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つれづれなるままに

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卒業おめでとうございます

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卒業おめでとうございます 卒業おめでとうございます 卒業おめでとうございます 卒業おめでとうございます

キャッシーに送ったテキストメッセージ:


Congratulations on graduating from graduate school.
It’s my joy to be witness for this important landmark in your life.
What a blessing to celebrate this special day also as your birthday at on the same day.
To be honoured to your great accomplishment keeping the balance among raising kids, house works, and new teaching job.
Now you are entering the new world through the door God has opened, soaring high by His Sprit and enjoy the adventure.






大学院卒業おめでとうございます。

大切な人生の一里塚を見届けることができた幸い。

貴女の誕生日と同じ日であったことも二重の祝福となりました。

この数年間、子育てや家事、新しい教師の仕事とのバランスを懸命に取りながら完成した学業。

今後も神様が開いてくださっているドアを通り抜け、御霊による上昇気流に乗って羽ばたいて下さい。

人生の冒険を楽しんで。

#家庭

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まとめてお祝い会

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まとめてお祝い会


6月は米国でのお祝いシーズンです。
家族総出で家族総員をまとめてお祝いしました。

卒業式に2人ー明美とキャッシー。
誕生日に3人ーKaiとLuke,Kathy
父の日に2人ーJeffと私

夏休み前のこの時期が年度の変わり目でなんとなく日本の3月後半を体感するのです。

6月末の1時帰国もこの気分にひと役買っていたかもしれません。

#家庭

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ついに日本の地を踏んで

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ついに日本の地を踏んで ついに日本の地を踏んで




日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。

卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。

そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。

教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。

本の題名は「人生は80歳から始まる」。

確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。

私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。

今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。

まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。

皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。


その第17回目は、聖書の御言葉から日本宣教への召しを確かめると、いよいよ修養会を経て太平洋を渡ります。



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神様の約束を固く信じて



シェルホン先生ご夫妻が来られたのは11月の事でした。
翌年一月の下旬頃に、主はご自身の御心について私にはっきりと示されたのです。

"見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、道中あなたを守り、わたしが備えた場所にあなたを導く。"
(出エジプト記 23章20節)

この確信に従い、私は準備を始めました。教会とその牧師は私に全面的な賛同と支持とを示してくれました。私のことを最も気にかけてくれていた父はこう言ってくれました。
「行きなさい。そして私のために帰ってくることがないようになさい」

何と言う父の献身でしょうか。彼は数年後に私に会いに日本までやって来て、その働きを見ることも出来て人々とも交わったのでした。だからといって全てのことが順調に進んだわけではなかったのですが。

有効パスポートと日本の教会、それに私の地元の教会からの推薦状を持って日本の移民局を訪問しましたが、そこでビザ発行を拒否されてしまったのです。私に同行してくれた友人は少しも助けとはなってくれませんでした。彼女は、「あなたは日本にとって必要ではないんですよ。あそこにはたくさんの宗教があるんですから」と言ったのです。

教会は祈り、牧師は移民局に電話をして「ビザが早急に発行されるためには、あとどんな書類が必要なんですか」と聞いてくれました。
プレジデントラインズと言う船会社への渡航費支払いを終えて、出航の日にちも決まりました。
そしてチャーチオブゴッドの全てのキャンプ修養会を訪問しました。

そこでお会いした人からは期待していなかった反応もありました。
「あなたは看護士でもないし説教者でもないですよね。一体日本では何をするのですか」とある牧師は言ってくれました。他の牧師は「油の切れた軋んだ音出す車軸のようなものだね」とも言ってくれたのです。

私はこれまで無職だった事はないし、サポートを求めて音を軋ませるせるような事はしていないはずです。クインシーキャンプでの早朝祈祷会の時では、ある牧師が私の肩を叩いてその祈祷室から呼び出すと二人だけのところへ連れて行きました。

