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くまごろうのひとりごと

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ゴルフ

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真っ白な18番グリーン 真っ白な18番グリーン 18番ホールのフェアウェイ 18番ホールのフェアウェイ
ここ数日シアトルはとても寒い。今朝は最低気温マイナス3℃、最高気温3℃。冬のシアトルには珍しい良く晴れた朝で、土曜定例ゴルフのためにクラブに行ったが、すべてのグリーンは閉鎖されており、テンポラリーグリーンでのプレイ。到着した9時半頃に既にアウトを終えてインに向うグループがいた。皆若そうには見えないが歩いてのラウンドで元気なものだ。

いつものメンバーの到着を待ったが一人しか来ず、ラウンドはやめることにした。ドライビングレンジで100球以上ボールを打ち、次のラウンドに備えた。
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新年の思い

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新年も今日で6日目。元日から3日間はシアトルでは珍しく好天が続いたが、その分夜中に気温が氷点下となり、日中も5℃前後と寒かった。3日の夜から雨が降り出し、気温もやや上昇して金曜日と土曜日は最低気温が5℃前後と寒さが緩んだ。

今年は既に7.5キロを2回走り、週2回のペースを守っている。あと11週間後にはMercer Island 10 Km Runがあるので、それまでの間に十分走りこみ、何回かは10キロのコースを走ってコンディションを整えておく必要がある。昨年は92回走ったが、今年も同じ位走るつもりだ。

昨日はいつもの仲間と共に土曜定例ゴルフをラウンドした。天気予報では曇のち雨であったが、幸いにもラウンド中は雨に降られなかった。多分元日から3日間はグリーンが凍ってテンポラリーグリーンだったと思われるが、4日以降は寒さが緩んだおかげで、すべてのホールは通常のグリーンだった。フェアウェイもそれほど水が多くなく、この時期としては良いコンディションでのゴルフであった。くまごろうのショットやパットも近頃になく好調で、44/46でラウンドを終えた。今年の目標はUSGA Indexが15以下、これはホームコースでは18に相当するので目標は90でラウンドすることであり、今年初めてのラウンドでいきなりこの目標に達した。来週も心を引き締めてラウンドしよう。

今年のNew Year Resolutionは昨年と変らない。体を鍛え、徳を磨くこと。それに加えて充実した毎日を過ごしたいものだ。具体的には平日のストレッチと軽い筋力トレーニング、週2回のランニング、週1回以上の歩いてのゴルフラウンド。毎朝の読経と瞑想。科学と仏教の勉強。平穏な1年となることを心より願っている。
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ゴルフ

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ゴルフ
今日、ホームコースで今年最後の土曜定例ゴルフをラウンドした。天気予報では最低気温1℃、最高気温7℃で、午前中はにわか雨、午後には日も差すとのことだったが、10時20分のティータイムの頃は小雨。その後も雨が上がる気配はなく、結局ラウンド中ずっと傘が必要だった。今頃のシアトルではやむを得ないことだが、天気予報が期待させるのでその気になった分損をしたような気分だ。

今日はこの時期にしては大勢のゴルファーがラウンドしていた。われわれの前後も埋まっており、その後からも続々とスタートしてくる。多分クリスマスホリディで食べ過ぎ、飲み過ぎたので少し運動しようと思って出てきているのだろうと思う。

スタート後気温が下がり、手がかじかんできたので右手にもグラブをする。体が硬く感じられ、着ぶくれしているのでスウィングも何となくぎこちない。これでは良いスコアを期待する方が無理というものだ。でもパーが4つとれたのはこのコンディションでは良しとすべきだろう。

今年は1月7日が最初のラウンドで、ゴルフ場が雪でクローズした時と、日本に出かけていた2週間だけ土曜定例ゴルフをラウンドしなかったので、通年では49回ラウンドしたことになるのだろうか。これに加えて水曜日のシニアコンペティションが10回、その他のラウンドが10回として70回近くラウンドしたことになる。よく遊んだものだ。

来年はハンディが15以下となるよう頑張る。新年最初の土曜定例ゴルフは1月5日で、今日ティータイムを予約した。
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『ローマ人の物語』を読んで。その4

