クリスマス翌日の昼。
家内は長男をシアトル市内にあるガラス博物館に連れて行きました。
午後、2人は興奮しながら帰ってきました。
斬新的なデザインのガラス工芸に、彼らは相当感銘を受けています。
写真を見て私も驚きました。
そして私も一緒に行ったらよかったなー、と後悔しました。
でも長女は、頑固に行くのを拒み続けたのでした。
クリスマス・ギフトとしてもらった映画DVDを見るのに忙しかったからです。
今朝、我が家でのクリスマス祝い会での長男とグランマアです。
Merry Christmas!!
飼い葉おけに2000年前、お生まれになられた御子イエス。
このお方ゆえに、この瞬時も私たちは生存を許されています。
このお方ゆえに、私は今の家内と結婚して今の生活があります。
このお方ゆえに、私は今この国で働いています。
このお方ゆえに、私たちには永遠の救いと希望があります。
クリスマスの恵みが皆様方の上に豊かでありますように。
この日のクリスマス・イブに集った親族たちです。
つい数日前の私のフェイスブックに、米国ではMerry Christmas と言わずに、Happy Holidays と挨拶を交わすようになっていると投稿したところ、多くの反響をいただきました。
Happy Holidaysは、クリスチャンでない方々をつまずかせないために、宗教色のない言葉のほうが良いとされて広まっているシーズンの挨拶定型句です。
FBの返答に、親族たちが40~50名も集まってクリスマスを祝うイブの宵を始めてこの国で迎えたときの驚きをシェアしました。
そのイブの集いが今夜、シアトルで開かれました。
年間でこの日にしかお会いしない親族も多く、互いの消息を尋ねあい、心弾む時となりました。
食事を終えて、プレゼントを交換し合うときのことです。
恒例の祈りと聖書朗読がありました。
親族の半数以上はクリスチャンでないのですから、それが行われるに大きな驚きを抱いたのが始めて参加したとき。そのようなプログラムは教会の中だけで行われるものと思っていましたが、普通の家のクリスマス・パーティで、違和感なく普通に行われることに度肝を抜かれたのです。
米国がキリスト教を基に建国され、そのスピリットと教えの上に発展してきたという日本で聞いた話は本当だったのですね。
マタイ福音書連続講解説教19 マタイ9章1~13節
「メシアの5つの力ある業―その①」
{ホサナキリスト教会・聖書広場メッセージからの抜粋}
マタイ福音書9章には、イエス様がなされた5つの論争が書かれています。本日は1番目のパリサイ派との論争、そして本福音書の著者であるマタイの召命について学びます。
ところで人間にとって最も恐ろしいこととは何でしょうか?
あなたの人生で最大の危機と言えるものがあるとすれば、それは一体なんでしょうか?
明日から私は聖地旅行に出発します。
イスラエル軍がガザ地区を攻撃しており、ガザからのロケットがイスラエル国内に着弾していることから、危険視される方がいます。
昨日、1人の方がそのことでキャンセルをされました。直前にキャンセルをされても、現地旅行料金が返金されないのです。
楽しみにしていた旅行も、数十万円の費用も捨ててしまうのは、命の危険を感じるからだと思います。
人間にとって死が最大の危機であり、忌むべきものであり、敵であります。死を前にすると、私たちは恐怖を感じざるをえないです。
その理由は、死の向こうにある何かを本能的に知っているからではないでしょうか?死が全ての終わりでなく、死後に神の裁きを受けなくてはならないと聖書は教えるのです。
罪を持っている人間は、その裁きの座に立ちないことを感じ取って恐れるのです。
パリサイ人との論争から、主イエスは私たちの罪を赦す権威を持っていらっしゃることが明らかとなりました。
中風で歩けない人を癒された主は、罪を赦すことができることをその場で示されました。その場に居合わせた人にとってより大きな奇跡(中風を瞬時に癒す)を示された今、より小さな事(罪の赦し)は言うまでもないことが明らかとなりました。これがラビしてのイエス様がなされた論法です。大きなことを克服できるなら、それよりも小さなことは言うまでもない、という論理です。
この論法に従って次のことが言えます。
主イエスにあって最大の敵である死を乗り越えた私たちは、今やその他の問題は楽勝であるというものです。
私たちには経済問題や家庭問題、社会での人間問題など、生きている限り不可避な問題が襲ってきます。
その時、死とその後の裁きについて主が勝利を与えて下さっいるのを覚えようではないですか。
これらはそれ以下の問題なのですから、これらのことについても助けをいただきながら乗り越えることができます。
