時に私が作る食事に毎回ランク付けをしてくれる子供たち。
アッパークラス
ミドルクラス
ローアークラス
それぞれのクラスにはさらに3つの細分化がある。
ここ最近はずっとアッパークラスを維持している。
それが私のモチベーションや自信にも繋がっているようだ。
今日は夕食が終わるなり席を立った彼ら。
私の書斎で何かこそこそしてるな、と思っていたらそのランク分けのチャートまで作った上に壁に貼りだした。
これでますます手も抜けなくなるじゃん
ちなみに今夕の成績はミドルクラスのアッパークラスだそうです。
Costcoで買ったアイルランドシチュー、カニ、サラダにアスパラガスとライスという、あるものを振る舞っただけで別段調理をしていないところがミドルに落ちた理由だそうです。
シルクロードを通って 中国に入ったキリスト教は景教と呼ばれています。
イスラエルで産まれた福音は西へ回るとギリシア語ラテン語圏の東方教会と西方(ローマカトリック)教会を形成します。
東方のシリア語圏にも宣教師は活躍しています。
それがペルシアを通じて唐へと入り、その長安には638年大秦会堂が建立、781年景教碑が建立しました。
日本では奈良の都が長安に似せて造営され天平文化が花開いていた頃です。日本初の本格的な都・平城京造営に景教信徒と目されている渡来人の秦氏が貢献しています。
また秦氏は養蚕を大陸から紹介して日本に根付かせた絹織物業の元祖とも目されています。
.......こういった史実は試験や知識蓄積目的でなく、何とは無しにロマンを感じ、そのロマンにつき動かせれるようにして研究したいと衝動を受けるのは私だけではないと思います。
島国の住民として大陸からどうやって普遍的な文明を受容して消化していくかは、その住民の本領に迫る営みに思うのです。
宿場町、草津。
中山道と東海道の分岐点となる道標に立ち寄りました。
いわば江戸時代の東西を結ぶ幹線道路の最大の交差点と言ってしまっても良いよね?
当然往時、宿場町として賑わった。
宿場町には歴史に名を留めている有名人が宿泊したり休息した本陣と呼ばれた旅籠があった。
その本陣にある大名や公家の貴賓室と言うべき奥の間にお邪魔しちゃいましたよー。
隣接して風呂場やトイレもある。
トイレには床の間にいけ花が飾られ
臭い消しにお香を焚く台もあった(^ ^)
トイレの下には箱が据えられていて使用後は毎回、引き出され処理されたという。
あーあ、何とも不衛生で薄暗い生活。
トイレだけを取り上げても今日の日本人なら誰でも当時のお殿様より優雅な生活をしていると言えるのではないか?
この時代に生まれて良かったとつくづく思った。
景教を考える上ではずせない京都には太秦にある広隆寺を訪問しました。
広隆寺は603年(推古天皇11年)に建立された山城最古の寺院とされています。聖徳太子が建立した7大寺の一つでもあります。
日本書紀によると、秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から賜った仏像をご本尊としたとあって、そのご本尊とは現存している弥勒菩薩であることが国宝の広隆寺にある国宝の実録帳に記されてあります。
その秦氏族は大陸の優れた文明を日本に持ってきましたが、その主なものは養蚕・機織りのスキルでありさらに農耕、醸酒など当時の地方産業育成に貢献するものであったとされています。
法隆寺のすぐ近くに蚕ノ社・木島神社がありまして秦氏族の功績を裏付けるものとなっています。
「景教徒の群れを歴史的に区分すれば
1つは、、、
2つは、、、、
3つは、弓月の国から199年と283年に来日し、帰化した秦の始皇帝の子孫の一群から派生した秦氏族たちです。この中国景教徒と秦氏とは異質の群れでしょう」
(「景教のたどった道」 p123. 川口一彦著)
この日本滞在中にどうも歯が痛くなって敵わない。
ついに食事を摂ることが出来ないほど噛み合わせ時に痛みが走る。
そこで知人の経営する歯科医院に始めて訪れた。
その知人は、30年ほど前小学生であり日曜学校の生徒さんだった。
閑静な住宅街に建つその歯科医院は地域の信頼も厚く、常に予約でいっぱいの様子。
二日前に急に連絡した急患なのに、「かつての日曜学校の先生」を良いことに割り込ませてもらった。
果たして30年ぶりにお会いするその生徒は立派な医師に、そして親になっておらました!
レントゲンを撮った後、痛みとなっている原因を的確に指摘されて治療方法を説明される。
聞いたこともない薬品や処置名、そのプロセスをバンバンと主治医と対話される。
お母様の隣で会堂の床に大人しく座っておられた子供キャンプから大きくジャンプしている現実に時の経過のなせる偉業を見た思い。
わずか人口一万人弱に過ぎない地方都市。
そこにこんな本格的な京料理を出してくれるところがあるだなんて!
もちろんここだって少子高齢化の波を受けて10年後に町が存続しているかも危ういという厳しい現実。
それでも長年培われた食の伝統は人知らずに脈々と継承されて来たのですね。
観光立国としての日本。
それなら細々であったとしても息づいている地方の文化、伝統を外国人にも参加してもらえる観光資源として活かせないものか?
雪に閉ざされた中どうやって外出しようかと考えあぐねてた時。
いつも数分以内の場所でうじゃうじゃと運行しているウーバーが今日はどこにもいない。やはりこんな雪の中仕事する人いないよなぁと思って諦めかけていた時、1台が応答!
19分後にピックアップしてくれると言う。
主イエスさま
ウクライナから来たドライバーさん、どうもありがとう。やはりこの国は移民で支えられてるよなー。
大感謝
I was trapped at my home this morning.
Couldn’t find any Uber car. All the Uber cars were not seen around me on such a heavy snow, of course who’s working!
Can you Imagine how I was excited to hear a sound responding to my ride request?
He came over in 19 minutes.
Thanks to Jesus and hard worker come from Ukraine. This country is sustained by immigrants.
アルバムの写真を整理していたらこんなものが出てきました。
娘が生まれてまだ1歳になるかならないかの写真だと思います。
16年の歳月があっという間に過ぎ去りました。
僕は白髪混じりの立派なおじさんに。
そして娘は容姿が気になる思春期のレディーに成長してくれました。
この日はまた美容院に行って髪型を変えたことを写真を送って報告してくれたのです。
私たちの全てのものは過ぎ去っていくものです。
懐かしい思い出も限り無かった体力と健康も
そして若い力や美貌も
人生も
何もかも.......
聖書は
「人はチリからできたのだからチリに帰らねばならない」と告げます。
人間が物理的動物的生命のだけの存在だとしたらなんと虚しいことでしょうか。
あらゆる人間関係も、積み上げたものも、財産も、業績も
チリとなって胡散霧消するだけの人生であるとしたら。
しかし聖書は死後の世界を語ります。
そして死から復活された主イエスという方を通してそのことの確証を私たちに与えてくれています。
それゆえ、
いつまでも残るものがあると聖書が教えるのです。
"こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。"
コリント人への手紙 第一 13章13節
関東地方は明日、大雪のようです。
実はシアトル近隣も明日は大雪の警報です。
既に子供たちの学校からは普段より2時間早く終業との連絡が入りました。
家人がグロサリーショップに行ったところ買い出しの顧客でごった返し肉もミルクも棚にになかったとか。
今後4-5日間大雪が続くのだそうです。
そのシアトルに向けてハイウェイを走って帰るのですがいやはやどうなることか?
日本列島と米国ノースウエストの天候が共鳴するかように一致していることが多いと感じるのは私だけでしょうか?
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