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ローマ帝国の盛衰はキリスト教の歴史でもある。

ユダヤ教徒だったイエス・キリストはユダヤ教の教条主義を嫌い、神のもとで人類は皆兄弟という神の国運動を展開するが、ユダヤ教の長老はイエスの運動をユダヤ教の権威を揺るがす脅威ととらえ、紀元33年にローマの後ろ盾のもとイエスを処刑する。イエスの処刑後、キリスト教の使徒たちは布教活動を一層積極的に行うが、はじめはユダヤ人コミュニティの中だけの布教であった。しかし神のもとで人類は皆平等という思想に基づき、やがて布教の対象がユダヤ人の枠を超えて多神教を信じるローマ人やギリシャ人のような他民族にまでもおよび、それが軋轢を生むようになる。キリスト教徒にとってキリスト教の神を信じない者は宗教に目覚めない気の毒な人たちだから、何とか救ってやりたいと熱心に布教するが、ローマ人にとっては余計なお世話となる。その上、ローマ人は神々に捧げるために牛や羊を神殿の前で焼き、それを人々が分けて食するが、被支配民族の文化に寛容なローマ人もカルタゴやケルト民族の宗教が人身御供を行うことを嫌悪していたのに、キリスト教の習慣であるパンはイエスの肉、ぶどう酒はイエスの血として食することは、野蛮人の風習としてローマ人が忌み嫌うものであった。

ネロが皇帝だった紀元64年にローマ市内で大火が発生したが、普段から多神教を信じるローマ市民に嫌われていたキリスト教徒の放火によるものとの噂により、多くのキリスト教徒が残酷な方法で殺害された。この弾圧により今日に至るまでキリスト教徒から最も強く弾劾されている皇帝ネロだが、キリスト教徒の弾圧はローマ市内に限定されておりこの1回だけであった。その後も98年から117年におよぶトライアヌス帝の時代、キリスト教徒はローマ帝国の東方を中心に秘密結社のような活動を行っていたが、社会の治安を乱す狂信として弾圧される対象であった。キリスト教に関するトライアヌス法では告発者の名前が記された告発のみが逮捕の対象となり、棄教を認めれば無罪、拒絶すれば死罪とされた。また161年から180年の哲人皇帝マルクス・アウレリウス帝の治世には飢饉、厄病、蛮族の襲来などローマ帝国をゆるがす出来事が多発したため、皇帝が先頭に立ってローマの神殿で祭儀を執り行うことが多かったが、キリスト教徒はそれらに参加しないばかりでなくローマ市民なら当然参加する社会貢献に関するボランティア活動にも参加しないため、ローマ市民からは白眼視されていた。それでもキリスト教を信じる者たちが孤立した集団を作って反社会的な活動を行った場合には聖職者は斬首刑に処せられているが、単なるキリスト教の信徒に対しては反ローマにならない限り信仰の自由は認めている。

キリスト教徒に対する迫害がローマ帝国全土に及ぶのは3世紀に入ってからである。212年にカラカラ帝が勅令を発し属州民にもローマ市民権を与えるようになったが、250年、皇帝デキウスはローマ市民権所有者に対し、キリスト教徒ではないという証明書を発行する法律を施行した。トライアヌス帝の時代にはキリスト教徒を逮捕するのに告発者の名前が必要だったのに対し、この法律では告発なしでも弾圧しなければ治安が維持出来ないという政策への方針変更であった。多くのキリスト教信徒は証明書の発行の際に非キリスト教信者と偽って証明書を取得したが、信仰の上で偽ることがはばかられる聖職者たちの一部は逃亡した。しかし251年にはゴート族がドナウ河を越えてトラキアに侵入したため、キリスト教徒の迫害どころではなくなった。

