隻眼のパイロット前田伸二さんの講演を伺いました。
https://www.junglecity.com/people/hottalk/interview-shinji-maeda-2016/
これも先日のシアトル熱中小学校のでのひとこまです。
学生時代に交通事故で生死の境目を通り、
片目をしなった前田さん。
米国留学中に日本では不可能な隻眼でパイロットへの道があることを知る。
その夢に向かい努力を続けてついに実現。
いまや朝5時半からのボーイング社での勤務を終えてから、パイロット養成会社での教官としての働きをしていらっしゃいます。
そして夢に向かって諦めずに努力を続ける尊さを子供たちに教えるために、世界一周をしながらの講演活動計画されていらっしゃいます。
夢を抱くのは特に子供にとって重要なことです。
と言うより、
夢を諦めたり失った時、人は老いるのではいでしょうか。
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聖書にはそのように老いなくても済む方法が啓示されています。
「将来と希望」を与えると言う神を知ることから始まります。
"わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。"
エレミヤ書 29章11節
"あなたの大滝のとどろきに淵が淵を呼び起こしあなたの波あなたの大波はみな私の上を越えて行きました。
昼には主が恵みを下さり夜には主の歌が私とともにあります。私のいのちなる神への祈りが。"
詩篇 42篇7~8節
神との交わりが絶たれた孤独の中にあって、
初めて熾烈な渇望を抱く。
最暗黒と思える時にこそ崇高な魂の叫びが始まる。
人の頭を越えていく水や波は、
聖書の中においては侵略軍による蹂躙や激しい試練を表した例えです。
詩人はそのような苦難の中で神から見放されたと感じ、人々からも見放されていると感じます。
唯一の慰めは昔のことで、
共に神殿へ祭りを祝いに行った楽しい日々を思い出すこと他無かったのです。
"昼も夜も私の涙が私の食べ物でした。「おまえの神はどこにいるのか」と人が絶えず私に言う間。
私は自分のうちで思い起こし私のたましいを注ぎ出しています。私が祭りを祝う群衆とともに喜びと感謝の声をあげてあの群れと一緒に神の家へとゆっくり歩んで行ったことなどを。"
詩篇 42篇3~4節
ある時そのようなただ中にあってふとした瞬間がありました。
それは自らとそれを取り巻く世界を客観的に捉えることができた瞬間でした。
いわば地上の視点から、
高い空を舞う鷲からの鳥瞰的な見方と言えるかもしれません。
水の渦巻きに翻弄され気づかないでいたけれども、神は確かに私に恵を施されていたと言うものでした。
"昼には主が恵みを下さり夜には主の歌が私とともにあります。私のいのちなる神への祈りが。"
詩篇 42篇8節
私たちが気付こうと気付かまいとにかかわらず、
神は私たちに変わらない恵み(へセド)を送り続けてくださっています。
それゆえ私たちは顔を上げて、詩人と共に祈りを申し上げようではありませんか。
"わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。なぜ私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い私の神を。"
詩篇 42篇11節
ここ数年シアトル海外で成長しているチキン唐揚げ店。
ジューシーでヘルシー、スパイスが効いていてとても美味しい。
子供たちもこれがお気に入り。
マックやケンタ君のようなメジャーなフランチャイズ店ではないしTVでCMはもちろん、宣伝広告をしているところを見たことがない。
それでも6時前にこれだけの行列ができるのは口コミで広がったのでしょう。
注文してから3分〜4分は待たなくてはなりません。
その場で揚げてくれるから。
最小の注文数がツーピースで価格は6ドル弱。
決して安いとは言えませんが納得のいく買い物です。
先回のヴァション行きフェリーには最後の1台として乗船出来てギリギリセーフ。
今回もそんな感じだったのですが、料金所を通り待機しているフェリーまで近ずいたところ、私の目の前でバーを降ろしているのです
ギリギリでアウトとなり、車列の先頭で次のフェリーを待つ羽目になりました。
私はスケジュール表からのフェリーの発着時間をあらかじめ知らないことにしています。
