オリンピック半島にある海に突き出た砂州
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「かすかな細い声」
列王記 第一 19章3~14節
"彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、
自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。
彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。
主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。
彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。
彼はそこにある洞穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、主のことばが彼にあった。主は「エリヤよ、ここで何をしているのか」と言われた。
エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」
主は言われた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」するとそのとき、主が通り過ぎた。主の前で激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。
地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。
エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て洞穴の入り口に立った。すると声がして、こう言った。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」"
⑴貴方だけに届けられる声
① 他者との比較の世界に生きているエリヤ〜先祖たちと比較(4)、モーセと比較(8、新約の変貌山)
②自負心と自己実現の陶酔にあっては聴こえない声(火と水を持って応えた神:18章))
⑵壊れた者に寄り添われる声
①エニシダの木の下で死を願うエリヤに2回顕現された主の使い(受肉前のイエス様)
説教ではなく食事を(5)
逃避行を勧める?(7)
② 「エリヤよ。ここで何をしているのか」
エリヤ自身のあり方(BEING)を振り返らせている。
エリヤの答えからDOINGに誇りと自負心を持っているのがわかる。
⑶新たな展望・ビジョンを与える声
①シャカイナ・グローリー(大風、地震、火)の中に主はおられなかった。これまでの民族歴史や個人経歴のスタイルや期待とも異なる方法で顕現された神。
②考えも及ばなかった展望
アラム王、イスラエル王、後継預言者の任命
7千人のレムナント(残りの者)
(結論)
自己の対する誇りと祝福の前提が葬り去られる時に聴こえて来る「かすかな細い声」がある。
その声を聴き分け新たな展望を得て指針に生きる者とされよう。
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。
卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。
そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。
教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。
本の題名は「人生は80歳から始まる」。
確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。
私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。
今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。
まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。
皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。
その第38回目は、新たな可能性を求めて紀伊長島に生活と伝道の拠点を移すに至った経緯についてです。
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物置から始まった新生活
実は私は夢見るものでありませんが、ある夜、紀伊長島駅の近くにある大きな古い家にいる夢を見たのです。
それから可能性が次々と連想されて行くと、とても興奮して眠れなくなったのです。
古い家を探したわけでは無いしそこにあることすらも知らなかったのですけれども、実際に私のところにある物件が持ち込まれました。
その所有者の娘さんはここ数年間、英語クラスの熱心な生徒さんでした。私たちは聖書を読み、祈りを共にして来ました。彼女の家族はとても良い友人とご近所さんとに囲まれていました。
とにかくその物件はとても古いものです。その上それは物置として使われてきたものでした。
そこにはキッチンがなく、二つの部屋の天井板は垂れ下がり、床にはヒビが入っている上に、照明器具からの灯りは年代ゆえに黄色い光を放っていました。
なんとも大きなチャレンジです!
