《自庭の紫陽花観察(1)》 一月も二〇日を過ぎた。小さな庭の一角に数株の紫陽花を地植えしている。 年頭より新芽が見え出して結構成長してきた。楽しみに観察して行こう。 我が家の紫陽花植栽場所は、比較的日当たりがよく落葉が遅かった。 いくつかの枝には、まだ花が残っている。このまま自然体で放置してみる。 マニュアル・手持ち、ワイドで撮っている。 切り出し画像だが、ピントがいまいち??老眼ゆえか?? 「令和伍年(皇紀2683年)1月21日、記」
《寺社建築の表情・・・!!》 日本の木造建築は、すばらしい。単なる素材ではなく木々の命を見せている。 とりわけ寺社建造物を手掛ける”宮大工”の職人技は、冠たるものがあり誇らしい。 技を活かす原動力源が、道具群。鑿・鉋・鋸等々、みな日本独自の鍛冶職人の技。 それら道具を駆使する大工さんは、魔術師のようにみえる。棟梁は、神だ。 道具、取分け刃物の切れ味は怖しい程に鋭い。地元鎌倉にも伝統ある刀工房がある。 生活具も作っておられ、包丁や鋏は、百年近く使っていても益々元気!! 現代の使い捨ての真逆をいっている。我が孫にも是非に使い続けてほしい。 この小正月に長男が、裁ちばさみと包丁を使うと言って引き取りにきた。 長男の仲間に砥ぎ師がいるから、と。ついでに鰹節削り器の刃も依頼!! 全部、子供に使ってほしく思って出しておいた(孫まで繋げるか)。 鰹節削り器の箱本体、鉋の鉋台部分共にかなり痛んでおり今は使っていない。 母は、鰹節削りを愛用していた。父が新潟で鉋職人から入手した物に由。 取に来た長男が、鉋の刃を見て驚いていた。刃を作った職人を知っていると!! 新潟県長岡市の与板打刃物・伝統工芸士、名工と謳われた碓氷健吾作だとか。 故人で面識はないというが、お弟子さんの船津祐司氏(鉋鍛冶)から聞いていると。 また、国立民族学博物館(大阪)映像資料「鉋づくり」も見たといっていた。 そんな職人さんの刃がなして我が家に??不思議だがご縁があったとしよう。 新潟県三条市には、鰹節削り器の心臓部を作っている所もある由。 鉋(かんな)の木部「鉋台(かんなだい)」だけを作り続けているとは驚きだ。 刃を作る鍛冶屋、鉋台を作るのは台屋と呼ばれている由。知らなかった!! 鉋で思い出すのは、槍鉋。往古の木造建築物表面加工!!に使われていた由。 法隆寺宮大工、故西岡常一棟梁によって蘇った槍鉋と技巧。まさに温故知新。 日本の木造建築技巧をもっと取り入れるべきではないか。世界に誇り得るものだ。 昔、歴史的風土を考える市民団体が鎌倉にあった(全国歴史的風土保存連盟)。 今の時代に今一度、和の風土感を考えてみるのも一考か、と思ってやまない。 「令和伍年(皇紀2683年)1月21日、記」
《山懐に佇む古刹「宀一」山(べんいちさん)!!》 昔、社寺建築撮影の荷物持ちの手伝いをしたことがあった。 「宀一」山(べんいちさん)と言う変わった山号の古刹。 奈良県宇陀市にある室生寺。全山白皚々と言った趣ある寺院。 土門拳の「室生寺ひとむかし」に、当時の荒木良仙老師の言葉が載っている。 室生寺が一番美しいのは、全山白皚々たる雪の室生寺が第一等である、と。 土門師は、青葉の室生寺域を好み、山気がジーンと肌に迫るところを気に入っていた。 老師に感化され、『女人高野室生寺』を編む中に雪の室生寺を入れるべく苦闘している。 1978(昭和53)年2月中旬の撮影模様は、壮絶な戦い、と言った感をもった。 病をおしての撮影待機、定宿・橋本屋の人々の温情、今の時代では味わえない風情がみえる。 土門師の感慨、「ぼくの待っていた雪はさーっと一掃け、掃いたような春の雪であった」。 かような風情は、残っているだろう。が、参拝者が多く静かではない。 参拝の楽しみ、自分流の静かな場所探しである。室生寺、再訪したい。 昨今の寺院、夜間のライトアップが盛んなようだが、、、好まない!?! あのキラキラ感、好きでない。室生寺でもやっているようだ!?! 「令和伍年(皇紀2683年)1月18日、記」
