ホサナキリスト教会からのお知らせです。
本日から日曜礼拝はズームを利用することにします。
先週初めてアカウントを設定しまだ慣れない中、実際の運用には不手際があると思いますが、とりあえず始める事になりました。
Zoomと言うアプリの性格上、どなたも飛び入り参加や退出ができるはずです。
また参加するには昨日からパスワードが必要になったと聞きました。
日曜礼拝開始時間・米国西部時間午後5時から(日本時間の午前9時から)。本日米国時間では4月5日(日曜)、日本時間では4月6日(月曜)です。
Zoom ID : 903 851 1026
登録名: Kyota Takahashi
(集会名の検索では、登録名を使ってもIDを使っても可能のようです。すみません。はっきりとはわかりません)
パスワード : 727050です。
パンデミックの不安と不自由さの中、神様の御守りと平安とが行き渡りますように!
普段はほとんど開かないままの(汗)聖書通読ガイドブックであるクレイを開いてみました。
今月はパウロの第3次伝道旅行のところが取り上げられていて、私自身が今まで気がつかなかったことを含め、学んだことを整理してお分かちしたいと思います。
それは使徒の働き18章23節から始まります。
①パウロはアンテオケから陸地を通ってエペソまで移動します。
第3次伝道旅行の中心地となったのがエペソで、そこで彼は約3年間ほど腰を据えて働きます。彼の働きはその近辺にも及び、黙示録2章と3章にに出てくる7つの教会は、この時期に彼により開拓され設立されたものと考えられます。
②エペソからトロアスへ向かいます。
旅行記である使徒の働き20章1節にはトロアスへの言及はありません。でもどうしてマケドニアへ渡る前にトロアスに行ったと言えるかと言えば、彼の書簡から解るのです。
"私がキリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いておられましたが、
私は、兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがありませんでした。それで人々に別れを告げて、マケドニアに向けて出発しました。"
コリント人への手紙 第二 2章12~13節
③トロアスから船出してマケドニアのフィリピへ。
ここでテトスに会うことができた。先に代理人としてテトスをコリント教会に送っていたが、その教会がパウロの指導を彼を通じて受け入れたかどうかが非常に気になっていた。テトスから悔い改めたと聞いて大いに慰められたパウロは、ここでコリント人への手紙第2を書いた。
"マケドニアに着いたとき、私たちの身には全く安らぎがなく、あらゆることで苦しんでいました。外には戦いが、内には恐れがありました。
しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことで私たちを慰めてくださいました。
テトスが来たことだけでなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、私たちは慰められました。私を慕うあなたがたの思い、あなたがたの深い悲しみ、私に対する熱意を知らされて、私はますます喜びにあふれました。
あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、私は後悔していません。あの手紙が一時的にでも、あなたがたを悲しませたことを知っています。それで後悔したとしても、
今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちから何の害も受けなかったのです。"
コリント人への手紙 第二 7章5~9節
すると、使徒20章1節には、エペソからフィリピに至る旅行が凝縮されていて、そこにはテトス再会についての悲哀こもごもと第二コリントへの手紙の執筆があったのです。
"騒ぎが収まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げ、マケドニアに向けて出発した。"
使徒の働き 20章1節
④フィリピからコリントへ
パウロはここで3カ月を過ごすが、ガイオの家に滞在した可能性が大きい(ローマ16:23)。そしてこの3カ月間の滞在中にローマ人への手紙を執筆したと考えられる。
⑤コリントの外港であるケンクレアから直接シリアに海路で向かう予定だったが、陰謀者の情報を聞いて陸路を通りマケドニアを経て帰ることに計画を変更した。
⑥フィリピから船出してトロアスまで行き、そこで7日間滞在している。出発の前夜、屋上の間で長い説教した時にユテコと言う1人の青年が3階の窓から下に落ち、死亡すると言う悲劇が起こる。だが彼の祈りによって蘇生した。
⑦その後アジア州の海岸線を南下する。
海路でアソス、ミティレネ、ミレトスと言う港に寄港ながらの船旅が続く。
⑧ミレトスでは近郊のエペソへ使いを送り、そこの長老たちに集まってもらい、そこで告別説教をする(使徒20章17-38節)。祭りのある五旬節までにはエルサレムについていたかったので時間節約のためであった。そして彼はこれがペソ教会の人たちと会う最後の機会であると直感していた。
⑨ミレトスから船出して、シリアのツロに到着した。
⑩ ツロからエルサレムに登り、第3次伝道旅行が終了している。
「バプテスマ・ヨハネの透視力」
マタイの福音書 3章1~12節
"そのころバプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べ伝えて、
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言った。
この人は、預言者イザヤによって「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われた人である。
このヨハネはらくだの毛の衣をまとい、腰には革の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。
