アリューシャン列島沖合から。
ANAの安全喚起のビデオいい!
歌舞伎役者がクールジャパンを演じてくれて、日本人としての誇りをくすぐってくれる。
日本人に生まれて良かったと、このビデオ見て単純にそう思った。
ラグビーワールドカップでウェルズの選手たちの前でその国家を歌ったとき、「なぜ日本人が我ら国歌を歌うのだ!?」と彼らが驚いたような衝撃と共通する部分があるかもしれない。
ここの画像は先週の試合のものです
本日の息子のサッカーの試合は見応えがあった(らしい)。
彼自身も難しいボールをうまくボレーで捉えてシュートを放つも、その弾丸シュートはゴールポスト前に立つ相手プレーヤーに運悪く弾き返され得点には結びつかなかった(らしい)。
(らしい)と書いたのは、直接の目撃者となれずに観戦していたある父親からの情報によるため。
日本出立の当日、今日の朝はてんてこ舞いだった。
ゲームがあるというので栄養価の高い目玉を息子に用意してから彼を送り出す。少なくとも試合の半分は観戦に行くよ、と言って。
ところが昨日コスコで用意した真新しい着替えやお土産を揃えるのに思わない時間がとられた。
さらにその日のランチの弁当作りもある。
試合会場に駆け付けた時には、すでに全てが終了した後だった。
この日はキャシイが観に来ていないため、私が観ていなかったとは言えない。
車中、後半戦を観戦していたことにして、試合内容をあの父親から聞いた情報から振り返り、接戦ながらも4-3で勝利した健闘を称える。
(主よ、ごめんなさい。
息子をガッカリさせるわけにはいかないのです。)
試合後は、一旦家に戻って一つの車で息子と二人、空港へ。
16歳の息子が高速を運転して空港まで見送り役が出来るだなんて未だに驚き。
千葉県館山市での台風15号による災害復興ボランティアを募集します。
日本へ出発する約12時間前となりました。
先ほど災害復興支援協会「つながり」の館山市にある拠点オフィスに電話しましたところ、まだブルーシートによる屋根の補修、瓦礫撤去や清掃など多岐にわたるボランティアを多く必要としているとのことです。
「つながり」がオフィスとしても使用されているホテルを宿泊所として利用出来るとのことで、
高橋は一泊二日、来週の25日朝から26日夕刻までの活動を計画しています。
「つながり」のボランティア活動についての詳細はこちらをご覧ください。
http://tsunagari-project.com
ボランティア募集。
高橋は25日朝に横浜でレンタカーを借りて千葉県館山へ向かいます。ともにボランティアをしても良いと思われる方、レンタカーに同乗して共に向かいましょう。
高橋は26日まで滞在しますが25日だけでも、半日の部分参加でも結構です。そしてさらなる長期滞在は歓迎されるとのことです。
高橋の知人・友人はもとより直接面識のない方でも大歓迎です。
もし時間が合えば同乗出来ます。
拡散希望。
どうぞこの情報をボランティアを考えていらっしゃる方のためにシェアしてください。
(下記は、本日21日の「つながり」の活動支援状況)
千葉館山台風15号 被災地災害支援 9月21日
9月21日(土) 曇り
災害から14日目 活動10日目
本日のボランティア人数 160名
ボランティア総人数 976名
本日の完了現場 16件
総現場数 291件
完了ニーズ数 181件
残ニーズ数 110件(うち、ブルーシート 87件)
作業内容:ブルーシート張り、ガレキ撤去・搬送、倒木の切断、ホテルの修繕・清掃
今日はボランティアに参加された皆さんへ、ハワイから焼きそばとカレー、栃木からギョウザの炊き出しが振る舞われました。
そして、熊本県御船町町長が激励に訪れました。
《ボランティア・物資・支援金》大募集中!!
