技術です。
さらに均一された価値観のもとで和合、協力し、
創意工夫によって集約的な成果をあげることです。
これらは狭い国土での稲作農業によって
培われてきた特質と言えます。
ところが、欧米の生産形態は長い間、狩猟や放牧でした。
そこから身につけた技能とは
「管理」
することです。
家畜を管理し、天候や土壌を管理してきました。
植民地主義の中で現地民を家畜のように使役するのにも長けて、
自国民が最大の収益を生み出すシステムを構築させたのです。
それに対して、欧米の作り上げたシステムを
常に日本は後追いしてきました。
産業革命と植民地経営がセットとなった帝国主義に江戸日本が遭遇した時、
慌てて明治維新を起こしてその後を追いかけた。
植民地主義で欧米の利害と対立して
止む無く大戦に引きずりこまれた時
(あえて日本から先制攻撃をし掛けたとは記しません^o^)、
すでに彼らは民族自決や平等、人権という価値観に軸足を移し変えようとしていた。
卑近な例では、日本の得意芸の家電製品。
ソニーのウオークマンは、
大きなラジカセを携帯サイズにしたことが画期的で世界に広がりました。
コンパクトにまとめ上げる技術力!
が、今やアップル社を始めとした端末機に
その役割が取って替えられています。
アップル社は端末機を作り上げただけでなく、
iTunesという音楽配信システムまで作り上げてしまったのです。
この世界制覇システムによって、市場独占はゆるぎないものとなりました。
ルールを作る人がいる。
また、そのルールを守りその範囲内で活躍を目指す人がいる。
どちらが先行するかは明らかです。
戦勝国が押し付けた憲法を今もありがたがって貴び、
無理な解釈を重ねて辻褄を合わせるが、
改正はタブーであると自らを呪縛する
これまでの平均的な日本人がその良い例でないでしょうか。
「戦略の階層」では、7つのヒエラルキーが紹介されてあります。
①Vision. 世界観
②policy. 政策
③Grand Strategy. 大戦略
④Military Strategy. 軍事戦略
⑤Operation. 作戦
⑥Tactics. 戦術
⑦Technology. 技術
ここで日本人が得意とする「技術」が最も下にある。
米国人が価値を認める「世界観」が最上階にあります。
(3)聖書の世界観
多くの日本人が一般的に宗教に期待しているものは
即物的で現世的なご利益です。
商売繁盛、家内安全、受験祈願、、、今年も8割以上の日本人が 初詣で祈願したようです。
ところが、聖書には是等のご利益は約束されていません。
健康や繁栄が欲しくてクリスチャンになるものでもないのです。
それら大切なものを失って始めて
永遠に変わらない
普遍的な価値に目覚めて
信仰に導かれた方は多くいます。
聖書の教えは、貴方に世界観の逆転を求めるものです。
貴方は偶然の繰り返しでサルから生まれ出たものでなく、神によって造られた存在である。
その神の存在と人への関わりを啓示するため、神はアブラハムを先祖にもつユダヤ民族を選ばれた。
「神の国」はユダヤ人から生まれ出る一人の子孫、メシアによって成就する。
メシアが2000年前に来られた時、ユダヤ人はこの方を排斥した。
よって当時のユダヤ人から神の国(メシア的王国)は取り去れて、教会時代が始まり、神の国の福音は全世界に広まって行った。
神がアブラハムと交わした契約は片務契約である。それゆえその契約はユダヤ人の失敗にもかかわらずに成就される。
現段階でその成就の片鱗を見ることができる。
①土地所有に関する契約条項ーユダヤ人の約束の土地への帰還
②子孫に関する契約条項ーユダヤ民族を始めアラブ民族など多くの国々が誕生した、メシアであるイエスが生まれ出た
③祝福に関する契約条項ーユダヤ人を迫害するものはより大きな裁きを受けてきた。
メシアを通じて全ての異邦人が救いの祝福を受けるようになった。
この契約の完全成就は将来、
主イエスが再び地上にお帰りになられる時(地上再臨)であり、
世界の歴史はそこに収斂されつつある。
聖書は明日、明後日の貴方のご都合を約束しない。
数千年単位で俯瞰する世界歴史が
聖書預言の通りに推移していることを教えており、
そこに神の視点で歴史を理解する世界観がある。
そこには神の約束に立ち続ける忍耐と
今日の課題に立ち向かう力とがある。
ポートランドで今や最もホットな日本食レストランと言えば、
しげぞう。
そのしげぞうからサウスイースト地区に姉妹店が
この1月にオープンしたと聞いて行ってきました。
その名は、「屋台村まる」。
コンセプトは日本の「屋台」
広い店内に3箇所の屋台が設置され、
それぞれすし、ラーメン、炉端焼きセクションとなっている。
日本での屋台経験はゼロの私で、それで
望郷を感じることはなかったですが、
ユニークな店舗アイデアに楽しくなりました。
メニューも豊富なので、いつか家族も連れてきたいです。
あっ、味ですか?