253年、蛮族対策が一段落した時の皇帝ヴァレリアヌスはデキウス帝の非キリスト教徒証明書の発行を再開し、さらに257年にはキリスト教会の聖職者を対象とした暫定措置法を発布してキリスト教徒の祭儀と集会を禁止し、この禁令を犯したものは死罪かまたは追放された。258年には暫定措置法が強化され、禁令違反者の財産を没収することとした。キリスト教の拡大を防ぐには、金の流れを断ち切る必要があるとの判断であった。多神教のローマでは神の教えを伝える聖職者は不要だが、一神教のキリスト教では聖職者が信徒からの寄進により教会を運営し祭儀を執り行っており、宗教に金が集まることに気づいたからである。しかし259年、ペルシャがローマ帝国を侵略しアンティオキアを占領するに至り、皇帝ヴァレリアヌスはこの戦闘に出馬したためキリスト教対策は緩和されることとなった。

その後の40年間はキリスト教徒にとっては比較的平和な時代であったが、この時期のローマ帝国にとっては相次ぐ蛮族やペルシャの襲来により不安の時代であった。そのような時代に非ローマ的な不寛容である一神教のキリスト教は、将来に不安を持ち精神的に病んだローマ市民や社会的弱者に静かに受け入れられていった。またそのようなローマ市民にはキリスト教コミュニティに参加することで経済的な利点もあったのだ。この傾向は帝国東部で特に顕著であった。ローマ帝国再建を目指していた東方正帝であるディオクレティアヌス帝は303年、ローマ的な伝統と規律を回復するために、皇帝の周辺にも目に付くようになったキリスト教徒を排除する勅令を発して教会を破壊し、集会を禁じ、聖書や祭儀に使用する器具を焼却し、教会の資産を没収した。この勅令に対し特に帝国東部では反対する暴動が多発したが、ローマ軍が鎮圧した。これらのキリスト教徒弾圧は309年まで続いたが、勅令が厳しい内容の割に殉教者は意外に少なかったようである。309年に勅令が取消されると棄教者はキリスト教に復帰し、司祭階級は教会やキリスト教コミュニティの再建に尽くし、結果的にキリスト教は勅令が発せられる以前の状態に戻った。勅令が取消されたのはローマ人が多神教を信じ、他民族の文化に対して寛容であったため、キリスト教を迫害するのはローマ的な精神に反するという気持ちが常にあったためだと言われている。311年に東方正帝ガレリウスが信仰の自由やキリスト教コミュニティを認める勅令を発布したのもその現れと思われる。
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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在外選挙

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くまごろうは今日、シアトル総領事館に赴き海外在住邦人のための衆議院在外選挙を行った。在外選挙は2000年から比例代表制だけが行えるようになったが、2005年以降は小選挙区でも投票が可能となり、2007年の参議院選挙が最初の小選挙区と比例代表の両方の投票が行える選挙であった。2007年、アメリカに移住するまで居住していた東京都大田区選挙管理委員会にくまごろうは在外選挙の申請手続きを開始し、翌年在外選挙人証を交付されて2009年8月の衆議院選挙が初めての在外選挙となった。

在外選挙では、先ず本人確認のため旅券と在外選挙人証の提示を求められる。次いで投票用紙申請書および投票用紙を封入するための大田区選挙管理委員会宛の封筒に必要事項を記入し、誤りがないことが確認されてはじめて投票用紙などが交付される。投票所は日本のそれと大差ないが、記入台の上には2冊の日本全国の立候補者名簿が置かれているため、かなり狭い。ここで投票する人は北海道から沖縄までいる可能性があるための処置だ。小選挙区の投票用紙に候補者の名前を書き、それを小さな封筒に入れ、この封筒を更にやや大きい封筒に入れて在外選挙人証の13桁の番号とくまごろうの名前および署名を行ってから封を閉じる。同じことを比例代表の投票用紙でも繰り返すのでかなりの手間だ。封を閉じたふたつの封筒を領事館の係員に渡すと、その係員はそれぞれの封筒に記載された番号、名前、署名を確認の後、隣席に陣取っている立会人に渡し、立会人が封筒に署名してから最初に宛名書きした大田区選挙管理委員会宛の封筒にふたつの封筒を入れて封が閉じられ、投票が終わる。

シアトル総領事館では投票期間は12月5日より8日までだが、投票期間が終了後確実に日本の選挙管理委員会に届けるために郵送や特別便で送るのではなく、領事館員がすべての投票を持って日本に行くそうだ。シアトルでは何人が投票するのか知らないが、今日は5人の館員が対応しており、万全を期すためにかなりの労力がかかっているように感じられた。在外選挙は海外にいる日本人として選挙権が行使出来る重要なことではあるが、現在海外に居住する日本人は120万人位とのこと、国にとっては金のかかることではある。
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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ゴルフ