彼はまもなくレドンドビーチ教会の牧師となることを告げた後、私の出港を後日に変更するようにと求めて来たのです。私はお断りしました。彼にはそんな権限は無いはずです。彼はまだそこの教会の牧師として任じられてはいなかったのですから。



プレジデントクレバランドに乗船


プレジデントクレバランドに二週間の乗船中、私は福音を携えて広島へ向かう宣教師ご一家と共に祈ったりお交わりを楽しみました。同時に教団機関紙「よき道」の執筆仕事もする時間が優にありました。

ご一緒した同室の四人の方々は暇を持て余していましたが、私はその旅行の全ての一刻一刻の時間を楽しんだのです。ハワイでは丸一日間の上陸が許されました。私はバスツアーに参加して、ハワイのエキゾチックな花々を楽しんだのです。

横浜港に到着する数分前、私は「日本のエンブレム」にお目にかかるのを期待したのでした。
でも上陸したのは雨の日でしたし、まぶしい白富士を見るにはすでに数ヶ月間遅かったようです。

横浜港の桟橋を降りた時、そこにはシェルホン先生や日本のクリスチャンたちの笑顔が待っていて大歓迎を受けました。ついに日本の土を踏んだのです。


#ドロシー師

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カイ君、誕生日おめでとう

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カイ君、誕生日おめでとう カイ君、誕生日おめでとう カイ君、誕生日おめでとう


16歳の誕生日おめでとう。

16年間の日々、私どもに喜びを与えて華となってくれました。

今日以降は1人で車を運転することができるとは、しばらくは心配の日々となることしょう。

私の白髪もいよいよ増えるばかりです。
#家庭

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満点いい気分

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満点いい気分


「ダディは学生時代に4.0の満点成績を取ったことがないんだ〜
嬉しいなぁ〜初めての満点」

私の作る食事に成績をつけている子供たち。
この日息子が初めての「アパー&アパー」となる満点をつけてくれた!

先月には娘がチャートの欄外となる「スプリーム」をつけてくれたばかり。
たいてい息子の方が採点基準は厳しい。

この日は娘の「アパー&ミドル」よりも高得点としてくれたのは理由がある。

2時間も共にハイキングに行って空腹だった事と関係していると思う。
” hungry is the best sauce”(空腹が最高のソース)ってことだと思うけど。

人生初めての4.0を取ったこの嬉しさ。
オール4.0で中学を卒業した娘にはこの喜びはわからないだろうね。

#家庭

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いよいよシェルホン先生との出会いが始まりました

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奥多摩福音の家でのチャーチオブ... 奥多摩福音の家でのチャーチオブゴッド夏季修養会


チャーチオブゴッドとシェルホンご夫妻


私の父と母はコロラドにあった彼らの家を売ってカリフォルニアの私の所にやって来ました。
母の体調はかなりの間、おもわしくなかったのです。私たちが共に過ごした最後の数ヶ月間は、大変貴重なものとなりました。

小さな開拓教会にあって私は徐々に青年グループのリーダーとして認められるようになり、さらに日曜学校の教師や教会会計まで任せられるようになったのです。

大工ではもちろんありませんが、可愛らしい教会堂を増改築する上での様々なお手伝いまでするようにもなりました。

この頃、私には安定した仕事がありました。多分「仕事」と言っていいものだと思うのですが。時に私は掃除婦となり、母の手伝いをし、メイドとなり、とにかく様々な家であらゆる仕事をしていました。



日本宣教と新しくされた献身



レイモンド・シェルホン先生とお会いするだいぶ以前から私はイリノイ州クインシーにあるウオマック・ファミリーを通じて日本宣教について知る機会が与えられていました。

クインシーキャンプでシェルホン先生とお会いした事は、私の人生の指針を変えることとなったのです。宣教大会での締めくくりの場面においてシェルホン先生はアピールをなされました。