次にマタイが弟子としてイエス様に呼ばれたことから、主が私たちの心を全てご存じであられることを学びます。
当時、取税人とは独特の響きを人々に与える職業人でした。
売国奴であり、汚れた者であり、村八分にされてその人間性までも疑われていました。
そのようなマタイに、主は声をかけられました。
主のお言葉に即座に応答していることから、彼がその時まで彼自身の人生について葛藤をしていた事が分かります。
それまでのマタイの価値観は、
❶聖書の神よりもローマ帝国の権威を優先し
❷同胞ユダヤ人との絆よりも一人ぼっちの経済的利益を優先し
❸来る千年王国よりも現世の生活を重視する刹那的なものでした。
そのような生き方に限界を感じていた彼に、主は弟子としての召しの声をかけられたのです。
主はあなたにも同様に声をかけて下さるお方であられます。
主はあなたの職業的肩書やレッテルで判断されずに、あなたの心の迷いや葛藤、あなたの本当の願いをご存知の上であなたに声をかけ、招いておられるからです。
本日の朝、ホテルからチェックアウトする時のことです。
荷物をまとめてからスーツケースと共に部屋を出る時、忘れ物チェックをいつもの通り行いました。
洗面所も、デスクの周囲も、そして引き出しの中も何度も確認して忘れ物がないことを確かめたのです。
家に帰ってから、置き忘れてしまったものが1つだけあったことに気がつきました。
iPadの充電用ケーブルです。
ベッドのサイドテーブル近くの電源に差し込んだまま、置いてきてしまいました( ̄▽ ̄)
電源用ケーブルをホテルに置き忘れたのは、これまでに3回ほどあります。アップルの店でどれぐらいで売っているんでしょう?
この日、路上駐車をしている自分の車に戻った時のことです。
フロントグラスに何やら黄色い紙が、バンパーに挟まれてありました。
ありゃー、やってしまいました( ̄^ ̄)ゞ
駐車違反の反則切符を切られていたのです。
時間にして20分ほどオーバーしていました。
残り時間を確認しなかったツケです。
友人たちとのお付き合いがつい長くなってしまいました。
39ドルなり。
毎度どうも(^O^)/
今回も実に楽しい時を持たせて頂いたポートランド市への献金とさせてください\(^o^)/
このところ米国では、お互いにhappy holidaysと挨拶を交わしています。
少し前まではメリークリスマスと挨拶をしていました。
それですと、クリスチャンではないユダヤ教徒の方々をつまずかせてしまうのだそうです。そこで宗教的に何の意味をなさない happy holidays が誰からともなく言うようになり、町中に広がりを見せるようになりました。
シアトルの空港にクリスマスツリーが飾ってましたが、ユダヤ教徒の方々からのクレームにより撤去されたのは、もうすでに5 、6年以上の前のことと記憶しています。
本日お会いした白人女性の方は、45歳になるユダヤ人です、と自己紹介してくださいました。
彼女は別れ際に私に対して、メリークリスマスと言ってくださったのです。
思いがけない言葉に思わずたじろいでしまいましたが、そのあとで私もご挨拶を返しました。
ハッピーハヌカ。
(ハヌカはこの時期のユダヤ教徒の光のお祭りです)
あるお店に入ると、これが目に留まりました。
「あなたがさらに知恵を得たならば、あなたの思いはさらに謙遜となるでしょう。
あなたがさらに理解力を増したのなら、あなたの行動力はさらに人を助けるものとなるでしょう。
あなたの心にさらに良いものが宿っているのなら、あなたはすべての生きとし生けるものに対してもさらに大きな愛を感じることでしょう。」
本日訪問した家の壁にありました。
この通りの人間でありたいと願いました。
単純でインパクトのある言葉です。
しばらく見とれていました。
私の義父がいよいよ介護ホームに引っ越すこととなりました。
アルツハイマーと脳溢血の後遺症から、歩くのもおぼつきません。
室内で倒れてしまい、義母では起こすことができずに救急車を呼ぶはめとなったのも数日前のことでした。
そこでこの日は引っ越しの手伝いに行きました。
思い出の写真や家具、タオルや電気スタンドなどを新しい彼のホームまで搬入しました。思えばほんのわずかな所持品です。数年前まで彼の必需品であったコンピュータや本、音楽CDなどはもう不要となっていました。
自らの介護ではどうしても不十分であり、重い決断をしなくてはならなかった義母にとり、とても辛い日となりました。心痛のため昨夜は眠れなかったそうです。人が老いを重ねるとは、時に厳しい現実と向き合わねばなりません.
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