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数週間前までとはうって変わって最近のシアトルは雨が多い。記録的な日照りと言っていた頃が夢のようだ。おかげでシアトルのゴルファーは昨今、雨対策が必須となる。昨日の土曜定例ゴルフもレインシューズにレインパンツにレインジャケットにレインハット、ゴルフバッグは専用レインコートでカバーし、傘を持っての完全雨対策のラウンドだ。それにしてもナイキのレインシューズは優れものだ。これについては2011年1月24日のくまごろうのひとりごとに書いたが、ナイキがシアトルと似た気候のオレゴンに本社を持ち、おそらく冬でもラウンドしている経営者または社員がいるおかげだろう。もしもナイキがマイアミやサンディエゴの企業なら決してこのような商品を開発しなかったと思っている。パシフィックノースウェストで雨季にラウンドするには、Foot JoyのDryJoy程度の防水性では間に合わないからだ。

しかしThanksgiving Dayを間近に控えたこの頃から少なくとも2月末までは、かなりの根性がないと土曜定例ゴルフは出来ない。12月に入れば寒さ対策も必要になるだろう。

シアトル周辺では今年のゴルフスコアのポスティングは11月15日で終了した。今年は一時GHINが目標の15.0を下回る14.8まで下がったが、それは9月1日よりわずか2週間の間だけだった。その後15.0の期間が2週間、15.2の期間が2週間あり、10月15日には16.3まで落ち、11月1日には16.1まで戻してそのままシーズン終了となった。三日天下に近い目標達成だ。来年は何とか15.0を維持出来るようにシーズンオフの間、鍛錬に励もう。
#スポーツ

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皇居一周ラン

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10月下旬より2週間、久し振りに日本を訪問した。主たる目的は法事だったが、今回は皇居のまわりを走ることを計画し、事前に入念な調査を行っていた。皇居一周は丁度5キロで、反時計回りの場合は竹橋から半蔵門までの区間が登りだが、高低差は26メートルと比較的平坦なコースだ。100メートルごとに各都道府県および地元千代田区の花が示されており、走る目安になる。東京のど真ん中であり、加えて世界有数の景色がとても良いコースだ。

コース近くにはいくつものランニングステーションと呼ばれる施設があり、ロッカーやシャワーが完備されている。くまごろうは東京駅から徒歩2分程度の新丸ビル地下にある丸の内バイク&ランを利用したが清潔で良心的な利用料のため、とても満足した。新丸ビル正面玄関を出て新駅舎がまぶしい東京駅中央口を西に行くと和田蔵門があり、更に進めば内堀沿いの桔梗門の近くに出る。ここは皇居一周ランの基点である桜田門広場からは約800メートルの地点だが、くまごろうのスタートポイントとなる。

走り始めてまもなく新たに高層ビルとなったパレスホテルが右手に、更に少し走ると大手門が左手に見えてくる。暫く走ると木製の平川門の橋が見えてくる。ここに限らないが皇居一周ランでは左手の歴史的な建築と右手の近代建築のコントラストが面白い。石造りの竹橋をわたるといよいよ登りとなる。堀がだんだん深くなり乾門近くでは水面が道路からかなり離れて低くなってくる。代官町を過ぎて内堀通りに突き当たり、春は桜の名所である千鳥ヶ淵を過ぎてもまだ緩やかな登りが続く。英国大使館前を過ぎるあたりからお堀越しに日比谷や丸の内の高層ビルが望まれ近代都市東京が美しい。半蔵門まで来れば登りは終わり、後は下り坂だけとなる。右手には国立劇場が見え、少し先で大きくふり返れば国会議事堂が眺められる。半蔵門から桜田門までは緩やかな下りで走りやすく、スピードも出る。桜田門は現在工事中で防護幕がかかっていたため、全景を眺めることは出来なかったが、その門を通過し皇居前広場に出るとオフィシャルスタートポイントの目印である時計台がある。ここから内堀通りまで直進し、左折して内堀通り沿いに走ると二重橋前広場を通過して桔梗門近くのスタートポイントに戻る。

