今朝は曇り空。朝7時頃西の空を見ると、きれいな虹が出ていた。
暫くしたら雨が降り出したが、通り雨ですぐに雨は上がった。
アメリカでは物の長さや距離を測るのに今でもインチやフィートなどの単位を使うが、もともと1インチは成人男性の親指の幅(爪の付け根付近)、1フィートは親指からかかとまでの足の長さに由来している。古代中国でも親指の幅を基準に1寸、手を広げた時の親指から中指までの距離を1尺と定義しており、古代ではこのような人間の体を基準とした長さである身体尺が使われていた。しかし身体尺では個人差があり色々と不便を生じるため、文明の発達に伴い国ごとに長さを測る基準が制定された。
大航海時代を経た1790年代、長さの単位を国際的に統一しようということになり、フランスを中心とした当時のヨーロッパ諸国がメートルという単位を採用した。この単位は地球の北極から赤道を直交する南極までの線、すなわち子午線の長さの20,000,000分の1を1メートルと定義している。逆に言うと北極から赤道までの長さは10,000キロメートルとなる。そして白金とイリジウムの合金でメートル原器と呼ばれる基準となる器具を作り、メートル原器に刻まれた二つの目盛り線の間の距離が1メートルになった。くまごろうが小学生の頃に教わった1メートルはこれである。しかしその後の厳密な測定によりメートル原器は熱により伸縮し、また合金の腐食によっても長さが変動することがわかってきた。
そのため19世紀後半から主張されていた光の特定波長をメートルの基準とすべきだ、という議論が主流となり、1960年に開催された国際会議ではクリプトン-86が真空中で発する電磁スペクトルの波長をメートルの基準とするように改められた。しかしこの方法でもばらつきがでてしまうことが明らかになり、1983年の国際度量衡総会において光の速度を基準とすることになった。すなわち1メートルとは光が真空中を299,792,458分の1秒に進む距離、ということに定義された。
この新基準が採用されるためには正確な時間の測定が重要だが、昔は地球の自転を1日とし、その24分の1を1時間、更にその60分の1を1分、更にその60分の1を1秒と定義したが、地球の自転は一定ではないことがわかり、より正確な時間の定義が必要になった。その後の科学の進歩により、1967年以後はセシウム原子の放射する電磁波の周波数に基づく1億年に1秒の誤差という高精度のセシウム原子時計による1秒の定義が採用されている。
1メートルの長さは子供の背丈くらい、また3階建てのビルの高さは約10メートル、今話題の東京スカイツリーの高さは634メートル、富士山の高さは3,776メートル、地球の半径は6,378キロメートルである。宇宙規模で見ると、地球から最も近い天体である月の半径は1,737キロメートル、月までの距離は平均384,400キロメートル、太陽までの距離はおよそ1億5,000万キロメートルある。宇宙の他の天体までの距離をメートル単位とすると数字が大きくなりすぎるので、光が1秒間に進む距離を1光秒、1分間に進む距離を1光分、1年間に進む距離を1光年と呼ぶ。これによれば地球から月までの距離は1.28光秒、太陽までの距離は8.34光分となる。更に太陽から地球までの距離を1天文単位(AU)とも呼び、太陽から地球のすぐ外側を回る火星までの距離は1.52AU(12.68光分)、木星までの距離は5.20AU、更にその外側を回る土星までの距離は9.54AUとなる。すなわち太陽から土星までの距離は14億3,000万キロメートルになる。
宇宙飛行士が長期間滞在している国際宇宙ステーションは上空約400キロメートルのところを飛行しているが、太陽からは地球の表面を動き回っているように見えていることだろう。
カルタゴとのポエニ戦役が終結すると主食である小麦がシチリアなどから安価かつ大量に流入し、それまでの小麦の生産者であった中産階級を無産階級に転落させた。平民階級出身の執政官マリウスはローマ軍の資質が低下していた状況を打開するため、軍制改革を行い有産階級への直接税とみなされる徴兵制であった兵役を志願制とする。これにより無産階級層が兵役を志願することとなり、ローマ軍の強化とともに失業対策ともなった。失業者や低所得者問題を福祉の充実では解消出来ないのは、福祉では人間の生存理由を与えることが出来ないからだ、という塩野七生さんの指摘は現在の日本における生活保護システムや低所得者対策にも通じるように思える。
