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"#ドロシー師"の検索結果
  • 献辞と寄せ書き

    投稿日 2019-11-16 13:47
    つれづれなるままに by 高橋京太
    日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。その第44回目は、付録としてドロシー先生による献辞の言葉。そしてフィンキーさんとシェルホン先生によるお勧めの言葉です。これで最後の投稿となりました。もし主が許されるなら、これらの文章が全て製本されて記念誌として出版される予定です。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆献辞近くに遠くにおられる全ての年配諸氏にこの本を捧げます。私自身が高齢者メンバーの一人ですが、自分自身を必要なしとか役立たずとか、決して考えてはなりません。これまでの人生で積み上げて来た知識や貴重な経験の数々は、若い...
  • 天での大祝宴を待ち望んで

    投稿日 2019-11-15 09:30
    つれづれなるままに by 高橋京太
    日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。その第43回目は、ついに最終章となりました。米国の家族を次々と天に送られ、その血縁者ばかりでなく信仰につながる家族との再会を待ち望んで筆を置いていらっしゃいます◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆1980年のファロー・聖地旅行1980年の米国帰国報告ファロー時には、イスラエル旅行と言う奮発した特別待遇が待っていました。それは日本での20年間の宣教奉仕に対するギフトでした。そのツアーにはエジプトとギリシャ、そしてアムステルダムでのストップオーバーも含まれています。エジプトで見た富...
  • 引退への階段を降りて

    投稿日 2019-11-13 17:46
    つれづれなるままに by 高橋京太
    日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。その第42回目は、ドロシー先生の健康管理をしてくださるドクターたちとの出会いです。そうは言っても誰も老いから逃れることはできません。病や怪我で倒れるに従い、引退へのステップを踏んで行かれます。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆治療しながらも継続していく働き〜引退の第一段階〜私の最初の骨折経験とは、手首に関わるものでした。病院のテレビモニターで私は全ての手術過程を見ることができました。四本の指にそれぞれワイヤーの繋げられたドリルで穴を開けていきます。それからそのワイヤをグイと引...
  • 骨折と入院経験

    投稿日 2019-11-12 17:26
    つれづれなるままに by 高橋京太
    日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。その第41回目は、ドロシー先生の入院経験を記しました。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆第四部さまざまな事がら伊勢神宮のあおりを受けて20年に一度、伊勢神宮からの特別な大木が、地元の神社へすげ替えのためにやってくる行事があります。その神木である大木をお迎えするのですが、錦では連日イベントの目白押しでとなりました。ダンスやパレードなどです。さらにそのための組織作りが町内会で始められました。教会が置かれている町内会でも参集の知らせが届けられ、私もその集いに参加せざるを得なかったの...
  • “養子”としての遺産を受け継いで

    投稿日 2019-11-12 08:59
    つれづれなるままに by 高橋京太
    日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。その第40回目は、追憶場面の第二回目です。教会に与えられたハンドベルは米国の関係者からの捧げ物によるものでした。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆Gladys Bates さん彼女の遺骨は錦教会の納骨堂には納められていません。しかしながら彼女の半分ほどの遺産は教会の新会堂建設のために投資されました。いわば教会堂が彼女の活きた記念碑と言えるでしょう。Gladysさんは、私の母とその姉のムーディさんの親友でした。彼女ら三人は主にあって消して違うことのできない生涯をかけた親友でした...
  • 追憶

    投稿日 2019-11-09 17:19
    つれづれなるままに by 高橋京太
    しばらく中断していましたが、日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。その第39回目は、回想録の最終章に入り、思い出深い方々を追憶している場面です。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆第五部追憶牧野克己さん日本は幾世紀もの間、偶像のお寺や神社と長く深いつながりがあり、またそれらは強力な領有権を有する地主としての勢力を人々の間に伸ばしてきたので、多くのキリスト教会はそれらの宗教組織とは別個の地所に墓地を設ける必要がありました。その点、幸いなことに錦では町立の墓地区域が整備されていました。その区域の中に私たちの教会用墓地を...
  • 紀伊長島での新しい展開

    投稿日 2019-09-13 14:45
    つれづれなるままに by 高橋京太
    日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。本の題名は「人生は80歳から始まる」。確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教...
  • なおも試練を受けて

    投稿日 2019-09-04 14:25
    つれづれなるままに by 高橋京太
    日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。本の題名は「人生は80歳から始まる」。確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教...
  • 米国への英語研修旅行

    投稿日 2019-08-29 13:49
    つれづれなるままに by 高橋京太
    日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。本の題名は「人生は80歳から始まる」。確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教...
  • クジラの展示物を見て

    投稿日 2019-08-13 14:27
    つれづれなるままに by 高橋京太
    日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。本の題名は「人生は80歳から始まる」。確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教...
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