米国社会の底流にはキリスト教が根付いている。
それはいざとなった際に人々の口から思わず出て来る言葉からも察せられる。
本日の早朝、ベッドで目覚ましがなってもなお惰眠を貪っていたときだった。ドカ〜ンと、とてつもない衝撃音が聞こえた。
これは尋常ではない音だったので、ダンプがそのまま近くの建物に突っ込んだのかと思った。あるいは隕石の落下か?
恐る恐る外に出てみると、隣の部屋の窓が枠ごとなくなってカーテンが垂れている。ドアは三つ折りに破壊されて半開きのまま。あたりには粉砕されたガラスが散らかり、窓枠は目の前に駐車してある車を飛び越えて30メートルほど先に飴玉のようにくちゃくちゃになって吹き飛んでいた。
どうやらガス爆発らしい。
そのような匂いもするのでうかつに窓にも近づけない。
それでもおっかなびっくり部屋の中を覗くと、火焔が始まっている。
宿泊者らしいある男が消化器を手にして火焔に向けると、なんと室内に人がいるのが見えた。
まずは人命救助と言うことで、壊れた窓からその人を助け出そうと私たちは声をかける。が、その人はよろよろ歩きながら目が躍り、通常の精神状態でないらしい。70は超えていそうな感じの小柄な老婆だった。
別の男が既に壊れているドアの取っ手を力任せに引いてドアをこじ開けた。
その重たい衝撃に男は手を痛めたらしく、“Jesus Christ“と呟いていた。
これは、
「なんてこった!」
「コンチクショウ」
とかいう意味で使われる下賤な言い回しで、クリスチャンが口にすることはできない。
時に”Oh my God”とも言うし、
“Merry Christmas ”と呟いた人もいた。
厳しく言うならモーセの十戒にある
「あなたはあなたの神の名をみだりに唱えてはならない」と言う戒律を侵すものであり、神聖な名前を人の憂さ晴らしに利用しているとも言える。
ところでもう少し善意に解釈できる場合がある。
「わたしがこんなにピンチに立っているんですよ。神さま、何処にいてくださるのですか」そんな風に使っているように思える普通の感覚の人もいた。
吹き飛んだ窓の直前に留めておいた私のレンタカーには、無数の引っかき傷が残された。
ホテルのマネージャーがレンタカー会社に提出する書類を作成してくれた際に聞いてみた。
「あんな大きな爆発の中で女性が生き延びたなんて信じられない」
するとマネージャーはたった一言で答えてくれた。
“God”
運が良いからではない。
人間の理解や力の及ばない事態に直面した時、この国の人々の潜在意識下にあるGod(神様)が浮かんでくるらしい。
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「あなたはわたしを愛していますか」
ヨハネの福音書 21章15~22節
"彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」
イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。
ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。
イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」"
⑴現在のあなたの実質に投げられた問い
「ヨハネの子、シモン」(15、16、17)
イエス様に召される前の名前。「葦」の意味。
聖霊をいただいて炎の使徒「ペテロ(岩)」となる以前の問いかけ
②「心を痛めて」(17)
3度問われたのは3度主を否認した事に関連する。
主のお言葉に、自らの経験や常識を飛び越える信頼を置いた。
⑵あなたの使命(天職・MISSION)に関わる問い
①「子羊を飼いなさい」
愛は実践されて確かめられる
仕事とは、他者に「仕える事」
② 「わたしの」
あなたに委ねられた子供、生徒、家族、顧客、クライエント、教会員はあなたの所有物で無く、主に属しておられ、一時的に管理を任されたものである。
⑶あなた個人への排他的な問い
①ヨハネはどうですか?
殉教の死を示唆されて同僚の報いが気になる
「従いなさい」と言われ「ついてくる」(同語)彼の場合を尋ねた
②「あなたはわたしに従いなさい」
ペテロの賜物と召の道はヨハネと異なる。
(結論)
各人にはそれぞれ、神の栄光を現す道がある。
主のあなたへの召しは、あなたの自発性に訴え、生涯の使命に関わる、あなただけへのユニークなものである。
成果の出る学びと成果の出ない学びとがあるらしい。
かつて試験勉強の為何時間も机にかじりついていたことがあったが、投資した時間や努力に対して成果が上がらずにがっかりしたことが何度もある。
この差はどこから来るのか?
勉強を楽しんで出来るかどうかの違いのように思う。
「継続は力なり」
「GRIT出来るものが最後に成功する」
こんな風にも言われて来た。
何事も続かなければ成果は望めない。
でも人はだれでも苦しいことや嫌いなことを続けることはできない。
もしできる人がいるとしたら、昭和時代に大リーグボール養成ギブスをはめた星飛雄馬くらいだろう。
学びはは楽しい、楽しいから学ぶ。
これに気づいた者が自ら進んで読書やセミナー、研修に励む事になる。
すると気づかないうちに成果が現れる。
楽しみながらの勉強は潜在意識を動かし、
望んでいたことがどんどん実現されるようになるとも言われている。
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女性のすることだ、なんて当初は考えていて、する気になれなかった料理。
子供らの笑顔や賞賛と言う成果が少しでも出ると、嬉しくなってしまう。
料理ブックにある簡単なことから始めて少しずつ工夫するようにもなり、なんだか楽しくなってきた。
この日夕食を共にした娘が新たな成績表を作った。
こちらもまた単なるチャートから絵画風になっていて、これもまた成長したというものか?
