このところ先週から春の長雨と言ったらいいのでしょうか、
降ったりやんだりが続いて気温も低めです。
その前の週は初夏の高温だったため、この気候の変化に体調崩す人が私の周りにも散見されます。
息子も学校休む日があったり、半日だけ行ったり。
こんな不純な気候にも負けずに野生動物はどう体調を維持しているのでしょうか。
今年もまたイースターバニーが実際に庭にまでやってきてくれました。
この日はよっぽどこいのぼりを庭に掲げようかとも思ったのですが、芝生が濡れているためもう1週間ほど待つことにしました。
ノースウェストの春はこうしてまもなく花々が一斉に繚乱する初夏に向けての準備中です。
しっとりとした雨が地を潤してくれています。
またこのような気候の変動が私たち人間にストレスを与えて体調を乱すことにつながるのは確かです。
しかしその一方で、そのストレスが体の免疫力を強めていると言う結果にもつながっているようで、快適な気候が長く続くことだけがプラスとはならないようです。
イースターおめでとうございます。
復活の主イエスは今日も来ておられます。
ホサナキリスト教会日曜礼拝のメッセージノートです。
「マリヤとマルタ」
ルカの福音書 10章38~42節
"さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。
彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。
ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」
主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」"
⑴マリヤの選択〜Better or Best?
①主の足元でみ言葉に聴き入る〜学問や教育が許されていなかった女性に対しての主の配慮や価値観が伺われる
②姉のマルタの選択〜世間の常識やホストとして当然の行為でありストレスが高じているのもやむを得ない
⑵マリヤの洞察〜Many or One
①より価値のあることに時間と心を用いて実践せよ〜それは突き詰めて言えば主の御言葉と同化することであり、キリストご自身が内住されること。
②キリストご自身が望んでおられたことでもある
人々を教え癒されたがそれを通して人々に内的な変革を与えるためだった
パウロもただ「この1時に励んでいる」と言っている
⑶マリヤの保全〜Knowledge or Life
①「それが彼女から取り上げられることはありません」未来形であり受け身形。かつての新改訳と異なり原文に忠実。信者の信仰は永久に保存される教えにつながる
ローマ8:39
②事実として生きることと理解している事とのあいだには雲泥の差である。内住の恵みはかつて与えられたに違いない。これを正しく理解し時々刻々の自覚に生きながらその恵みを更新しよう。
(結論)
イースターは2000年前のイエスの復活という歴史的事件を想起するだけでは足りない。
今私の心の中にも復活の主が事実として生きておられる恵に生きるものとされよう。
イースターおめでとうございます。
誠に主は死を打ち破り復活してくださいました。
これにより、
ご自身の語られたお言葉の信憑性
ご自身が約束してくださった救いの確かさ
ご自身が初穂として私たちに永遠の命を担保してくださいました。
かつて義父が出席していた教会に行き、そこに併設されている墓地に家族で行きました。
私たちはやがて愛する方々との再会が実現できるのです。
ハレルヤ。
"イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。"
ヨハネの福音書 14章6節
ドロシー師回顧録「人生は80歳から始まる」
錦は漁師町です。新鮮なカツオをふんだんにいただきました。人生で初めて3枚におろしたのもドロシー先生に教わってのことです。
アイオワ州の恐ろしい雷や嵐の日がやって来ると、
私たちの家に中に居れば安全ですが、外にいて安全は保証されません。
ある日の夕食後、少し年上のドーリスっていう怖がり屋の従兄弟ともに外出したんです。
母はそんな私たちを見て、皿洗いの手伝い仕事から逃れるためだろうと決めつけたのですけどね。
その日、外からの帰り道で雷に遭ってしまったの。
「黙示録の患難時代に突入したのかな?」
従兄弟はそう言って大変驚いていました。
家に走り込むなり「殺された、殺された」と喚いていたんだけど、もちろん彼女は立派に生きていましたよ。大きな声を出す元気があったんですから。
