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今年の読書(47)『冬姫』葉室麟(集英社文庫)

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今年の読書(47)『冬姫』葉室...
本書は、尾張国の戦国大名<織田信長>の次女として生まれ、のちに蒲生氏郷の正室となる「冬姫」(永禄4年(1561年)~寛永18年5月9日(1641年6月17日))の、10歳から物語は始まり、亡くなるまでの戦国時代の武将の娘としての数奇な障害を描いた歴史長編小説です。

永禄11年(1568年)、<近江六角>氏の旧臣の<蒲生賢秀>が<織田>氏に臣従したとき、<信長>は<賢秀>の子<鶴千代>(後の蒲生氏郷)を人質として取りましたが、その器量を早くから見抜いて、永禄12年(1569年)の大河内城の戦い後に自らの娘「冬姫」を与えて娘婿として迎えました。2人の間には息子の<蒲生秀行>と娘(前田利政室)をもうけています。

その後、夫<氏郷>は<豊臣秀吉>に臣従し、陸奥会津92万石の大名になりますが、文禄4年(1595年)に40歳で死去。後継の<秀行>は家臣団の統制がままならず会津から宇都宮12万石に減封・移封されました。

「冬姫」も共に宇都宮に移りましたが、関ヶ原の戦いで<秀行>が東軍に与して功を挙げたことから会津60万石に戻されます。しかし慶長17年(1612年)に<秀行>が30歳で死去し、その跡を継いだ孫の<蒲生忠郷>は寛永4年(1627年)に25歳で死去しました。<忠郷>には嗣子がなく、<蒲生>氏は断絶しかけましたが、「冬姫」が信長の娘であることと、<秀行>の妻が徳川家康の娘(秀忠の妹)<振姫>であったことから特別に、姫の孫にあたる<忠知>(忠郷の弟)が会津から伊予松山藩20万石へ減移封の上で家督を継ぐことを許されました。その<忠知>も、寛永11年(1634年)に嗣子なくして早世し、結局は<蒲生>氏は無嗣断絶となりました。

「冬姫」は、晩年を京都嵯峨で過ごし、寛永18年(1641年)5月9日、81歳で死去しています

赤穂事件を扱った 『花や散るらん』 でも歴史的史実に基づきながら、「雨宮蔵人・咲弥」の架空の夫婦を登場させていますが、本書でも、「冬姫」の警護役として「鯰江又造」・忍びの「もず」が登場、いい脇役として色を添えていました。
#ブログ #文庫本 #読書

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