ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「息に預言し、あなた方は生き返る」
エゼキエル書 37章1~10節
"主の御手が私の上にあった。私は主の霊によって連れ出され、平地の真ん中に置かれた。そこには骨が満ちていた。
主は私にその周囲をくまなく行き巡らせた。見よ、その平地には非常に多くの骨があった。しかも見よ、それらはすっかり干からびていた。
主は私に言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるだろうか。」私は答えた。「神、主よ、あなたがよくご存じです。」
主は私に言われた。「これらの骨に預言せよ。『干からびた骨よ、主のことばを聞け。
神である主はこれらの骨にこう言う。見よ。わたしがおまえたちに息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。
わたしはおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちのうちに息を与え、おまえたちは生き返る。そのときおまえたちは、わたしが主であることを知る。』」
私は命じられたように預言した。私が預言していると、なんと、ガラガラと音がして、骨と骨とが互いにつながった。
私が見ていると、なんと、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった。しかし、その中に息はなかった。
そのとき、主は言われた。「息に預言せよ。人の子よ、預言してその息に言え。『神である主はこう言われる。息よ、四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。』」
私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立った。非常に大きな集団であった。"
息に預言せよ
①エゼキエルの時代、これからバビロン捕囚が始まりユダヤ民族はエルサレムから絶やされようとしている。その時の惨状はまさにひどく干からびた骨の集まり(1)。
②主イエスの時代、ヨハネ14:16。主が父なる神に願われることにより聖霊様が私たち人に注がれて教会の誕生を得た。
息は人を生き返らせる
2段階による復活。骨と骨が接続し筋と肉がを生じ皮膚がその上を被ったが命はなかった(8)。続いて息に命じることにより彼らは行き帰り足で立ち上がった(10) (ユダヤ民族の物理的な復興と聖霊による霊的な復興を預言)
②聖霊をいただいた私たちは新しい力を得て口が解けて主の証人となり、主の働きのために与えられた賜物で仕える
⑶「わたしが主であることを知ろう」(13、14)
①誰も成し得ないことが預言通りに実現するのを見て、生きたもう神がおられることを体験的に知るようになる。
②助け主なる聖霊様は私たちと共に、いつまでも共におられる(ヨハネ14:16-17)
(結論)
三位の神が共におられ、内に住んでおられるのを知ることほど幸いなことは無い。
朝目覚めた時に確認したいこと、
•聖霊様が今日も共にいて下さる
•私の内に住んでいてくださる
•主イエスと父なる神と共に住んでいて下さる
•その状態は永久までも継続される
• 三位の神の親しい交わりに私も入れていただいていること。
今夕のシアトルの空は午後9時0 2分に撮ったものです。
写真の左上隅には三日月が見えます。
夏至までまだ1ヵ月もあると言うのにこの時間でここまで明るいんですよね〜。
日没からは10分ほどは経過していました。
日没に間に合わなかったのは、それまでスポーツ用品店に行って明日からのキャンプのための買い物をしていたのです。
テントやスリーピングバック、キッチン用品などを買い込みました。店内に入ることが許されないためあらかじめオンラインで注文したのを店の入り口で受け取ると言うものです。
スリーピングバックの下にはパッドを敷くとは言えこの年になって硬い地面の上に寝るキャンプだなんて、きっと後悔することになると思いますけど。
自宅謹慎が長く続くと知らないうちにストレスも溜め込みます。ストレス発散のためには感情の発散が助けとなります。涙を流したり、笑ったり、怒ったりと。
TPOをわきまえなくてはなりませんが、そのような感情の発露が正常に人間の感覚を保つと言われています。
今夜の夕焼けは久方ぶりに爆発していました。
地平線に沈む日輪の輝きが、適度に覆う雲を赤く染めています。正反対方向にあるマントレーニア山までも赤く染めました。
尊敬する岡本太郎さん的に言うと「芸術は爆発だ!」
ほんとに久方ぶりとなりますが、私の感情も今日何度か爆発しました。
嬉しくて〜ある方がお便りを下さったので電話してみると、ある言葉に胸が溢れ涙が止めなく流れてほぼ号泣してしまった。
怒って〜ミネアポリスで起きた白人警官による無抵抗な黒人の圧迫殺人。この8分間の全てがビデオに収められていて視聴したときには怒りで震え上がった。
楽しくて〜長女らとランチと夕食を共にして共にプロジェクトに働き、英語ビデオ収録や今週のキャンプについての打ち合わせなど。
期待して〜本日Sacramentoのロックダウンが解除されてそこのクライエントから「来てくれ」のメッセージが届いた。ベイエリアや他の州での解除はまだ先であるが、今後少しずつ解かれていく展望に望みをつないだ。
爆発した後はクールダウンも大事。
これから暖かいお風呂に浸かって睡眠までの着陸態勢に移行します。
今日の日没時。
重たい雲に遮られて太陽自体は見えない。
写真左方面に垂直に雲の濃淡の違うLINEがくっきりと見える。濃い雲の下では雨が降っているのだろうか。
我が家の辺りは雨は降らなかった。
子供たちはバスケットボールに興じ、私は娘とともに夕食の買い出しへ。
ワシントン州では外出時にマスク着用の奨励が始まったと昨日報道があったような気がする。
