< (画像:ウィキペディア) >
本日は、パリ出身の女子テニス選手<スザンヌ・ランラン>(1899年5月24日~1938年7月4日)の生誕120周年になります。白血病のため39歳の若さで亡くなれれています。
彼女は、4大大会シングルスで「全仏6勝」、「全英6勝」、ダブルスで「全仏6勝」、「全英6勝」、混合ダブルスで「全仏7勝」、「全英3勝」の記録を残しています。
ただし、全仏選手権は1925年より前はフランス人しか出場できませんでした。現在のような国際大会になったのは1925年からですので、国際大会の優勝記録として数えられるのは、全仏では「シングルス2勝」、「ダブルス2勝」、「混合ダブルス2勝」となっています。その他にも1920年のアントワープオリンピックでは「シングルス」と「混合ダブルス」で金メダルを獲得している、20世紀初頭を代表する名プレイヤーの一人として、現在でも、フランスでは「テニスの女神」として敬愛されています。
また、1926年7月には興行としての「プロテニス」を創設するため「C・C/パイル社」と契約し、世界で最初の「プロテニス選手」になり、彼女を含め、6名の選手がプロテニス選手となり、1926年の冬から1927年にかけて北アメリカで行われた史上初の「プロテニスツアー」に参加しました。
全仏オープンの会場である「スタッド・ローラン・ギャロス」には、彼女の名前を冠した「スザンヌ・ランラン・コート(収容人員:10,068)」がセンター・コートに隣接しています。また、同大会の女子シングルスの優勝者に送られる優勝カップにも「スザンヌ・ランランカップ」の名がつけられています。
26日開幕の全仏オープンでは、日本選手として初めて4大大会に第1シードで臨む<大阪なおみ>が、優勝カップを手にすることを期待しています。
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