「若い人も歳を召された方であっても、すべてを置いてキリストに従いたい、それが主の導かれるどこの場所であろうとも従いたいと願われる方は、ぜひとも前に進み出てください。共にお祈りをしましょう」

私は宣教師候補者としてはすでに歳を過ぎてしまったものですが、私の心には否定できないあるものがあったのです。私はそれに応答して私の献身を新たなものとさせてもらいました。

カリフォルニアに帰ってから、私はハイチ宣教で働く友人に手紙を書きました。
彼女に私の心を包み隠さず伝えたのです。たとえ私の年齢であったとしても何かできることがあると考えました。

彼女は詳しいことは私に伝えなかったのですが、ある問題のためハイチ宣教に申請する事は避けた方が良いとアドバイスして来ました。彼女は私にそのハイチでの働きを勧めてもよかったはずなのに、私は大変失望しました。再び訪れた機会にもかかわらず挫折してしまったのです。

その後、シェルホンご夫妻が日本に帰国する直前になって、彼らは小さなレドンドビーチの教会を訪ねられたのです。礼拝後、私は彼らご夫妻を我が家にお招きしました。
私に対してのキリストからの召命について、その努力が実ならなかったことについて、心開いて打ち明けたのはその時のことでした。彼らは私をとても励ましてくださり、たとい私の年であったとしても英語を学びたいと考えている日本人青年にキリストを伝えることができるはずだ、と言ってくれました。

日本での生活に順応するのは優しいことではないので、神の確かな御心を確信するまで求めるようにとアドバイスもいただいたのです。


「親愛なる主よ、私を用いてください。
主よ、どうか私を拒まないでください。
私にも何かできる仕事があるはずなのですから。
それがたといへりくだらねばならないものであったとしても。
主よ、私の意思が粉々になるよう助けてください。
あなたのための働きは、どんなものでも偉大なものなのですから」



#ドロシー師

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「からし種一粒ほどの信仰」

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ヨルダンにある古代ローマ遺跡 ヨルダンにある古代ローマ遺跡




ホサナキリスト教会・日曜礼拝メッセージアウトラインです。


「からし種一粒ほどの信仰」



マルコの福音書 9章14~29節



"さて、彼らがほかの弟子たちのところに戻ると、大勢の群衆がその弟子たちを囲んで、律法学者たちが彼らと論じ合っているのが見えた。
群衆はみな、すぐにイエスを見つけると非常に驚き、駆け寄って来てあいさつをした。
イエスは彼らに、「あなたがたは弟子たちと何を論じ合っているのですか」とお尋ねになった。
すると群衆の一人が答えた。「先生。口をきけなくする霊につかれた私の息子を、あなたのところに連れて来ました。
その霊が息子に取りつくと、ところかまわず倒します。息子は泡を吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせます。それであなたのお弟子たちに、霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、できませんでした。」
イエスは彼らに言われた。「ああ、不信仰な時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいなければならないのか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
そこで、人々はその子をイエスのもとに連れて来た。イエスを見ると、霊がすぐ彼に引きつけを起こさせたので、彼は地面に倒れ、泡を吹きながら転げ回った。
イエスは父親にお尋ねになった。「この子にこのようなことが起こるようになってから、どのくらいたちますか。」父親は答えた。「幼い時からです。
霊は息子を殺そうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。しかし、おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください。」
イエスは言われた。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
するとすぐに、その子の父親は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」
イエスは、群衆が駆け寄って来るのを見ると、汚れた霊を叱って言われた。「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊。わたしはおまえに命じる。この子から出て行け。二度とこの子に入るな。」
すると霊は叫び声をあげ、その子を激しく引きつけさせて出て行った。するとその子が死んだようになったので、多くの人たちは「この子は死んでしまった」と言った。
しかし、イエスが手を取って起こされると、その子は立ち上がった。
イエスが家に入られると、弟子たちがそっと尋ねた。「私たちが霊を追い出せなかったのは、なぜですか。」
すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出すことができません。」"




