日本からシアトルを訪れる旅人を案内して喜ばれる場所は色々あるが、今回の訪問者はシアトル訪問歴10回以上というベテランである。くまごろうは思案の末、マウントレニアを見るベストスポットに案内することとした。
雪の季節にはシアトル郊外のスキー場として最大の設備を誇るCrystal Mountainはシアトルの南東約80マイルの位置にある。このスキー場には近年ゴンドラが設置され、標高6,856フィート(2,090メートル)の所まで標高差2,456フィートを10分足らずで行くことが出来る。1分間に約800フィート(244メートル)進む高速ケーブルカーだ。この場所には30年ほど前に訪れたことがあるが、目の前にマウントレニアが広がり、この山を眺めるには最高の場所だ。当時ここには簡単な食事処があり、ハンバーガーやホットドッグにソフトドリンクやビールなどを提供していた。
この食堂がSummit House Restaurantに改装され、メニューも大幅にアップグレードされている。日本からの訪問者を迎え、昼食にこのレストランを訪れることとした。この場所に行くからにはマウントレニアがくっきりと見える日でなければならない。くまごろうはCrystal Mountainの天候を注意深く検討し、訪問者のスケジュールも勘案の上、8月6日に行くことを決め、レストランに席を予約した。シアトル周辺の天気は8月1日より下り坂で、2日は雨、3日も午前中は曇り空だったが予報通り3日の午後から晴天となり、今週は晴天が続くとのこと、計画通りにことが進む見通しとなった。
当日は雲ひとつない快晴、下界での最高気温は87度(約31℃)の予報、10時に出発しスキー場のベースロッジには2時間弱で到着した。道中時々マウントレニアが見えたが、山間部に入ってからは山や木に邪魔されて見ることが出来ない。ベースロッジも山あいにあり、間の抜けた夏のスキー場の景色も趣きがあるものではない。ゴンドラに乗って上昇を始めるとスキー場が良く見えるものの絶景には程遠い。徐々に周辺の山より高い位置に移動し、遠くの山々が見えるようになると多少景色が良くなる。ケーブルカーの到着地に近づくといきなり目の前に大きなマウントレニアが見える。
ゴンドラを降りるとしばし素晴らしいマウントレニアの眺望に見とれ、思わず深呼吸する。写真を撮影し、案内図を見て視界にある遠くの山々を特定しながら素晴らしい夏のひとときを過ごす。正確な気温は不明だが暑くも寒くもなく快適だ。予約した時間より少し早かったがレストランに行くと、すぐにテーブルに案内してもらえた。ホームページに示されていた通り、建物は以前に較べれば格段に上等で雰囲気は悪くない。ウェイターの対応もシアトルのそこそこのレストラン並みだ。冷えたビールを飲みながらテーブルでの会話が弾む。肝心の料理はと言えば、悪くはないがすごいと言うほどでもない。でもここでの食事は料理よりも周りの景色がご馳走なので不満はない。これで霧でも発生して何も見えなかったら、さぞかしがっかりしたことだろう。
夏は何かと忙しい。例年夏にはクラブでのゴルフトーナメントやその他のゴルフイベントがいくつかあり、またわれわれのクラブがトーナメントで使えない時は他のコースに赴き出稽古もする。加えて毎月2回、Senior Exchangeと呼ばれる他のクラブとの対抗試合にも参加しているため、多い時は週に3回もラウンドすることがある。成績は、と言えばアップダウンが激しい。39/46でラウンドした翌日は51/50といったように、80台で回れた日があったと思えば100以上を叩く日もある。