この日の彼女の採点は、Upper & Middleだった。
ありがとう、Max君!
ここ数ヶ月間、Messengerでの受信ができずにいました。
かつてApple Storeへ修理のために持参したのですが、「それはキャリアの問題だ」と言われ門前払いを食ったことがありました。
テキスト受信ができないのはあまりに不便なため、意を決して再びApple Storeへ。対応してくれたのがMax。
やはりキャリアの問題だと言われた。
それでもSIMカードを取り替えてみたり、T Mobil のカスタマーサービスへの問い合わせをしてくれたり、その場で対応してくれる。
1時間半ほどの格闘の末、テキストメッセージが受信できた時は諸手をあげて喜んでしまった。
Maxはキッパーを被っているイスラエル人。
これまでテルアビブの大学に1年間ほど滞在し、奥さんの大学院生活をサポートしたと言う。
スマホ画面を鍵盤を叩くような鮮やかな指さばき。
スマホ操作に詳しいと言う事だけで今後、テルアビブにあるApple Storeでも働くことができるんでしょうね。
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「深みに漕ぎ出して」
ルカの福音書 5章1~11節
"さて、群衆が神のことばを聞こうとしてイエスに押し迫って来たとき、イエスはゲネサレ湖の岸辺に立って、
岸辺に小舟が二艘あるのをご覧になった。漁師たちは舟から降りて網を洗っていた。
イエスはそのうちの一つ、シモンの舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして腰を下ろし、舟から群衆を教え始められた。
話が終わるとシモンに言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」
すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」
そして、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになった。
そこで別の舟にいた仲間の者たちに、助けに来てくれるよう合図した。彼らがやって来て、魚を二艘の舟いっぱいに引き上げたところ、両方とも沈みそうになった。
これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して言った。「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」
彼も、一緒にいた者たちもみな、自分たちが捕った魚のことで驚いたのであった。
シモンの仲間の、ゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」
彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。"
⑴常識の浅瀬から離れて深みへ
① 漁師としての常識。漁は日中に行うもの。
②「でも、おことばですので」
主のお言葉に、自らの経験や常識を飛び越える信頼を置いた。
⑵プライドを捨てて深みへ
①すでに網を洗い帰宅の準備は出来ている段階
② 数ヶ月間、共に旅行した主の御業と人格に触れ信頼の素地を築いていた
⑶未知の世界を拓く深みへ
①新しい自己認識〜「私は罪深い人間ですから」
②新しい使命〜「これから後、あなたは人間をとるようになるのです」そこには、これまでの経験とその人の賜物とを生かした新たな世界が広がる。
(結論)
主の言葉には常にチャレンジが満ちている。
自己が常識としてきたことが覆され、自己と世界とに対する新たな発見があり、新しく拓かれる世界への召がある。
本日のゲームは4対3で息子のチームの快勝。
ただ接戦の場面が続き、落ち着いて見ている事が出来なかった。
特に後半戦の終了30分前からは相手チームによるかなりフィジカルなチャージがあって防戦一方の我がチーム。
この試合には2枚のイエローカードが出されたほど少々荒れた試合となりました。
それも全力で戦おうとの気負いが、思いがけないファールとなってしまったもので決して悪意ある意図的なものではな、見ていて清々しいゲームでした。
相手チームのファインプレーには惜しみない拍手を送ります。
また今の時代は日本のニュースについても共有されていて、観戦していた米国人から台風被害について尋ねられたり、ワールドカップラグビーで日本がスコットランドに勝利したお祝いなどの言葉もいただきました。
スポーツは国境を越えて人と人との絆を結ぶものですね。
選手ばかりでなく応援に来ている父兄同士もそのようにして関係を作っています。
今月オープンしたみなとみらい地区に立つAPA Hotel。
チェックインした時は関西からの帰路に手間取り、0時を超えてしまったが、大浴場が午前2時まで開いていると聞いて助かった思い。
一日中歩き通して凝り固まった足腰に湯船の恩恵は大きい。
内湯が4つ、露天風呂がジェットバスを含めて7つもあり、ガンガンと響く過労からの頭痛も癒される気分。
翌朝6時過ぎに目覚めて部屋からの眺望をパチリ。
この地区は家族連れで帰国した最初の年に滞在した思い出深い場所。
A以来、帰国前の数日間はこの地区で過ごし、ノストラジー気分に浸るのが慣例となってきた。
さらに今回はこのエリアに住む高校時代の友人と食事を共にできたのも格別な時となった。
このモダンで美しいみなとみらい地区は「浜っ子」として育てられた私のふるさと。ここにカジノなんてできて欲しくない。
今回の来日に合わせて歯の治療を計画した。
1週間あまりの滞在中に4回、歯科医院へ通うことになった。
本日はその3回目の診察。
関西方面にいながらヒョイと診療のために新横浜へ通院。
これを終えると九州へトンボ帰り。
ひかりでの移動はのぞみに何度も追い抜かれ歯痒い思いをする。
さらにさらにストレスを感じるのは、海外居住者向きのWiFiアクセスが
ないことだ。
JR路線はどこも無いので、新橋駅に着くなり連絡のためスタバをたらい回しとなった。
「あっちのスタバならインターネットはありますよ」との店員の言葉に何度も裏切られて来た。
3つ目のスタバでようやく接続出来てメッセージ出来た。
新幹線各駅には自由WiFiがある。
ところが、これがまたストレスと怒りの元凶!
