今日は3月3日のひな祭り。
すでに長女は自立して家を出て行ってしまったし、これといって特段の行事は無いはずでした。
ところが長女がかつてお世話になった「めぐみ保育園」のひな祭り特製ランチに声をかけていただきました。
お手製のバラ寿司にはサラダやマカロニ、揚げ物や煮物、それにおはぎなどバラエティに富んだ上に栄養バランスに配慮した食品が並んでいます。
心温まるおもてなしに一気にテンションもアップ。
学校から帰ったばかりの長男と一緒においしくいただきました。
鈴木芳美園長、めぐみ保育園の皆様ありがとうございました。
ところでAkemiのヴィーガンぶりが徹底している。
これから我が家に食事に来るのだが、私が調理する食材の全てに目を通しtr事前検閲を済ませなければならない。
肌寒い今日、味噌ちゃんこで野菜だけの食材であったまってもらおうとしたのだが、ちゃんこスープの中に鰹節ブイヨンが少々混ざっていると言うのを見つけて検査が不合格(^^)
一体何を作ったらいいのかしらん?
昨日は「聖なる牧場」でAkemiの誕生日を祝いました。
彼女のFacebook投稿を翻訳して紹介します。
(翻訳上の注釈)
「聖なる牧場」とは、屠殺される直前の動物たちを買い取ったボランティアたちによって運営されている農場で、この日はスカジットバレーと言うところまで行ってきました。シアトルから2時間ほど北上したところです。
(以下はAkemiの投稿文章)
今年の私の誕生日のために私の家族に「聖なる牧場」に一緒に行ってほしいとお願いました。こんな可愛らしい動物たちと家族と一緒に会うことができて特別な経験となりました。
動物たちが安全でしかもホームでくつろいでいるのを見ては私の心を温たのでしたが、それと同時に幾百万と言う動物が不幸にも救出されないまま彼らがひどい運命を背負わねばならない現実をも思い出させるものでした。本日私たちが出会った牛やヤギは生後24時間で子牛肉として処置されるために機械的に殺されてゆく運命にあったものか、または生産的でないと工場主に見なされるまで働き続け、その体が弱まってから殺される運命にあった動物たちです。私は、毎日食べているものの背後にある残酷な真実を知って以来、私の価値観と妥協して生きることができないと感じました。
私は動物たちに痛みや苦しみを与えようとはもちろん思ってはいなかったのですが、実際間接的にそうしていたんです。毎日肉を食べていると言う習慣から。ヴィーガンとして生きると言うことは、世界にある現実の姿に目を開かせるものとなり、また動物たちのために献身すると言う事が地球全体を救うことにつながることでもあると気付きました。
For my birthday this year I asked that my family visit a farm sanctuary with me! Meeting these sweet animals with them was a great experience.
Although seeing the animals in their safe and loving home warmed my heart, it also reminded me of the millions of animals that are not lucky enough to be saved from the fate they are given. The cows and goats we met today were rescued from dairy operations where they were fated to be killed at 24 hours old for veal, or were destined to work until their bodies were too weak to be considered profitable by the industry, to then be killed. When I discovered the horrible truth behind the products I was eating, I knew that I could no longer live out of alignment with my values. I didn’t want to inflict pain and suffering on innocent animals, and yet I was, just by my eating habits. Going vegan is awakening to the truths of the world and a commitment to the animals you are saving, the earth you are helping, and the body and mind that you honor by choosing to live in harmony with your soul.
