「自立した宗教人の育成」
3月
16日
「自立した宗教人の育成」
サムエル記 第一 3章1~18節
"さて、少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。
その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。
神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていた。
主はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、
エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。それでサムエルは戻って寝た。
主はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」と言った。
サムエルは、まだ主を知らなかった。まだ主のことばは彼に示されていなかった。
主は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、主が少年を呼んでおられるということを悟った。
それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。
主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。
主はサムエルに言われた。「見よ、わたしはイスラエルに一つのことをしようとしている。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。
その日わたしは、エリの家についてわたしが語ったことすべてを、初めから終わりまでエリに実行する。
わたしは、彼の家を永遠にさばくと彼に告げる。それは息子たちが自らにのろいを招くようなことをしているのを知りながら、思いとどまらせなかった咎のためだ。
だから、わたしはエリの家について誓う。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に赦されることはない。」
サムエルは朝まで寝て、それから主の家の扉を開けた。サムエルは、この黙示のことをエリに知らせるのを恐れた。
エリはサムエルを呼んで言った。「わが子サムエルよ。」サムエルは「はい、ここにおります」と言った。
エリは言った。「主がおまえに語られたことばは、何だったのか。私に隠さないでくれ。もし、主がおまえに語られたことばの一つでも私に隠すなら、神がおまえを幾重にも罰せられるように。」
サムエルは、すべてのことをエリに知らせて、何も隠さなかった。エリは言った。「その方は主だ。主が御目にかなうことをなさるように。」"
⑴ その揺籃期
①幼少期から親元を離れての献身生活
②その摂理の道に忠実であった
1The boy Samuel ministered before the Lord under Eli.
⑵その黎明期
①「神のともしびが消される前であり」
神のイスラエルの対して、人間に対しての期待が消されていないことの象徴表現
②神のメッセージと御心をキャッチするには訓練が必要
4回目にようやく正しい応答ができた少年サムエル
⑶その確立期
「恐れた」(15)が、「隠し立てをしなかった」(18)
先生に対する人間的な恩義 vs. 神の前に1人立つ自立
自立の援助をしているメンターとしてのエリ
②主の預言者としての不動の地位(20)
「主のことば」によって主のご自身の表れに接するのは今日の新約宗教と同様である
(結論)
自立のための意思があるか。
①それは「私の考え・方法」に固執することではない
②与えられている摂理と環境・教育を通じて主のメッセージをとらえる訓練である
③預言者として立てられていると言う自覚に生きるかどうか