スコアが悪いラウンドを自己分析するに、ドライバー、フェアウェイウッド、ハイブリッド、アイアンのショットはこのところそれほど悪くなく、例えばグリーンの近くまで2打で来たのに3打目が僅かにショートしてバンカーに入れ、バンカーショットはそれほど苦手ではないはずなのに、バンカーから1回で出なくてダブルボギーやトリプルボギーとなるような日に大叩きしている。また3パットが出るラウンドも成績が悪い。まれではあるがドライバーショットが大きく左にそれてOBを叩くこともある。
他方80台でのラウンドではパーが半分近くあり、時々バーディーも出ている。残り180ヤードの2打目がグリーンに乗ったり、グリーンを外しても3打目がピンのそばに寄ったりで良い結果につながる。こういうプレイが出るということは、基本的な技術は習得しているはずなのだが、現実には実力が発揮されていないということだ。
プロでもメジャーで優勝した翌週に予選落ちするなど、ゴルフは日によって微妙に異なり、いつも好成績を維持することは困難である。1打づつ落ち着いて真剣にプレイする以外、今年の目標であるUSGAのハンディキャップインデックス15.0を達成することは出来ない。
1977年に建てられたわがやには、洗面所、半地下の部屋、ワークルームとして使用しているレックルームなどに当時は一般的だった蛍光灯の照明器具が多用されている。蛍光灯は直径が1.5インチ、長さ48インチの34ワットで、交換用の蛍光灯は10本入りのボックスを購入している。
数日前にワークルームの蛍光灯のひとつが点灯しないので、例によって蛍光灯が寿命かと思い、新品と交換したがうまくゆかない。技術屋の端くれであるくまごろうは、これは照明器具本体の問題と直感し、不良品を新品と交換することとした。早速近くのHome Depotに行き、今でも全く同じデザインの照明カバーで2灯用、48インチの器具を見つけたので購入し、多少苦労したが古い器具を取外して新品を天井に取付けた。
いざ蛍光灯を取付ける段になって、手持ちの蛍光灯が2インチほど長いことに気付いた。改めて新品の箱をよく見ると、この器具は直径が5/8インチの蛍光灯用と書いてある。これにはくまごろうも参った。Murphy’s Lawの”If anything can go wrong, it will.”が頭をよぎった。
次の週末、再びHome Depotに赴き、直径1.5インチの照明器具を探したが見つからない。蛍光灯器具売り場には、蛍光灯には一般的にT5(直径5/8インチ)、T8(1インチ)、T12(1.5インチ)があり、T5が最も効率が良く、T12は最も効率が悪いと解説している。セールスパーソンを捕まえてT12の器具はないか聞いたところ、このタイプは旧式で既に生産中止とのこと、ではくまごろうの場合どうしたらよいのか尋ねたら、電気部品売り場に連れて行かれ、トランスフォーマーを交換するように言われた。それ以外の選択肢はワークルームに取付けられているすべての照明器具の交換しかないので、トランスフォーマーを取り替えることとした。ちなみに照明器具は生産中止でも、T12の蛍光灯はしばらくは購入出来るとのことだ。
家に戻ると先ず古い照明器具のトランスフォーマーを新品と交換し、ワイアリングを行ってから、せっかく取付けた新しい照明器具を外し、古い器具を元の場所に取付けた。すべての工事を終えてスウィッチを入れると完璧、やれやれだ。
これから先、わがやの蛍光灯照明器具が壊れても、くまごろうはいつでも修理出来る。
わがやには鹿がたびたび訪れるため、ここ数年チューリップやユリは鹿に食べられて花を愛でることが出来なかった。今年は洋子さんが気休め程度のわくを作ったためか、何とか開花を楽しむことが出来た。
しかし洋子さんの記憶ではこの土地にこの色のユリを植えた記憶はないとのこと、われわれは白いユリが好きなので白の球根しか植えていないはずだ。ひょっとして突然変異?