《1月15日=小正月=わが年代の成人の日!!》 元旦から七日までの松の内を”大正月”と称し、十五日を”小正月”と呼んでいる。 松の内に多忙だった主婦を労う意味で”女正月”と言う地方もあるようだ。 更には、旧暦1月15日を上元・7月15日を中元・10月15日を下元と言った。 今でも新暦の1月15日に小正月行事として小豆粥を頂く慣習がのこっている。 この日に小豆粥を食べるとその一年中の疫病が避けられると言われてきた。 僕の親世代では普通に行われていたのでは??日本全国でこの風習があったか否か? ちなみに”お中元”という表現、風習は残っている!! 僕ら老人世代1月15日は、成人の日としての方が印象深い。 成人の日を迎えた若者(男性)が、堂々とスーツ姿で成人式会場に集まった。 当時、VAN JACKET製衣服が若者に人気を博し始めたころだ。 段返り・センターフックベント・センターディント、アメリカントラディショナル。 東京銀座、TEIJIN Men’s Shop, Mens wearと言った洋服屋さん。憧れのお店だった。 東京銀座の”みゆき族”なんて呼ばれた若者たちの面白い現象もあった。 銀座と言えば、先日、ブログルの”神戸のおいさん”が紹介されていたコーヒー屋さん。 カフェ・ド・ランブル (CAFE DE L’AMBRE)!! 長いこと行っていないが、学生時代~時折お邪魔している。懐かしいお店のひとつ。 50年来、当時と変わらないのは和光位かもしれない。銀座の顔、和光だ。 「令和伍年(皇紀2683年)1月15日、記」
《1月11日=鏡開き!!》 松飾りが取れ、正月気分も薄らいで来た。が11日の今日は、正月の風習を感じる日。 お供えしていた鏡餅を下げ、お汁粉や雑煮にして食べる「鏡開き」の日。 伝統的な風習だが、昨今の鏡餅はプラスチック製の型にパックされてたりして!! 便利かも知れないが、ちょっといただけない。神様への捧げ物ではないか、って思うのです。 そして、神様に差し上げた後の餅を下げてありがたく頂く。それが「鏡開き」 古く武家の家では、男子は具足(鎧兜など武具一揃い)に供え「具足開き」と言った由。 また、女性は鏡台に供え鏡餅を下げるこの日に初めて鏡を見るといった慣習もあったと聞く。 これを「初顔祝い」とか「初鏡祝い」と言った由。こうした表現、風情があって良い。 男子は刀の柄から「刃柄(はつか)」、女性は「初顔(はつかお)」から20日に鏡開きが行われていた。 11日になったのは江戸時代、三代将軍徳川家光が4月20日に没し月命日の20日に鏡開きは??? 武家の仕事始めにあたる11日に行うようになった。当時の商家や町家の「鏡開き」は色々あった由。 今でも行われてる鏡開きの作法。固くなった鏡餅を如何にするかが、面白い。 武家では「切る」を忌み嫌う。そこで槌で叩いて割るのだが、「割る」も嫌い「開く」とした由。 食べ方としてお汁粉や雑煮にした由来は知らないが、各地では色々な処し方があるらしい。 我が家の中には、神様を祀り仏様(仏壇)も鎮座している。神・仏が、融合・調和している。 鏡開きで思い出すのは、カビが生えた所を削ったり、金槌で砕いたり、子供心でも楽しかった。 鏡餅の丸い形は歴代の天皇が継承する「三種の神器」の一つである青銅の円形の鏡に由来する。 