総責任を担われている、Don Wright
和歌山県・三段壁の自殺防止ネットワーク代表・牧師でもある
藤藪 庸一(ふじやぶ よういち)先生
主講師の藤藪 庸一(ふじやぶ よういち)先生による講演。
http://with-you-wakayama.jp/hp/message/message_3.php
私は、23歳で牧師となりました。
4月から今の教会に赴任すると、
早速4月5日に三段壁から電話がありました。
急行すると50歳少し前の方がいて、
私の足のつま先から頭の天辺まで眺めて言うのです。
「お前に何がわかるんだ……」
「……………」
「俺はやはり死ぬことにするよ」
先生は彼の前に座って、
行く道を防いだのだそうです。
二人で面と向き合って対座し、
彼の話を聞き続けました。
先生が帰ってしまえば
彼は三段壁から飛び込んでしまうかもしれない。
そこで、
1時間、2時間、3時間、、
…
ついに翌朝を迎えました。
…
観光客がやってくる時間になりました。
50歳ほどの男と、26歳の若者が対座している。
これは滑稽な場面に違いない。
先生はそれを利用することにしました。
「ココでは恥ずかしいから僕の家に行こう。
「…いっていいのか?」
「いいんです」
「本当にいっていいのか」
「いいのです」
これを3回繰り返しました。
自宅で朝食を済ませたあと身の上を聞くと、
彼が3回も「行っていいのか」と繰り返し聞いた理由が分かりました。
彼には帰る家がない…
どこにも行くところがない…
牧師がすでに「来ていい」と言ったんだ。
どうする?
「あんたどうするつもりねん?」
妻の目は無言で先生にそう言っていたそうです。
奥様は先生より信仰深く、
「家に留めるしかないんでしょ」
と結論を先に言ってくれたのだそうです。
それから2歳の赤子のいる3人家族の牧師家庭に
その方が共同生活をするようになりました。
以来十数年間、
自殺未遂の方が牧師家庭からいなくなる日はありませんでした。
近所にアパートを借りながら最も多いときで26人、
現在では5名の方との共同生活が続いているのだそうです。
年間に百名ほどの自殺未遂者をレスキューするのだそうですが、
「@@名を救出しました」
「@@名と共同生活をしています」
というのは結果でしかない。
結果を生み出すのは、当人にどこまで付き合うかにかかっている。
どこまで自分の時間を犠牲にできるか。
どこまで自分の家庭を犠牲にできるか。
その一瞬の選択の積み重ねに結果がある。
一瞬がすべてを決する。
すべては一瞬にある。
Rocky & Marla ご夫妻
毎集会、歌い継がれたワーシップソングとオリジナルの賛美で
私たちの心を神様に引き上げてくれました。
木曜から3日間、Reaching Japanese for Christ(RJC)
が開催されました。
米国内のボストンやテキサス、シカゴやカリフォルニアはもとより、
日本国内からも多彩な顔ぶれが集まります。
年に一度、日本人伝道に励んでいる者達の
ネットワークを広げ、強固にするためのファンファレンス。
ワーシップソングのリードは、
Rocky & Marla ご夫妻。
日本、メキシコ、イスラエル、インド、ルイジアナ等各国のアクセントで歌う
「イエス様はあなたを愛している」
賛美歌が良かった。
ベンジャミン・フランクリン。
我が家にあった、なけなしの$100札です。
iPhoneは顕微撮影に優れていると聞いて
インストラクション通りにやってみました。
指に付着させた1滴の水を
カメラのレンズに垂らすのです
すると、その水がレンズの役割をして細かいところまでを映し出すとか、、、
何度かトライしましたが、
被写体にカメラを構えた瞬間、
その水がレンズから流れてしまってうまく行きません。
コーヒーカップ上に水平に寝かしたまま
被写体をカメラの下部に据えてトライ。
う~ん、どうもうまく行きません。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの引用です。
http://hosannamin.org/jpn/page/home
マタイ福音書連続講解説教27 マタイ11章25~30節
「メシアへの応答―その③:幼子たちの受容」
{メッセージからの抜粋}
マタイ11章は、メシアに対する人々の応答が書かれている所です。
第一セクションでは、先駆者・バプテスマのヨハネの応答、
第二セクションでは、ガリラヤの町々の応答、
そして今回第三セクションでは、これらのまとめに加えて
賛同者達の応答を扱います。
❶ガリラヤ伝道のピークを迎えつつある時
そのとき、イエスはこう言われた。
「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。
これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、
幼子たちに現してくださいました。
そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」
(マタイ 11:25-26)
この節にある「そのとき」とは「カイロス」で、
質的なクライマックスの瞬間であります。
福音のために神の国に漏れまいと
激しく攻める賛同者たち(12節)に対して、
多くのガリラヤの町々の大多数の人たち(23節)は
主を拒絶しました。
成果の少なかった宣教活動に対して
主は落胆されたでしょうか?