花びらが散ったあとに見える小さな柚子の実
わがやの3本目の柚子は初夏の日差しの下、すくすくと育っている。ひと月前に較べ、背も高くなり、新しい葉もたくさん育ち、40個ほどあった花も次々と散ってゆく。
柚子の花が散ったあとに小さな柚子の実が付いている。すべての花が実になるとは思えないが、今年は少なくない数の柚子が収穫出来そうだ。年末には柚子の皮を散らした白菜漬けを肴に燗酒が楽しめそうだ。
わがやには相変わらず鹿が訪れているが、多くの場合暗くなってからの訪問のため、朝、洋子さんが育てている花が食べられていて初めて歓迎されざる訪問者に気付くことが多い。チューリップはここ数年全滅、ユリは囲いをつけて何とか守っているが、シャクヤクやあじさいには見向きもしない。これらは鹿にとって有毒のようだ。
昨日は夕方まだ明るいうちに4頭の鹿がわがやのバックヤードに現れた。これまでほとんどの場合、訪ねてくるのは母鹿と小鹿の家族であったが、今回は珍しいことに角のある雄鹿が3頭と角のない小鹿が1頭だった。鹿は成長すると雄は雄同士、雌は雌同士で集団を作ると聞くが、これは雄の集団なのだろう。バックヤードではメープルやツタの若葉を貪っている。食事が一段落すると、バックヤードを運動場に見立てて追いかけっこをして走り回る。やはり雄鹿なので行動が活発だ。大切にしているそめいよしのや日本のもみじが被害を受けないか、見ていてはらはらする。
9時過ぎ、周囲がかなり暗くなってきた時には彼らはもういなかった。ねぐらに帰ったのだろう。鹿は見ていると可愛らしいが、食害を引き起こすので、ハミングバードやリスやアライグマのようには歓迎出来ない。
太陽の構造(太陽系図鑑より借用)
太陽については2012年5月21日の金環日食の時に主に太陽活動について書いたが、もう少し太陽について解説したい。一部は重複するが許してほしい。
太陽は地球のような岩石からなる星ではなく、水素やヘリウムなどの原子核と電子などによるガス体で構成されており、太陽の輪郭となる光球の半径は約70万キロメートルで、これは地球の約109倍であり、また太陽の質量は地球の33万倍もある。太陽の表面にあたる光球の温度は約6,000℃で、太陽からの可視光線はほとんどが光球から放出されている。
太陽は中心部の中心核(半径約15万キロメートル)、その周辺部の放射層(同50万キロメートル)、更にその外側の対流層(同70万キロメートル)、対流層の表面部である光球、光球を包む彩層、更にその外側にあるコロナなどにより構成されている。
太陽核は2,300億気圧ときわめて高圧であり温度も1,600万℃と超高温なため、水素原子核が核融合してヘリウム原子核を生成し、その際に膨大なエネルギーと光を放出して、これが太陽のエネルギーの源になっている。このエネルギーと光は、水素やヘリウムが高温のために原子核と電子に分離したガス状態であるプラズマによって形成される放射層を外側に向けてゆっくりと移動し対流層に達する。対流層は内部の熱せられたプラズマが光球では冷やされるために対流している領域で、光球まで移動したエネルギーや光は宇宙空間に放出される。
このようにして太陽から放出された光のうち、地球に到達するのはわずか22億分の1である。なぜそれほど少ない光だけが地球に届くかというと、それは地球が太陽から遠く離れている上、とても小さいからだ。太陽から地球までの距離は1億5千万キロメートルあり、太陽を直径10センチのボールに例えると、地球は10.7メートル先にある直径0.9ミリの小さな球に相当する。
光球の外側には地球の大気に相当する彩層があるが、これは厚みが2,000キロメートルを超える約10,000℃のプラズマの層で、この部分から紫外線やX線が宇宙に放出されている。彩層の外側には約200万℃という高温の薄いプラズマによるコロナがあり、皆既日食の際にその美しい姿を観察することが出来る。彩層ではフレアと呼ばれる巨大な爆発現象が発生するが、これは太陽内部から磁力線によって運ばれてきた磁気エネルギーが彩層で一瞬にして熱や光に変換される現象で、フレアの温度は1,000万度を越し、強い紫外線やX線が放出される。フレアがおこると太陽からのプラズマの流れである太陽風が強くなり、地球では磁気嵐がおこって無線通信障害が発生したりオーロラが出現しやすくなる。
