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Gold Creek Pond へ

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英語名はPondですが、湖とし... 英語名はPondですが、湖としたほうが日本語にはふさわしい大きさです。水が顔を出している部分は全体の半分ほどです。 この平たい部分は氷結した湖面。... この平たい部分は氷結した湖面。そこを歩いている人も見かけましたが、危険すぎます。度胸試しでなく、あほさ試しに過ぎません。


I 90高速 を東へ走り15分ほどするとFall Cityです。
すると、晴れ間が顔を出してきました。
さらに5分も走れば見渡す限りに青空が広がり、別世界に来た趣です。
ベルヴューでは重たい霧と雲に閉ざされ、お日様を見ることのない日々が続いてましたので。

ピュジェットサウンドの海が、この濃霧を発生させています。
海洋性と内陸性の気候の境界線が、どうやらFall City辺りにあるらしい。
ちなみに、S.F.ベイエリアではこの境界線がMt. Diabloとなってます。このベイエリアの地中海性気候。
そのMt. Diabloのトンネルを抜けると見事な別世界、濃霧から快晴を経験できるのが楽しいです。

さらに車は東へ進み、目的地のGold Creek Pond までは20分ほど。
駐車場から1-2マイル歩くとその湖が姿を現します。
スノーシューイングをしながら、その湖畔を一周しました。
湖の半分ほどは表面が氷結しています。
氷結した湖面に積雪があるのですが、子供たちがその上を歩こうとするのを止めるのに苦労しました。
#アウトドア

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自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる~

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「Apple」故スティーブ・ジョブスが2006年に米国スタンフォード大学卒業式で卒業生に向けて行ったスピーチです。

彼がなくなった昨年、この記事を読みました。
読み応えのあるスピーチで、時々読み返しています。

人生の点と点とが繋がっていると信じることの大切さを説いていますが、まさに聖書はそれを教えています。
そうだといいねぇという絵空事でなく、事実である根拠が論理的に何重にも証明できるからので、私も確信をもって「アーメン」(その通りです)と言うことができます。

「 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 (新約聖書、ローマ8:28 )」

そう、すべての点が、良いことも悪いことも、得意なことも隠しておきたい汚点も、それらがすべて合い働いて、あなたにとって「益」と変えられるミラクルをイエスは成し遂げてくださるのです!

ジョブスがクリスチャンであるか否かは私は知りません。
ただ、聖書の原理を知り、その教えに生きた人であるとは、いえるでしょう。

どうぞ、あなた自身がどれほど価値ある存在であるかを、主イエスにより認知されますように!


{以下がジョブスの講演内容です}

PART 1. BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがありません。だから、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。たった3つです、どうってことないですよね。まず最初に話すストーリは、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。しかし、本当に辞めてしまうまで18ヶ月位はまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですが、それは、ずっと昔、そう、私が生まれる前の話にまで遡ります。

 私の生みの母親は、未婚の若い院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。経済的に苦しい思いをさせないために、育ての親は大卒でなくてはと、そう彼女は固く思い定めていました。そのため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていました。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。

 彼らは「もちろん」と答えました。

 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていなかった。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

PART 2. COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入ったわけですが、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高い大学を選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めました。

 「全てのことはうまく行く」と信じてね。

 それは勿論、当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思います。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですから。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりしてね。日曜の夜はいつも7マイル歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶、美味しかった。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 一つ、具体的な話をしてみましょう。

PART 3. CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ(飾り文字)教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至る所、ポスター1枚から戸棚の一つ、一つに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィが施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めました。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になっていました。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のMachintoshを設計する時に、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきました。僕達はその全てをマックの設計に組み込んだ。そうやって完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。もし、寄り道していなかったら?Macには複数書体も字間調整フォントも入っていなかったでしょう。そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかったでしょう。WindowsはMacの単なる真似に過ぎないのですから。

 勿論、大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんて出来ませんでした。

 だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。

 未来に先回りして点と点を繋げて見ることは、誰にも出来ない。君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

PART 4. FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとAppleを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、Appleはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、Macを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらは上手く行きました。しかし、お互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまったんです。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出された、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまった、そう感じました。こんな最悪の形で全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンバレーを離れることも考えました。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見えて来たんです。私はまだ自分のしてきた仕事が好きでした。Appleでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてAppleをクビになったことは「自分の人生最良の出来事だった」ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

思いがけない方向に物事が運び、NeXTはAppleが買収し、私はAppleに復帰しました。NeXTで開発した技術は現在Appleが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 Appleをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。それは、ひどい味の薬でした。でも患者にはそれが必要なんでしょうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものです。だけど、信念を放り投げてはいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。

 皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることです。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっては駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとに、どんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

PART 5. ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。

 私は17の時、こんな言葉をどこかで読みました。確かこうでした。
 「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。

それは私に強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けています、「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日の予定は、本当に私のやりたいことだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟ります。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

PART 6. DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私にこう言いました。
 「これは治療不能な癌の種別である、生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう」と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、「さよならを告げる」、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診て貰いました。その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったから涙したそうです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。

 以前の私にとって死は、頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることがあります。

 「死にたい人なんて思う人はどこにも居ない」
 
 天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わないでしょう。にも関わらず死は我々全員が共有する終着点であり、そこから逃れられた人は誰一人として居ない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。

 今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で申し訳無いけれど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

PART 7. STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという人が、ここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやDTPがまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでGoogleが誕生する35年前の時代に遡って出されたGoogleのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」

 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

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「他人と過去は変えられないが、自分と現在・未来は変えられる」

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高知県にある清和学園が教師とPTA合同の教育講演会を開かれ、そこでの講演内容が紹介されてあります。

校長の黒田先生いわく、
「人はどのような状態に置かれても、自分の行動は選択することが出来、人のせいには出来ない。何をするかの選択は本人がするもので、本人しか出来ない。両親と教師は本人が求めている方向へと良い選択が出来るように、励ます存在。今まではする気のない本人を無理矢理させようとして、折角の良いはず人間関係を壊してきた。」

選択理論のキーワード
「他人と過去は変えられないが、自分と現在・未来は変えられる」

7つの致命的習慣
「批判する、責める、文句を言う、ガミガミ言う、脅す、罰する、褒美で釣る」

7つの身につけたい習慣
「受け入れる、励ます、尊敬する、耳を傾ける、支援する、信頼する、違いを交渉する」
 
講師は柿谷正期先生で、「選択理論」の奥深さを感じたと、黒田先生。
さらに黒田先生が以下のようにその講義をまとめられました。

「本人にする気がなければさせられません。しかし、その時、教師として何をするかを先生自身も選ぶのです。先生の役割は本人が良い選択に向かってのやる気へと励ますことで、選択は本人しか出来ないことですから。今までは、する気がないことをさせようと苦労してきましたが、そうしなくて良いので、先生もストレスが少なくなります。」

私も教育に携わる端くれとして、この奥深い内容に打たれました。
この「7つの致命的習慣」、「7つの身に付けたい習慣」は、早速日記の最初のページに書き出します。

黒田先生のおたすけマンブログは、
http://wind.ap.teacup.com/applet/lovealohanet/archive?b=110
#子育て

ワオ!と言っているユーザー

102歳、長寿の秘訣を語る

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約2年ほど前、お一人でまだ家に... 約2年ほど前、お一人でまだ家に住んでいたときに家族で訪れました。このときは100歳です。 私が何度も子供たちに読み聞かせ... 私が何度も子供たちに読み聞かせた「バムとケロ」の本を紹介しています。
先日、林田文子さんが102歳になられました。
彼女は70年ほど前、日系人・日本人強制収容所に収容された最初の方で、シアトル地域でのそのシンボルとなられた方でもあります。

日系ナーシングホームに入居されていらっしゃり、家内が本日訪ねました。
私たち家族からの誕生祝いのメッセージをビデオにしてお届けしたところ、涙を流して喜んで下さったそうです。
体調も良好だそうで、近く日系マナーという、より軽度のケアハウスに移る予定です。

家内が102歳まで元気でいられる秘訣は何ですか、とお尋ねしたところ、、
①友人たちに囲まれて楽しく暮らすこと、感謝を忘れないこと
②残ってるものを何でも食べること
③最後に……遺伝だそうです

②は怪しい答えだと思いますが、細かいことにくよくよしないことだ、と解釈しました^o^
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

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やるねぇ、オークランド市

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オークランド市から返答がありま... オークランド市から返答がありました。
先日カリフォルニアのオークランドで駐車違反チケットをもらったことを書きました。
有効時間内にもかかわらずです。
とりあえず反則金58ドルをお支払いし、証拠となる時間の明記された領収書をコピーして先方に送ったのです。
本日またしても不可解な手紙を先方からもらってしまいました。

書簡による公聴会の機会を与えるので、証拠資料とともに返信してくれと言うのです。
ただし、本書類の日付から5日以内に届けないと、どんな出張も無効となるということが何度も繰り返されています。
その記された日付が今月の11日。先方が郵便スタンプした日付は14日となっていて、私の家に届いたか18日です。
このときで既に7日が過ぎています(^∇^)