⑴イエス様のみを凝視した信仰


①山頂での高揚した喜び
特別に選ばれた3人には主イエスの変貌の姿を見せられた。

②山麓での問題の不毛さ
弟子たちには解決できない難問題を持っている父親の嘆き(18)


⑵己の不信仰を悟った信仰



①「不信仰な時代だ」との主の嘆き
治療の前に正確な病名を診断しなくてはならない
問題の究極的な原因がここにあるとの看破

②「この子がこんなになってからどのくらいになりますか」 この子の責任能力の限界。家庭環境と社会がこの惨状をもたらした

③「不信仰の私をお助け下さい」
問題の所在は息子にではなく己自身の不信仰にあったとの気づき。「できるものなら」と言う疑念しかない自身の限界を認めた。


⑶徹底された祈りの姿勢に見られる信仰

メシア的奇跡
耳も聞こえず口もきけなくする悪霊からの解放はメシア以外には誰にも不可能な奇跡と認識されていた。ここでメシアの代理人である弟子たちには土台無理なこと。

②聖霊様が与えられて主イエスと一つとされた私たちには祈りによって主の業を進めることができる(ヨハネ14:13)


(結論)


厳しいお手上げ状態の現実を前に私たちは途方に暮れるばかり。憐れみと理解と力とにおいて優った主に、永遠に変わらない主ご自身にいける信仰で結ばれよう。そして人の常識を超えた技を見せていただこう。
#メッセージ

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近所にあった大自然

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近所にあった大自然 近所にあった大自然 近所にあった大自然 近所にあった大自然


米国の本日はメモリアルデーとして休日。

息子から誘われてCoal Creek Trail をハイキング。

長年ここに住んでいながら、わずか車で10分のところにこんな大自然が横たわっているとは知らなかった。

どうりで庭先にクーガーやクマが出没するわけだ。
#自然

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車上荒らしの被害に遭って

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車上荒らしの被害に遭って

日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。

卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。

そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。

教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。

本の題名は「人生は80歳から始まる」。

確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。

私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。

今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。

まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。

皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを今後紹介して行きます。


その第15回目は、車上荒らしの試練に遭ったことについてです。






解雇、強奪、それでも継続した友情


私の弟はロサンゼルス郊外に住んでいました。

私が仕えていた開拓教会はレドンドビーチにありましたし、ロサンゼルス東側にあるチャーチオブゴッドの教会にも友人がいました。

弟の家に引っ越す前に、私は全ての荷物を自分の車に詰め込むと友人とかなりの時間をともに過ごすべく計画しました。それから毎月行われている貧困街での給食ミッションの働きにそのまま出かけたのでした。

そこでは東ロサンゼルスの教会とレドンドビーチ開拓教会もまた共に働きを担っていました。
その働きの最中に私の車は車上荒らしに合い、強盗らは一切合切、車内をきれいにしていったのです。警察署に行ってそのことをレポートしましたが、荷物が戻る可能性はほとんどないと言われました。なんといっても貧困街での事件ですから。

友人との一夜を過ごした後、必要なもののいくつかを借りる事が出来ました。
あのお金持ちのメイドの仕事を解雇されてすっからかんとなってから、私は神様の恵み深い備えを理解し始めました。

弟の家への途上、私がおさげの幼い時から私のために祈ってくれていた年配の友人を訪ねるため立ち寄りました。彼女の祈りは、神の御座にまで届く力強いものです。

彼女は主を褒めたたえ、盗まれた全てのものは戻ってくる、と私に確信を与えてくれました。
その後、弟の家に到着しました。

彼の奥さんと私は、私のための必要最小限のものや裁縫のための生地を求めて買い物に出かけたのです。私の自由時間を満たそうとする神さまの計画はすでに進行中だったのです。私はその弟の家を拠点にしてユースグループを手伝ったり、レドンドビーチ教会での夏期聖書学校やクインシー・イリノイ・キャンプミーティングに参加しました。