くまごろうはランニングステーションが混みあわない週末の朝8時やウィークディの皆が働いている時間に走ったが、それでもかなり多くの人々が走っていた。外国人ランナーも少なくない。ごく一部のランナーはくまごろうの2倍位のスピードで追い越していったが、大半のランナーはゆっくりで、自分のスピードが速く感じられた。因みに4回走ったタイムは28分48秒、29分5秒、26分56秒、28分34秒であった。
美しい観光名所を見物しながら空気の澄んだ皇居一周ランは快適なエキササイズだ。
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『ローマ人の物語』を読んで。その3

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古代国家ローマがカルタゴを滅ぼし地中海周辺地域の覇権を確立しつつあった紀元前63年、地中海東岸にあるシリアの南、エジプトの北に位置したユダヤ王国はポンペイウスによる攻撃で敗退し、ローマの覇権を認めた上でローマとの同盟関係に入った。多神教のローマと異なりユダヤ人は一神教であるユダヤ教を信仰していたが、他文化や宗教に寛容なローマ人はローマに敵対したり社会的な問題を起こさない限りそれを認めた。

ユダヤ人は通商に長け、金融の才にも恵まれており、また優秀な民族であるため医師や教師も多く輩出し、ローマの諸都市や他の属州に進出して他民族と交流する機会が多かったが、神に選ばれた民という選民思想を持つユダヤ人はローマの同化政策には従わず、ユダヤ人による閉鎖的な社会を形成していった。

紀元前47年にカエサルはユダヤ人の要望に答え、ギリシャ人と同等の経済的な権利と、ユダヤ教徒が軍務を含む公職に就かない特権を与えた。後者はユダヤ教が一神教の神のみを信仰し、司令官や執政官に忠誠を誓うことが出来ないからだ。カエサルの帝政を引き継いだアウグストゥスもこの政策を継続し、約30年にわたりユダヤ王国は平穏だった。しかし神権統治を求めるユダヤ人急進派はユダヤ王国に住む他民族を追放したり暴動を起こしたため、ローマは軍団を派遣し紀元6年にはユダヤを属州とした。暴動制圧後、ローマはユダヤを急進派の多いイエルサレムと穏健派が多く住む海港都市に分割統治し、イエルサレムでの神権政体は認めなかったがユダヤ教の司祭階級による自治を認めた。

しかしローマ人とユダヤ人はあまりにも違いすぎた。塩野七生さんに言わせれば、ユダヤ人にとっては神が与えたものを人間が守るのが法であるのに対し、ローマ人には法は人間が作るものであり、現実に即して改めてゆくべきものである。すなわちユダヤ人は法に人間を合わせ、ローマ人は人間に法を合わせたのだ。そのためユダヤ人の法はユダヤ人にしか通用しないが、ローマの法はローマ人だけでなく属州となった諸民族にも通用するものであった。

一神教を信ずるユダヤ人にとってカエサルに与えられた特権は妥協の産物であるとは言え十分ではなかった。神権政体の樹立こそが彼らの望む自由であったのだ。紀元6年よりローマの属州となって60年後の紀元66年、ユダヤ人の鬱積した不満が些細な出来事によりついに炸裂した。ユダヤ人の急進派はユダヤ人の穏健派とローマ守備隊を虐殺し、更に暴動鎮圧のためにイエルサレムに侵攻してきたローマ軍が冬の到来で撤退し始めると彼らを急襲し多大な損害を与えた。この事変によって時のローマ皇帝ネロはユダヤの制圧を決意し、紀元67年春、6万の兵を送った。この戦役は途中でネロが自死したため中断するが、ヴェスパシアヌス帝統治の紀元70年、ローマ軍の攻撃によりイエルサレムにあるユダヤ教の神殿が炎上して陥落し、ローマに反抗するユダヤ人の残党が立てこもった最後のマサダの要塞も3年後の紀元73年に平定された。