遅咲きの執政官となったユリウス・カエサルは紀元前58年に執政官を退任後、北イタリア、ガリア、イリリア、および南仏ガリアの属州総督となる。カエサルは征服された民族が反旗を翻すのはその指導層が扇動するからであることを理解しており、ガリアで征服した部族の指導層を温存するだけでなくそれぞれの部族が持つ言語や文化も尊重する。8年かけてライン河以南、ピレネー山脈以北のヨーロッパを平定したカエサルに対し、元老院は強大な兵力と広大な領土を手中にしたカエサルを危険人物視し、武装解除を求める元老院最終勧告を行う。これに反し紀元前49年、カエサルは軍勢と共にルビコン川を超え、元老院が擁立したかつての盟友ポンペイウスとの戦いが始まる。浮き足立った元老院とポンペイウスの軍勢はイタリア半島を離れてギリシャに逃れ、戦いに敗れたポンペイウスは逃避先のアレクサンドリアで殺害される。
ローマの実権を握ったカエサルは広大な属州を支配するには元老院を中心とした共和制では迅速な対応が出来ないと考え、皇帝が支配する帝政へと改革することを目論んだ。そのために自身は終身独裁官となって権力を手中に収め、また元老院には軍務を共にした者を大勢送り込み、従来の元老院の勢力を弱めた。急速な改革を進めるカエサルに反対する守旧派元老院議員は紀元前44年にカエサルを暗殺する。カエサルが残した言葉『人間ならば誰にでも現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は見たいと欲する現実しか見ていない。』は人間の本質を見抜いたもので、現代社会でも通用する。
カエサルが指名した後継者オクタヴィアヌスはカエサルを暗殺したグループを粛清し、更にアントニウスとの戦いに勝利して、紀元前29年にローマで盛大な凱旋式を行いローマ帝国の絶対権力者となる。しかしその2年後、オクタヴィアヌスは軍団と法とローマの覇権下にあるすべての属州を元老院とローマ市民の手に戻すという、共和制回帰宣言を行う。但し現実はオクタヴィアヌスが連続して執政官となり、第一人者およびインペラトール(皇帝)という尊称を持ち続け実権は放棄しない。その後執政官を辞任するが、護民官特権を得てローマ帝国で唯一の拒否権を持つ立場となる。国の安全保障、通貨改革、税制改革、食料保障を推進し、既にローマ化が進んだ安全な属州は元老院属州とするものの、外敵に対峙する属州は皇帝属州として皇帝の指名した将軍が統治する方法でローマ軍団を支配下に置き権限を強固なものとする。かくしてオクタヴィアヌスはカエサルが標榜した帝政を元老院からの強力な反対もなく実質的に推進してゆく。
オクタヴィアヌスが再編し、約300年継承された税制はローマ市民権を持つものには直接税はなし、奴隷解放税および相続税は5%、またローマ市民権を持たない属州民には安全保障費として収入の10%を属州税とした。但し補助兵として兵役勤務の属州民は属州税が免除される。またローマ市民であるとないとにかかわらず間接税として1.5-5%の関税と1%の売上税を課している。
ローマ帝国はカエサル以降、属州の部族指導層にローマ市民権を与え、属州でも街道、水道、競技場などのインフラ整備を進め、更にはローマ軍団を除隊満期まで勤め上げた軍団兵を属州に土地を与えて入植させるなどして属州のローマ化を推進し、属州の平和維持に努める。また25年の軍務を満期除隊した属州民出身の補助兵にローマ市民権を与え、その権利は世襲することを可能にした。医療や教育の分野でもローマ市民権を活用し、医者や教師には出身を問わずローマ市民権を与えた。ローマ市民権を利用して知識階級を招聘し、属州民に国防意識を浸透させると共に軍事費を低減させたローマのやり方は現代国家も見習うべき点が少なくない。
