最近始めたTwitterでこんな名言を見つけました。
確かにこの10の項目が実行できたら、くよくよすることもないのではと思います。
私自身に欠けているのは、
「捨てる勇気を持つ」ということや「失敗を引きずらない」と言うあたりかな?
それがなかなかできないんだぁと言って引きずり出したら、これまた元の木阿弥。
もう一つ忘れてはならない座標軸があります。
それはこのような欠けのある人間だけれども、
大いなる方は私をここまで支えて運んできてくださったんだ、という事実
そして、これからもそうして下さると確信できること。
"ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。"
イザヤ書 46章3~4節
サンフランシスコの日本人街は活気があります。
つい数年前と比べてざっと見て3分の1から下手すると倍程の集客があるように見受けられます。クリスマス直前の週末だからでしょうか。
78年前の12月はパールハーバーによる日米開戦の時でした。
翌年の2月には大統領令が発令されて西海岸に住むすべての日本人日系人は強制収容所に収監されました。
人の一生ほどの時間しか経ていないのに、この変わり様は如何なるものでしょうか。「平和の塔」と名付けられている五重塔が、これからも二国間の友好関係を象徴するものでありますように。
カリフォルニア・ウオルナッツクリークにあるお気に入りのタイレストランでランチ。クリスマス時期になるとこの店はクッキーの詰め合わせなどのプレゼントしてくれる。
1時間ほどの所用を終えて建物を出てすぐ歩き出したところで、気がついたことがあった。
「あれ、どこに車を停めたんだっけ?」
右に行って良いのか、左に行って良いものか、さっぱりわからない。目の前の道路を車で走ったことは確か。そこまでの経路を思い出そうとする。
右のような気がして歩きながらリモコンキーの開錠ボタンを押す。近くにあればテールランプが光ってくれるはず。
2ブロックほど進んで気がついた。
あの時、左に行くべきだったんだ。
来た道を引き返しながら、これって徘徊老人の始まりなのかなぁ、とやや不安になる。こんな事は初めてだった。
iPhoneマップには車を降りた地点を地図上に示す時が度々ある。
どうするとそのような設定になるのか、IT音痴の私にはわからない。
ところで、
たとい痴呆が進んで認知能力が衰えたとしても、大いなる方のスピリットが指し示す道を捉える霊性は失いたくはない。
生活の細々としたところ、また将来の進路を決する判断をし続けるのが私どもの生涯ですが、そのすべてにスピリットが示す道を選んだなら間違いない。
"あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを、あなたの耳は聞く。"
イザヤ書 30章21節
Sacramentoに来たときに必ず寄るのがミクニ・レストラン。
カリフォルニアでベストな日本食レストランに毎年選出されている老舗でサクラメント界隈に8店舗ほど展開している。
初日の火曜日はこうしてテーブル席が空いていてご馳走にありつけた。翌日の水曜日は午後6時ごろだと言うのにもうどこも満席。
1人テーブル席でも15分ほど待たねばならないと言われる。
このレストランの特徴はシェフやサーバー全ての人が、生き生きと自発的に楽しそうに働いているところ。
創業した荒井牧師夫妻と受け継いだ3人の子供さん達のキャラクターがよく現れているのだと思う。
CEOの太郎さんはいつ来てもレストランにはほとんどいない。
ゴルフやバスケの試合に行ったり、テレビ出演していたり、旅行していたり、、、
遊ぶのも仕事も境目がつかないんだと思う。
そんな特徴が従業員の一人ひとりにも感じられる。
安倍政権のグローバル化政策によって大企業•大株主が取得している利益が日本国内には蓄積されずに世界に流出しているところに肝があります。
日本最大の大企業はトヨタ自動車ですが、その工場は今や米国やメキシコにあります。そこのからの利益は日本国内には還元されていません。
そしてこれら大企業の株主は配当金で潤っていますが、その多くは外国人です。つまり日本国内はスカスカ状態。
財閥企業数社によって国の産業が保たれている韓国は、そのさらに極端な例でしょう。中小企業が十分に利益を生み出さない状況の中にあって最低賃金だけを上げてしまえばその会社は立ち行かなくなってしまいます。
れいわ新選組は最低賃金1500円を保障政策として掲げていますが、それのできない中小企業に対しては国が足りない分を補填するとしています。
最低賃金で暮らしている方々の給与上昇分はそのほとんどが消費に回されていきます。それにより企業の業績を上げて経済が回っていきます。
裕福層がさらに富を蓄えてもそれは株や土地への投資に回すだけで何らGDPに貢献しません。
この日の出発は早朝の5時。
いつもより1時間早いためかシータック空港は人気がない。
保安検査場を行列なしでそのまま先頭に住めるのは気分が良い。
たった1時間違うだけでこんなにも様相が異なるんだ、と新たな発見。1時間後にはそこが数百人の行列となる。
機内もガラガラで1人に3座席1列のスペースが空いているとアナウンスされていた。
そんなことも予想して枕を持参したのは正解だった。
横になってスヤスヤと眠らせていただいた。
雲の上を寝ているんだよなぁ。
毎週恒例のグランマとの夕食。
今日はクリスマス仕様のディナーでした。
メニューはいつもと変わりないものでしたが、
クリスマスキャロルを合唱してくださっている男女四人組が、食事の間中歌い続けてくださっていました。
宗教とは無縁の養老ホームではあるのですが、歌うキャロルは全てクリスマスに関するもの。御子イエスの聖誕を祝う内容です。
歌や人々が交わす挨拶の言葉、そこから醸成される雰囲気に優ってキリスト教の浸透している社会だと感心したことをお伝えします。
グランマ曰く、今週の木曜日はこうした毎日の夕食サービスはお休みとのこと。その日の夕食は外注のサービスのより、ここのキッチンワーカーやウエイトレスなどが食事を振舞われるのだそうです。
キッチン関係者のみならず、清掃係や設備維持関連のスタッフ、このホームで働く全ての関係者が招かれて食事をするのだそうです。
彼らの働きへの感謝の夕食ですからもちろん無料。
彼らへの感謝金として毎年入居者による自由な献金を募るのですが、今年は約7万ドル(770万円程)が集まったそうです。
正確な職員数は知りません。40-50人ほど?