そのころ、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川周辺のすべての地域から、人々がヨハネのもとにやって来て、
自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。
ヨハネは、大勢のパリサイ人やサドカイ人が、バプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。「まむしの子孫たち、だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。
それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。
あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。
斧はすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。
私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。私には、その方の履き物を脱がせて差し上げる資格もありません。その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。
また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめられます。麦を集めて倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」"
⑴ 時代に対しての透視力
①「主の通られる道を真っすぐにせよ」
まもなく主の主であられるメシアが到来する時代が来るとの認識
②「荒野で叫んでいる者の声です」(ヨハネ1:23)〜自身の宣教活動がマラキ書預言の成就であると認識している
(例)今回の新コレラウィルスのによる世界中の混乱は聖書預言と照らしてどう理解すれば良いのか
⑵天の国に対しての透視力
①「天の国は近づいた」(2)
「天の国」とは霊的な王国ではなくメシヤ的王国のこと
この動詞は完了形が用いられている
②パリサイ人らが抱いている天の御国への入国条件に関する認識の違い
「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができる」
⑶メシアに対する透視力
ヨハネはその方の奴隷となる資格もないほど偉大な方
彼自身は「声」に過ぎず決して神の摂理を踏み越えようとはしない
②「聖霊と火とのバプテスマをお授けになります」
聖霊によって信者を生み出し、やがてそれを「倉」に収納する
不信者を「消えない火」に投げ入れる。
両者を選別する「箕」を手にしておられるお方。
(結論)
バプテスマのヨハネにこれだけの洞察が与えられたのは天からの啓示があった故。彼はそれを聖書研究から与えられている。時代を正しく認識し永遠を展望した価値観に生きよう。
定期的に開催しているシアトル地区の日本人教会・牧師、宣教リーダー達との会合。
こんな時勢なので今回はズームで開催。
その直前にズーム・アプリをダウンロードして初めて使ってみたが、なるほど数人と同時にビデオ会議ができてこれは便利。
ある牧師は他州へ旅行中のため、そこの湖に浮かぶボートからの参加となった。
どの教会も集会は閉鎖している。
それぞれの教会の持つ課題やリーダー達が感じているこの時期ならではの重荷を互いに分かち合い、そして心合わせて祈るひと時。
最も古く権威のあるヘブライ語聖書写本のマソラ文書
コロナウィルスで私のいるワシントン州は、外出禁止令が発令されて家に閉じこもざるをえなくなりました。
そこで本業の聖書研究に勤しむ時が与えられたという次第です。
数日前も詩篇77篇にある日本語訳にかなり疑問を感じたことを紹介しましたが、さらにその話を進めて行きます。
先ず、その詩篇77篇です。
"私は神に声をあげて叫ぶ。私が神に声をあげると神は聞いてくださる。
苦難の日に私は主を求め夜もすがらたゆまず手を差し伸ばした。けれども私のたましいは慰めを拒んだ。
神を思い起こして私は嘆き悲しむ。思いを潜めて私の霊は衰え果てる。セラ
あなたは私のまぶたを閉じさせません。私の心は乱れてもの言うこともできません。
私は昔の日々遠い昔の年月について考えました。
夜には私の歌を思い起こし自分の心と語り合い私の霊は探り求めます。
「主はいつまでも拒まれるのか。もう決して受け入れてくださらないのか。
主の恵みはとこしえに尽き果てたのか。約束のことばは永久に絶えたのか。
神はいつくしみを忘れられたのか。怒ってあわれみを閉ざされたのか。」セラ
私はこう言った。「私が弱り果てたのはいと高き方の右の手が変わったからだ」と。
私は主のみわざを思い起こします。昔からのあなたの奇しいみわざを思い起こします。
私はあなたのなさったすべてのことを思い巡らしあなたのみわざを静かに考えます。
神よあなたの道は聖です。私たちの神のように大いなる神がいるでしょうか。
あなたは奇しいみわざを行われる神。国々の民の中で御力を現される方。
あなたは御腕をもって贖われました。ご自分の民ヤコブとヨセフの子らを。セラ
神よ水はあなたを見ました。水はあなたを見てわななきました。大いなる水も震え上がりました。
雨雲は水を注ぎ出し雷雲は雷をとどろかしあなたの矢もひらめき飛びました。
あなたの雷の声は戦車のように鳴り稲妻は世界を照らし地は震え揺れ動きました。
あなたの道は海の中。その通り道は大水の中。あなたの足跡を見た者はいませんでした。
あなたはモーセとアロンの手によってご自分の民を羊の群れのように導かれました。"
(詩篇 77篇1~20節)
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
ここで問題となっている箇所が10節で、
「変わったからだ」と訳していることに問題を感じるのです。
①神学的観点から疑問です。
先回紹介しましたように「神の右の手」とは、神の権威と力、またその栄光を象徴しています。そこに変化があると言うのは神学的に受け入れられません。