もし知っていたのなら家を出る前にもまた走行中も間に合わせるためにそわそわしてしまい慌ててしまうからです。
次のフェリーを待つのは30分ほどです。
その30分間、車内でゆっくりと他の仕事をすることができるんですからこれも感謝でした。
他の仕事とは、このブログの執筆作業でしたけどね。
通常40分ほどのサンフランシスコダウンタウンからオークランド空港までのドライブ時間が今回は55分。
レンタカーを返却してバス停に急いだところ、シャトルバスは丁度発車しようとドアを閉めている。
手を振りかざして走り出し「待って〜」と合図を送る。
だが無情にもバスはそのまま過ぎ去ってしまった。
「10分も待てばすぐに次のシャトルバスが来るよ」と、傍に立つエージェント。
「その10分が私には必要だったんですよ。ボーディング時間まであと20分しかないのだから」と返答。
なんてついてないんだ、と我が身を呪う気持ちになりましたが、
「すべてのことについて感謝しなさい」
と聖書にあるの思い出しました。
とてもそんな気持ちにはなれそうになかったですが、とにかくこれを実践しようと思い朝からのことを振り返りました。
すると順調に進んだプロジェクトが思い当たり、その一つ一つについて感謝の言葉を紡いでいったのです。
空港に到着した後にも試練は続き、
保安検査はこれまではお咎めなかった最小サイズの
のサバイバルキットが見つけ出されて没収されてしまう。
その時はすでにボーディング時間を割り込んでいた。
ようやくコンコースに到着し掲示板を見ると、フライトが遅延するとの告知。
これで夕食時間を見出した幸いのボーイ。
カリフォルニアのバークレー。
ここは60年代に米国でヒッピー文化が花開いた(?)元祖の町。
ヒッピーと思しき人に今や会うのは稀となりましたが、その名残はここかしこに見出されます。
バークレー大学につながるメインの道であるユニバアーシティ通りは学生街で安価の飲食店がひしめき合っています。
ラーメンや寿司などの日本食レストランもあるのですが、学生を卒業した一般社会人としてそこへ入るのにはかなりの気合いが必要です。
外観や価格からしてその品質が心配になるのです。
その通りとは直角に伸びて南に進んだカレッジ通りには、お洒落なイカしたブティックやレストランが並んでいます。
午前の用事をそこで済ませてからその目前にある地中海料理のレストランでランチとなりました。
http://cafelamed.com
この辺りはダイバーシティ色豊かで東洋、西洋、中近東の各エスニックレストランとその多様な民族出身者らがひしめいています。
アルメニア人とレバノン人の共同オーナーであるというこのお店は以前からの私のお気に入り。
メニューも内装も本場のものでイスラエルへ行った時の雰囲気にしてくれます。
サーブしてくれたメキシコ人のお兄さんによると、食後に出してくれたコーヒーは「地中海コーヒー」といって中近東に広く行き渡っているものだそうです。
「トルココーヒーではないか」と尋ねた際の返答がそれだったのですが、考えてみればトルコからイランまでは全て地続きの大地が広がるのが中東。
コーヒーは最も優れたものが生き残って広く分布しているのが自然の成り行きということでしょうね。
Mikuniの寿司ロール
シェフ・カイの自作ディナー
生きるために食べる。
食べることは生きること。
最近オープンしたばかりのコンコードにあるミクニレストランである会合のセッティングのため電話したところ、予約は受け付けていないとのこと。
金曜の6時台の待ち時間を聞いたところ、一時間以上であるという。
諦めてその金曜日の会合はアラメダにあるAngel Fish日本レストランに決める。
ただし木曜日のその日、サクラメントまで来てミクニへ行かないことはありえないのでEl Grove にあるミクニレストランで夕食。
一人なら待つこともなくカウンター席に通してもらえた。
メニューを選んでいる時だった。
息子が始めて作ったという夕食の写真が送られて来た。
自らの評価はアッパークラスの下だそうだ。
ミクニのロール寿司はどれもアッパーの上になるけれど、息子のシェフカイが作った夕食も食べて見たいもの。
自らの夕食をこうしてテキストで写真交換できる時がいつまで続くだろうか?
この先数十年たっても息子とそのような関係でありたいと願うばかり。
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