毎日ボランティア募集
日帰りOK 交通手段は車のみ
電車・バスでも拠点付近まで不定期で運行開始しておりますので、各自お調べください。
●1週間以上の長期ボランティアを特に大募集
●高速無料
●ボランティア保険加入OK
●三食支給(無料)
●大浴場完備(無料)
●温水シャワー
●オーシャンビューホテル宿泊施設完備(無料)
●Wi-Fi完備
●洗濯機有り
●大型駐車場完備
●手ぶらでOK(長ズボン着用)
●道具無料貸し出し
●女性・子ども(小1から)軽作業あり
●長期スタッフ個室完備
●初心者大歓迎
●受付班、清掃班、IT班、送迎班、物資班、搬送班、ニーズ取り班、記録班、ブルーシート屋根班、ガレキ撤去班、など自分に合った班を選べます。
★炊き出し50〜100食 募集
(被災者・ボランティア)
●ボランティア参加の方は、下記のボランティア申し込みリンクからよろしくお願いします。
《ボランティア参加はこちらから》
https://www.sumarep.com/events/402/event_bookings/new
〈一日の流れ〉
8:00 受付開始
8:30 朝礼
12:00 昼休憩
16:00 活動終了
16:30 終礼
※ 途中参加・解散OK
【集合場所】
TSUNAGARI千葉館山拠点
〒294-0307
千葉県館山市波左間588 West Peninsula Hotel
080-8219-0311 つながり事務局
※ 駐車場あり
【必要物資】
★トランシーバー(FT-60かALINCO DJ-557)
●工具箱
●救急箱
●踏み抜き防止インソール
●パイプ椅子
●電子レンジ
●チェンソー
●てみ(中)
●ハシゴ、脚立 (大)
●ボールペン(黒)
●マジック(黒・赤)
●番線カッター(小)
●ノコギリ、ハンマー(大・中)
●ピック
●はつり機
●一輪車
●剣スコ・角スコ
●軽トラック・軽ダンプ
●じゅうのう(小)
●ほうき・ちりとり
●マイクロSDカード32・64・128
●USB
●革手袋・ゴム手袋
●割り箸・紙コップ
●長靴
●A4コピー用紙
●プリンター
●シーツ
●布テープ(赤、青、黄)
●プラほうき
●誘導棒(赤)
●登山ロープ
●ハーネス
●くつ下
●プラダン
●紙ボウル大(カレー容器)
【急募】
下記が不足しています。
ご支援よろしくお願いいたします。
●#3000以上のブルーシート(サイズ大・中【大量に必要】)
●UV対応土囊袋【大量】
●缶詰
●パン
●パックのジュース
●ウィダーインゼリー
●カップラーメン
●キットカット
●フルーツ(バナナ等)
【ボランティアサポート物資送り先】
ボランティア団体TSUNAGARI勝又宛て
〒294-0307
千葉県館山市波左間588 West Peninsula Hotel
080-8219-0311
●JDAドローンパイロットは包括申請完了の機体をお持ちください。
支援金も引き続き募集中です
~皆様のご寄付により当団体の活動は支えられています~
【活動支援金口座】
仙台銀行(センダイギンコウ)
歌津支店(405)
普通 3112221
一般社団法人震災復興支援協会 つながり
(イッパンシャダンホウジンシンサイフッコウシエンキョウカイツナガリ)
皆様の力が必要です。
ご協力よろしくお願いいたします!
https://twitter.com/umetaro_uy/status/1174337494495612928?s=20
小川アナ「国民基礎調査で『生活が苦しい』と感じてる世帯が57.7%、これはどう受け止めればいいのか?
安倍先生「あの、それは、あの~、確かに、あの~、皆がこの、十分に、え~、それを、豊さを感じる状況を作っていきたい」
生活が苦しい日本作ったのは安部先生、あなたのおかげです。
20年間のデフレに苦しんでいる日本にさらなる消費増税なんて狂気の沙汰です。
消費税を増税させることにより、
より消費を抑制し、
より投資を冷え込ませ、
より賃金をカットされ、
失業率だけは下がっても、
貧困層が広がっていくばかり。
海外居住者が日本を旅行するときの力強い味方JRパス。
本日シアトルダウンタウンに行ってきて、いつもお世話になっている旅行会社から購入。
普通車の1週間料金が$274。約3万円程。
これを一度払ってしまえば、1週間以内の新幹線や特急が乗り放題。日本中どこへでも行けてしまう魔法のパス。
ただ新幹線で「のぞみ」が使えないのが玉に瑕。
最近のひかりは、かつてのこだまのように停車が多くなった上に、九州に行くときには岡山で乗り換えなければならないし、不便を感じた。
それでも前回訪問時には15万円分ほどを使ったことを考えればお得感がある。
ところで、すっかりアメリカナイズされた会社であると思っていたのですが、壁に貼ってあったクールビズの張り出しに「アレ〜」と思いました。
働いてる社員は日本人ばかりのためでしょうか。
米国の通常のオフィスでは、ドレスコードなんて会社に指定されることはほとんどありません。
暑ければ上着なんて自らとっとと脱ぐのですよ。
オリンピック半島にある海に突き出た砂州
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「かすかな細い声」
列王記 第一 19章3~14節
"彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、
自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。
彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。
主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。
彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。
彼はそこにある洞穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、主のことばが彼にあった。主は「エリヤよ、ここで何をしているのか」と言われた。
エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」
主は言われた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」するとそのとき、主が通り過ぎた。主の前で激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。
地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。
エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て洞穴の入り口に立った。すると声がして、こう言った。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」"
⑴貴方だけに届けられる声
① 他者との比較の世界に生きているエリヤ〜先祖たちと比較(4)、モーセと比較(8、新約の変貌山)
②自負心と自己実現の陶酔にあっては聴こえない声(火と水を持って応えた神:18章))
⑵壊れた者に寄り添われる声
①エニシダの木の下で死を願うエリヤに2回顕現された主の使い(受肉前のイエス様)
説教ではなく食事を(5)
逃避行を勧める?(7)
② 「エリヤよ。ここで何をしているのか」
エリヤ自身のあり方(BEING)を振り返らせている。
エリヤの答えからDOINGに誇りと自負心を持っているのがわかる。
⑶新たな展望・ビジョンを与える声
①シャカイナ・グローリー(大風、地震、火)の中に主はおられなかった。これまでの民族歴史や個人経歴のスタイルや期待とも異なる方法で顕現された神。
②考えも及ばなかった展望
アラム王、イスラエル王、後継預言者の任命
7千人のレムナント(残りの者)
(結論)
自己の対する誇りと祝福の前提が葬り去られる時に聴こえて来る「かすかな細い声」がある。
その声を聴き分け新たな展望を得て指針に生きる者とされよう。
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。
卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。
そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。
教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。
本の題名は「人生は80歳から始まる」。
確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。
私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。
今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。
まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。
皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。
その第38回目は、新たな可能性を求めて紀伊長島に生活と伝道の拠点を移すに至った経緯についてです。
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物置から始まった新生活
実は私は夢見るものでありませんが、ある夜、紀伊長島駅の近くにある大きな古い家にいる夢を見たのです。
それから可能性が次々と連想されて行くと、とても興奮して眠れなくなったのです。
古い家を探したわけでは無いしそこにあることすらも知らなかったのですけれども、実際に私のところにある物件が持ち込まれました。
その所有者の娘さんはここ数年間、英語クラスの熱心な生徒さんでした。私たちは聖書を読み、祈りを共にして来ました。彼女の家族はとても良い友人とご近所さんとに囲まれていました。
とにかくその物件はとても古いものです。その上それは物置として使われてきたものでした。
そこにはキッチンがなく、二つの部屋の天井板は垂れ下がり、床にはヒビが入っている上に、照明器具からの灯りは年代ゆえに黄色い光を放っていました。
なんとも大きなチャレンジです!
この物件の立地と広さには申し分ありません。
所有者の方は「どうぞ修理した上で好きなようにお使いください。家賃は要りません」と言ってくださいました。
その家の修繕工事は見事なものでした。新しいキッチン、頑健な床材、新しい天井板、敷き詰められたカーペット、それに照度調整できる照明器具。工事に直接携わって下さった方々さえもその見事な出来栄えを賛辞したほどです。
私は神様ご自身が何らかのあり方でご臨在されて、その物件を美しく仕上げてくださったように感じました。どんなに修繕したとしてもかつては物置であったのには違いないわけでして、それは外国人差別ではないか、と考える人もいたようですが、私には何ら問題を感じませんでした。
フレンドシップ・ハウス
バーゲンセール、寛大な値下げ、温かい心で熱心に働く大工さん達、電気技師、配管工らの皆さんの協力によって私たちの「フレンドシップ・ハウス」は生み出されました。
経済的な必要が心配される向きもあったのですが、結果として、主は有り余る祝福を持って経済も満たしてくださいました。
これは秘密事業ではなかったことを皆さんはおそらく知っておくべきでしょう。
シェルホン先生には機会のある度に連絡していましたし、日本に来られたポール・フィンキーにももちろんお伝えして来ました。皆さんからの支持や理解とを得られるまでには、かなりの時間が必要であった事は言うまでもないのですが。
私の頼りになるカウンセラー
さて、こうして子供や大人も含めての新しい英語クラスの生徒さんも与えられて、制限なしの機会を得た私の働きは無限大に広がっていくかのように思えました。
高齢者に対する主のお約束に私は深く感謝します。私がまだ日本に来る前、主が私にお約束してくださったことは真実だったのです。
"主は彼らをその望む港に導かれた。"