太陽表面を観測すると黒い点を散らしたように見える部分があるが、これは黒点と呼ばれる。黒点では温度が光球よりも低い4,000~5,000℃のため黒く見えるが、その存在は古代ギリシャや古代中国でも知られていた。ガリレオは望遠鏡を発明した17世紀初めから黒点の観測を始め、以後現代にいたるまで黒点観測が継続されている。黒点では磁力線が太陽の内部から出てきて光球の外側の大気に向って伸びて行き、Uターンした後別の黒点を通って再び太陽内部に戻る。そのため黒点は2つがひとつのペアになっていると考えられている。この磁力線にそって低温になったプラズマがコロナの中に描いたループをプロミネンス(紅炎)と呼ぶ。黒点における温度が周辺よりも低いのは、黒点の下部では強い磁力によりプラズマの対流が起こりにくく、そのために太陽内部からの熱が運ばれにくいためだ、と言われている。
黒点観測によれば、光球での黒点の数は約11年の周期で変化し、黒点が少ない時期を黒点極小期、黒点が多い時期を黒点極大期と呼ぶ。また黒点の数が変化する周期を太陽周期と呼ぶ。黒点の数は太陽自身の活動と密接な関係があり、黒点極大期には太陽が最も活発に活動している。最近では2008年が黒点極小期、2013年が黒点極大期と考えられているが、今年の黒点数は極大期ではない2011年を下回り、約100年来の少なさとなっている。
1645年から1715年の間、黒点がほとんど見られない状態が続いたが、この期間はマウンダー極小期と呼ばれ、色々な調査の結果、この期間が地球の寒冷期であったことが知られている。また1790年から1820年も黒点が少ない状態が続き、ダルトン極小期と呼ばれているが、この期間も地球の平均気温が低かったことが明らかになっている。これらの歴史的な事実から、現在の黒点の少なさは地球寒冷化の兆しではないか、と言われている。
2006年に打上げられた日本の太陽観測衛星『ひので』、およびNASAのSDO (Solar Dynamics Observatory)によって収集されたデータに基づく最近の日米欧の共同発表によれば、太陽の北極では磁場がS極からN極に反転しているのに対し、南極ではN極からS極への反転が見られず、南北の両極がN極となり、南北の低緯度付近にS極を持つ四極構造になると予想されている。このような4極構造は太陽観測では初めてのことである。ちなみに太陽の両極での磁場が逆転するのは以前から観測されており、その周期は太陽周期である11年であることが知られている。すなわち太陽周期とは北極がプラスからマイナスあるいはその逆に反転する期間と言える。
太陽では今、黒点活動の少なさや4極構造など、これまで蓄積されたデータでは解析しきれない現象が観測されている。太陽の静穏化により地球が寒冷化すれば、寒冷期の歴史が示すように農作物の収穫は減少し疫病が流行する恐れがある。地球温暖化は声高に騒がれているが、寒冷化についてももう少し心配する必要がある。
1982年に購入して読んだ山本七平氏の『論語の読み方』を引っぱり出して再読してみた。この本を購入した31年前、くまごろうは企業戦士として既にシアトルに赴任していたが、当時は常識として論語を一通り理解したい、という気持ちでこの本を手にしたような気がする。『論語の読み方』は知的サラリーマンシリーズとして出版されており、このシリーズには渡部昇一の『歴史の読み方』、堺屋太一の『80年代の読み方』、竹村健一の『80年代時代の読み方』、長谷川慶太郎の『80年代経済の読み方』など当時の売れっ子評論家たちの著書も並んでいた。
論語は江戸時代には寺子屋でも教えていたくらい日本人の教養の基本であったが、進駐軍および戦後民主主義を振り回す日教組が封建制や家族主義の亡霊扱いしたために戦後教育では軽視され、くまごろうも古文または漢文で少しだけ触れた程度で、しっかりと教わった記憶がない。『子曰く、ただ女子と小人とは養いがたきとなす。これを近づくれば即ち不遜なり。これを遠ざくれば即ち怨むと。』は女性と子供の蔑視であると左派が批判したが、女子と小人の意味は女と子供ではなく、淑女と君子の対極であり、孔子は学問や教養のない人間は扱いにくい、と述べているに過ぎない。また『子曰く民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。』を、民には政治の内容を知らせてはならない、ただ信頼させておくべきだ、と左派は曲解したが、べし、べからずは原文では可、不可であり、民衆からはその政治に対する信頼を得ることは出来るが、政治の内容を理解させることは難しい、とこれまた当たり前のことを述べているだけである。
孔子の生きた時代の中国では、指導者が君子となって民は女子と小人のままで構わなかったが、論語が日本における一般教養の基礎となった江戸時代の日本では武士階級だけではなく、百姓や町人のような庶民が論語を学び、それぞれが完全な社会人となるために君子となることを求められた。そのおかげで他の国とは異なり、日本では明治維新において無規範にならずに秩序を保って近代化を達成することが出来たのだ。
