「嫌われる勇気」からの抜粋
アドラー心理学にある「原因論の誤り」
〜人間の行動の全てには原因があるのではなく、あるのは結果だけ〜
何のことかわからないでしょうから、実例を挙げて解説します。
ある神学生が牧師からひどい剣幕で怒られていました。
その牧師はその神学生の頬を拳で殴り付けることまでしました。
「今どうして殴られたのかは貴方には分からないかもしれない。
でも数十年後にわかるようになるでしょう。」と声を上ずらせながら、何が起こっているか分からずにいるその神学生に牧師は言い放っていた。背後では事の成り行きを心配そうに見つめている牧師夫人が外階段の上に無言のまま立っていた。
大抵の場合、その神学生がひどいミスをやらかした原因があったので激しく叱られたのだと人は思うことでしょう。ところがアドラーによれば、神学生に原因があったのではなくその牧師の側にある結果がすごい剣幕になって現れたと言うのです。
会社でも上司が部下に対して怒るのは、今後、自分が上でお前が下だと見つけ見せつけるためのものである場合があります。違う部下であるならば同じミスであったとしても、そこまで声を上げることもないからです。相手を威嚇してその場を丸め込んでしまおうとするのは、自分の過去に禍根やストレスがあり、それを発散しなくてはならない結果として現れたと言えます。
私たちは相手に原因を探したり、自分の暗い過去に縛られるところから解放されなくてはならないのです。イライラや怒りの感情、あらゆるネガティブな行動は自らのうちに蓄えてきた結果から現れるものです。
例の神学生は確かに数十年経って後、なぜあそこまで怒りの鉄拳を食らったのか分かるようになりました。神学生がやらかした事と言えば、あるクリスチャンホームの家庭に居座り教会への帰宅が夜の8時か9時ごろになったことでした。
あの牧師は教会員を「私の羊」であるとして囲いたかったのです。
若い神学生が自分から人望をさらう羊泥棒のように見えて、「今か、今か」と遅い帰宅を待ちきれずにしびれを切らして爆発してしまったのでしょう。
その牧師だったか確認は出来ていませんが、その教団内であった実例です。
かつて教会員が地方出張時に同じ教団の地方教会に日曜礼拝のために出席する時には、所属教会牧師の許可を得なくてはならないとの暗黙の決まりがあったようです。その牧師はある時、許可を与えなかったがために、その人は日曜礼拝にも出席できなかった例があったとのこと。
牧師は羊(教会員)を真の牧者であられる主イエス様につなげるためのサポート役であり、羊飼い自体ではありません。
"わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。
彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。"
ヨハネの福音書 10章11~14節
"するとイエスは彼らに言われた。「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」出入りする人が多くて、食事をとる時間さえなかったからである。"
マルコの福音書 6章31節
安息。
それは心を鎮まらせて神との対話を始めること。
私たちはなかなかこれができない。
おしゃべりをしたり活動したりすることの方がよっぽど簡単で楽ちんである。
教会では礼拝前の数分間、黙して神を待ち望むことが勧められる。
これに慣れてないと久方ぶりの方や友人に近況報告のおしゃべりが始まる。
なぜ神の前に静まらなくてはならないのか。自らの立ち位置を神の前に調整するため。
そうでないなら「羊飼いのいない羊」(6:34)のように目標のなく彷徨出してしまう。
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「あなたはわたしに従いなさい」
ヨハネの福音書 21章17~25節
"イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。
ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。
イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
それで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスはペテロに、その弟子は死なないと言われたのではなく、「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか」と言われたのである。
これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。
イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。"
⑴愛を土台とした促し
①ペテロの自主性に訴えている
②ペテロと主イエスの信頼関係があって成り立つ
⑵新しい局面における促し
弟子として召された時同様のシーン(ルカ5章)
その時ペテロは動揺を感じたであろうが今回は恐れであり躊躇を覚えたはず
② 信仰生活が深まるにつれて「従う」意味も深まる。得と思えることばかりでなく損と感じることもありえる
