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天での大祝宴を待ち望んで

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日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

その第43回目は、ついに最終章となりました。米国の家族を次々と天に送られ、その血縁者ばかりでなく信仰につながる家族との再会を待ち望んで筆を置いていらっしゃいます


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1980年のファロー・聖地旅行



1980年の米国帰国報告ファロー時には、イスラエル旅行と言う奮発した特別待遇が待っていました。それは日本での20年間の宣教奉仕に対するギフトでした。
そのツアーにはエジプトとギリシャ、そしてアムステルダムでのストップオーバーも含まれています。エジプトで見た富やクフ王のピラミッドに優って、私にはイエス様が生活し、働かれ、そして苦しみを受けられたその場所に立てたことに、より大きな意義を感じました。

ツアーでは毎日予習をして、その翌日に訪問する場所に関連する聖句を勉強したものです。ホテルの窓からエルサレムを見た時、主イエスが嘆かれ、そして拒絶されたときのそのお気持ちの幾分かを感じ取ることができたようにも思いました。


キリストの声を聞いて



主イエスがお生まれになったり、働かれたりした正確な場所については、ここだ!とされて来た場所はありますが、本当なところは誰も確定できないのではないでしょうか。

ただ主がユダヤの地でお生まれになった事は確かです。
そこで主は生活され、働かれ、拒絶され、十字架にかけられ、死なれ、葬られ、そして三日目に復活をされ、今に至るまで、そして永遠の先まで生きておられます。

私は特にガリラヤ湖のボート巡りや、主がペテロに「羊を養いなさい」とチャレンジされた場所で強い主の御臨在に触れて、その御声を聞く経験をさせていただきました。


主は常にコントロールしておられる



ガリラヤ湖を巡るその船に乗り、主イエスがペテロに語られたその岸辺を眺めながら、私の心には再び主の声が通って来たのです。

「あなたはこのものたち以上に、わたしを愛しますか」
私は再度、委ねられている働きに完全に献身するようにとのチャレンジに直面したのです。

米国に帰国して直後の事でしたが、私の家族ではないある女性が確信を持って次のように要請して来ました。私が宣教師として日本の働きを止め、歳取った父親の世話をするべきである、と。それは父の望んでることでいることではないことを私は知っていましたが、それでも私は悩みました。

聖地旅行ツアーから帰宅したのが土曜日の夜でした。そして翌日の日曜礼拝での説教は“告別”のメッセージであり、フェローシップ(交わり)の夕食が続きました。月曜日には簡単な口内手術がありまして、それはさほど大きなものではなかったのですが、その日の夕食のお招きをお断りせざるを得なかったのです。

そういうわけで私の父が病院に運ばれたとの知らせを告げる電話を受けたとき、私はフィンキーご夫妻のご自宅にいました。「あなたは直ちに駆けつるべきだ」と誰も私に言う必要は毛頭ありません。

ミズリー州セントルイスからカルフォルニアのグランデイルまで、それは長く孤独な一人旅となり、ほとんどどこにも寄らずにドライブをし続けました。
主は私と共にいてくださり、そしてすべての状況をコントロールしていて下さると私に確信を与えてくださっていました。私の父親は重病でしたがまだ意識があり、そして主が彼を御国の家に召されるまでのたくさんの時間をともに過ごすことが許されたのです。

米国と日本の宣教団体理事会ではそれぞれ、私の日本帰国が遅れることを認めてくれました。
航空券の予約はキャンセルしました。
父はグランデイルにある病院で最良のケアをしていただいていましたが、彼が私に与えてくれた愛のいくばくかを彼にお返しできるのは、私の喜びとなりました。看護婦さんは私が規定時刻より早く来院し、そして遅く退院する事も、その間のほとんど一日中を彼とともに滞在し、食事の世話をすることも全て認めてくれていました。


開封されなかったクリスマスの贈り物


クリスマスが近づいてくると、私たちはその年だけは父の事を考えて少し早めにお祝いしよう、ということになりました。
「クリスマスには何が欲しいですか」と彼に聞くと、彼は答えて「ピンク色のパジャマ」ですって。
私は姪とともに買い物に出かけました。残念ながら男性用のピンクパジャマは見つからなかったので、私たちは代わりになるものを見つけてきました。