この物件の立地と広さには申し分ありません。
所有者の方は「どうぞ修理した上で好きなようにお使いください。家賃は要りません」と言ってくださいました。
その家の修繕工事は見事なものでした。新しいキッチン、頑健な床材、新しい天井板、敷き詰められたカーペット、それに照度調整できる照明器具。工事に直接携わって下さった方々さえもその見事な出来栄えを賛辞したほどです。
私は神様ご自身が何らかのあり方でご臨在されて、その物件を美しく仕上げてくださったように感じました。どんなに修繕したとしてもかつては物置であったのには違いないわけでして、それは外国人差別ではないか、と考える人もいたようですが、私には何ら問題を感じませんでした。
フレンドシップ・ハウス
バーゲンセール、寛大な値下げ、温かい心で熱心に働く大工さん達、電気技師、配管工らの皆さんの協力によって私たちの「フレンドシップ・ハウス」は生み出されました。
経済的な必要が心配される向きもあったのですが、結果として、主は有り余る祝福を持って経済も満たしてくださいました。
これは秘密事業ではなかったことを皆さんはおそらく知っておくべきでしょう。
シェルホン先生には機会のある度に連絡していましたし、日本に来られたポール・フィンキーにももちろんお伝えして来ました。皆さんからの支持や理解とを得られるまでには、かなりの時間が必要であった事は言うまでもないのですが。
私の頼りになるカウンセラー
さて、こうして子供や大人も含めての新しい英語クラスの生徒さんも与えられて、制限なしの機会を得た私の働きは無限大に広がっていくかのように思えました。
高齢者に対する主のお約束に私は深く感謝します。私がまだ日本に来る前、主が私にお約束してくださったことは真実だったのです。
"主は彼らをその望む港に導かれた。"
(詩篇 107篇30節)
"見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、道中あなたを守り、わたしが備えた場所にあなたを導く。"
(出エジプト記 23章20節)
私は慌てたり心配したり必要はないのです。
主は私にイザヤ書を通じてこのように語ってくださっていますから。
"あなたがたは慌てて出なくてもよい。逃げるように去らなくてもよい。
主があなたがたの前を進み、イスラエルの神がしんがりとなられるからだ。"
(イザヤ書 52章12節)
名誉牧師
どうやら私には何やらタイトルがつけられねばならないようなのです。
「名誉牧師」が提案されました。
私には、そのようにして高められねばならない必要なんて何も感じませんでしたので、その提案を受け入れることはなかったのです。
「ただ私を、私のままにさせておいてください。私ができることだけをさせてください」とお答えしました。コンピューターが台頭しているこの世代にあって、私はそのシステムに付いていくことができないのです。
私はまるでサウルの鎧を着たダビデのようでした。
彼は大きなチャレンジを前にした時、その鎧を着たままでは何もする事もできず、歩くことすら出来無いままでした。ダビデがそうしたように、私も普段使い慣れている道具を使いたいのです。
私はチャンピオンにはなれないかもしれませんが、最後まで私のできるベストをさせていただきたいと願っています。
親善大使となって
もし私がキリストとその御国のための忠実な親善大使となることが出来るなら、私の心は満たされるのです。親善大使は、その人自身の個人的な野心には仕えていません。彼はその出身国の便益を代表するものです。彼には働きが任されていますが、その出身国の原理原則に忠実でなくてはならないはずです。
政府はその大使に対してサポートと福利厚生、また安全を保障するための完全な責任を負っています。大使にとっての究極的な願望は、彼の国にとっての最善でしかありせん。
私たちの主イエスキリストの永遠の御国のための親善大使となること以上に偉大なる召しがこの世界に存在し得るでしょうか。
主イエス・キリストの囚人
パウロとシラスはかつて公に鞭打たれて牢獄に投げ込まれた時、彼らの足には足かせがはめられていました。彼らは眠ることができなかったので賛美をしたり祈ったりして、静かにはしていなかったのです。
そんなことがあって後、神様は地震を起こされました。
看守とその家族は改心へと導かれました。これらの試練を通じてどんなことがパウロに起きようとも、彼はただ御国の前進のためにだけに生きるものとされていると言う確信に至ったのです。
彼は時にローマ帝国の囚人として引き渡されることになりましたが、彼自身は常に主イエス・キリストの囚人であるとの認識を持っていました。
看守たちの間に鎖で繋がれながらもパウロは証をして、その魂を御国のために勝ち取り、そしてついには諸教会への励ましと教えの書簡を送り続けて、クリスチャン生活の指針を伝えたのでした。
大変多忙な囚人として、彼は全てのことをキリストとその御国の栄光のために捧げたのでした。
彼はキリストのために被る苦しみと同化されることに喜びを見出していました。