また、2段重ねるのは、福徳が重なり、円満に暮らせるを意味しているとか。。。! 鏡開きにおしるこを食するが小豆は、古くからその赤色が“魔除け”になると考えられてきた。 赤飯やぼたもち、おはぎ等に小豆が用いられるのは、邪気払いや無病息災の意味が込められてる。 正月飾の門松等は、1月7日に外す。お役御免の正月飾りを小正月の1月15日に燃やす火祭り。 「どんど焼き」と称し、お正月にお迎えした年神様をお送りする行事もある。 我が家では、正月用に“羊羹”を作っていた。北海道の叔父から沢山、小豆が送られてきていたから。 今の時代、手間をかけて羊羹等作らないだろうが、僕の子供時代は、贅沢なおやつであった。 「令和伍年(皇紀2683年)1月11日、記」
《2023年=癸卯!!》 2023年は卯年。卯は十二支の中で4番目、動物の“うさぎ”とされている。 卯年生まれの日人はもの静か優雅で、繊細な印象と言われてきた。 2023年の干支は、「癸卯((みずのとう)」にあたる年。 「癸卯」は、十干の「癸(みずのと)」と十二支の「卯(う)」である。 仔細は略すが、十二子と十干を組み合わせると60通りになる。 この組み合わせが一巡すると60になり、還暦となった。 卯(うさぎ)は穏やかで温厚な性質であることから「家内安全」。 又、兎の跳び姿から「飛躍」「向上」をも想起され挑戦に最適な年。 昨日は、成人の日。大人になる節目、それを祝い励ます。各地で新成人を祝う式典があった。 ハッピーマンデー法制定で2000年(平成12年)より1月第2月曜日に行われている。 面白・可笑しく開催されているようだが、伝統に根ざした儀式である。 「令和伍年(皇紀2683年)1月10日、記」
《埃りだらけのカメラとガレット・デ・ロア!!》 今日は、七草粥だが今年はない??と家族が言い出し出掛けてしまった。 午後、皆が出掛けた後。。。!久し振りに納戸の片付けをする気になって。 ダンボールの後ろ奥に茶箱を見つけた。中に何が入っていたっけ??? 開けてみると、原稿用紙・・メモ用紙その脇にあった小箱を開けると。。。! 布に包まれた古いカメラが現れた。本体+50mm,135mm,300mm。 埃りだらけ・・・整備に出さねば。だが、、、何故にこんな所にある??? 更に底にあった箱の中には、カメラのアクセサリー等がごちゃごちゃと! 20年以上前のもの。妻が片付けたものだろう(僕の記憶は??)。 イルフォード・コダクローム!! 白黒、リヴァーサルカラーフィルム。 一枚を丁寧に撮影したものだ。連写等ありえなかった(高価で)。 それにしても原稿用紙と一緒??この用紙20~30代頃に使ったものだ。 今年も新年を祝うフランス菓子「ガレット・デ・ロワ」を求めた。 1月6日「公現祭」(エピファニー:Epiphanie)の祝い菓子。 この「ガレット・デ・ロワ」を教えてくださったアンドレ・ルコントさん。 日本で初となるフランス菓子専門店を開店させた最高の菓子職人だった。 師を継ぐ菓子店、A.ルコントが閉店になってしまった。寂しい、残念。 だが、ルコントさんのお弟子さんたちが伝統を継承している。 昭和時代を代表する菓子店名、S.ワイル、A.ルコント。 2つの名前が消えた・・・昭和は、遠くなりにけりである。 「令和伍年(皇紀2683年)1月7日、記」