いいえ、驚くべきことに、
ここで父なる神を「ほめたたえて」おられます!
主が父なる神に対して賞賛の言葉を語られているのは、
聖書の中で数回しかなく、とても珍しいのです。
❷父の御心を喜ばれるメシア
乏しい宣教の結果を見て、
それは方法や人材に問題があったからではなく、
「御心にかなったこと」であり、
全く賛同されての賞賛でした。
神の国の啓示=救いに至る道は、
「賢いものや知恵あるもの」に対しては隠され、
「幼子たち」に対しては現されたのです。
ここでの「幼子たち」とは比喩的表現です。
偏見のない素直で柔和なこころ、
純粋な真理に対する知識欲のある者たちに
福音は啓示されてきました。
なぜ啓示された神の国を
その人々は受容できたのでしょうか?
当時ユダヤ人がイエス様をメシアであると告白するならば、
ユダヤの共同体から追放される村八分とされました。
そこまでの犠牲と不利とを承知の上で
信者となったのは
体制側のパリサイ派や律法学者たちからも現れました。
ニコデモであり、アリマタヤのヨセフです。
職や生活を犠牲にできるほどの、
より価値高い真理とは、
「父なる神を知る」(27)ことでした。
その「知る」ことを得たのは、
「子が父を知らせようと心に定めた」
ゆえであると主は言われます。
つまり、主イエスの先行する御心なしに
だれ一人として
父なる神の啓示を受け止める者なく、
救いに至る者はありません。
神学的に神による選び、予定論といった深いテーマです。
これは宗教改革者の一人のカルビンがまとめ上げた教理です。
「すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。
それで、父のほかには、子を知る者がなく、
子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、
だれも父を知る者がありません。」 (マタイ 11:27)
❸カルビニズムとアルメニアン主義
「神による選びなくして人の救いは無い」
これは聖書が明確にしている教理です。
「わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、
だれもわたしのところに来ることはできません。
わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」
(ヨハネ6:44 )
これをもう一歩進めるとどうなるでしょう?
「人が救われないのは、神がその者を選ばれていなかったからだ」
「神はある人々を救いに、ある人々を滅びに予め選ばれているのだ」
これは二重予定説と言われるもので、
カルヴィンから後世の神学者たちがたどり着いた結論です。
人間の論理的思考からはそのような結論となるでしょう。
しかし聖書は二重予定説を教えてはいません。
カルビンもそのことまでは言っていないのです。
一方イエス様はその直後にこう言われました。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
(マタイ11:28)
ここでは全ての人に対して「来なさい」と呼びかけておられます。
私たちの意思に訴えておられるのです。
人は自らの意思により決断し、
立ち上がり、
歩いてイエス様の下に行き、
信じなくてはならないのです。
神が強制的にあなたを
信仰に追いやることはありません。
神様はあなたの同意無くして
あなたの心の領域に一歩たりとも踏み込むことができないのです。
すると人が救いに至るのは、
その当人の意思が必要であることも明らかです。
この自由な人間の意志という側面に着目した神学者が
アルメニウスです。
しばしばこのアルミニウス主義は
カルバン主義と対峙するものとして取り上げられます。
これはキリスト教世界を二分してしまう神学的テーマであり、
現在でも議論が続けられています。
それではどちらが一体、聖書的で正しいのでしょうか?