(詩篇 107篇30節)
"見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、道中あなたを守り、わたしが備えた場所にあなたを導く。"
(出エジプト記 23章20節)
私は慌てたり心配したり必要はないのです。
主は私にイザヤ書を通じてこのように語ってくださっていますから。
"あなたがたは慌てて出なくてもよい。逃げるように去らなくてもよい。
主があなたがたの前を進み、イスラエルの神がしんがりとなられるからだ。"
(イザヤ書 52章12節)
名誉牧師
どうやら私には何やらタイトルがつけられねばならないようなのです。
「名誉牧師」が提案されました。
私には、そのようにして高められねばならない必要なんて何も感じませんでしたので、その提案を受け入れることはなかったのです。
「ただ私を、私のままにさせておいてください。私ができることだけをさせてください」とお答えしました。コンピューターが台頭しているこの世代にあって、私はそのシステムに付いていくことができないのです。
私はまるでサウルの鎧を着たダビデのようでした。
彼は大きなチャレンジを前にした時、その鎧を着たままでは何もする事もできず、歩くことすら出来無いままでした。ダビデがそうしたように、私も普段使い慣れている道具を使いたいのです。
私はチャンピオンにはなれないかもしれませんが、最後まで私のできるベストをさせていただきたいと願っています。
親善大使となって
もし私がキリストとその御国のための忠実な親善大使となることが出来るなら、私の心は満たされるのです。親善大使は、その人自身の個人的な野心には仕えていません。彼はその出身国の便益を代表するものです。彼には働きが任されていますが、その出身国の原理原則に忠実でなくてはならないはずです。
政府はその大使に対してサポートと福利厚生、また安全を保障するための完全な責任を負っています。大使にとっての究極的な願望は、彼の国にとっての最善でしかありせん。
私たちの主イエスキリストの永遠の御国のための親善大使となること以上に偉大なる召しがこの世界に存在し得るでしょうか。
主イエス・キリストの囚人
パウロとシラスはかつて公に鞭打たれて牢獄に投げ込まれた時、彼らの足には足かせがはめられていました。彼らは眠ることができなかったので賛美をしたり祈ったりして、静かにはしていなかったのです。
そんなことがあって後、神様は地震を起こされました。
看守とその家族は改心へと導かれました。これらの試練を通じてどんなことがパウロに起きようとも、彼はただ御国の前進のためにだけに生きるものとされていると言う確信に至ったのです。
彼は時にローマ帝国の囚人として引き渡されることになりましたが、彼自身は常に主イエス・キリストの囚人であるとの認識を持っていました。
看守たちの間に鎖で繋がれながらもパウロは証をして、その魂を御国のために勝ち取り、そしてついには諸教会への励ましと教えの書簡を送り続けて、クリスチャン生活の指針を伝えたのでした。
大変多忙な囚人として、彼は全てのことをキリストとその御国の栄光のために捧げたのでした。
彼はキリストのために被る苦しみと同化されることに喜びを見出していました。
人々がパウロを困難な道から思い留まらせようとしたときに、彼はこのように答えています。
"けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。"
(使徒の働き 20章24節)
これが私の願いでもあります。
次の詩がこの私の想いをよく表しています。
“主よあなたのための働きを終了するまで私を死なせないで下さい。
私の地上での働きがどんなものであったとしてもです。
その使命を成し遂げないうちに 私を召し上げないでください。
私の土地に耕していない部分があるなら それをそのままにしないでください。
この真理を私に刻みつけてください。
私が手付かずに残しておいた領域は 私以外誰も成し遂げる事は出来ないという事を”
ある方はまた言っています。
“私たちは仕事を終えるまで不死身です”
SanRahaelの聖堂
「普通の人、エリヤの祈り」
列王記 第一 18章41~46節
"エリヤはアハブに言った。「上って行って、食べたり飲んだりしなさい。激しい大雨の音がするから。」
そこで、アハブは食べたり飲んだりするために上って行った。エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔を膝の間にうずめた。
彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海の方をよく見なさい。」若い者は上って、見たが、「何もありません」と言った。するとエリヤは「もう一度、上りなさい」と言って、それを七回繰り返した。
七回目に若い者は、「ご覧ください。人の手のひらほどの小さな濃い雲が海から上っています」と言った。エリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」
しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗って、イズレエルへ行った。
主の手がエリヤの上に下ったので、彼は裾をたくし上げて、イズレエルの入り口までアハブの前を走って行った。"
⑴先見者の確信〜大雨の音を聞いた(41)
① 3年と半年の間雨はなく土地はやせ細っていた(ヤコブ5:17)
②火を持って答える神、この方は祈りに応答される方であることをすでに体験していた(37-38)
⑵没頭した祈り〜自分の顔膝の間に埋めて(42)
①注意を分散させず祈りに沈潜していった
② 失望的な報告「何もありません」に耐え続けた祈り
見える変化は何もなくてもあくまで確信(1)が揺るがない
祈りながら夜を明かされた主の模範(ルカ6:13)
40日40夜断食して祈ったモーセ(出エジプト24:18)
⑶永遠者との合一〜手のひらほどの小さな雲が海から(44)
祈りが長時間にわたる理由
霊的な障害が取り除かれない、集中するのに時間がかかる、サタンが祈りを妨げる、肉体的弱さ、精神的低下、、、?