翌朝私は早めに病院へ行って、彼に朝食を食べてもらおうとしました。
もちろんその贈り物を持って、彼の部屋へ入って行ったのです。

父はその時、目を開けなかったのです。そこで私が彼の手を握り話しかけて見ると、彼は私の手をかすかな力で握り返したのでした。彼は私がそこに来たことを知っていたはずです。

このタイミングの計らいは誰もできることではありません。ただ主だけが、すべてのことを完璧なタイミングで成し遂げることがお出来になるのです。

繰り返し繰り返し、主は私に心配したり、恐れたりする必要はない、と思い起こし続けて来られました。私どもが主にお委ねするなら、主はその全てをケアして下さいます。

もちろん私の目の前で親が衰弱していく現実を見る事は簡単なことではありませんが、主が私の20年間の不在に対して特別な計画をされ、特権として与えてくださった父との最期の時間だったと感じました。その最期の時を見届けることができたのは、家族の中で私一人だったのですから。



「我に従え」とのキリストの呼びかけ
〜完遂される献身〜


"わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。"(マタイの福音書 10章37~39節)

これはキリストがある若い青年の問いに答えられたものであって、その時青年はまず父親を葬り、その後にキリストに従いたい、と願ったのでした。さらにイエス様は「死人たちに彼らの死人達を葬らせなさい」と答えておられます。

また別のところでイエス様の働きに加わりたい、と願った者に対しては次のように答えておられます。
"「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」"
(マタイの福音書 8章20節)

これらの文字を表面だけで理解しようとすれば、まるで主は私たちからすべてのことを要求するが、何も良い約束はしてくれない、と読めてしまうかもしれません。

しかしながら、全き献身を求められるお方は、すべての責任を引き受けてくださったお方であられました。主こそ私どもがお任せしたものを全て守り、保持してくださることのできるお方です。



絶やされることのない絆



私には両親が最も私を必要とした最期のときに側にで厚くケアする機会が与えられてきました。
母は私が外国宣教師となる前に召れて行きました。
母の地上での最期の夜となったときは、私の父、弟とその妻、そして牧師夫妻と私とが彼女の病室のベッドの側に侍ることが出来たのです。

母は誰かにキリストの言葉を読んでくれるように、とリクエストしました。
医者は、おそらく彼女はもう少し長く生きると思うので全ての人が共に夜を過ごす事はない、と告げました。そこで私一人が彼女の側に留まり、まだ彼女の意識がある時に詩篇23編とヨハネ福音書14章のある箇所を読み上げました。これらのお言葉を枕にするかのようにして、彼女はその夜、主の御許へと旅立って逝ったのです。

母は私どもから取り去られましたが、彼女が私たちに教えてくださった原則は私たちと共に永久に留まります。神様は全ての必要を満たして下さることのお出来になられる方だ、との彼女の熱い信仰は、今日までの私を導いて来たものに違いありません。しかし一方で、ときにはこれが批判や誤解を招いてしまうこともあったようでしたが。



主はお任せしたもの全てを保持される



私の父は若い時に死の間際に至る病を負ったのですが、89歳の円熟した歳になるまで生き延びたのです。私がファローのため帰国してる時、彼は召されて逝きました。主は私に彼のベッドサイドで約一ヵ月間ほど共に過ごすことを許してくださったのでした。

私は長年、「献身」ということが意味することを学んできました。
それは特別な行事、例えば卒業式とか結婚式とか記念日などに出席出来ないことを意味します。それはたとい緊急事態と思えることが起こったとしても、主が貴方に割り当ててくださったお仕事を横に置いて飛行機に飛び乗って帰ることではありません。

それによってたとい貴方が批判を受け、身内をケアしない者として攻撃されてもです。
新しく生まれた赤ちゃんや、また他の家族の人たちもあなたを知ることなく大きくなることになるかもしれません。

その上、貴方はほとんど家族の集いには行くことはできないでしょう。
そんな現実の中にあってファローのときに許されたある時の家族・親族の集いは、私にとって特別なものとなりました。

既にその時には、父も母も「永遠の家」に帰っていました。
私の二人の兄弟とその家族の全員がその集いを設けてくれたのです。
幾人かの出席者は早速、そこにあるご馳走を食べ始めました。それを見ながら、私にとりきっとこのような集まりは、これが最後の機会となるだろう、と感じていました。