人々がパウロを困難な道から思い留まらせようとしたときに、彼はこのように答えています。
"けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。"
(使徒の働き 20章24節)
これが私の願いでもあります。
次の詩がこの私の想いをよく表しています。
“主よあなたのための働きを終了するまで私を死なせないで下さい。
私の地上での働きがどんなものであったとしてもです。
その使命を成し遂げないうちに 私を召し上げないでください。
私の土地に耕していない部分があるなら それをそのままにしないでください。
この真理を私に刻みつけてください。
私が手付かずに残しておいた領域は 私以外誰も成し遂げる事は出来ないという事を”
ある方はまた言っています。
“私たちは仕事を終えるまで不死身です”
SanRahaelの聖堂
「普通の人、エリヤの祈り」
列王記 第一 18章41~46節
"エリヤはアハブに言った。「上って行って、食べたり飲んだりしなさい。激しい大雨の音がするから。」
そこで、アハブは食べたり飲んだりするために上って行った。エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔を膝の間にうずめた。
彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海の方をよく見なさい。」若い者は上って、見たが、「何もありません」と言った。するとエリヤは「もう一度、上りなさい」と言って、それを七回繰り返した。
七回目に若い者は、「ご覧ください。人の手のひらほどの小さな濃い雲が海から上っています」と言った。エリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」
しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗って、イズレエルへ行った。
主の手がエリヤの上に下ったので、彼は裾をたくし上げて、イズレエルの入り口までアハブの前を走って行った。"
⑴先見者の確信〜大雨の音を聞いた(41)
① 3年と半年の間雨はなく土地はやせ細っていた(ヤコブ5:17)
②火を持って答える神、この方は祈りに応答される方であることをすでに体験していた(37-38)
⑵没頭した祈り〜自分の顔膝の間に埋めて(42)
①注意を分散させず祈りに沈潜していった
② 失望的な報告「何もありません」に耐え続けた祈り
見える変化は何もなくてもあくまで確信(1)が揺るがない
祈りながら夜を明かされた主の模範(ルカ6:13)
40日40夜断食して祈ったモーセ(出エジプト24:18)
⑶永遠者との合一〜手のひらほどの小さな雲が海から(44)
祈りが長時間にわたる理由
霊的な障害が取り除かれない、集中するのに時間がかかる、サタンが祈りを妨げる、肉体的弱さ、精神的低下、、、?
神と同じ立場、見地に立つまでに時間を要する
(結論)
祈りにおいて私たちには安息、刷新、充填が備えられる。主ご自身の御霊と1つとなれる世界がある。
k
またまた見ごたえのある論者の番組を発見。
日本の中学校でお金に関して、税制のあり方がこのように教えられていると知ってまずは驚き。
自らの学生時代を振り返ってもなんとなくこのように考えていたなぁ。
若いときに刷り込まれた洗脳教育は長く続いてしまい、今やこの国全体を覆っている停滞感を支える論拠になっている。
中学生のみなさん、嘘を見破ってください。
教科書に書かれている事を金科玉条のように全て正しいこととして飲み込んではなりません。
進化論を論証された科学的真理であると勘違いするのと同様に誤りです。
クリティカルシンキング(批判思想)を常に養いましょう。
https://youtu.be/R3yNbH95gUI
オリンピック半島・ハリケンリッジからの眺め
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。
卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。
そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。
教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。
本の題名は「人生は80歳から始まる」。
確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。
私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。
今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。
まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。
皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。
その第37回目は、なおも試練の中を通られて現実の厳しさに直面される場面です。
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神の御国への投資
新しく日本人牧師が任命されて多くの変化が伴いました。
私には何ら相談は無いままに、私は錦教会の様々な責任から退くこととなりました。
実はこれらのことをお話しする際には多くの涙が流され、また私自身が大変傷ついてしまうことにもなります。ただし、誰かを傷つけたりつまずかせようと願ってのことではありません。
「先生は錦教会に大きな貢献をされ、それはいわば投資であって、先生が買ったものではありません。それは先生のものではないのです」と言われました。
私自身よりも他の方々の方がより多くの投資をしてくださったのに、どうして私が所有権を感じることがあり得るでしょうか。確かにポール・フィンキーと彼の奥さんのエタの方が投資家として記録されるに相応しいはずです。彼らはアパートの建物を売って錦教会に投資してくださいました。
二人の錦教会員は、聖地旅行のために蓄えていた資金を捧げられました。
他のご家庭は彼らの「ドリーム・ハウス」を捧げられました。
他の方はとても必要であったはずの新車を買うのを延期されました。
ただキリストのみが私どもの宝の側に立ち、私どもの捧げ物をご覧になられて、そして私どもの投資を正しく評価することがお出来になるはずです。
「柔軟な考えを持ったものは幸いです。彼らは体型を崩すほど凝り固まることがないからです」
適切でない日本語メッセージ
新しい牧師が到着するとまもなく、非難の声が上がり始めました。
私が流暢な日本語を話せないと、誰も私に教えてくれる必要は無いはずです。
日本各地で働いたものですから、私の言葉は標準語と山形方言のズーズー弁、さらに錦弁とが加わって、それらがミックスされたものを話していました。
外国語を話す困難さについてなら、私は誰よりもよく知っています。
私は常に聖霊様が御言葉を通して私たちすべてに語りかけてくださることを、どうしても必要な祈りとして固く保ち続けてきました。そして聖霊様は実際に語って来られたのでした。
多くの改心者が与えられて、教会は祝福されて来ました。
教育者や専門家たち、そしてビジネスマンたちが誰からも強要されることなく自主的に、定期的に教会に出席されてきたのです。
ふさわしくないオルガン奏者
私のオルガン演奏もふさわしくないとされました。
私の音楽教育は母親から直に授けられたものでして、彼女はいわば仔馬に乗った若い女性が田舎を巡るように、自由気ままに子供たちに教えてくれました。
彼女は私に初歩的なものを教え、またいくつもの練習教本を与えてくれました。
その中には古典的なものがあります。ベートーベンやバッチ、モーツァルトやハイデンなどの肖像画がその表紙を飾っていました。
常に彼女はこう言っていました。
「すべてはあなたがどれぐらい練習に打ち込むかと言うことなんです。これらの有名な音楽家たちは、毎日ピアノに八時間も向かっていたのですよ」
私はそんなに長い時間は座っていられない者でして、決して有名にはなりませんでした。
私は完成された音楽家とは決して言えませんが、これまでバイオリンやチェロ、アコーディオンなどの楽器を用いて様々な教会のオーケストラで演奏してきました。
私は川崎での路傍伝道や大江町でもマーチングバンドの一画を担いました。
錦教会で停電となったときには、アコーディオンで礼拝を導いたこともあります。
本田クルセードでのピアニスト
「私にはできる」「私にはできない」と決める際、その場の雰囲気が大きく影響していることを発見しました。
かつて川崎市で全市をあげての本田クルセード大会があった時、私はピアノ演奏を依頼されたのです。会場となる教会にはピアノがありませんでしたが、私の生徒の一人が家族で使っていたピアノを捧げてくださると言うのです。
私は既にそのご家族とは友人のように親しくしていて、歓迎してくれていました。そのご家族は本田先生と司会者たちの為に、快適なお部屋まで提供されました。
任じられたのなら、もちろん最善を尽くします。けれども洗練されたマリンバ奏者や全ての重厚なプログラムについていくには到底届かず、私はまるで無能な演奏者のように感じていました。
それでも皆さんの祈りと励ましがあり、また一致した祈りと働きによって私はなんとかやり遂げたのでした。
吹奏楽器は私に任せて良いものではありません。それは常に私がおしゃべりをしてなくてはならなかったからでしょう。一方で私の二人の兄弟は吹奏楽器に大変長けていて、ある時私に教えてくれたことがありました。しかしほとんどのレッスンは、大きな笑い声を吹き出すことで終わりました。笑いながら同時に吹奏楽器を演奏する事は出来ません。彼らはついに教えることを諦め、私もそれを認めざるを得ませんでした。