ところで、私たちが犯罪者とならなかったのは母親に寄るところが大きかったのです。
四番目の新しい従兄弟はマウデおばさんの家に生まれたの。
私の母は超お世話好きだったので新生児とその母親の介護だけでなく、そのお家全体の家事まで面倒を見ていましたよ。
従兄弟らと生活をともにするのは本当に楽しいものね。
でもね、喧嘩だってしょっちゅうだったんだから。
そんなときが母親の出番だったんです。
ある時、母は私たちのいさかいに疲れて外にやって来ると私たちを年の順番にならばせたの。
そして年長から「あなたは何をやらかしたの?」と聞き始めたわ。
順番となると誰もが同じように互いを責め始めると、
「私はそんなこと聞いているんじゃぁないのよ。
あなた自身が何をやったのかって事よ!」
と言ったものでした。
各人の応えは「いやぁ、何もしていません」となったんですけどね。
私はメディアとペルシアの変更不能な法律のように、彼女の変わらない質問の姿勢を聞きながらその意味していることを理解したものよ。
私たちは天使のようではなかったのですが、人生の早い段階で自分自身の誤った行為には自らが責任を負わねばならない事を学んだのでした。
小さなお馬さんを滑り台にして遊んだのは楽しかったわ。
冬になれば決まって雪を駆け回るお馬に付けた鈴の音も良い思い出ね。
ドロシー師回顧録 人生は80歳から始まる
1988年、神学院卒業直後の23歳の私と73歳のドロシー先生
錦キリスト教会旧会堂での英会話クラスにて。
「人生は80歳から始まる」
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。
卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。
そこで1人で伝道されていらっしゃったのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。
私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。
本の題名によると、「人生は80歳から始まる」。
確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力に満ちておられた先生でした。
私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。
今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出した背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福でした。
まるで宝物を探し当てたような感覚を持ちながらページをめくっています。
皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを今後紹介して行きます。
まず最初の第一回目は、ドロシー先生の誕生ストーリーからです。
第1章
宣教師の養成遺産
それは実に膨大な時間、問題、訓練を要するプロセスです。
私の場合、43年間かかりました。
私には実に素晴らしい遺産があったことも覚えねばならないでしょう。私の先祖はフランスのユグノーまで遡ります。
それは信仰ゆえに迫害を受けた人々で、農場、財産、富を背後に棄てて国から逃れてきた人たちでした。自由を求めて定かでない旅を始めたのです。
ある人たちはオランダを経由し、他の人たちはイギリスを経由してアメリカまで渡ったのでした。
農場での誕生と幼少時代
私は1915年11月11日にアイオワ州にて誕生しました。
二人の兄弟に挟まれるサンドウイッチの具のように真ん中でした。
家族全体から「お姉ちゃん」というように呼ばれたものですから、自分の名前の持つ高貴な意味については長く無知のままでした。
ずっと後になって次のような意味があることを知りました。
「ドロシー」
それは、人気ある名前の意味で「神の賜物」
起源ーギリシア語
強調点ー「この女性は決してあなたを引き下げない」
「彼女の行く手には挑戦が待っている」
「彼女には想像力がある」
「彼女は成熟した配慮ある行動をする」
これら上記の意味には私の実際からして手が届きそうになく、単純に「お姉ちゃん」が最もふさわしいものだったでしょう。
私の二人の兄弟と私は農場で誕生したのです。私たちにはご自慢の動物園や木の枝に結ばれたブランコ、それに忍耐深い子馬がいました。