⑶ゴールへ方向づけられた促し
①ペテロの従った先にあったもの
〜予言の通りにローマでの殉教死
②ヨハネの従った先にあったもの
〜パトモス島への流刑と主の再臨の幻。黙示録執筆
(結論)
人生の局地戦おいては困難で負けてるように感じることがあるかもしれないが、その大戦略上の大局的見地においては勝利している。主の栄光に招かれていると言う事は最終的な勝利の保証である。
"これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」"
ヨハネの福音書 16章33節
ポートランドに新たな日本食レストランを発見。
開店して2年ほどとなるこのお店はどこも清潔な上に見ていて楽しくなる内装。
カウンター越しに立っていらっしゃるシェフは日本生まれの女将さん。
午後3時と言う中途半端な時間に小腹が空いたので押し掛けてしまったが、営業中だったのが嬉しい。
デザートメニューを聞いて「たい焼き」があると聞き興味がわいた。もちろん自家製でなく市販のものであろうけれども、熱々のあんことアイスクリームのマッチングはこれも「をかし」。
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「圧倒的な勝利者」
ローマ人への手紙 8章31~37節
"では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。
だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
こう書かれています。「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」
しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。"
⑴供給の保証ー31-32
「すべてのものを私たちに恵んで下さらないことがあるでしょうか」
①父なる神にとり最も大切な存在が御子
②その御子をさえ死に渡された
⑵審判の際の弁護ー33-34
神が義とされたのが信者
これを訴えるのがサタンの役割(ゼカリヤ3:1-2)
② 神の右の座にあるキリストのとりなし
⑶勝利者としての行進
①神のためにほふられる羊とされる試練
〜7通りの試練の中で
②脱出ではなくそのただ中にある勝利
(結論)
キリストにおいて神の愛が現れた。
その愛の力はどんな逆境よりも強く私たちに注がれている。
よって勝利者以上の勝利者とされる。
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
その第44回目は、付録としてドロシー先生による献辞の言葉。そしてフィンキーさんとシェルホン先生によるお勧めの言葉です。
これで最後の投稿となりました。
もし主が許されるなら、これらの文章が全て製本されて記念誌として出版される予定です。
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献辞
近くに遠くにおられる全ての年配諸氏にこの本を捧げます。
私自身が高齢者メンバーの一人ですが、自分自身を必要なしとか役立たずとか、決して考えてはなりません。
これまでの人生で積み上げて来た知識や貴重な経験の数々は、若い人たちがまだ気付くことも経験もしていないもので、よってさらなる可能性が私たちにはあるはずなのです。
以前私たちの時間やエネルギーを吸い取っていた多くの責任から解き放たれている今、高齢者として活躍できる多くの機会を生かしていかねばなりません。
私たちは最期まで役に立ち、実り大きな、満足出来る人生を送ることが出来るはずです。
人生の様々な試練の場面で満点を得るということは 、どれだけ人に賞賛され得る偉大な結果を出したかにはよりません。
最後まで忠実に耐え忍ぶことの方が、はるかに優って重要なことです。
高齢者とは、人生で最も貴重な段階にある者たちであると言えるでしょう。
例えて言うならそれはパンプキンパイの上に乗せられたホイップクリームの様なものです。
ドロシー・ラバツウ
寄書き
「もしも宣教師としての召しを受けたのなら、人々にちやほやされる王様の様になれると夢想だにしてはなりません」
この格言の真実さをドロシー・ラバツウの生涯以上に見いだすことは出来ません。
人生の中間地点まで来た時、多くの人々は落ち着き先やおしゃれすることや貴婦人として花開く道を探すものですが、彼女は挑戦することを選びました。
彼女は若い日に神様の仕事のために召されていると感じていたのでしたが、レイモンド・シェルホンと愛しい妻の美智子に合うその日までその召への道は開かれなかったのでした。
その召しがあまりにも鮮明だったため、彼女は文字通り全ての所有物を置いたまま彼女の知らない言語と習慣を持つ外国の土地に旅立って行ったのでした。
神様は彼女を祝福されて人々の好意を勝ち取らせてくれました。
かなり進んでいた年齢にも関わらず、日本語を習得し話すまでに至ったのでした。
英語を学びたいという日本人の強い願いは、
熱心な生徒に英語を教えるという彼女の働きの中心を占めることになりました。
英語のテキスト本は何だったと思われますか?