私の答えでは、両方とも正しいのです。
双方とも聖書が明白にしている教えだからです。
ただ人間的な論理で割り切れない要素があることを
認めなくてはなりません。
論理的に一方のみを追求しすぎると、
脱線してしまいます。
二重予定説はその良い例です。
神による選びと
人間の意志論は
相反する論理ですが、
これを神にあって調和する一つの教えとして受け入れるのです。
厳密な意味で理性的には
理解しえないものです。
これを信仰の飛躍により受容するのです。
聖書がそのように啓示していることを
私たちは受け止めるのです。
私たちの創造主は、
私たちのちっぽけな頭の理解の中に収まる方ではありません。
究極の意味で人が完全に理解しえない神の神秘に属する事柄です。
一方を強調するあまり、
他方の神学的理解をもっている教団・教派を異端視してしまうのは
賢いものではありません。
三位一体という、神の存在のあり方そのものが神秘です。
主イエスには100%の人間性と、
100%の神性とが
矛盾することなく調和を保って宿っておられる
というのもまた神秘です。
翼の下に見えるのはアラメダ市。
サンフランシスコ・ベイに浮かぶ島となっています。
これはオークランド市のダウンタウン。
翼はこのあと北に進路を変えて、
SFダウンタウンを左に見ながら
太平洋沿岸に沿って北上していきます。
この時期、雲海に沈む夕日がきれいです。
サンフランシスコからシアトルまで
飛行時間は2時間ほど。
その間、このブログ執筆等に費やしました。
i pad があるため、
気軽に投稿準備が出来ます。
機内でNewport Covenant Church
(ホサナ教会が会堂をレントさせていただいているホスト教会です)
のアダム牧師
とばったり遭遇。
二人の小学生になる男の子と奥さんとご一緒で、
サンディエゴからのお帰りのようです。
翌日、教会での再開を約束して
シアトルの空港でお別れしました。
ユニオン・スクエアでのJapanese Festival
残念ながら立ち寄る時間はなく、
クライアントのオフィス窓からパチリ。
今週の週末・土曜と日曜、
ユニオン.・スクエアにて
Japanese Festivalが開催されてます。
言わば北カリフォルニア日系人社会の総力をあげてのイベントで、
ねらいは
「日本に行ってみたいと関心を引き起こすこと 」
にあるのだそうです。
ところで
来週の旧正月を祝う中国のパレードと
規模を比べれば段違い。
そこではザッと、5ブロック四方の区画が
完全交通封鎖されて、
数千の中国人パホーマー達が
5色の派手な衣装をなびかせての踊り、
楽器演奏、
龍の舞などを見せてくれるものです。
それはそれで圧巻です。
Japanese Festivalでは、
和食の振る舞いや、
武道の演舞、
アニメやハイテクなどの文化紹介、
観光地の紹介ブースなど
盛りだくさんのようです。
ホテルの中庭を囲んでゲストルームがあります。
この日の朝食はユニオン・スクエア近くのフランスカフェにて。
洗練されたサーヴィスと調度品。
多くの人がフランスの文明度に
一目置く理由が少々わかったような気がしました。
今回は珍しくもサンフランシスコでは
ダウンタウンど真ん中にあるホテルに滞在。
利点としては、
ダウンタウンに集中している
クライアントまで近いこと。
この日は車で5分強でユニオン・スクエアに到着。
欠点としては、
ホテルが駐車料金を加算すること。
サクラメントでのホテル駐車料金は無料でした。
ここでは1日に付きTAXを入れて
$28.5なり(≧∇≦)
ホテル目の前の路地を見ると、
路上駐車出来るスペースを発見(^O^)
許可時間帯も
朝の出立時間の9時までなのでOK
経費削減は意欲と工夫次第。
見るだけで楽しくなるディスプレイ。
季節によって商品も変えられていきます。
ストリートのショウウインドウに雛飾りが。