やがて天国においては全てが完全とされるのですから、私はみ使いの歌うコーラスに合わせてハープを手に取って演奏することが許されるのではないか、と今から期待しています。でもそんな事はどちらでも良いのです。私がたった一つ私の主からお聞きしたいことは、「良くやった良い忠実な僕だ」とおっしゃっていただくことです。
牧師は多くのことを変えていくことができるでしょうが、神様が与えてくださっている約束だけは変えることはできません。残念なことですが、批判や苦情等の声が広がっていくに従い、錦教会に関わる私の役割や確信は萎んで行かざるを得なかったのでした。
高齢者たちへの特別な祝福
ある牧師はこんな風にも言ってくれました。
「私たち日本人が紫陽花を好きになれないのは、お年寄りのように枯れた後でも長く居座っているからです」
確かに人々は私たちの外側の現れを見ますが、神様は心をご覧になられます。
神様の高齢者に対しての尊い約束を思い出して、私は喜びさえ感じます。
"正しい者はなつめ椰子の木のように萌え出でレバノンの杉のように育ちます。
彼らは主の家に植えられ私たちの神の大庭で花を咲かせます。
彼らは年老いてもなお実を実らせ青々と生い茂ります。"
詩篇 92篇12~14節
さらに次の詩篇の御言葉では、私たちの人生の全ての時間において良いものに満たされること、私たちの若さが新しくされることが約束されています。
"あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる。"
詩篇 103篇5節
シャーマン
「シャーマンについてご存知ですか?」
ある牧師からはシャーマンの称号を授けていただきましたが、私には彼の意味するところが分かりませんでした。
Merriam Webster’s Collegiate Dictionary によれば、次のように解説されていました。
「シャーマニズムとは、目に見えない世界の神々や悪霊、先祖の祖霊などに対する信仰によって
特長付けられる宗教の一つであり、これらの霊に応答できるものがシャーマンとされている」
イエス様ご自身が、ベルゼブブの力によって悪霊を追い出していたと非難されていました。
こういった非難は宗教指導者らから寄せられていました。マタイ9:34、12:24。
イエス様に従う私たちも、そのような同様の非難を受けることがあります。
パウロはキリストの苦しみに預かる事はこの上ない喜びであり、キリストご自身と同一化される事であると感じていました。
今日はAkemiが大活躍してくれました。
テーブルクロスやテーブルマットを自ら買いに行った後、バスルームに備え付けるラックも買ってきてくれてその上自ら組み立ててから設置。
この夏毎週のように山へキャンプに行き、しっかり筋肉質に縛られた体を自慢してましたが、この実用的なスキルにも大いに助けられちゃった。
今晩のディナー評価はアッパー&ミドルだそうです。
オリンピック半島はクレセントレイクにある「トトロの木」
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「あなたのその力で」
士師記 6章11~16節
"さて主の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下に座った。このとき、ヨアシュの子ギデオンは、ぶどうの踏み場で小麦を打っていた。ミディアン人から隠れるためであった。
主の使いが彼に現れて言った。「力ある勇士よ、主があなたとともにおられる。」
ギデオンは御使いに言った。「ああ、主よ。もし主が私たちとともにおられるなら、なぜこれらすべてのことが、私たちに起こったのですか。『主は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、先祖が伝えたあの驚くべきみわざはみな、どこにあるのですか。今、主は私たちを捨てて、ミディアン人の手に渡されたのです。」
すると、主は彼の方を向いて言われた。「行け、あなたのその力で。あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」
ギデオンは言った。「ああ、主よ。どうすれば私はイスラエルを救えるでしょうか。ご存じのように、私の氏族はマナセの中で最も弱く、そして私は父の家で一番若いのです。」
主はギデオンに言われた。「わたしはあなたとともにいる。あなたは一人を討つようにミディアン人を討つ。」"
〜救国の士師の召命〜
⑴その不屈さ
①不屈さ、堅忍
他者は洞穴や洞窟に隠れ潜んでいたが(2-3)
村に残り、酒船の中で小麦を打つギデオン(11)
②愛国の情熱
イスラエルの建国を掘り起こし、その栄誉が失墜いる現状を訴える。
自己と民族の同一化。
⑵その謙遜さ
①正しい現状把握 (15)
② 絶対他者なる方の評価
「勇士よ」(12)
⑶その力の源泉 (14)
自らの資質、所有している資源のままで良い
「あなたのその力で生き、救え」
派遣して同行される方がおられるから
「わたしがあなたを遣わす」(14)
「わたしはあなたといっしょにいる」(16)