《今年は、旅をしたい!!》 「東京箱根間往復大学駅伝競走」来年で100回目を迎える。 記念すべき節目の大会は、出場枠が全国の大学に拡大される由!?! 如何なる形態になるや!?!コロナが早く収まることを祈る。 僕自身は、コロナ禍で焦りに焦る。歳で身体が思うに任せない。 何とか今は、誤魔化せているが。行動せにゃいかんって、思いは募る。 観たい・行きたい所、沢山ある。迷える爺状態。 春のサクラは、北茨城の“日本花の会・結城農場のを観たい。 4月は、ダイヤモンド富士を観に山梨の田貫湖へ。 5月は、箱根、仙石原~金時山・植物探索。 6月上旬、伊豆の紫陽花。7月上旬は、岩手県一関市のみちのくあじさい園。 8月は、中央アルプス・木曽駒ケ岳千畳敷カール周辺で高山植物観察。 9月は、山形県鶴岡市周辺~出羽三山月山辺り。 10月は、伊豆高原に”イズカニコウモリ”を是非に見に行きたい。 11月は、静岡県安倍川~大井川周辺を探訪してみたい。 12月は、鳥取県弓ヶ浜絣と、福井市にある墨絵ギャラリ。 ちょっと思ってもこれだけある。この中で、実現できそうなのは??? 「令和伍年(皇紀2683年)1月5日、記」
《初詣・熊野神社 & !?!》 例年、正月の三ヶ日は駅伝TV観戦で盛り上がって(個人的にだが)。 観戦後に散歩がてら初詣に行くのが恒例になっている。 植物観察に良く歩く泉の森となりのふれあいの森にある熊野神社詣で。 小さな社だが、元旦に境内で獅子の舞を拜む事ができる。 氏子さんが舞っておられるのか!!中々見応えがあって、楽しみに出掛けている。 今年もたくさん植物に出会えますようにお賽銭+“二拝二拍手一拝” 今年のニューイヤー駅伝(第67回全日本実業団対抗駅伝競走大会)、見応えがあった。 そして今日~明日は、「第99回東京箱根間往復大学駅伝競走」が行われる。 往路の今日は、駒澤大学が往路優勝を果たした。2位は、中央大学だった。 中央大学は、僕の子供の頃から大学生頃、圧倒的に強かった大学、懐かしく思い出した。 防衛大学校も参加していた事があった。昔、伴走車等は、自衛隊のジープ・隊員が協力してたような。 明日の復路が、楽しみだ。 「令和伍年(皇紀2683年)1月2日、記」
《年頭の囈・・・!》 2022年の歳暮、恒例の小田原へ、買い物に出掛けた。 年末の三十日、のんびりと134号線から国道1号線へと走って。 例年ミカンを求めているミカン問屋が、年末ゆえかシャッターが閉まっていた。 一寸がっかりしながら小田原に入った。お天気、もっと良いと思っていたが?? ミカンだめ天候も今いちだったが、目的のかまぼこ屋さんに到着。 小田かまぼこ発祥の店うろこき(鱗吉)は、かまぼこ店としては全国区!?!か否か。 一般的知名度はよく知らないが、 我が家の“かまぼこ”といえば鱗吉製しかない。 小田かまぼこ発祥の店うろこきは、創業が天明元年(1781年)と古い。 老舗、小田原かまぼこ元祖。我が曾祖父時代からひいきの蒲鉾屋さん。 我が家好みの弾力と味わい、手造りにこだわったかまぼこ、である。 職人てきこだわりの鱗吉かまぼこは、市場やスーパーでみることは少ない。 個人的な我儘な思いだが、手作りにこの先も徹して欲しく願って止まない。 僕が、最も好きなものに“しんじょ(真薯)”がある。かまぼこやはんぺんと一寸違う。 しんじょとは、魚のすり身に山芋と卵白を混ぜて調理したものを言う。 蒸した、ふわふわの食感がいい。鱗吉のそれは、小判型だが横に切ると魚の形になる。 小田原を訪れた折には、是非に鱗吉の品を土産にもちかえって、、、とお薦め品。 しんじょを揚げたものに自然薯棒もある。これをかじりながら散歩する姿をみかける。 鱗吉製品の画像は、あえて紹介しない。店の雰囲気だけ紹介したい。 今年も拙いブログですが、よろしくお願いいたします。 今年こそ、以前の楽しい環境になりますよう祈念致します。 「令和伍年(皇紀2683年)1月1日、記」