孔子は聖人ではなく教育者である。混乱した社会での人間の救済とは政治的救済であってそのためには社会秩序の創出が何よりも重要であり、また秩序の中での個人の救済は教育的救済である、と説いている。だから現世で苦労すれば来世では報われる、前世のたたりで現世では苦労する、といった宗教的概念とは無関係である。孔子は『未だ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。』とも言っている。
社会的な秩序を旧約聖書のモーゼは絶対者との契約に求めたため、そこから出た宗教は契約宗教となり、社会は契約社会となって現代に至っている。他方孔子は社会的秩序を徳に求め、徳治主義社会を創ろうとした。その基本となるのが礼楽であり、礼楽とは本来礼節と文化の意味であるが、孔子は道徳、文化、教育、秩序、政策、制度を含めて礼楽と言っている。『礼楽は天地の情により、神明の徳に達す。』、『礼は民心を節し、楽は民声を和す。』、『仁は楽に近く、義は礼に近し。』、『楽は同を統べ、礼は異を分つ。(楽は人々を和同させ統一する性質を持ち、礼は人々のけじめと区別を明らかにする。)』などは、昔から日本の社会に根付いている社会道徳となっている。例えば会社の中では社規や社則があるものの、現実には楽で全社の一体感を持たせ、礼で上下関係のけじめをつけている。忘年会や社員旅行は楽に、敬語や先輩の上から目線などは礼に由来しているのだ。
孔子は仁とは何か、について、『己に克(か)ち、礼に復る(かえる)を仁と為す(己という私心に打ち勝ち、外に対し礼に従った行動をすることが仁である。)。非礼は視るなかれ、非礼は聴くなかれ、非礼は言うなかれ、非礼は動くなかれ。』と言い、仁は人と人の間を律する最高の規範の基礎となり、それによって社会の秩序が成り立つ、とした。孔子は恭倹・寛大・信用・敏捷・恩恵により仁に達すると言っている。『恭なれば即ち侮られず、寛なれば即ち衆を得、信なれば即ち人任じ、敏なれば即ち功あり、恵なれば即ち以って人を使うに足れり。』『己の欲せざる所は人に施すなかれ。』が仁に到達する心得なのだ。
孔子が評価する人物とは、潔癖だがつむじ曲がりではなく、筋を通すが角がなく、正直だがお人よしではない人間であり、反対に評価しない人物とは、自信過剰の上に正直さを欠き、田舎者のくせに素朴さがなく、真面目そうに見えてその場限りの人間であるが、この基準は現在の日本でも十分に通用するだろう。孔子自身も孔子の四絶と言われる、意地にならない、執念しない、頑なにならない、我を張らない、を心がけたという。また『過ちて改めざる、これを過ちと言う。』など、われわれも心すべきことであろう。現代社会でも通ずる知恵と言えば『子曰く、三人行けば必ずわが師あり。その善なる者をえらびてこれに従い、その不善なる者にしてこれを改む。』もそのひとつである。
2012年1月27日を最後にこのブログでは柚子のことを書いていない。別に関心をなくしたわけではなかったが、フロントヤードに植えた柚子は春になっても新芽を出さず、葉も乾燥して死んだようになっていたからだ。やはりシアトルの冬はこの柚子には厳しすぎたのかもしれない。結局この柚子の木は成長せず、昨年は死んだように時を過ごした。
昨年はじめに新たなゆずの若木を一本カリフォルニアから手に入れ、鉢植えにして育ててみた。冬の寒さが厳しくなると玄関の軒下に移動し、寒風や霜から守った。その結果この柚子は春になるとすくすくと育ち、4月頃からは新芽もたくさん生えてきた。5月に入ると花の蕾が目立つようになり、今では20個ほどついている。順調に育てば今年は柚子の実を収穫出来るかもしれない。
ところでフロントヤードに植えた柚子は近頃になって新芽を出し始めた。きっと昨年1年間は新しい土地になじむために調整していたのだろう。この木の将来も楽しみだ。
9番グリーン付近から見たクラブハウス
今日の土曜定例ゴルフは最高の天気だった。スタート時の気温は約15℃で快晴、18ホールを終えた時は21℃で湿度は低く、とても快適だった。フェアウェイの状態も良く、このクラブ特有の速いグリーンは上につけると苦労する。
今日はパー6個で大叩きはひとつだけ、アウト44、イン47の91はまあまあのスコアだ。バンカーとショートゲームはラウンド前に練習した成果があって、満足のいくものだった。
これからシアトルではこのような良いコンディションでのゴルフが楽しめるだろう。
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