「信仰の挑戦」
民数記 14章13~24節
"モーセは主に言った。「エジプトは、あなたが御力によって、自分たちのうちからこの民を導き出されたことを聞いて、
この地の住民に告げるでしょう。事実、住民たちは聞いています。あなた、主がこの民のうちにおられ、あなた、主が目の当たりにご自身を現されること、またあなたの雲が彼らの上に立ち、あなたが昼は雲の柱、夜は火の柱の内にあって、彼らの前を歩んでおられることを。
もし、あなたがこの民を一人残らず殺すなら、あなたのうわさを聞いた異邦の民は、このように言うに違いありません。
『主はこの民を、彼らに誓った地に導き入れることができなかったので、荒野で殺したのだ』と。
どうか今、あなたが語られたように、わが主の大きな力を現してください。あなたは言われました。
『主は怒るのに遅く、恵み豊かであり、咎と背きを赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰し、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす』と。
この民をエジプトから今に至るまで耐え忍んでくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」
主は言われた。「あなたのことばどおりに、わたしは赦す。
しかし、わたしが生きていて、主の栄光が全地に満ちている以上、
わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、
わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。
ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者とは違った霊を持ち、わたしに従い通したので、わたしは、彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。"
⑴ 40日間の試練
①信仰と不信仰の顕現化
12人の偵察隊の内の10人と2人の異なる報告
全会衆の判断(1-3)
②40日が40年の代償
「主の栄光が全地に満ちている」(21)のだから
⑵カレブの霊(24・新改訳2017)
①10人の者らと同じものを見たのに異なる報告(7-9)
何がこの相違を分けたのか
②たましいの性質、「霊」が霊感されているかないかによる
⑶神の経綸の進展
① 40年の遠回りをしても約束の地の嗣業には変化がなかった。モーセのとりなしと契約のゆえに(17-19)
②私たちは神の経綸のどの構成要素となるのか
不信仰の反面教師(Ⅰコリント10章)?
信仰の勇姿(ヘブル11章)?
(結論)
疫病がパンデミックしようとしているこんな現在あっても主の栄光は全地に満ちている。その中で神の経綸は、メシア的王国の完成に向かって進展している。私たちはどのようにこれに関与し参与するのか。
「四海一家」
ポートランドで宿泊したホテルは中華街の入り口にあり、この立派な中華門は玄関を出たところに構えていた。
初めて見る4字熟語を辞書で調べてみると
「真心と礼儀を尽して他者に交われば、世界中の人はみな家族のように仲良くなること、またそうすべきであること。「四海」は四方の海、転じて天下。世界中の意」と説明されていた。
古代の中国の哲人が作ったであろう熟語は見上げたものではある。
しかし古来からの中華文明の専制君主たちが周辺国への抑圧と搾取を重ねてきた現実との乖離が甚だしい。
「中華」とは、自分たちが世界の中心であり、すなわち華。
周辺民族は文明人としては劣る蛮族でありそのような名前をつけてきた。
すなわち「北狄」「東夷」「南蛮」「「西戎」と言うように。
わが国が中国の歴史書で初めて記録されているのは、後漢の時代に「東夷伝」中の1節であった。
「倭」という歪な呼び名の東に住んでいる夷(エビス)なのである。
ポートランドでの伝統的/保守的日本食を味わうならここのレストラン。
カウンターには3名の熟練シェフが立つが、いずれも生粋の日本人。サーブされている熟女の皆さんは着物を着ていらっしゃって、ここもどなたも日本人。と、言いたかったが日本語の通じない方も何名かいらっしゃる。
差別するつもりはさらさらないが、アメリカナイズされていない日本食を食べさせてくれるところとしてここはおススメ。
先ずは熱いタオルが手渡されるので、顔や手を拭く。
「おとうし」として小鉢にわずかな前菜が乗ってくる。
枝豆なんて3つほど食べたところで腹の足しにもならないはずだが、こうして丁重に振舞われるとなんとなく腹も満たされた気分になるから不思議。
右端の野菜の混ざってるものはハワイ流の料理でポッケと言うらしい。
メインの寿司は興奮してガツガツと食い始めてしまい、写真に残す余裕がなかった。
メインディッシュの後はフルーツのデザートがついてくるとあって定番のアイスクリームを注文するのを堪えた。
スタバが日本で成功した理由として、フランチャイズにはせず直営店のみで事業展開したことにあると聞く。
売り上げ拡大を目指さずに、仕事場でも家庭でもないゆっくりとできる第3の場を提供すると言うコンセプトにこだわったという。
つまりコーヒーを売るのではなく、くつろぎの場を売ったのだった。
ここのレストランも純正日本のサービスで腹を満たしてくれたためか、2晩連続で通ってしまった。
今回の宿泊ホテルは、ポートランド・ダウンタウンのど真ん中にあるためか部屋が小さい。三ツ星だと言うのにデスクがない。
バスタブがないのでフロントに電話して交渉してみるが、その部屋は今は空きがないと言う。
うれしいことに1階のロビーには作業のできるデスクが用意されている。
スマホを充電させながらたった今家族とのFaceTimeビデオ通話を終えたところ。
固定観念よりフレキシビリティー思考。