神と同じ立場、見地に立つまでに時間を要する
(結論)
祈りにおいて私たちには安息、刷新、充填が備えられる。主ご自身の御霊と1つとなれる世界がある。
k
またまた見ごたえのある論者の番組を発見。
日本の中学校でお金に関して、税制のあり方がこのように教えられていると知ってまずは驚き。
自らの学生時代を振り返ってもなんとなくこのように考えていたなぁ。
若いときに刷り込まれた洗脳教育は長く続いてしまい、今やこの国全体を覆っている停滞感を支える論拠になっている。
中学生のみなさん、嘘を見破ってください。
教科書に書かれている事を金科玉条のように全て正しいこととして飲み込んではなりません。
進化論を論証された科学的真理であると勘違いするのと同様に誤りです。
クリティカルシンキング(批判思想)を常に養いましょう。
https://youtu.be/R3yNbH95gUI
オリンピック半島・ハリケンリッジからの眺め
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。
卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。
そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。
教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。
本の題名は「人生は80歳から始まる」。
確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。
私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。
今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。
まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。
皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。
その第37回目は、なおも試練の中を通られて現実の厳しさに直面される場面です。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
神の御国への投資
新しく日本人牧師が任命されて多くの変化が伴いました。
私には何ら相談は無いままに、私は錦教会の様々な責任から退くこととなりました。
実はこれらのことをお話しする際には多くの涙が流され、また私自身が大変傷ついてしまうことにもなります。ただし、誰かを傷つけたりつまずかせようと願ってのことではありません。
「先生は錦教会に大きな貢献をされ、それはいわば投資であって、先生が買ったものではありません。それは先生のものではないのです」と言われました。
私自身よりも他の方々の方がより多くの投資をしてくださったのに、どうして私が所有権を感じることがあり得るでしょうか。確かにポール・フィンキーと彼の奥さんのエタの方が投資家として記録されるに相応しいはずです。彼らはアパートの建物を売って錦教会に投資してくださいました。
二人の錦教会員は、聖地旅行のために蓄えていた資金を捧げられました。
他のご家庭は彼らの「ドリーム・ハウス」を捧げられました。
他の方はとても必要であったはずの新車を買うのを延期されました。
ただキリストのみが私どもの宝の側に立ち、私どもの捧げ物をご覧になられて、そして私どもの投資を正しく評価することがお出来になるはずです。
「柔軟な考えを持ったものは幸いです。彼らは体型を崩すほど凝り固まることがないからです」
適切でない日本語メッセージ
新しい牧師が到着するとまもなく、非難の声が上がり始めました。
私が流暢な日本語を話せないと、誰も私に教えてくれる必要は無いはずです。
日本各地で働いたものですから、私の言葉は標準語と山形方言のズーズー弁、さらに錦弁とが加わって、それらがミックスされたものを話していました。
外国語を話す困難さについてなら、私は誰よりもよく知っています。
私は常に聖霊様が御言葉を通して私たちすべてに語りかけてくださることを、どうしても必要な祈りとして固く保ち続けてきました。そして聖霊様は実際に語って来られたのでした。
多くの改心者が与えられて、教会は祝福されて来ました。
教育者や専門家たち、そしてビジネスマンたちが誰からも強要されることなく自主的に、定期的に教会に出席されてきたのです。
ふさわしくないオルガン奏者
私のオルガン演奏もふさわしくないとされました。
私の音楽教育は母親から直に授けられたものでして、彼女はいわば仔馬に乗った若い女性が田舎を巡るように、自由気ままに子供たちに教えてくれました。