にもかかわらず誰もマスクをつけない私たち。
昨日、エルサレムにいる超正統派ユダヤ人たちの間で感染爆発が起こり、そこのある家庭をTVカメラマンが訪問して報道していた。
避妊の許されない超正統派のその家族には10人以上の子供がいて、すでにほとんどの家族がコロナに感染していたけれども、数日間熱を出して後、全ての家族が回復したと言う。
「風邪と変わらないよ」と、呑気に応じるそこのお父ちゃん。
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ここで私はコロナ禍を無視して良いと言っているのではありません。
根拠なく報道にあおられて、必要以上に恐れる必要は無いはずです。
手洗いに励み抵抗力をつけていれば、感染の可能性は低く、さらに感染したときの重篤化への可能性は無視できるほど低いとの科学的根拠を冷静に見つめて見てははどうでしょう。
闇雲に恐れる事と根拠を持って正しく恐れることとの間には、大きな違いがあります。
先週は30度を超える暑さとなったのに、今日は10度前半で推移した。寒い1日で長袖が必要だった。
温暖の変化は体調にも影響して、朝の始動時にもエンジンがかからない。きっと脳内ホルモンの調整がうまくいかないのだろう。低調な時だからといって全ての自分自身を否定することはない。そんな時にもできることがある。望みを捨てないことだ。
申請していた政府からの休業保証金なるものも、どうやら認められないとのメールを午後になって受け取った時には、さらに寒さを感じた。
しかし室内の清掃を始めると気分転換にもなった。
サンディエゴや関西、東京とズームで囲んだ焚き火の集まりにも温めてもらった。
厚い雲に覆われて今日の夕日は望めないと思っていた西の空に向えば、ほら、輝きが射している。
今日も平和そのものの日が暮れてゆく。
月曜日は牧師の休業日とされているが、このところは毎日休業しているような感覚。
日曜日以外はほとんど曜日の感覚がなくなり掛けている。
変哲のない平凡な日であったが、振り返ってみると感謝することがたくさんある。
①娘らが昼過ぎからやってきて家族分のランチとディナーを作ってくれた。ヘアカットやら共同プロジェクトやら夏に向けてのキャンプの打ち合わせなど収穫多し。
②司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズがYouTubeで視聴できることを発見。20数年前に渡米した時に日本での放送が始まり無念さに涙を飲んだが、今やいつでも視聴できるとは何たる厚遇か。今後は25年間の司馬さんが辿ったその道を紹介することもあると思います。
③娘が夕食を用意している間にジョギング開始。最寄りの中学校校庭への抜け道を発見して今後はその道がデフォルトとなりそう。一旦走り出すとエンドルフィンが脳内にたやすく放出されるようでかなり追い込んだ走りを楽しんでしまう。こんばんは夜更かしをしないで早めに床に着いても眠れる位の疲労感がある。
今日も素晴らしい1日を感謝。
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「もう一人の助け主」
ヨハネの福音書 14章16~24節
"そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。
わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。
あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。
その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。
わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」
イスカリオテでないほうのユダがイエスに言った。「主よ。私たちにはご自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、どうしてですか。」
イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた父のものです。"
ヨハネの洞察力と理解力
①平易な言葉遣いに深遠な真理が記されている
深い洞察がなければありえないこと。
②イエスに最も愛されていたと自他共に承認されていた。
最後の晩餐での右側の席順と復活後ガリラヤ湖上での証言。
三位一体
三位の神にはそれぞれの位格がある
イエスがお願いする対象は父。父が助け主を送られる。その助け主とは真理の御霊であり、人格を持った人称代名詞「その方」。単なる影響力や力の発生する電源のようなものとは違う(エホバの証人の見解)
②その三位の位格が存在と実質において1つである
「その方があなた方と共に住む」(17)
=「わたしたちはその人のところに来てその人と共に住む」(23)
⑶「ともに住む」
①「あなたがたのうちにおられるようになる」(未来形)
「その人とともに住みます」(未来形)
ペンテコステの日の境界誕生の時に成就した。
現在では主を信じる者全ての者らに成就している。
②「住む」について
「わたしにとどまりなさい。わたしもあなた方の中にとどまります」(15:4)と同じ語。同じ住居を共にするとは、交わりとくつろぎを意味する。
(結論)
主とともに生活することの安らぎとくつろぎは、確かな聖書理解を基とした「戒めを守る」(15)という実践にある。
I can’t wait beauty salon reopen, so my lovely stylist cut my hair again.
理容店が再開されるまで待てなかったので、素敵な美容師さんが再びヘアカットしてくれました。
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