彼女は何と聖書そのものを使ったのです。
始まりはこんな小さなところから始まって、彼女は魂を主イエスに導くようになりました。
教会形成のために労し、今日87歳になった今でも壮健で、自宅で生活しながら日本人に聖書を教えておられます。
彼女の努力する全てに神様が祝福を注がれているのは、主の奉仕のための召しに彼女が従おうと決意したからです。
この本は読者に感動を与え、祝福し、さらに深いイエス・キリストへの献身への挑戦を与えることでしょう。
ポール・フィンキー
宣教主事
チャーチオブゴッド、ベイデン教会
8375 N. Broadway
St. Louis MO 63147
序文
43年間のドロシーラバツウ先生の同労者としてこの彼女の新書「人生は80歳から始まる」の序文を書くようにとの依頼を受けた時、とても光栄に存じました。
彼女の最初の本である「The Missionary Barrel」は、彼女がいわば宣教師の駆け出しの時分に書いたものです。そこにドロシー先生は新米宣教師としての生活や経験から多くの楽しい洞察を書き記しています。その本でもまた序文執筆の依頼を受けた際、とても光栄に感じたものです。
この度の新書もそうなのですが、それは彼女の主と日本人に対する献身と愛から生まれたものです。
約40年後に書かれた本書についても同様のことが言えます。彼女はこれらの宣教年月をトゲのない薔薇の道ではなく、トゲある薔薇の道として描写しています。本に書くには勇気が必要とされる道を。
ドロシー先生は、主イエスと日本人への純粋な愛によって生きて来られ、その愛ゆえに43年前
日本にやって来られました。その彼女の愛は決して絶えることがありません。
その愛は、彼女の生涯を終えようとしている今なおこの国に彼女をして留まらせ、彼女が出来る精一杯の努力をさせています。主であり救い主である方からの永遠の褒賞をいただく直前の一走りです。
皆さんがこの本を手にされて読む時、主ご自身からの祝福が届きますように。
これは真の宣教師の物語です。
レイモンド・シェルホン
覚え書き
本書は人生の記録を残すようにと促してくれた姪のアニタ・ラバツウに寄るところが大きいのです。彼女が数年前に日本の私を訪ねてくれた時、これまでの宣教師生活の多くの事柄を聞いてもらいました。
すると彼女は、「これらを知っているのは貴方だけよ。それを本に遺すべきだわ」と言ってくれたのでした。
原稿を多くの時間をかけてタイプ清書した上、校正してくれたのも彼女でした。
また、オーストラリア人の英語教師の友人にも多くを負っています。彼もまた校正に協力し何度も読み直しては本書の完成のために惜しみなく貴著な時間を使ってくれたのでした。
国内・国外のチャーチオブゴッドにも深く感謝を捧げます。
日本にて私にキリストに仕える機会を提供して下さったのですから。
長い年月、忠実に私のために祈りサポートし続けて下さいました。
私の心からの感謝をレイモンド・シェルホン先生、妻の美智子先生、COG理事会の皆様に捧げます。彼らは若くない私を受け入れるリスクを取ってくださいました。
異文化の生活や最も難しいとされる言語に慣れない中、私のことを忍耐してくださった全ての方々のお名前を上げることは不可能です。
また特別な感謝をCOGベイデン教会に捧げます。皆さまは実に誠意に祈りとサポートによって私の働きに参加してくださったのです。日本での長期間に渡る満たされた日々を私に与えてくださったのですから。
ドロシー・ラバツウ
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
その第42回目は、ドロシー先生の健康管理をしてくださるドクターたちとの出会いです。そうは言っても誰も老いから逃れることはできません。病や怪我で倒れるに従い、引退へのステップを踏んで行かれます。
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治療しながらも継続していく働き
〜引退の第一段階〜
私の最初の骨折経験とは、手首に関わるものでした。
病院のテレビモニターで私は全ての手術過程を見ることができました。
四本の指にそれぞれワイヤーの繋げられたドリルで穴を開けていきます。
それからそのワイヤをグイと引っ張りながら、専門医は私の手首を元の位置に繋げ、それからギブスをはめてくれました。