日本の伝統をSFっ子に紹介しています。
サンフランシスコの中心部を貫いているマーケット・ストリートで、
クライアント達から大型案件を受注。
2時間ほど要してしまいそう。
時計をみると、
ちょうど3時のおやつ時間(^o^)
喉も渇くし、
お茶を探しにビルを出ました。
すぐそばに
日本から直輸入した和菓子を専門に販売してる店を発見。
「今の季節で何が流行ってますか?」
カウンター上の柿の菓子を指差しながら、
どのように味付けられ、調理されてるかを
専門用語を交えながら
流暢な英語で説明してくださいました。
店員さんは、若い日本人の女性です。
何が何だか分からなかったですが、
それを注文しました。
普通の菓子と比べれば
数倍の出費となりましたが、
高校時の同級生に「スイート王子」
なんてFB友達から呼ばれながら、
スイートの食べ歩きをしている輩もあることだし、、、
私だってたまにはいいよね、
と自らを納得させました。
サクラメントからサンフランシスコまでは、
2時間弱ほどのドライブ。
今回は睡魔に襲われて大変でした。
対策として右手で頬を叩き始めました。
左手も使ってパシャり、パシャり、と。
睡魔はそれでも執拗に攻撃してくるので、
さらに力を込めて叩きつけました。
それでも意識の薄れる瞬間が何度かあり、
気付くと隣のレーンにはみ出していたり、
前方車に異常接近していたりの
ヒヤリハット( ̄▽ ̄)
事故る前に対処をせねば、
と考え停車のための出口を探していた時、
電話がなりました。
娘からでした。
その日の学校の様子などを聞いているうちに、
おかげで眠気が吹っ飛び、
そのままサンフランシスコに到着。
アケミちゃん、命を救ってくれてありがとう。
さて、皆様の睡魔との格闘法とは、どういうものでしょうか?
この日の夕食はMIKUNIのオリジナル巻き寿司
この通り、満席のMIKUNI, ROSEVILLE店。
この日も夕食はMIKUNIのRoseville店に行ってきました。
あいにく太朗さんはこの日、別の店で働いているそうです。
平日というのに今日もお店は満席。
MIKUNIは、寿司屋の常識を超えた画期的な経営をしています。
お店に一方足を踏み入れた途端、気分が高揚されていく感じがします。
明るく斬新的な照明、
スポーツバーのような巨大なTVスクリーンがあちこちに掲げられ、
若い子たちによる明るい接客、
カウンターからは一斉に「いらっしゃいませ」と独特の言い回し、
客足に対して十分なスタッフ陣が備えられていて、待ち時間も10分以内、
オリジナルの巻寿司メニューが100以上もあり、
味も良くて、リーズナブルな価格設定、、、などなど
商売繁盛のからくりが見て取れます。
昨日、彼とこんな会話がありました。
「数年前のリーマンショック後の時、
お客さんが半分も入ってなくてすごく心配したよ。
今はこんなに繁盛して、良かったね」と私。
「あの時は大変だった。
赤字を11ミリオンも出してしまったんだ。
どのお店を閉めようかともがいていたよ。」
私 「よく持ちこたえられたね」
「あの苦しい時に、神様の臨在を強く感じられたんだ。」
「これからだよ。これからが本番なんだ。」
彼を見ていると、毎瞬を実に楽しんでいるようです。
寿司職人の域を超えて、エンターテイナーというタイトルがふさわしい。
来週のRJCでの彼の講演が楽しみです。
寿司の実演も来てくれるそうですよ。
ご都合のつける方はぜひともお出でください。
出席には、WEBから登録もできます。
日時は、2月15日(金)
会場は、Northshore Baptist Church
10301 NE 145th Street
Kirkland, WA 98034
主催は、RJC http://www.rjcnetwork.org/
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