②本篇の文脈の中における位置づけからして疑問です。
詩聖は自らの苦境の中で神の恵みと約束を疑うようになります(1-9節)。
が、その中でこれまで神が人類全体にそして自分たちの民族にどのようなみわざをなされて来られたのかを静かに考えます(12-20)。
そこで至った結論が神の道が聖であり(13)、またその不思議な道に私どもが導かれてきた(20)、と告白して神の偉大さを仰ぐものとなったのです。
神への不信から晴れ晴れとした信仰に至った転換点が10節〜13節となります。
その信仰とは、逆境の時も順境の時も神は変わらずに「聖」であられたと言うことです。
③信仰体験に照らして疑問です。
私個人も詩聖と同様に苦難の中で神が見えなくなり、その恵みと約束を疑ったことがあります。しかし黙想と祈りの中で神のこれまでの確かな導きがあることを認め、その恵みが今も変わらず注がれていることを知るのです。苦難を経験するのは神の右の手が変わったことによるのではありません。不変のその右の手の中にあって、なお支えられていることを苦難の中で体験するのです。
その問題となっているヘブライ語本文と最も忠実に翻訳している英語訳を紹介します。
And I said, This is my infirmity: but I will remember the years of the right hand of the most High.
וָ֭אֹמַר חַלֹּ֣ותִי הִ֑יא נֹ֗ות יְמִ֣ין עֶלְיֹֽון׃
日本語訳では、
「いと高き方の右の手の年々を思い起こそう」
となるでしょう。
ヘブライ語本文を解説したアプリによれば、has changed (変わった)という語句はヘブライ語原文にはなく、人称代名詞と「年々」と訳されるべき語句が充てられているようです。
So I said,
וָ֭אֹמַר (wā·’ō·mar)
Conjunctive waw | Verb - Qal - Consecutive imperfect - first person common singular
Strong's Hebrew 559: 1) to say, speak, utter 1a) (Qal) to say, to answer, to say in one's heart, to think, to command, to promise, to intend 1b) (Niphal) to be told, to be said, to be called 1c) (Hithpael) to boast, to act proudly 1d) (Hiphil) to avow, to avouch
“I am grieved
חַלּ֣וֹתִי (ḥal·lō·w·ṯî)
Verb - Qal - Infinitive construct | first person common singular
Strong's Hebrew 2470: 1) to be or become weak, be or become sick, be or become diseased, be or become grieved, be or become sorry 1a) (Qal) to be weak, be sick 1b) (Piel) 1b1) to be or become weak, feel weak 1b2) to become sick, become ill 1b3) (CLBL) to entreat, pray, beg 1c) (Niphal) 1c1) to make oneself sick 1c2) to be made sick 1c3) to be tired 1d) (Pual) to be made weak, become weak 1e) (Hithpael) to make oneself sick 1f) (Hiphil) 1f1) to make sore 1f2) to make sick 1f3) to show signs of sickness, become sick 1f4) to grieve 1g) (Hophal) 1g1) to be made sick 1g2) to be wounded
that the right hand
יְמִ֣ין (yə·mîn)
Noun - feminine singular construct
Strong's Hebrew 3225: 1) right, right hand, right side 1a) right hand 1b) right (of direction) 1c) south (the direction of the right hand when facing East)
of the Most High
עֶלְיֽוֹן׃ (‘el·yō·wn)
Adjective - masculine singular
Strong's Hebrew 5945: adj 1) high, upper 1a) of Davidic king exalted above monarchs n m 2) Highest, Most High 2a) name of God 2b) of rulers, either monarchs or angel-princes
has changed
הִ֑יא (hî)
Pronoun - third person feminine singular
Strong's Hebrew 1931: pron 3p s 1) he, she, it 1a) himself (with emphasis) 1b) resuming subj with emphasis 1c) (with minimum emphasis following predicate) 1d) (anticipating subj) 1e) (emphasising predicate) 1f) that, it (neuter) demons pron 2) that (with article)