アメリカの習慣に従うかのようにして、私の多くの友人たちはそのギブスの上に励ましのメッセージを書いてくれました。さらに日曜学校の生徒さんたちは、彼らの好きな漫画キャラクターを描いて楽しんでくれました。これらの特別な治療にもかかわらず、今日まで私の手首は元のようには完全に戻っていないのですが。
〜引退の第二段階〜
次にやってきたのは、左足の膝の皿のすぐ下の骨折でした。
錦教会に出席している“錦人”が働いている施設に入院できるとは、大変光栄なことでした。
「キングスガーデン」と言うところで病院では無いのですが、そこに私はしばらく住むことになり、それはそれはこれまでにない最良の環境でした。
そこに一週間も入居すればそれで退院出来るものと考えていました。
退院前にシェルホン先生夫妻がお出でくださり、美智子先生は親切にも私の荷造りまで手伝ってくださいました。松井ご夫妻が彼らのバンに乗せてくださることになり、お別れの挨拶を施設の方々にしてから私どもはピクニックに出かけ、それから接骨の専門医を尋ねました。
その後、私の家である錦教会にも立ち寄らないままキングスガーデンへ直行して、それから一週間をそこで過ごすこととなったのです。
私の引退後の歳月はここで過ごしても良いかな、と入居当初抱いていた微かな期待は徐々に、その後全て消え去っていきました。
ケアは素晴らしく充実しているし、食事もよく考えて作られています。そこの雰囲気のことなのです。もし周囲の事がわからないほどに認知症が進んだ方には、素晴らしい場所であるには違いありません。
ただ横になるだけで動くことのないこの環境にあっては、ほとんど食欲も出てきません。
それでもあのおいしくて、栄養バランスよく考えて準備された食事は無駄になる事はありませんでした。私の忠実な同労者である高橋京太牧師が夕食や昼食のときになると、いつも訪ねに来てくれました。彼は自分の弁当を持って来た上に、私の食べきれなかった分を全てきれいに召し上がってくれるのでした。
こうしてキリストの教えである「残り物を全て集めて、何も無駄にならないようにしなさいと」の教えが守られて行ったのでした。
〜引退の第三段階〜
次に起こった事は顎の骨折でしたが、それは夏の戸別トラクト配布の多忙な時に起こったことでした。コンクリート地面の傾斜のある場所で私は転倒し、激しく顎を地面に打ち付けてしまったのでした。大学病院にまで急送され、医学的見地の診断からすると私はその時、即死するか良くても障害者となっていたはずとのことでした。
しかし専門医は器用にも、私の粉砕された顎骨をワイヤーでつなげ固定してくれました。
一ヵ月ほど私は話ができなくなり、周囲の人々はその静けさを楽しめました。それでも私の唇では歌えない歌が、私の心の底から湧き上がって来るのです。
口の中に繋がれているワイヤーを通じてのハミングは、なんだかハープが奏でる音のようにも聞こえました。ほんとにハープの音であったかどうか、他者に聞いた事はなかったのでしたが。
ただ転んだだけなのにこんな重症を負うだなんてどうしたことか、と皆さんは不思議に思われるでしょうが、私もそうだったのです。私はあの時、木から落ちたわけではないし、階段を転げ落ちたわけでも、屋根から落ちたわけでもなかったのです。
小さな障害物につまずいたため私の身体は前に投げ出されたのでしたが、これは霊的に全く同様で、人は小さなことにつまずき倒れて時に重傷となる事もあるのを認めないわけには行きません。
〜引退の第四段階〜
次の事故は、自らの責任と認めざるを得ないたった一つのことです。
それは教会の玄関で起こりました。両手にスーパーの買物袋を下げたまま私は靴をキックしながらその靴を手に取ろうとした時にバランスを崩して転倒、右足を完全に骨折する結果となってしまったのでした。
専門医はその骨折は“良い方”であると診断してくれました。それでも手術が必要となり、セラミック製の人工関節が元の骨と交換されてなくてはならない、とのことです。
専門医は深くお辞儀をしながら、私に施術するのは光栄であると告げてくれました。
彼はまたノコギリとハンマーの使い方についての専門家のようにお見受けしました。
痛みは感じないものの、骨を切り裂くノコギリの音が聞こえて来ます。心電図や脈拍、血圧等の数値がコンピューター画面に見えて、私の体がそのノコギリの動きと否応なく反応しているのが分かりました。それでも私は生きています!素晴らしい手術でした!