もちろんよかったです。
しげぞうさんは本格的な日本の味とサービスにこだわっています。
この週の金曜夜の話ですが、SALMON STにある本家のしげぞう店は満席で行列ができていました。
仕方ないので、2ブロック先のBROAD WAYにあるこうじ大阪屋に行きました。
テーブル数で20ほどあるお店に2組しか客がいませんでした(涙)。
ホサナキリスト教会「聖書広場」からの引用です。
http://wdx.hosannamin.org/
「メシアとの論争―その1:安息日論争」マタイ 12 章 1~ 21 節
~マタイ福音書連続講解説教 28~
マタイ 12 章には3種類のイエスに対する論争・挑戦があります。
1. 安息日に関する論争 :1~21 節
2. 悪霊を追い出す権威に関する論争 :22~37 節
3. メシア的しるしに関する論争 :38~50 節
安息日は、ユダヤ人・ユダヤ教を最も特徴付けている、
最重要の戒律です。
私達は神により造られ、
神の栄光を現すために今を生きています。
これが聖書が教える生きる目的であると言えます。
ところが、ユダヤ人は違うようです。
「ユダヤ人は安息日を守るために造られた」
という格言があるほど
安息日は絶対的な位置を占めていたのです。
現在でも正統派は
そのような理解を保ち続けています。
マカベア戦争で、
安息日に進入してきたアンティオコス軍勢に応戦せず、
彼らはみすみす敗北しています。
ローマ・ポンペイウスにも、安息日だからと言って反撃せず、
エルサレム入城を許してしまっています。
安息日の神聖を汚すよりも、
命を落とした方が潔いと考えたのです。
そんなに大切な「安息日」とは、そもそも何でしょうか?
❶律法と口伝律法
安息日についての教えは、
旧約聖書にあります。
「8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。--あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も--
11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」
出エジプト 20:8~11
ここに「どんな仕事もしてはならない」とありますが、
これだけなら、何をもって「仕事」と定義するのか定かではありません。
そこで彼らが定義したものが口伝えで先祖代々から伝えられてきました。
これを「口伝律法」(ミシュナ)といいます。
モーセがシナイ山で神から授かった律法は、
成文法として旧約聖書に収められていますが、
その際、文書にならなかったものがあって、
それらが口伝律法になったと彼らは考えたのです(事実ではありません)。
この論理から、律法と口伝律法とは同等の権威をもとものと考えられていました。
安息日にしてはならない口伝律法が、
驚くべきことに、1500 ほどあるのです!