ヨーロッパ系移民が国の中核をなしているとは言うものの、現在も移民を受け入れているアメリカはローマにならって知識階級や医療・芸術・スポーツなどの分野で優れたものに永住権や市民権を与えている。日本もインドネシアやフィリピンより今後需要が増大する介護師を移住させる計画を立てているが、概念は悪くないものの日本人でも容易ではない介護の専門用語が羅列された日本語による試験に合格しなければならず、ハードルが高すぎ仏作って魂入れずの観がある。
日本でも少子化が問題となり、担当大臣まで置き諸施策を行って久しいが効果が上がったという話は聞かない。ローマでも紀元前1世紀も後半になるとローマ市民は平和を享受して快適な人生を送れるようになり、また共和制の時代のように縁戚関係を作って出世する必要性が薄れ、独身を通す男女が増えてくる。オクタヴィアヌスはローマ帝国指導層の少子化対策として政治、経済、行政担当の上流および中流階級に対し正式婚姻法を定め、子のいない独身者には直接税課税や公職就任が不利になる制度を作るとともに離婚手続きをより煩雑とし、姦通罪も制定して健全な家庭の保護と育成を図る。健全な国家は健全な家庭が不可欠という概念である。塩野七生さんは『自由と秩序は互いに矛盾する概念である。自由を尊重しすぎると秩序が破壊され、秩序を守ることに専念しすぎると自由が失われる。だがこのふたつは両立していないと困るのだ。自由がないところには進歩はなく、秩序が守られていないと進歩どころか今日の命さえ危うくなるからだ。』と述べている。ローマ帝国は一見不自由に思える法律を作っても、その運用の妙により法律の本来の目的である少子化問題を解決したのである。日本もローマ帝国に学ぶべき点があると思うのは私だけだろうか。
昨日Washington State Golf Associationから送られてきた9月1日付 GHIN (Golf Handicap Index)は14.8であった。昨年来のNew Year Resolutionのひとつであった念願のGHIN15達成である。
最近は相変わらずドライバーが比較的安定しており、飛距離も去年より10ヤードほど伸びているように感じられる。これも宮里藍さんのゆっくりスウィングを真似しているおかげだと思っている。ティーショットが良いと、セカンドショットが楽になる。パー4ではグリーンを狙え、グリーンをミスしても3打目でピンそばに狙うことが可能になる。かくしてパーの確立が高まり、ミスしてもボギーで収まることが増えてくる。
パットも悪くない。昨年に較べ距離感がかなり良くなったように思われる。ボールを送り出すようにパットし、またボールの赤道よりも上を打ってボールの転がりがスムーズになるように心がけている。ダウンヒルでは逆にボールの赤道より下を打つことも、グリーンの速いホームコースではスコアメイクに貢献している。
9月になって今シーズンも残すところあと2ヶ月あまり、このハンディキャップを維持するよう1打を大切にプレイするよう心がけよう。
遅ればせながら塩野七生さんの『ローマ人の物語』文庫本全43巻を読み終えた。ハードカバーは全15巻で毎年1巻づつ、合計15年かけて完結させた塩野さんの大作、読みでがあった。文章は平易で含蓄が深く、大勢の登場人物が生き生きと描かれており、平日の朝ほぼ毎日20分程度読み進んだが、早く続きを読みたくなる思いの数年だった。
より強力な部族に囲まれた都市国家ローマが紀元前509年に王政から元老院による共和制に転換した後も周辺諸部族との戦いに明け暮れ、紀元前4世紀には北方のケルト族に攻められて、ローマ市内も略奪された後に多額の身代金を払わされ、都市国家としてどん底に落ちてしまう。しかし同様な状況から立ち直れず消え去ってしまう他の都市国家とは異なり、ローマは国家運営の要職を広く平民階級にも解放して人材の活用を始める。更に同盟諸部族の指導者にもローマ市民権を与えてローマとの同化を進め、120年を経た紀元前270年頃に北はルビコン川から南はメッシーナ海峡に至るイタリア半島全域を統一する。