שְׁ֝נ֗וֹת (nō·wṯ)
Verb - Qal - Infinitive construct
Strong's Hebrew 8141: 1) year 1a) as division of time 1b) as measure of time 1c) as indication of age 1d) a lifetime (of years of life)
聖書翻訳作業には翻訳者の思想なり神学が反映されるのはやむを得ないことです。
そしてギリシャ語70人訳聖書においては、ヘブライ語聖書の意図が得心出来るように加筆したり修正している箇所がしばしば見受けられます。つまり翻訳者は神ご自身よりも賢くなってしまっているのです。それ以降の他言語翻訳者はこの紀元前3世紀に翻訳された70人訳聖書を参考として翻訳する場合もあります。
訪問や外出自体が自粛や禁止に追い込まれている今、自宅に否応なしにとどまる時間が長くなってくる。
同じ場所でのデスクワークは効率も良くないので、午後からは場所を変えてのデスクワークをするために色々と調査。
ところがところが、図書館も全てが封鎖している。スタバやグローサリーのフードコートまでも閉鎖。
そこで忍び込んだのがHホテル。
と書いて、ラブホテルを連想する人がいるかもしれないので、フルネームで書くとヒルトンホテル。
そこのロビーを勝手ながら数時間お借りしました。
宿泊客自体が極端に少ないらしく、駐車場には数台しか車が止まっていませんでした。
ついにワシントン州もカリフォルニア州も新コロナさんに制圧された感です。
ワシントン州では今月末まで、カリフォルニア州・ベイエリアでは4月6日まで食料品医薬品等の生活必需品確保のため以外の目的での外出が禁止されることとなりました。
ジムやカジノ、レストランやバー、理容美容店等のビジネスはこの期間閉鎖です。
そんな中、ウィルス拡散にかかわらず、季節の移ろいや天体の運行にはなんら変化がない事を昨日教えてもらいました。
見晴らしの良い屋上で家族とともに日没を鑑賞。
太陽の上辺が地平線に吸い込まれる直前、近くの木の小枝で休んでいたカラスが一斉に飛び立ち、その数百羽が日没めがけて飛んでいきました。
「カラスが鳴くから帰ろう〜」との童謡を思い出しながら 、私たちも家路に着きました。
人間社会がどれだけパニック陥ったとしても、自然界や動物界の営みは変わらずに粛々と進んでいます。
そして天界においても変わりはありません。
神の人類救済計画は今も現在進行中です。
人が神に至る道は今も備えられています。
神が私たちに保護と平安を与えてくださっていることに変わりはありません。
"わざわいはあなたに降りかからず疫病もあなたの天幕に近づかない。
主があなたのために御使いたちに命じてあなたのすべての道であなたを守られるからだ。
彼らはその両手にあなたをのせあなたの足が石に打ち当たらないようにする。"
詩篇 91篇10~12節
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「自立した宗教人の育成」
サムエル記 第一 3章1~18節
"さて、少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。
その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。
神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていた。
主はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、
エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。それでサムエルは戻って寝た。
主はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」と言った。
サムエルは、まだ主を知らなかった。まだ主のことばは彼に示されていなかった。
主は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、主が少年を呼んでおられるということを悟った。
それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。
主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。
主はサムエルに言われた。「見よ、わたしはイスラエルに一つのことをしようとしている。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。
その日わたしは、エリの家についてわたしが語ったことすべてを、初めから終わりまでエリに実行する。
わたしは、彼の家を永遠にさばくと彼に告げる。それは息子たちが自らにのろいを招くようなことをしているのを知りながら、思いとどまらせなかった咎のためだ。
だから、わたしはエリの家について誓う。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に赦されることはない。」
サムエルは朝まで寝て、それから主の家の扉を開けた。サムエルは、この黙示のことをエリに知らせるのを恐れた。
エリはサムエルを呼んで言った。「わが子サムエルよ。」サムエルは「はい、ここにおります」と言った。
エリは言った。「主がおまえに語られたことばは、何だったのか。私に隠さないでくれ。もし、主がおまえに語られたことばの一つでも私に隠すなら、神がおまえを幾重にも罰せられるように。」
サムエルは、すべてのことをエリに知らせて、何も隠さなかった。エリは言った。「その方は主だ。主が御目にかなうことをなさるように。」"
⑴ その揺籃期
①幼少期から親元を離れての献身生活
②その摂理の道に忠実であった
1The boy Samuel ministered before the Lord under Eli.
