暑い夏だったが、初秋を感じるようになった。 真夏のオリンピック、 最後に感動を与えてくれたソフトボールティーム。 最良の結果を出してくれた。 激闘とは、あの上野投手を言うのだろう。 心よりありがとうと祝詞たい。 同時に、女子サッカーティーム、とりわけ、沢選手に拍手を送りたい。 そんな活躍の後、パラリンピックが始まった。 オリンピックと同様に・・・何故、 マスコミ・メディアは、報道しないのだろう!?! 単に、人気があるだけで取り上げる・ 否・・・・なのだろうか?? 国自体の感覚にも疑問を持つ。 健常者!!・・・障害者を問わず、 スポーツマインドを持った選手を同様に接するべきでは!! パラリンピックは、スポーツではないのか??と思えてくる。 確かに《「戦争で負傷した兵士たちのリハビリとして 「手術よりスポーツを」の理念で始まった。》 のは、事実だろう、、、、 《「パラリンピック」の名称は、半身の不随(paraplegic)+オリンピック(Olympic)の造語だが、 半身不随者以外も参加するようになった為、 1985年から、平行(Parallel)+オリンピック(Olympic)で、 「もう一つのオリンピック」と解釈することになった。 オリンピックと違いパラリンピックには障害の度合いに応じた階級が存在する。 たとえば、肢体などの障害の場合は「LW」や「LC」等の競技ごとの記号+度合いを数字で表す。 障害種は「運動機能障害」「脳性麻痺」「切断など」「視覚障害」がある。 聴覚障害者・知的障害者はパラリンピックには出場できない。 シンボルカラーは赤・緑・青。 それぞれ、赤色が心、緑色が身体・青色が精神を表している。 「パラリンピック」は、日本に於いては厚生労働省の外郭団体である財団法人日本障害者スポーツ協会の内部組織である。」》 オリンピック・・スポーツを統括する、 文科省とは、管轄が違う。パラリンピック これも不可思議。 こうしたことからなのか!?! オリンピックほど、盛り上げていない・・・ マスメデアに疑問を持つ。 花も同様、雑草と呼ばれる花もそれ自体は、とっても華麗だ。 身近な、ムラサキススキ・・・ よくよく近づかないとその美しさは、実感できない。 爽やかな風に秋を感じる。 いま一つ、国技の意味する内容は、何なんだろうか?? 相撲界の出来事にも・・・?? 今の日本政界を見る思いだ。
今週は、秋の長雨??的な天候だった。 でも今年は、ゲリラ豪雨!?!とやらで・・・ お隣の町では豪雨なのに、此処では晴れてる?? といった具合で何かおかしい!?! これも異常気象なのだろうか。 そんな晴れ間に散歩を済ませると、 路傍の・・・他所様の塀の所に タカサゴユリが咲いていた。 お向かいのお宅の庭にも大きな花が見える。 種が・・・飛ばされて・・・この隅地に!! 生命力強い花と感慨深く眺めていた。 此花は、当地あたりでは、晩夏に咲く。 秋は、そこまで来ている・・・・。 それにしても、各地で豪雨に被災されたやも知れない ブログルの皆さんには、お見舞い申し上げます。
北京オリンピックで新たな日本人ヒーローが誕生した。 騎士道に端を発するスポーツ、フェンシング。 若武者太田 雄貴、22歳。 日本の柔道ではヒーロー・ヒロインがいるのは当たり前かもしれない。 日本の武術・剣道はオリンピック種目にはないが、 洋の東西でフェンシングと剣術には通じるものがあるか!?! 柔道にも言えることだが、単に勝てば良いのではないだろう。 静と動、「心身一体」となす武道精神が奥底にあると思えるのだ。 古い話だが、昭和の始め頃に、野間 恒という剣客が居た。 彼は、講談社の創始者、野間清治の一人息子。 昭和8年、「昭和天覧試合」で優勝した達人だが、 地区予選から各府県代表本戦、 決勝戦まで一本も打たれることなく勝ち進んだ。 決勝戦相手の二刀流名手に難儀、右胴を一本とられたのみだった。 しかしてそれよりも強い剣士がいたという。 「森(野間)寅雄」。 この剣士は、野間 恒の従弟(いとこ)だった。 わけあって幼くして野間家に入籍していた。 そんな寅雄が、府予選で恒に二本とられて敗退した!?! 恒は、天覧試合の数年後、病没している。 寅雄は、天覧試合後、野間家を出た。 森 寅雄という名は、幕末の千葉周作道場の四天王と言われた 森 要蔵の息子として「戊辰戦争」で名を残した人物が有名であるが、 ここで言う森 寅雄と恒は、双方とも要蔵の娘が、母方の祖母に当たる。 二人とも森要蔵の血を引いている。 会津城外、雷神山で戦死した森寅雄は、彼等の大伯父であり、、、、 雷神山の寅雄にあやかって付けられた名らしい。 こんな昭和の森寅雄は、昭和9年に米国・サンフランシスコに渡った。 仕事を転々とし、養蜂場で働いていた時、日々剣道の鍛錬をしていた。 それを見ていた友人のダニエル・ソーンなる人物が、 フェンシングを寅雄に教えた。 寅雄は、フェンシングの世界でも頭角を現し、 渡米2年足らずで、全米選手権大会で優勝している。 昭和11年のベルリンオリンピックでは、 非公式の米国選手コーチを依頼されている。 米国では、「タイガーモリ」と呼ばれ フェンシング界では知られている。 昭和35年にはローマオリンピックに 米国フェンシングチーム監督として参加している。 そんな彼の残した言葉の中に・・・ 「フェンシングは、勝つだけの技術である。 しかし剣道は、己を鍛える為のものである。」 オリンピックで日本人柔道家が、「一本」にこだわっていた。 減点法の柔道など見たくない。 洋の東西はあるが、切る(剣道)と突く(フェンシング) これ等の背景には、精神論が潜んでいるまいか!!