入居者が約100名として1世帯当たり1000ドル(11万円)ほどを捧げるとこの額に達するのだそうです。
この7万ドルの分配方法を聞いて深く感銘を受けました。
正社員やパート、見習い学生やマネージャーなどのポジションの上下に関わらずに、年間の総労働時間がたった一つの要因となってボーナスの金額が各自に査定されるのだそうです。どんな上の立場の人でも10時間働いたら10のボーナス。若い学生さんが100時間働いたら100のボーナスと言うわけです。
すみませんが、どうしても日本社会と比較してしまうのですよね。
日本の全労働者の4割は非正規雇用です。正規職員と全く同じ労働内容、時間であってもボーナスは支給されません。社会保障もしかりです。こうなると日本は階級社会と言えそうです。
大手製造業社員の平均ボーナスがざっくり100万円とか報道されたのは数週間前のこと。ボーナスゼロの人がこれを聞いたらどんな気分になることでしょう。
私自身はボーナスをもらえませんが、そんな日本にいなくて良かったと感じてしまいます。
かつて荒野でイスラエル人が天からのマナによって養われた時、一人ひとり公平に分配されたと聖書にはあります。
"そこで、イスラエルの子らはそのとおりにした。ある者はたくさん、ある者は少しだけ集めた。
彼らが、何オメルあるかそれを量ってみると、たくさん集めた人にも余ることはなく、少しだけ集めた人にも足りないことはなかった。自分が食べる分に応じて集めたのである。"
出エジプト記 16章17~18節
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「契約の箱を担いで」
ヨシュア記 3章14~17節
"民がヨルダン川を渡ろうとして彼らの天幕から出発したとき、契約の箱を担ぐ祭司たちは民の先頭にいた。
箱を担ぐ者たちがヨルダン川まで来たとき、ヨルダン川は刈り入れの期間中で、どこの川岸にも水があふれていた。ところが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際の水に浸ると、
川上から流れ下る水が立ち止まった。一つの堰が、はるかかなた、ツァレタンのそばにある町アダムで立ち上がり、アラバの海、すなわち塩の海へ流れ下る水は完全にせき止められて、民はエリコに面したところを渡った。
主の契約の箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった。イスラエル全体は乾いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた。"
⑴2千キュビトの距離を置く(4)
①契約の箱は神の臨在の象徴であり、新約の光からはキリストご自身
②契約の箱は先頭を進む(3)〜これまで通った事のない道。摂理を飛び越えて先回りしてはならない。
⑵祭司の足が水際に達したとき(15)
収穫時のヨルダン川は満水〜超える事の出来そうにない人生の大問題。健康、経済、事業の課題に直面して
② 「信仰の創始者・完成者」であられる主がすでに通られた道
⑶川の真ん中にしっかりと立つうちに(17)
①内住されるキリストを自覚しているか。
問題の只中で尚も臨在の主を礼拝し賛美しているか。
②その時の祈りがキリストの祈りとなっているか。
(結論)
私たちはヨルダン川渡河と言う前代未聞の劇的な奇跡に心奪われる。しかしここでちゅうし注目すべきは、
①主の御心の中に居続けているのか
②主に祈りの成就の時と方法とを委ねているのか
③主の祈りと同一化されているのか
ベルビューにあるボテニカルガーデンでは毎年恒例のイルミネーション祭りが開催されてます。
毎回拡充されて設備も整って来ました。
10年ぶり程に来てみると、真新しい建造物が建てられていました。
そこにあるカフェでは素敵なお姉さんが熱いラテの上に冷たいホイップクリームを乗せてくれたのです。
カフェを求める行列のお客さんに大忙しの彼らは、冷たい冷気をよそに半袖で活躍しています
The winner is a dreamer for never give up.
by Nelson Mandela
(勝者とは、決して夢をあきらめない者のことです)
1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受けたマンデラ氏は、27年間投獄されていました。
1990年で釈放され、その4年後に南アフリカ共和国大統領に就任した時は76歳になっていたのです。
獄中生活の中で当初怒りや恨みに支配されていたそうですが、人種差別政策の撤廃をと言う夢を追いかけることを始めます。
夢を実現するためにはあきらめないという強い思いと信念が必要でした。
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