イタリア半島の統一は紀元前367年に制定されたリキニウス法が大きく貢献しているという。元老院は貴族に占められていたが、リキニウス法によりすべての要職が平民にも解放され、平民出身の執政官が実現する。また国家の要職を経験したものは元老院の議席を取得する権利も持つことになり、平民出身の元老院議員も生まれるようになる。出身ではなく実力あるものが国家の運営にあたることにより、ローマは強力な国家へと成長する。国のシステムが人材を育て国家の成長を助ける都市国家ローマから、現在の日本の政治システムや縦割りの官僚システムに目を転ずると、日本の将来に憂いを思わざるを得ない。日本にはリーダーとしての人材がいないのではなく、人材を育てるシステムが不十分であることを。
メッシーナ海峡に到達すればシチリアが見える。カルタゴの許可なくしてはローマ人は海(地中海)で手も洗えない、とカルタゴ人に揶揄されたローマ。西地中海は海運大国カルタゴの支配下にあった。紀元前265年にシチリアのメッシーナは同じシチリアのシラクサからの圧力を受けてローマに救援を求めてくるが、ローマは海峡を越えて軍団を派遣することを決定する。それはカルタゴとの長い戦いの始まりとなる。カルタゴの操船術はローマをはるかに凌いでいたので地中海の制海権はカルタゴにあったが、ローマ人は兵器開発の技術力により海戦を制し紀元前241年にシチリア全域を属州としてローマの支配下に置く。
当時スペインでの植民地を統治していたカルタゴのハンニバルはローマへの復讐を誓い、紀元前218年に大軍を率いてピレネー山脈を越えてガリアに侵入し、更に秋のアルプス越えで約半数の兵を失いながらもイタリアに侵攻する。イタリアでは各地でローマ軍を撃破し、紀元前216年に南イタリアのカンネの会戦でローマ軍に壊滅的な打撃を与える。ハンニバル率いるカルタゴ軍はその後15年間にわたりイタリア半島の一部を支配し続ける。
ローマがカルタゴに抑圧されていた時、ローマの若き司令官スキピオは元老院の許可を得てカルタゴの支配下にあったスペインに軍を率い、カルタゴ軍を蹴散らし、続いてジブラルタル海峡を渡ってカルタゴ本国に侵攻する。本国がローマ軍に侵略されたと知って、イタリアに居座っていたハンニバルは本国に戻り、紀元前202年にスキピオ率いるローマ軍とザマで戦うことになる。ザマの会戦である。カルタゴ軍5万に対しローマ軍は4万と劣勢であったがスキピオの巧妙な戦術によりローマ軍が大勝し、カルタゴ軍は敗走する。ザマの会戦での敗北によって結ばれた講和条約によりカルタゴは交戦権を剥奪され、軍船をローマに引き渡すことになる。こうして西地中海の覇権はカルタゴからローマに移ってゆく。
その後もローマは大国としてギリシャやマケドニアの紛争に介入し、結果として東地中海沿岸諸国もローマの支配下に置くようになり地中海の覇者となってゆく。ローマ人のやり方は自分たちの持っているものを徹底的に活用することであるという。ローマは支配下に置いた諸国の指導者を活用するだけでなく師弟をローマの元老院議員の家庭に滞在させ、元老院議員の師弟と同じ教育を行うことにより親ローマの人材を育ててゆく。多くのカルタゴやギリシャの青少年がローマで教育を受け、後に母国に帰国してローマ的な指導者となる。戦後アメリカのフルブライト奨学金制度も当時の日本の若者をアメリカで教育して親米派の人材を育成することが目的であったが、ローマのやり方にならったものだ。遅ればせながら日本政府も地方公共団体を支援して1987年よりJETプログラム(Japan Exchange & Teaching Program)を推進し、これまでに約50カ国から5万人の青年を日本に招聘して地方での教職などに当たらせると共に日本および日本人を理解させている。これは将来のためにきわめて有用なプログラムと思うが、その原型は古代ローマにあるのだ。
昨日、PSP Inc.主催のゴルフトーナメントが開催され、くまごろうも参加した。今年の会場は内倉さんやTinyさんがメンバーであるThe Members Club at Aldarra、Tom Fazioの設計した2001年にオープンしたコースで高低差の多い難コースだ。ブログルで内倉さんやTinyさんが苦労している話を見聞きしていたので、覚悟をしての参加である。これまでPSPのゴルフトーナメントはすべて参加しているが、例年通り今年も上天気だ。