ミシンに向かって忙しくしていた頃でした。警察署から電話があって私の持ち物が見つかったことを知らせて来ました。そして彼らが調べ上げた結果、私が作成した所持品リストからは何も失われたものはなかったのです。

私はその時にハレルヤと叫んだかどうか、今もって思い出せないのですが、私の義理の妹はその時のことを全て覚えていらっしゃいます。すぐに警察署にまで出かけてみると、すべての荷物は、まだ誰も触れられていないことがわかりました。

強盗らがそれらの荷物を盗み出して直後、レストラン近くにあるゴミ集積所の後ろ側に隠したのです。おそらく後にやってきて回収しようと考えたのでしょう。しかしそこで働く従業員が先にそれを発見して警察に知らせました。私は今や必要以上の生活必需品を持つこととなったのでした。



自由に奉仕をして



クインシーキャンプに最初に参加して以降、私は毎年そのキャンプを欠かさないようになりました。やがてチャーチオブゴッド教会に深く関わるようになると「グッドウエイ」という教団機関紙の青年編集人を任せられる事になったのです。そこでは宣教師物語を書く大変良い機会に恵まれました。



#ドロシー師

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職場を転々として

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職場を転々として 職場を転々として


日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。

卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。

そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。

教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。

本の題名は「人生は80歳から始まる」。

確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。

私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。

今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。

まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。

皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを今後紹介して行きます。


その第14回目は、臨時雇いの仕事を転々とした場面です。





ユダヤ人の家族にイエス様を証して




あるユダヤ人家庭でイエス様のことをお証することがしばらくの間できたのは喜びでした。

父親は外科医で、子供たちは土曜日の安息日にはユダヤ教シナゴーグに通います。
家族で年取ったおばあさまだけがかなりの正統派でした。

彼女はほとんどの時間を部屋で過ごします。毎週金曜日の夜になるとろうそくに明かりが灯され、彼女がひとり儀式を守っていることがわかりました。

他の家族たちは彼らが好きなことを自由にしていました。二人のお嬢さんたちは両親とともに断食をする事にして、金曜の日没から土曜の日出までの安息日に断食をしていました。

彼らはその断食の前か後にはとても盛大なご馳走を楽しんでいましたが、コーシャや食物規定には何もとらわれてはいませんでした。

料理担当の私としてはそんな彼らの非正統的な食事作りにも関わっていたのです。
ひとりのお嬢さんは、イエス様に関するエッセイを書くのを手伝ってくれるようにと願ってきました。

私は彼らとともにシナゴーグにも通いました。



それからお金持ちの家で



次なる私の臨時仕事は、ある歳を召されたご夫妻の家で働くことでした。

ご主人はビバリーヒルズのサンセット通りにある高級レストランのオーナーでした。
彼女の奥さんは毎日介護が必要な人です。

彼はレストランから食事を運んでいました。私の仕事は簡単な家事一般で、住まいとしてはガレージに隣接した快適な家具付きの借家を充てがわれました。
教会にも自由に行くことが許されました。

夏が近づいた頃、私は再びイエローストーンのレイクホテルでのパストリー料理主任の仕事を申し込みました。その頃奥様の健康状態がかなり悪化していたため、彼は私にその申し込みをキャンセルして継続して滞在してくれるようにと求めてきました。

彼は、その快適な借家に続けて私が滞在できること、そしてかなりの自由時間が与えられ好きなことに使って良いことを約束してくれました。その病の奥様を気の毒に思うところから、私は滞在することにしたのでした。

やがて奥様は亡くなり彼がひとりとなったとき、私が到底同意できないことを彼は求めて来たのです。すると、私は直ちに解雇されることになったのです。

「もうあなたは去っていいよ」と彼は言ってきました。
「いつからでしょうか」と聞くと、「明日から」と答えてくれました。

#ドロシー師

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