ある若い看護婦は以前の私の英語クラスの生徒さんであり、彼女はクリスチャンとなってからその外科部署で働いていらっしゃいました。彼女が手術の前の晩、その仕事を終えてから私の病室までやってこられ、共に祈りを捧げてくれました。キリストが送ってくださった慰めと愛の天使となってくれたのです。
他の看護師さんは、私がよくなるもそうならないのも、全て私次第であるとお話ししてくれました。心がけ次第であると。
多くの見舞い客のさまざまな花で私の病室は飾られて明るくなり、それが私の回復にとって大きく貢献したことは間違いありません。
そんな中でもある看護婦は常に私に小言を言って来ます。
「しっかりと食べていただかないと良くなりませんよ」
私は彼女に、ここにいる人々は寝ること以外に何もすることがないのに、一日に九杯ものご飯を本当に皆さんは食べているのですか、と聞いて見ました。彼女は、もちろんそうです、と言い張るのです。
後に私が歩けるようになった時、廊下にあった配膳カートの上には、たくさんの食物が残されたままになっているのを発見したのでしたが。
どうしたことか私の場合、決められている日数のセラピーよりも少なく済んだようです。
セラピー最初の日、私はウォーカーに体重を乗せながら自分だけで歩き回るようにと言われました。
長い廊下をゆっくりと歩いたのですが、終えてみるとすべてのエネルギーを使い果たした気分です。
ある日のこと担当の外科医は私を連れて杖や松葉杖、手押し車で一杯となっている部屋を見せてくれました。多くのお年寄りの女性は手押し車を使っているから私も使ったらどうだ、と勧めてくれたのです。
そこで私は答えて、「もしそこにお座りくださるなら、私は貴方をお乗せしたまま廊下を走ってみせますが?」と言って差し上げました。
それから遂には、私は彼に仕事を求めるようになりました。
「ここで私がお手伝いできる何かがあるでしょうか」
そんなこともあってか、彼は今や私を退院させる時期であると考えたようです。
そうでないなら、すべてのシステムを私が混乱させてしまうと恐れたのでしょう。
彼は「あのような強い決意ある年寄りにはこれまでお目にかかったことがない」と誰かにこぼしていたのを後日耳にしました。
日本の国民健康保険
私は実に幸運な外国人です。
今や国民健康保険は日本国籍を持たない者にも適用していただけるのです。
来日して初期の頃はそのようではなかったのです。
医療費をこうして援助していただくことについて、私は誰にお礼をしたら良いのか、今もって分かりません。すべて事故による怪我のための医療費は、病室代などを除いてこの国民健康保険でカバーされて来ました。
もちろん毎月の保険料支払いはありますが、それとて法外なほど高価なものではありません。この保険によって私は優れた医療の恩恵を与えられてきました。
〜引退の第五段階〜
近くには知り合いの眼科医は誰もいなかったのですが、確かに神様は私を角膜移植のできる最良の眼科医へと導いて下さいました。すべてが順調に進みました。
はっきりと見えるようになったのです!