この経緯を説明した返書を送付しますが、さて次はどんなことを言ってくるのか楽しみです。
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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朝霧よ、今朝もありがとう

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ベルビュー・ダウンタウンです。... ベルビュー・ダウンタウンです。
雨だけでなく、霧に覆われたノースウェストもまた趣が違って良いものです。
自宅前の道です 自宅前の道です
今朝はどうなってしまったんでしょう。

シアトル一体は深い霧に覆われています。
気温も低く、車の窓ガラスが凍てついて運転できない状態でした。
温水を窓ガラスにかけて解凍する作業に数分間取られたため、長女はスクールバスに間に合いませんでした。
そこで家内が彼女を学校まで送っていくことに。
もちろん長女はルンルン気分(^O^)

私は長男を歩いて小学校まで送りましたが、アスファルトの路面は凍結していて氷のように滑りました。
#暮らし #生活

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PSPでのウエブサイト構築はお勧めです

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シアトルとベルビューを結ぶ浮き... シアトルとベルビューを結ぶ浮き橋の520.
この日は良く晴れて、対岸に反射する夕日が冴えました。
本ブログやホサナ教会のwebサイトを管理してくれているIT会社です。
この会社のwebdeexpressというプログラムなら、私のようなITオンチでも簡単にwebを立ち上げたりをその運営ができます。

もう一つのビジネスのwebサイトもこのプログラムに移行すべく、行ってきました。
その日は無料セミナーで、手取り足取り優しく指導して下さった皆さんに感謝しています。
知人のSAMさんとそこでバッタリとお会いしましたが、京都人会の世話役をされていて、そのサイトを立ち上げるためにお出でになられていました。

日本人・日系企業にとってはなくてはならないIT企業として活躍されておられるPSP様、今後の発展をお祈りしています。
#PC #テクノロジー #ネット

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ガールスカウトの営業マン

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この購買者リストを埋め尽くすま... この購買者リストを埋め尽くすまで長女は納得しません。
ガールスカウトのクッキー販売の季節が始まりました。

毎年、長女はクッキー販売に命を燃やしています。
この日も絵画教室の終了後、教師たちにクッキーを売り始めました。

それ以外にも、学校教師たちに、教会内で、親戚たちに、スーパーマーケットの出入り口で、そして家々を訪問しての押し売り販売?といった具合にクッキーのための献身生活がしばらく続きます。

販売売り上げ成績は初年度が250個、2年目が501個、3年目の去年が607個だったそうです。毎年、部隊中ではトップセールスマンにランク(^o^)
そして今年の彼女の目標が700個以上で、販売開始初日にしてすでに60個を売り上げたと喜んでいます。

収益は全てガールスカウト本部に収められます。
生徒には販売成績に応じてガールスカウトが主催するキャンプの参加資格が得られます。
昨年も彼女はそれを利用して数日間のキャンプに無料で参加しました。

それにしても、女の子たちをこれ程に夢中にさせてしまう組織の戦略に脱帽しています。
#受験 #外国語 #学校 #教育 #科学

ワオ!と言っているユーザー

家族reunion

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ナーシング・ホームに入居している義父のところで、家族Reunionがありました。

カリフォルニアに住んでいる義姉が当地を訪れていることから計画された夕食会。

昨日転倒して顔面を強く打った義父は、痛々しい面持ち。
このメンバーで共に食事が出来るのも、これで最後となるかもしれません。
パーキンソンが進んで会話の出来なくなっている義父に対して、日々おしゃべりが上達している3歳の姪っ子達。

命と伝統は世代を超えてバトンタッチされてゆきます。
#暮らし #生活

ワオ!と言っているユーザー

今の子供たちは「べつーにー」

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この日の午後、Factoria Mall へ行って来ました。
長男の描いた鷲の絵がベルビュー市で優秀賞をとり、その表彰式があるというのです。

表彰が始まる頃になると、数百人の人集りでモールのホールが埋め尽くされました。
絵画部門だけではなく文学や音楽部門での子供たちの表彰が続けられていました。

勉強大嫌いな彼にとって、多分唯一の人から認められる学校行事のはず。
もう少し得意そうな顔をしても良いのに、いつもと変わらない表情。

「表彰されるって、どんな感じ?」
「べつーにー」

「表彰されてうれしい?」
「べつーにー」

(もちろん英語を大胆に意訳していますが)

何ら表彰されたことのない私にはその時どういう気持ちとなるのか興味ありましたが、どーでもいいような返事しか返ってきませんでした(≧∇≦)
#子育て

ワオ!と言っているユーザー

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