彼女は私に初歩的なものを教え、またいくつもの練習教本を与えてくれました。
その中には古典的なものがあります。ベートーベンやバッチ、モーツァルトやハイデンなどの肖像画がその表紙を飾っていました。
常に彼女はこう言っていました。
「すべてはあなたがどれぐらい練習に打ち込むかと言うことなんです。これらの有名な音楽家たちは、毎日ピアノに八時間も向かっていたのですよ」
私はそんなに長い時間は座っていられない者でして、決して有名にはなりませんでした。
私は完成された音楽家とは決して言えませんが、これまでバイオリンやチェロ、アコーディオンなどの楽器を用いて様々な教会のオーケストラで演奏してきました。
私は川崎での路傍伝道や大江町でもマーチングバンドの一画を担いました。
錦教会で停電となったときには、アコーディオンで礼拝を導いたこともあります。
本田クルセードでのピアニスト
「私にはできる」「私にはできない」と決める際、その場の雰囲気が大きく影響していることを発見しました。
かつて川崎市で全市をあげての本田クルセード大会があった時、私はピアノ演奏を依頼されたのです。会場となる教会にはピアノがありませんでしたが、私の生徒の一人が家族で使っていたピアノを捧げてくださると言うのです。
私は既にそのご家族とは友人のように親しくしていて、歓迎してくれていました。そのご家族は本田先生と司会者たちの為に、快適なお部屋まで提供されました。
任じられたのなら、もちろん最善を尽くします。けれども洗練されたマリンバ奏者や全ての重厚なプログラムについていくには到底届かず、私はまるで無能な演奏者のように感じていました。
それでも皆さんの祈りと励ましがあり、また一致した祈りと働きによって私はなんとかやり遂げたのでした。
吹奏楽器は私に任せて良いものではありません。それは常に私がおしゃべりをしてなくてはならなかったからでしょう。一方で私の二人の兄弟は吹奏楽器に大変長けていて、ある時私に教えてくれたことがありました。しかしほとんどのレッスンは、大きな笑い声を吹き出すことで終わりました。笑いながら同時に吹奏楽器を演奏する事は出来ません。彼らはついに教えることを諦め、私もそれを認めざるを得ませんでした。
やがて天国においては全てが完全とされるのですから、私はみ使いの歌うコーラスに合わせてハープを手に取って演奏することが許されるのではないか、と今から期待しています。でもそんな事はどちらでも良いのです。私がたった一つ私の主からお聞きしたいことは、「良くやった良い忠実な僕だ」とおっしゃっていただくことです。
牧師は多くのことを変えていくことができるでしょうが、神様が与えてくださっている約束だけは変えることはできません。残念なことですが、批判や苦情等の声が広がっていくに従い、錦教会に関わる私の役割や確信は萎んで行かざるを得なかったのでした。
高齢者たちへの特別な祝福
ある牧師はこんな風にも言ってくれました。
「私たち日本人が紫陽花を好きになれないのは、お年寄りのように枯れた後でも長く居座っているからです」
確かに人々は私たちの外側の現れを見ますが、神様は心をご覧になられます。
神様の高齢者に対しての尊い約束を思い出して、私は喜びさえ感じます。
"正しい者はなつめ椰子の木のように萌え出でレバノンの杉のように育ちます。
彼らは主の家に植えられ私たちの神の大庭で花を咲かせます。
彼らは年老いてもなお実を実らせ青々と生い茂ります。"
詩篇 92篇12~14節
さらに次の詩篇の御言葉では、私たちの人生の全ての時間において良いものに満たされること、私たちの若さが新しくされることが約束されています。
"あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる。"
詩篇 103篇5節
シャーマン
「シャーマンについてご存知ですか?」
ある牧師からはシャーマンの称号を授けていただきましたが、私には彼の意味するところが分かりませんでした。
Merriam Webster’s Collegiate Dictionary によれば、次のように解説されていました。
「シャーマニズムとは、目に見えない世界の神々や悪霊、先祖の祖霊などに対する信仰によって
特長付けられる宗教の一つであり、これらの霊に応答できるものがシャーマンとされている」
イエス様ご自身が、ベルゼブブの力によって悪霊を追い出していたと非難されていました。
こういった非難は宗教指導者らから寄せられていました。マタイ9:34、12:24。
イエス様に従う私たちも、そのような同様の非難を受けることがあります。
パウロはキリストの苦しみに預かる事はこの上ない喜びであり、キリストご自身と同一化される事であると感じていました。
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