高齢のため自分の顔がこんなにもしわくちゃになっているのをはっきりと見たときは、さすがにショックでなりませんでしたが。
またその医者は、私に素敵な大家族がいるのを見て驚いていました。
手術後の経緯チェックのため立ち会ってくださるとき、私の病室には多くのいとおしい家族で溢れているのをご覧になっていたのです。
数ヵ月後、その眼球は内出血を始めるようになり問題は深刻なものとなりました。
お医者さんはこの問題をどう扱って良いのか確信の持てないままだったのですが、とにかく私には信頼するように、と励ましてくださいました。
「私達は何も心配する事はないのですよ。神様は最期に至るまで貴方を支えてくだるのですから」と言ってくれました。
確かに今日に至るまで神様は私を支えて下さっています。
私どもの教会の家族の中には、点滴や注射を祈りとともに施術してくださるクリスチャン・ドクターがおられます。さらに不調を起こさせるどんな小さな歯の問題も見つけ出しては治してくださる歯科医もいらしゃって心強いばかりです。
こうした医療の専門家でも手に余るような場合は、「偉大な医者」であられる主イエス様がいらっしゃるのですから、心の問題も含めた適切なケアが完備されているのです。
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
その第41回目は、ドロシー先生の入院経験を記しました。
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第四部
さまざまな事がら
伊勢神宮のあおりを受けて
20年に一度、伊勢神宮からの特別な大木が、地元の神社へすげ替えのためにやってくる行事があります。その神木である大木をお迎えするのですが、錦では連日イベントの目白押しで
となりました。ダンスやパレードなどです。さらにそのための組織作りが町内会で始められました。
教会が置かれている町内会でも参集の知らせが届けられ、私もその集いに参加せざるを得なかったのです。
そこで私は、
「分担金があるならば喜んでお支払いしますし、祭りのための助けが必要ならば時と場合に応じて喜んで協力しますが、いまや教会の働きが大変忙しく私のほとんどの時間を費やさねばならない」ことをお話ししました。
その町内会長さんの娘さんは、かつて聖書クラスに出席されていました。
そこでそのお父様は、私がこの宗教のお祭りには何の義務も負わなくて良いことにしよう、とグループの皆さんにお話ししてくださったのでした。
水に浸かった花飾り
そんなことがあった直後にもかかわらず、祭りのための花飾りを作るようにと依頼されたことには全く驚くばかりです。係りの方がやって来られ、私にあてがわれた材料と隣に住んでいらっしゃる若いクリスチャンの女性を残して帰って行かれました。言いつけられたであろうその女性は、何度も私にお詫びしながらも、私にその材料と作り方とを伝えてくれました。
私たち二人とも、こんなことには全く関わりたくはないのです。もし私がきっぱりその作業を断ったとしたら、クリスチャンの彼女が私の分まで受け持たねばならない、と言われるのです。
「互いの重荷を負い合いなさい」との聖書のお言葉を実践するのが、こんなにも困難なことであったとは!
私はほとんど一晩中かけて、しかも泣きながら、祈りつつ、そのあてがわれた紙製の花飾りを作り上げて翌朝早く届けに行きました。
その花が飾られたロープは町全体に渡りつながれてありましたが、主は祭りの始まる直前に豪雨を降らせてその全てを台無しにされてしまわれたのでした。
礼拝に人々が溢れたこと
その祭りは、日曜から月曜にかけて行われました。
ある方がその日は誰も教会に来はしないので、日曜礼拝をキャンセルしたらどうでしょうか、と提案してくれました。「いいえ、私たちは決してキャンセルはしません」と私はお答えしました。
かつて私は一人で礼拝を守ったことがあります。再びそうすれば良いだけのことです。
その頃川崎教会のある若い男性は大阪出張中でして、時に長い週末を利用して錦の働きを手伝いにお出でになることがありました。
彼が連絡をして来て、その日においで下さるとの事ですから、私たち二人だけで礼拝をすることになるでしょう。しかし驚いたことに、近くからも遠くからも思いがけないゲストの方々がおいでになられました。彼らはこの町の祭りのためにやってこられた方々でしたが、教会にもお出でになられ、とにかく会堂が収容できる限界まで新来会者で溢れたのでした。
確かに主の道は私たちのそれよりも高く、そしてときには私たちを驚かせることを喜んでいらっしゃるかのようです。
町内会に住む一人の住民として、私はかつて葬式の行列に加わるようにと求められたこともありました。その時、主は私に真に逃れの道を備えてくださいました。
その時はちょうど日曜日でして、すでに子供さん達が日曜学校に多く集まっていたのです。
当時私は日曜学校とそれに続く日曜礼拝の全面的な責任を負っていたものですから、それが格好の理由となって、以後求められる事も無くなりました。