パターンにはまった生活設定や思考は楽かもしれないけれどもそこからは発展が望めない。
旅ではいつも通りにはいかないことや予想外のことに遭遇する。
そんな時でも創意工夫のマインドを保つなら、意外な局面で思わぬ発見に結びつく。
「わたしが道である」
ヨハネの福音書 14章2~11節
"わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています。」
トマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見たのです。」
ピリポはイエスに言った。「主よ、私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
イエスは彼に言われた。「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。
わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられるのです。
わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられると、わたしが言うのを信じなさい。信じられないのなら、わざのゆえに信じなさい。"
⑴ Thomasの筆問ー「どこへいらっしゃるのか私たちにはわかりません」(5)
①弟子たちを代表しての当然のレスポンス
ここで主は十字架による死、ヨミに降ること、復活、昇天、パラダイス創設、再臨までを語っておられるが弟子たちにはちんぷんかんぷん。
②「わたしが道である」
これら神の国設立までの全プログラムを知らなかったとしても救いに漏れる事は無い。イエスご自身を受け入れていたのなら主が全てを成就してくださるから。
⑵ピリポの質問ー「私たちに父を見せてください。そうすれば満足します」
①「わたしを見たものは、父を見たのです」
栄光の神ご自身が30代の通常のユダヤ人男性であると受け入れることが困難だった。
神の栄光の姿を限定的にしか体験し得ることができないのは現代の私たちも当時の弟子たちも同様である。
②「さもなければ、わざによって信じなさい」
メシア的奇跡と呼ばれるわざによって主自身がメシアであられることをユダヤ共同体に分かる形で提示された。
今日の私たちの文化脈に従って主はご自身を啓示しておられる。
(結論)
やがて顔と顔と合わせて主とお会いすることができる
"今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。"
コリント人への手紙 第一 13章12節
"それはわが避け所、主をいと高き方をあなたが自分の住まいとしたからである。"
詩篇 91篇9節
「住まい」とする。
世界の創造者にして全能者であられる方に「住まう」ということが人に許されるのだろうか。
それが可能であり、しかも1時だけでなく常にこの生ける神に住まい続けると言う世界があるにをこの詩篇は教えている。
より確かな道が新約時代の私たちには具現化された。
主イエスにとどまると言うことである。
人となってこられたメシアであるこのお方と1つとなる、一体化できるというのが新約の宗教の極致であろう。
"わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。"
ヨハネの福音書 15章4節
ガリラヤ湖の夜明け
「心騒がすことなかれ」
ヨハネの福音書 13章36節〜14章2節
"シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ、どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行くところに、あなたは今ついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」
ペテロはイエスに言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら、いのちも捨てます。」
イエスは答えられた。「わたしのためにいのちも捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」"
"「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。"
⑴ペテロの主イエス否認預言
①「あなたのためには命を捨てます」(37)
ハッタリではないペテロの本心からの殉教精神。
②「彼は外に出て激しく泣いた」(ルカ22章62節)
もう主の弟子であるとは到底言えない。
愛想つかされて当然だと考えた事でしょう。
⑵心騒がすことなかれ
①「神を信じ、わたしを信じなさい」
ギリシャ語の現在形は現在進行形を意味し、信じる動作が継続していることを意味する。信仰を失いかけた時こそ信じ続けよとの主のお言葉であった。
②「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」(ルカ22章32節)
⑶「わたしの心にかない、あなたを名指しで選び出した」(出エジプト33章17節)
選びと召命の事実
「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをペテロと呼ぶことにします」(ヨハネ1章42節)
②あなたの救いと信仰は永遠に保障されている
「お弟子達とペテロに、、、告げなさい」(マルコ16章7節)
「ケパに現れ、それから12弟子に現れたこと」(第1コリント15章5節)
(結論)
あなたが道を踏み外し信仰の逸脱があったとしても、主はあなたを見捨てる事は無い。その時、主は胸が引き裂かれる痛みを負いながらあなたのために祈っておられる。
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