鷺草が、開花した。 7月にひと株蕾を持ったが、水差しが不足したのだろうか?? 開花せずからしてしまった。 その後は、慎重にみずさししたら・・・・ かわいい花が開花した。 今年は、何株、咲くのだろう!?!
心待ちにしていた花が咲いたとのこと。 さっそく出かけてみた。 藤沢市江の島にある庭園「江の島サムエル・コッキング苑」 名前の由来は、明治期に英国貿易商「サムエル・コッキング」 レンガ造りの温室をこの地に造ったことから。 園内に数十年に一度開花すると言われる 「アオノリュウゼツラン」が、鎮座している(そんな感じ)。 ついに開花した。 アオノリュウゼツランはリュウゼツラン科の一種で、 メキシコなど中南米の熱帯域に自生。 観葉植物としても栽培され、 英語では百年に一度花を咲かせるとの意味で「センチュリープラント」とも呼ばれる。 花柱は高いところで約八メートルもある。 高い所に咲いているため詳細は分かりづらい。 だが。六株も花をつけているのは圧巻であった。 派手な花ではないが、ロマンティックな想いを抱かせる。 次回の開花・・・数十年後は、、、!?! いかなる時代であろうか!?!
今年の6月は、真夏日がゼロだった。 7月に入るや打って変って酷暑が続いている。 僕の関心ごとに、神奈川・江の島にある植物園の 「サムエル・コッキング」で珍しい花が咲きそうだ!?! との情報・・・?? 「アオノリュゼツラン」 数十年に一度咲くと言う、珍しい花。 それを目当てに、近隣の腰越「万福寺」に 墓参りも兼ねて出向いた。 暑い!! ともかく暑い!! 腰越から江ノ島まで歩いたが、、、!?! 花は、まだ蕾・・状態だった。 早々に引き揚げ、橋を渡っていると 浜辺は、海水浴客でにぎわっている。 この片瀬西浜で6年間、 ライフセーバーをしている若者を尋ねることにした。 テキパキと海水浴客に応対してる姿。 8月いっぱい浜辺の安全の為にパトロールしている彼等。 ほとんどがボランティアだ。 しかし誰でもできるものではない。 それなりの資格を持っているプロだ。 若者の暗い話が多いこの節。 こうした若者たちのお陰で海の安全が保たれている。 何故ボランティア??なのか・・・・。 欧米では立派な公務員なのに・・・。 例え季節限定であっても、日本でも検討されるべきではないか!?! この片瀬西浜のサーフパトロールは、草分け的存在。 伝統あるライフセーバー団体。 そこに属する誇り、プライド。 昨年、テレビ局の取材を見たが、誇れる若者達だ。 海に限らず、山岳公園をパトロールしているレンジャー ほとんどがボランティア。 彼等の活動に報いる方法はあるとおもうのだが・・・。 清々しい彼等に健康に気をつけて・・・と、浜を後にした。
7/11日記より^^。 最近、「エコ」を反映してか!?! 自転車が、人気らしい。 今、フランスでは、世界最大・最高峰のロードレース!! ツール・ド・フランスが、開催中。 自転車乗りには、眠られない日々が続いている。 日本では、世界最先端のロードレーサ−に乗ったバイカーを サイクリングロード等でごく普通に見れる。 様々なレーシングジャージを身に纏い颯爽と走っている。 正直、自転車は気持ちよい乗り物だ。 そんな中で、世界中で唯一人、 木製リム(車輪枠)を作り続けているイタリア人がいる。 そのリムを使って創造的車輪をくみ上げている日本人ビルダー。 其の世界では高名な千葉洋三氏。 氏、自らは木製フレームの自転車に乗っておられる。 強度的に見ても充分と、聞いている。 そこまで凝った自転車には乗れないが、 木製リムだけでも・・・乗り心地は最高!!だ。 新しく特別な仕様の車輪を手に入れた。 乗り心地だけではない。ともかく速い!! 乗り手にとって路面からの振動は、相当なものがある。 木は、振動を吸収してくれる。 何とも不思議な走行感。 鉄・アルミ・カーボン等、素材は色々あるが・・・ 木製リムに乗ったら、、、 以外のものを使う気にはなれない。 日本は、木の国!?! 安く量産できないものか??と思う。 間伐材を使って自転車作りをゆめみる・・昨今である。
2008・06・04日記より^−^)。 花は、今を生きる。 外来種であろうが無かろうが!! 輝く花、清楚に咲く花。 垣根の下にひっそりと咲く花を見た。 2008・06・04 憲法違反とする重大判決が下された。 子供の嬉しそうな涙。 はにかみながらも、流す涙に・・・ 「法」を学ぶ者にとって 久しぶりに感慨深い裁判を聞いた。 「やっと日本人になれました−。 日本人父とフィリピン人母との間に生まれて日本で育ち、 日本語を話しながら、日本国籍がなかった子供たちに 最高裁は4日、日本国籍を認めた。 原告の子供らは東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、 学校でのいじめや将来の不安など、 これまでのつらい思いを吹き飛ばすかのように喜びを爆発させた。 母親たちも目を潤ませ、夢がかなった感謝の言葉を繰り返した。」 (産経新聞より) 仔細は、別として・・・ 最高裁大法廷が下した、現国籍法に違憲部分がある・・・。 「法の下に平等」精神を垣間見る、思いだった。