その子馬は人嫌いなのですが私たちは別格で、三人一緒に乗っては滑り台のようにして遊んだものです。それに乗って尻尾へ滑り落ちるのですが、何ら抵抗しませんでした。
ある時、私はそれに乗ったまま眠り落ちてしまったこともあります。子馬はそれに気づくと、上手に完璧でゆっくりとした早さでしか動こうとはしません。お陰で私はそのまま午後の昼寝を楽しめました。
また私たちには専用の特別牛乳配送装置がありました。直接ミルクの供給源を「モミモミ」して自分たちのカップに注ぐのです。
電話は地方新聞の役割を果たしていました。
1本の電話線に多数の人がつないでいるものですからご近所さんの愚痴などこぼさないように気をつけねばなりません。緊急時には皆が協力して電話を切りその人に優先権を与えたものです。
私の子供の頃はテレビはまだ無く、漫画本さえ見たことありません。従兄弟で集まる時にはそれはそれは楽しかったですよ。自分たちで即興の笑い話や劇を作ってしまうですから。
(つづく)
巨人ゴリアテに青年ダビデはどのようにして立ち向かったでしょうか。
〜ホサナキリスト教会日曜礼拝のメッセージ・ノートです。
(序論)
286センチの身長と鎧の重さで57キロもある巨人ゴリアテに青年ダビデがほとんど素手で戦うのは常識を超えたところのものであった。ダビデが勝利できたのは肉(身体の強靭さ・優れた武器・戦士としてのスキル.......)によるものではなく、霊よる勝利であった。
その霊(スピリット)の法則を自らにも適用しよう。
⑴あなた自身であれ(39)〜日頃使い慣れた道具を手にせよ
①羊飼いとしての日常道具(40)〜ありのままのあなたで行け。戦士としてではなく羊飼いとして戦え。
②自分自身を見失ってはならない
*皮肉と悪意のある中で(28)〜エリアブの嫉妬
*善意と好意のある中で(38-39)〜サウル王の気遣い
⑵ストレスを乗り越えよ〜本番に強くあるために
①信仰による戦い〜「万軍の主の御名によって」(45)
中近東における古代の戦争はその民族の神々の戦いであると考えられていた。
②すでに勝利を確信していた
5つの石から1つだけの石で決着(49)
⑶平素の営みに心せよ〜危機にあっての最大の準備
①羊飼いとしての命を張った日常生活(34-35)
戦士としての訓練はなかったが羊飼いとしての忠実な毎日がそれと代わるものとなっていた。
②羊飼いとしての大自然の中での信仰生活(36-37)
野原や岩場がダビデにとっての神殿であり神学校でもあった(詩篇23)
(結論)
手に負えない大問題に接するとき、しかもそれが主の栄光に関わる事であったとしても心配には及ばない。私たちのうちにお住まいになっておられる御霊に信頼をおこう。信頼を置くために平素からの信仰生活に心しよう。
"しかし、これらのことすべてが起こる前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出します。
それは、あなたがたにとって証しをする機会となります。
ですから、どう弁明するかは、あらかじめ考えない、と心に決めておきなさい。
あなたがたに反対するどんな人も、対抗したり反論したりできないことばと知恵を、わたしが与えるからです。"
ルカの福音書 21章12~15節
シアトルを南北に貫いている高速99号線が開通して初めてドライブしてきました。
今までの99号線は海辺に沿って2階建ての構造物だったのですが、老朽化が進み次回の地震ではおそらく崩壊するとの専門家の意見。
新しい道路は海にせり出して作るか、地下に埋めるか、かなりの議論となったですが結局ダウンタウンの真下を通るトンネルを掘ることになりました。
この道路が完成したと聞き、今なら無料で通れると言うことで行ってみたく思っていたのですが、
どこが入り口なのか分からないまま日時が過ぎて行きました。
この日は99号線を北から利用してダウンタウンに入るとトンネルが見えました。
どうもそれが新しいトンネルらしい。
そのままトンネルを抜けるとセイフコ・フィールドの真横に出て、高速90号線のジャンクションが目の前に見えます。
「案ずるより産むがやすし」とはよく言ったもので、何も問題なく迷うこともなく以前の出口と入口が新しいトンネルとつながっていたのです。
Google マップは既にアップデートされていて、この新しいトンネルの位置情報を正しくナビしてくれていました。
今まで99号線利用は気が引けていたのですが、思い切ってしてみるといとも簡単に利用できてしまいました。
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