このことはクリスチャンが、私どもの周囲の方々のために悲しんだり、その苦しみを無視したりして良いと言うことでは決してありません。死者のために香を焚いたり、その霊に祈ったりする方法以外に、愛ある関心を示す方法があるはずです。
骨折と入院経験
すべての女性は、長期間入院したことを得意になって話すのが好きなのを皆さんは知っていらっしゃることでしょう。ただし、これは女性だけに限ったことでありせんよ。
有名なナザレンの伝道者であるブッド・ロビンソンと言う人が「私の入院体験」と言う本を上梓しています。私はそこまでをここでしようとは思っていません。
40年以上前に私が初めて日本に到着して直後、私の到着を待っていたあるご婦人に会うため、ある病院を訪れました。彼女自身は慰められたようなのですが、実は私の心はだいぶ掻き乱されたのです。その病院の様子を見てのことです。そして日本では決して入院だけはしたくない、と心底思いました。
しかしその後、私が数カ所を同時に骨折してひどいことになった頃までには、この国の入院環境はだいぶ改善されて来た様です。
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
その第40回目は、追憶場面の第二回目です。教会に与えられたハンドベルは米国の関係者からの捧げ物によるものでした。
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Gladys Bates さん
彼女の遺骨は錦教会の納骨堂には納められていません。
しかしながら彼女の半分ほどの遺産は教会の新会堂建設のために投資されました。いわば教会堂が彼女の活きた記念碑と言えるでしょう。
Gladysさんは、私の母とその姉のムーディさんの親友でした。彼女ら三人は主にあって消して違うことのできない生涯をかけた親友でした。
Gladyさんの最初の、そして雄一となった赤子は死産となりました。
後日彼女は養子にある女子を迎えますが、私自身もまた彼女の二番目の養子のような女子だったのです。
米国にファローとして帰国するときには、必ずと言って良いほど彼女のところへ立ち寄りました。やがて彼女の病は、彼女が家を維持することや自ら調理する事を困難にはさせましたが、彼女の明るく幸いな精神と専門のピアノを弾くことについては、影響を与える事は決してありませんでした。
彼女の震えが止まらなくなった指がピアノでこの曲を弾いた時、文字通りに鍵盤の上を飛び回っていたのを忘れる事ができません。
「エルサレム、エルサレム、声を上げて歌えよ
ホサナ いと高き方に
ホサナ 我らの王に 」
(聖なる都)
まだ彼女がわずかの旅なら出来る時に、私たちは私の家族が以前暮らしていた古い家のある場所へ懐かしい旅行を行いました。私の両親が改心した所であり、Gladyさんと初めて会った教会も訪れました。それから彼女のもう一人の養子である女性のところへも行きました。
私が最後に彼女を訪れたときには、彼女はすでに養老ホームに入っていました。私が部屋に到着する前に、すでに彼女は私の声を聞き分けていたのです。彼女は呆けるどころか、明るく強健であると言って良いほどしっかりしていました。
高齢になっても、サタンは彼女の精神をくじく事はできなかったのです。
ランチの時間が近づくと、彼女は私から離れ去るなり言いました。
「私はダイニングルームではいつもドレスアップすることにしてるの」
彼女の遺書と契約により、その遺産は彼女の残された二人の養子の”女の子たち”に等分されることになりました。
ハンドベル寄贈者
Doecker, Otto and Dora
WOmack, A. E.,Mary, Jim
Shelhorn, Raymond and Laura
Conways, Larry and Neat
Monroe, James and Emma
Darr, Eugene and Maude
Finke, William Sr., and wife
Finke, William Jr., Elat, Danny
King, O. L. and Gladys
Rohrer, Donald and brother
Potter, W. L. and Cora
Henshaw, George
Heyer, Dewey and Lydia
Haines, Herbert
Holwick ( Pearl’s deceased husband)
Labertew, Leslie A. and Bessie O.
Miller, Mr. and Mrs.Alfred
Zalaha, Irma L.’s (deceased husband)
Willard, Harry Mr. and Mrs.
Pipes, L.B. and Nina
ここにあるリストの一部の方々は、その献金の宛先が明示されていませんでした。
それでこのハンドベルのリストに載せることにしました。
またこのリストからたとい漏れてしまった方がいたとしても、私たちの主イエス様が主の忠実な家族の一人ひとりを覚えていてくださることに何ら変わりはありません。
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