ホームでは弱いシグナルのため最後まで宿の予約が進まず、駅員の言う通りに階下の待合室に進む。そこではシグナルは強くてもアカウント設定のための各ページ更新がお・そ・い。
新幹線がやってきて、やむなく諦める。
宿なしのまま九州へ向かう。
途中駅で7分間ののぞみ通過待ちを利用して階下の待合室へ走る。
最後の予約完了ページが更新せずにグルグル・サインのまま、発車時間1分前まで粘るもののこれも諦めざるを得ない。再び階段を駆け上がる。
後続のひかりは無い最終列車なのだ。
荷物はひかりに置いたまま。
乗り遅れるわけにはいかない。
本日は浜松でワールドカップラグビーの日本戦。
大勢の外国人客が新幹線を利用していた。
私のように悔しい思いをしている者は多いはず。
たとい自国の電話回線アカウントを持ってなくとも自由にWiFi接続出来るインフラは先進国ではもはや、あ・た・り・ま・え。
数年前、エルサレムでは全市がアクセス可能となると聞いていたが、どうなったろうか。
米国では街中のカフェでも公共施設でも、そこら中に誰もが利用できるインターネットアクセスがある。
日本って「お・も・て・な・し」の国なんでしょ?
大手企業の皆さん、目先の利得ばかりではなく観光客の利便性をフツーに考えてくださいな。
あー、新大阪では16分間の乗り換え時間がある。
それで予約が取れなければ、24時直前に九州に到着してからだなぁ〜。
その回線も上手くいかないなら今晩は野宿となりそう。
(数時間後の追記)
新大阪の待合室でもやはりWi-Fiは超遅い。
2分前まで粘るもついに宿泊の予約は完了できなかった。走ってホームに駆け上がるが、なんとそこではなかった。隣のホームまで走ったものの九州行きのさくらは非情にも出発した後だった。
JRのWi-Fiを見限って駅構内にあるマクドナルドの店のWi-Fiを利用し近所のビジネスホテルをゲット。九州行きは明日の早朝となる予定。
東海聖句書道展へ。
名古屋市中区区役所内の市民ギャラリーで開催されている展示会へ行って来ました。
掲示されている聖句はどれも有名で諳んじているものばかりですが、それがそれぞれの肉筆で書かれるとたちまちにして個性を放ち、活字とは異なる次元のSpiritを感じる。
毛筆で書かれたみことばは各人に一旦血肉として染み渡り、その筆を運ぶ筋肉運動は、みことばに出会い、対峙し、活かされた結果の精神活動でもあるからではないか。
新幹線時間が気になり朝の静止の時を怠った我が身としては、日頃とは異なる波長のSpiritが届けられたようで感動しました。
展示会は明日の日曜日まで開催しています。
初日のボランティア参加人数は57名。
二日目の朝は、38名で参加でスタート。
「つながり」では、毎朝8時半から活動開始前の朝礼、
仕事を終えた後の終礼が午後4時半から続けられている。
終礼では自己紹介を兼ねて、活動を通じて感じたことや学んだ点など各自が自由に発言する。
その日は軽く一時間を超えていた。
一人1分話したとしても57分となのだからやむを得ない。
私は溢れ出してくる感動を抑えるのに苦労しながらも3分は話した。
“One for All, All for Japan”
「つながり」のキャッチフレーズを取り上げながら、こんなにも全国各地から寄せ集まった各人多様なボランティアが一つ心となり、一つの手足となって団結して最大の力を発揮する様は米国では見ることが出来ない、日本人ならではの特異な秀逸さだ、そんなような事を感じたままに語った。
数日前の連休のある日のように200名を超える参加者があれば、終礼時間がどれほど長時間となったかは想像出来る。
暑い中、1日の厳しい作業が終わってヘトヘトになった状態で数時間の終礼を立ったまま続けるのに疑問を感じて先に帰る人もいるのだという。
だが、「つながり」代表の勝又氏は終礼を止めようとはせず、毎日続けるとの決意を話してくれた。
一言でも語ることは各人の参加された証となり、誰にも知られず分からないままで帰っていただきたくない故に、全員の前で少なくも出身地と名前を公表して欲しいのだ、と言う。
各人各様の視点で振り返った活動の総括は新しい気づきや発見が生まれ、新たな意義を見出し、それがより深い共感と連帯とを生じさせるだ、と言う。
わずか二日間であったが、すでに連帯間が半端なく育った仲間たちを後にその会場を後にするのには、辛いものがあった。
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