トライアヌス帝時代の紀元116年、皇帝率いるローマ軍がパルティアに遠征する際、ユダヤの過激派はローマ軍の背後を襲ったが、直ちにローマ軍に制圧される。しかし反ローマの行動はこれ以来断続的に発生し、紀元134年、時のハドリアヌス帝はユダヤ全土を軍事的に制圧しただけでなく、イエルサレムからすべてのユダヤ人を追放し、イエルサレムに入ることを禁じ、更にユダヤの属州名をパレスチナに変更した。この時からユダヤ人はユダヤから離散し、亡国の民となったのである。

しかしローマが制圧したのはローマに反抗するユダヤの急進派であり、ローマや属州に住みローマに反抗しないユダヤ人に対してはカエサルが与えた特権をそのままとし、ユダヤ教の信仰も認めた。ユダヤ人は各地に離散したままでユダヤ教の信仰を続けたが、キリスト教が勢力を持ち始めるとキリスト殺しの罪を背負うようになり、ローマ帝国が滅びた後も中世に至るまでキリスト教世界では迫害を受け続けることになる。迫害は土地・店舗所有の禁止やギルドからの締出しなどを含み、ユダヤ人の農業・小売業・工業などへの従事が困難になったことから金融業が主たる職業になった。ユダヤ人に対する宗教的迫害が減少してきた18世紀以降になると優秀な民族性により科学者、企業経営者を多く輩出している。
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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オスプレイ

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オスプレイ
日本ではオスプレイの沖縄配備をめぐって安全性の議論が盛んである。オスプレイについて日本のマスコミが配備反対をあおっているように思うのはくまごろうだけだろうか。日本のマスコミは今年2回事故が発生したことを度重なる事故と表現し、さもオスプレイが危険極まりない航空機であるかのごとく扱っている。また基地周辺での反対運動でも、岩国基地ではわずか50名程度の反対派をさも多くの岩国市民が反対しているように報道している。

BellとBoeingの共同開発により生産されているオスプレイの歴史は意外と長く、1960年代からアメリカだけではなく日本でも使用されているBoeing Vertol CH 46/47大型輸送ヘリコプターの後継機として1989年には原型となるモデルが初飛行している。ヘリコプターと飛行機の両方の機能を併せ持つティルトローターのオスプレイはその後多くの技術開発が行われ、アメリカ軍の実戦に配備されたのは2007年であり、最初はイラク戦争、更に2009年からはアフガニスタンにも配備されている。これまでに160機が生産されており、2012年には最大年間48機を生産することになっている。

オスプレイは巡航速度446 Km/hr.、航続距離1,627 Km、標準的なペイロードは20,000 Lbs. (9,080 Kg)で、CH 47大型輸送ヘリコプターの巡航速度265 Km/hr.、航続距離612 Kmに比較して有事の際の機動性に優れている。軍事に限らず災害出動などにおいてもオスプレイの優れた機動性は威力を発揮することだろう。

オスプレイは実戦配備からまだ日が浅いため、既に半世紀以上にわたって使用されてきたCH 47大型輸送ヘリコプターに比較すれば経験不足の感は否めず、ティルトローターという難しい機種のために試作段階では2回の重大事故を起こしているが、改良を加えた量産機での事故率は10万時間あたりの平均事故率は1.93である。因みにCH 46E大型輸送ヘリコプターの平均事故率は1.11、CH 46/47の改良型であるCH-53D大型輸送ヘリコプターでは4.51、またアメリカ海兵隊所属の全航空機では2.45である。

オスプレイが沖縄基地に配備されると困るのは誰だろう。基地の撤去を求める沖縄県民には不満があると同情するが、これまで普天間基地に配備されている大型輸送ヘリコプターに比較すれば事故が格段に増える恐れはなく、また騒音もアメリカのデータによれば大型輸送ヘリコプターより低いといわれている。オスプレイの配備に最も懸念を持つのはオスプレイの航続距離の範囲内となる中国および北朝鮮である。民主党政権により亀裂の深まった日米の同盟関係を再構築するためにも、日本はアメリカが重視する東アジア戦略を支援しオスプレイの配備に協力すべきであろう。
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虹
今朝は曇り空。朝7時頃西の空を見ると、きれいな虹が出ていた。

暫くしたら雨が降り出したが、通り雨ですぐに雨は上がった。
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