ドライビングレンジは広大で、ティーボックスがやや高い位置にあるため、ボールの行方が良く見える。110ヤードと180ヤード先にあるグリーンが良いターゲットになる。大きく広がる青空の下であまりにも気分が良いので、ラウンド前なのにたくさんボールを打ってしまう。
噂に違わず高低差の多いコースはかなり難しい。特にパー4の2打目やパー5の3打目の距離感が合わず、くまごろうが残りヤーデージと高低差を勘案して選んだクラブではグリーンに届かなかったり、逆にグリーンをオーバーして苦戦する。またグリーン周辺のエプロンが急傾斜で、一旦グリーンに乗ったボールが転がり落ちてこぼれてしまうホールも少なくない。更にグリーンはくまごろうのホームコースに比べれば速くはないが三次元的で起伏に富み、パッティングのラインやスピードを読むのが容易ではないため、3パットは数え切れない。おかげでパーはたったの4つ、2つのパー3ホールでは7も叩いてスコアは散々だった。今回は初めてのラウンドだったが、もう一度是非このコースに挑戦してみたい。
やや日が傾いた頃のクラブハウスでのラウンド後のディナーは美味しく、また渇いた喉を通るビールは最高で、一緒に回った仲間との会話を楽しんで苦しいラウンドを忘れることが出来た。
内倉さん、Tinyさん、それに色々とお手伝いをされたPSPの皆様、大変お世話になりありがとうございました。とても楽しい夏の1日を過ごさせていただきました。
月2回送られてくるWashington State Golf Associationのニュースレターは最新のGolf Handicap Index(GHIN)を通知してくる。GHINは最近の20ラウンドのスコアのうち、ベスト10スコアを平均して算出する。
8/15/12付ニュースレターに示されたくまごろうのGHINは15.2である。過去のデータでは8/1は16.4、7/15は17.0、7/1は17.1だから、最近は調子が良いことを示している。ちなみに昨年シーズン終了時には16.9、今年のシーズン初めはあまり調子が出ず5/1は18.0、6/1には19.0を記録している。
最近はドライバーの調子が良く、飛距離も昨年よりは伸びている。またセカンドショットも比較的安定している。パットは自分でも調子が良いことを実感することが多い。それらのことが集積してGHINに反映されているのだろう。GHIN 15の達成をNew Year Resolutionのひとつに掲げていたのでもう一息だ。
過去20回の中で最悪のスコア102はClub Championshipの初日に叩いたもので、シャンクが5回も出て自滅したラウンドだった。このイベントの2日目も96と普段の実力を出せないラウンドとなった。逆に今年から始めたシニアのクラブ対抗戦では良いスコアでラウンドすることが多い。洋子さんに言わせれば、トーナメントでは張り切りすぎて緊張しているため、とくまごろうの精神的な弱さを指摘されている。悔しいがその通りのようだ。
人ごとではあるが、Tiger Woodsも今年はかなり回復してきているが、メージャーで優勝に絡めないのは精神力のためではないかと思っている。タイガーも座禅を組み、滝に打たれて精神修養することがメージャーでの優勝の近道かもしれない。
わがやのバックグラウンドに再び鹿が訪れた。今回は母鹿と小鹿二頭の家族連れで、小鹿はその大きさから今年生まれたのだろう。母親のそばで草や木の若葉を食べている。
鹿は泳いでレイク・ワシントンを渡りマーサーアイランドにやってくると思われるが、小鹿たちを見ていると、彼らが一緒に500メートル以上ある距離を泳いできたとは思えない。とすると彼らはマーサーアイランド生まれなのだろうか。
この島には鹿を襲うような動物はいない。また食べ物となる草や木の若葉、チューリップやバラなど季節ごとの花、家庭菜園で育てている野菜類などは豊富である。冬でもツタがそこらじゅうにあり、雪もめったに降らないので年間を通して餌には困らないのだろう。2008年11月にくまごろうが初めてこの島で鹿を見て以来、鹿の生息数は増え続けていることだろう。