そこで全ての家族がご馳走を盛られたテーブルに集まったとき、その私の気持ちを直接申し上げました。「多分これが私にとって最後の機会となるでしょう」と。

私のリクエストにより大きなサークルを作った私たちは互いに手を取り合い、「全ての祝福を来らす者たちよ、神を讃えよ」という讃美歌を歌いました。
そして私たちが天においても割かれることのない鎖で繋がれているように、と祈ったのでした。
やがて時は過ぎ去り、すでに私の二人の兄弟とその奥様達は天に帰っておられます。
最初に逝かれたのは、私の弟の奥様でした。

チャプレンが弟とその奥様を主への信仰に導かれたとき、彼女は肺がんのために入院中でした。
彼女は詩篇23篇のお言葉をいつも枕元に置いていました。

"たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。"
(詩篇 23篇4節)

その次の私のファローは彼女の召天後のこととなり、私と弟は共に礼拝に出席し、早朝祈祷会にも私の滞在中、共に出席してくれました。その時弟は、キリストにある平安と慰めとを見出したのですが、これは私にとっても言葉にならないほどの喜びの経験となりました。その後、彼の健康は少しずつ蝕まれて行き、やがて天へと帰って逝ったのです。

私の兄とその妻は結婚60周年記念を計画していました。
私は彼らの50周年記念には駆けつけられませんでしたので、この時ばかりは楽しみにしていたのです。

親族全員がそこに集まるとの事でしたので、あちこちへと会いに行く必要もなく、一度に全ての親族にお会い出来るのが楽しみでした。長期間のファローや長距離移動は、私にとっては既に過去のものとなっていたのです。私は教会に対して約一ヵ月間の休暇を申請していました。

それは日本時間で礼拝式を終えた直後の米国の日曜日の事でした。
そしてその翌日、まだ朝早い時でしたが、弟の召天を知らせる電話を日本で受け取りました。
私はその前週に弟に電話をしていたのですが、それが最後のさよならとなるとは思いもしなかったのです。

ただ、彼はそのことを知っていたのでしょうか。
「そこでもう少し頑張っていてよ。私は間も無く来るからね。すぐにお会いしましょう」と私は彼に言ったのです。彼は答えて言ったのでした。
「そう出来るものかどうか、よくわからないんだ」



大家族の再会を待ち望んで



こうして私の帰国は弟の結婚記念日の祝い会ではなく、葬式に出席することとなりました。
しかもその葬式は、彼の妻のバイパス手術のために後日に延期されることにもなりました。
空港に着くなり、私はその足で彼女の入院している病院へと直行しました。
彼女の手術はその翌日の早朝に予定されています。

彼女の唇から、弟のこの世での最期の様子を聞くことが出来ました。
寡黙でほとんど何も話そうとしない弟でしたが、平安のうちに、そして確信を持って召されていったとの事です。

私どもはその後家族での集いを持ったのですが、弟が死去してしまい思い描いた通りには行かなかったのです。この悲しみの際に私が家族たちに与えた慰めについて、多くの親族たちが感謝を表してくれました。そんなことがあって翌月、兄の妻が旅立って逝きました。

彼女は七人兄姉の家庭の中で育てられて、彼女自身のお孫さんやまた曾孫さん達を長くベビーシッターして来ました。今やようやく安息に入ったのです。

主イエス様は、私の祈りに答えてくださいました。
私の直近の家族たちは、永遠の家においても切れることのない鎖に繋がれたままです。

"私は自分が信じてきた方をよく知っており、また、その方は私がお任せしたものを、かの日まで守ることがおできになると確信しているからです。"
(テモテへの手紙 第二 1章12節)

私が私の家族をお委ねした主イエス様は、私ができることよりもさらに優れたことを彼らのためにしてくださいました。私の直近の家族たちが皆、去って逝ってしまった後、少々私は孤独を感じていたのです。そんな時、錦教会のある若いご夫妻は「私たちが先生の家族です」と言ってくださって寂しさが吹っ切れた気持ちになりました。

事実、主は私に偉大な家族を日本に残していて下さっています。その日本の家族だけでなく、この世界にはラバツゥー家を歓迎してくれる方々も多く残されていて、彼らは手紙や訪問を通じて温かな親交を保っていてくださいます。

やがて主イエス様を中心にしてこれら日本の、そして世界中の大家族が集まって再会をともに喜び合い、祝宴のテーブルにはべる日を待ち望んでいます。






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