⑵その黎明期
①「神のともしびが消される前であり」
神のイスラエルの対して、人間に対しての期待が消されていないことの象徴表現
②神のメッセージと御心をキャッチするには訓練が必要
4回目にようやく正しい応答ができた少年サムエル
⑶その確立期
「恐れた」(15)が、「隠し立てをしなかった」(18)
先生に対する人間的な恩義 vs. 神の前に1人立つ自立
自立の援助をしているメンターとしてのエリ
②主の預言者としての不動の地位(20)
「主のことば」によって主のご自身の表れに接するのは今日の新約宗教と同様である
(結論)
自立のための意思があるか。
①それは「私の考え・方法」に固執することではない
②与えられている摂理と環境・教育を通じて主のメッセージをとらえる訓練である
③預言者として立てられていると言う自覚に生きるかどうか
This afternoon, WA state Governor Inslee announced his Executive Order to close all schools in King, Pierce, and Snohomish Counties from March 16 through April 24.
It effects Kai not have school in next 6 weeks, neither Kathy for her teaching job in her elementary school.
This sudden announcement was totally surprised me followed the one by prime Minister Abe in Japan closing all schools in Japan in next four weeks.
本日の午後ワシントン州知事による指令が発令されてシアトル大都市圏の全ての幼稚園小学校中学校高校までの学校が3月16日から4月24日までの約6週間、休みとなりました。
安倍首相による全国一斉の休校要請が出されて後のことで、突然の知らせに驚きました。
「突然」といっても、対策パッケージが用意されているので現場にはそれほどの混乱がないように思います。ここが日本と違うところか。
例えば18歳以下の子供なら誰もが無料ランチを備えてくれる学校が2カ所確保されたり、また小学5年生までの子供たちを預かる場所が設けられていたり。そんな知らせも同時に届きました。
カイ君、良かったね〜。
「ヨセフのところへ行け」
創世記 41章53~57節
"エジプトの地での豊作の七年が終わると、
ヨセフが言ったとおり、七年の飢饉が始まった。その飢饉はすべての国々に臨んだが、エジプト全土には食物があった。
やがて、エジプト全土が飢えると、その民はファラオに食物を求めて叫んだ。ファラオは全エジプトに言った。「ヨセフのもとに行き、ヨセフの言うとおりにせよ。」
飢饉は地の全面に及んだ。ヨセフはすべての穀物倉を開けて、エジプト人に売った。その飢饉はエジプトの地でもひどくなった。
全地は、穀物を買うためにエジプトのヨセフのところに来た。その飢饉が全地で厳しかったからである。"
⑴ エジプト全土が飢えた時
①飢饉対策をして十分な食料があった(54)
ヨセフの先見によって豊作の7年間に備蓄
②そのエジプトにもやがて飢える時が来た(55)
「疲れた人、重荷を負っている人」(マタイ11:28)とは、律法主義(充分な防衛体制)に行き詰まり、活路を見出せないでいる姿。
⑵ヨセフのもとに行け
①パロからの全面的な信念と権限の委譲(40-41)
夢の解き明かしとその対策よる知恵の提示
それは神の霊が宿っているゆえ(38)
②イエスのところへ行け
神の言葉の解き明かしとその力ある業はメシアであるとの証明と理解を人々にもたらした
⑶彼のいう通りにせよ
① 「ヨセフはすべての穀物蔵を開けてエジプトに売った」(56)〜王立穀物貯蔵所には無尽蔵の蓄えがあった蓄えがあった
②「わたしから学びなさい。そうすれば魂に安らぎが来ます」(29)
「来る」動作は1時のことであっても、学びはそれ以後の人生全てにおけるもの
(結論)
イエスにある宗教とは、知識や体験、またはあるシステムやノウハウの伝授ではない。
「心優しく、へりくだっている」(マタイ11:29)お方の生き方とそのスピリットを継承することにある。
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