それらすべては、たった一つの「安息日」に関しての細則です。
そしてメシアが出現したら、
メシアは当然ミシュナを尊重し、
遵守すると信じられていました。
イエス様は口伝律法を否定されました。
当然、体制側のパリサイ派、律法学者たちから激しい反感を買うことになります。
❷パリサイ派の糾弾
「1そのころ、イエスは、安息日に麦畑を通られた。弟子たちはひもじくなったので、穂を摘んで食べ始めた。
2 すると、パリサイ人たちがそれを見つけて、イエスに言った。「ご覧なさい。あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています。」
3 しかし、イエスは言われた。「ダビデとその連れの者たちが、ひもじかったときに、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。
4 神の家に入って、祭司のほかは自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べました。
5 また、安息日に宮にいる祭司たちは安息日の神聖を冒しても罪にならないということを、律法で読んだことはないのですか。
6 あなたがたに言いますが、ここに宮より大きな者がいるのです。
7 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。
8 人の子は安息日の主です。」
(マタイ 12:1-8)
麦畑にて
イエス様は弟子たちが穂を摘まんで食べたと言って
パリサイ派から訴えられました。
ここで、誰でも麦畑で穂をつんで食べることは許されていたのです。
「隣人の麦畑の中に入ったとき、
あなたは穂を手で摘んでもよい。
しかし、隣人の麦畑でかまを使ってはならない。」 (申命記 23:25)
パリサイ人たちにすれば、
安息日にこれらを行ったことが問題となったのです。
以下が彼らの告発理由です。
①手で穂を摘まんだ ~収穫の労働を行った!
②手の中で、穂ともみ殻のふるい分けをした~ 脱穀の労働を行った!
③そのもみ殻を息で吹き飛ばした ~食事の準備(ふるいわけ) の労働を行った!
④実を食べた(胃の中に納めた)~貯蔵の労働を行った!
❸主イエスの回答
①歴史的事例
かつてダビデとその部下たちは律法を破った。
祭司しか食べてはならないはずの捧げられたパンを
空腹だからと言って食べたのが律法違反である。
それでも神は咎めておられない。
生命の維持は律法に優先されるものだから。
ここに「ダビデの子」=メシアとしての
イエスとその弟子たちが同様のことをして、
何の問題があろうか。
②神学的事例(礼拝は律法に優先されるもの)
祭司たちは礼拝を維持するため、
安息日でも神殿で多くの仕事をしている。
つまり、礼拝と安息日遵守とをユダヤ教で比較すると
どちらが優先されるのだろうか?
答えは、礼拝であると明白に旧約聖書が認めている。
メシアはその礼拝対象のお方であられる。
ゆえにメシアは、神殿自体よりも偉大な方である 。
③聖書的事例
「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない」(ホセア 6:6 )
外面的な儀式の遵守よりも、
神が内面的な愛、哀れみを重視されることを
聖書から学んでいないのか?との問い。
弟子たちが生命維持する上で必要だった「食べる」行為を糾弾して、
不必要な禁止事項を設ける姿勢は
聖書が明白に咎めているではないか。
これらの主イエスの反論に彼らは完敗します。
答えることすらできません。
そこで「だめなものはだめ」「ならぬものはならぬものです」
となり、論理なしで主を拒絶していきます。
これが次回のベルゼブル論争へと繋がります。
雨と曇りの続く北西部ですが、
一日のうち数時間、
こうして晴れ間が広がることもあります。
シアトルの湾岸線、99を南方向に進んでいます。
重たい曇り空の続くノースウエストです。
この数日間は、冷たい雨も一時降りました。
昨日、両親のいる横浜からの便りによると
梅の開花が始まったようです。
そう言えばここでも午後、
小鳥のさえずりを始めて耳にしました。
春もすぐそこまで足音を立てて近づいているようです。
先週のRJCの全体集会が
U Stream ビデオにまとめられています。
普通のビジネスセミナーなら、
数千ドルはする質の濃い内容となっています。
http://www.ustream.tv/channel/rjc-12th-international-conference-2013
近くの州立公園へハイキング
ホテルに帰るとパズルに命を燃やす二人
朝食後、オレゴン・トレイルをハイキングすることにして出立。
予報通り、時間が経つにつれて天気は崩れてきました。
それでホテルに帰ることに。
それから私は一人でビーチに出かけました。
強い風にビーチの砂が一方向に50センチほど上空に舞い上がっては
小さな嵐となって移動しています。
と言うより、走っている私に向かって襲い掛かります。
雨も降り、空は厚い濃霧に覆われています。
白波は幾重にもなって数メートルの高さで押し寄せてきています。
昨日の様相と一転して、渚は牙を向いているようです。
ひざ小僧や頬が、寒風で真っ赤となりました。
自然の前に人は小さなものです。
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