先週の土曜定例ゴルフはホームコースがトーナメントで使えないため、Reciprocalという制度を利用してEverett Golf & Country Clubでの出稽古となった。このクラブは1910年に創設されたシアトル地域で最も古いプライベートクラブのひとつであり、最近作られたコースのような距離が長く大きなグリーンではなく、バックティでのレーティングは69.7/126でハンディキャップゼロのゴルファーなら69.7で回れることになっている。因みにホームコースのRainier Golf & Country Clubのバックティでのレーティングは71.1/135である。ゴルフコースとウィスキーは年代物が良いと言われているとおり、フェアウェイはまるでふかふかのじゅうたんのようであり、グリーンはRainierに比較すればやや遅いがそれでも結構速く、三次元的なパッティングには技巧を要する。ラフはRainierよりもかなり深く、くまごろうの腕ではラフに沈んだボールを100ヤード以上飛ばすことは出来なかった。
上がってみると4パー、7ボギー、7ダブルボギーで45/48、くまごろうとしてはやや不満の残る結果となったが、コースには急な下り坂が3ホール、グリーンが見えない急な上り坂が3ホールあり、そのうちの3ホールではダブルボギーを叩いている。また最後までグリーンのスピードが正確につかめず3パットが4つもあった。
やや蒸し暑かったが日差しもそれほど強くなく、歴史ある美しいコースで仲間と楽しいゴルフが出来たことはゴルフを生涯の趣味としているくまごろうにとって幸せなことだ。
7月4日、欧州合同原子核研究機関CERNは『われわれはヒッグス粒子と思われる新たな粒子を観測した。』と発表した。この新たな粒子が1964年に予言されたヒッグス粒子であることを確認するには更なる検証が必要だが、これまでに得られたデータではヒッグス粒子である確かさが5シグマ(統計的な偶然の確率が100万分の1以下)ということで、おそらくCERNはヒッグス粒子を観測したに違いない。
20世紀以降の物理学は物質を構成する原子が原子核である陽子と中性子、それに電子からなっており、陽子や中性子が3つのクオークからなっていること、更に宇宙にはアップ、ダウン、チャーム、ストレンジ、トップ、ボトムの6種類のクオークと、電子、ミューオン、タウオン、およびこれらに対応するニュートリノによる6種類の電子の仲間(レプトン)があることを明らかにしてきた。またこれら12種類のクオークとレプトンに対し力を伝達する素粒子としてのフォトン(電磁気力)、グルーオン(原子核を結びつける力)、ウィークボゾン(ベータ崩壊を引き起こす力)を発見し、まだ発見されていないグラビトン(重力)の存在を予測している。これに素粒子に質量を与えるヒッグス粒子を加えた17の素粒子が現代物理学の標準モデルを構成しており、ヒッグス粒子の発見は標準モデルを証明する偉大な成果である。
宇宙物理学では137億年前に宇宙が誕生した直後ビッグバンが起こって宇宙が急膨張し、ヒッグス粒子を除く16の素粒子やそれらの反粒子は空間を光速で飛びかっていたと考えている。そこにヒッグス粒子が発生し、フォトン以外の素粒子は光速で移動出来なくなって質量が生じ、その結果素粒子同士が結びついて陽子や中性子が生まれた。それゆえ、ヒッグス粒子が存在しなければ原子や星や地球、更には生物が生まれることはなかったのだ。また素粒子と反粒子は衝突すると光と熱を発生して消滅(対消滅)するが、まだ明らかにされていない何らかの理由で反粒子が10億個につき1個の割合で素粒子に変換し、素粒子10億個につき2個の素粒子が消滅せずに生き延びて物質である原子や星が生まれたとしている。
われわれが観察している137億光年にまで広がる銀河団も天の川銀河も、その中にある太陽系も地球もすべて対消滅をまぬがれた素粒子と、今回発見されたヒッグス粒子のおかげで存在することが可能になっているのだ。その意味でヒッグス粒子の発見は今世紀最大のニュースのひとつである。
写真はCERNのホームページから借用。
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