(結論)
ペテロは、「私にあるものをあげよう」と物乞いの男に言い、彼の足はたちどころに癒された(使徒3:6)奉仕と生活の源泉となる力、期待を置き続ける対象、待望する源泉的な力を見出そう。
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。
卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。
そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。
教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。
本の題名は「人生は80歳から始まる」。
確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。
私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。
今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。
まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。
皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。
その第36回目は、紀伊長島での英語クラスの生徒さんら十数名を引率されて米国へ英語研修旅行に来られた思い出です。
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第四部
紀伊長島の開かれたドア〜牧師転任という変化の中で
私は変化を覚悟していました。そしてそのための心の準備もしていました。
「先生がもし明日亡くなったとしても、錦教会は牧師なしでもやって行けます」
それであっても、こんなことを聞かされたのには少々驚くばかりでした。
「私たちの中で一体、明日のことが分かる人がいるのですか」
私はそうお答えしたい。私どもの明日は全て主の御手の中にあります。
主は私たちそれぞれに計画をお持ちであり、その計画が何であるかを少しずつ明らかにしてくださいます。
より充実して、より自由で、そしてより広く開かれている働きへのドアが紀伊長島で開かれているように感じるのです。
日本人牧師が錦教会に任命されるよりも以前に、主は私に黙示録3章8節から素晴らしいお約束を与えてくださっていました。既にその時に道は開かれていたのです。
"わたしはあなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることができない門を、あなたの前に開いておいた。あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。"
ヨハネの黙示録 3章8節
何年間もの長い間、上野ご夫妻からのお招きによって私は紀伊長島にて英語を教えてきました。彼らの歯科診療室に接続している小さなコテージを使わせていただいていました。
そしてその働きは錦教会にとっても祝福となって来たのです。
すでに天の御国にて
紀伊長島は、錦教会にある忠実なクリスチャンを代表しているだけではなく、天においてもそうなのです。確かに私は彼らと天でお会いするの楽しみにしているし、そこでは聖歌隊にともに参列して、白い衣を着て棕櫚の枝を手に振りながら主を賛美するのを待ち切れません。
「祝福と栄光と誉と権威と力とは、永久から永久まで私たちの神にあるように」
英語クラスの海外旅行
紀伊長島での公民館教育で二年間をひと区切りとして、「英語での海外研修旅行」という名のクラスを夜に開いて教えてくれないか、と頼まれました。
参加者たちはとても熱心な方々で、さらにそこから英語の輪が広がって行き、公民館で毎週のクラスが開かれるようになりました。
そして私たちはシアトル、ロサンゼルス、そしてハワイへと海外旅行することになったのです。
特にシアトルへ行ったこと、そこにある小さな日本語教会に出席できたのは忘れられない経験となりました。私は英語クラスの皆さんに教会出席を要求した事はありません。
日本からシアトルまでのフライトは、夜をまたいでとても長時間のものでした。私は彼らにホテルで休んでいても良いし、買い物に行くのも、どこかで見物するのも良いです、とお話ししていたのです。それは彼ら自身のスケジュールに任されていたのです。
私自身は日曜礼拝へ行くことにしていました。もし彼らが私と同行したいのであれば大歓迎です。私はこれまでに多くの方々を教会にお誘いしましたが、あれほど心からの積極的な応答をいただいたことはありませんでした。
前日からひどく体調崩していた一人の女性を除いて全員が教会に来られたのです。
錦教会で共に七年間奉仕をされた私たちの群れの高橋京太先生が、綿密な計画と協力とを尽くしてくれていました。
地元米国のバプテスト教会が全員の乗れるバスを貸して下さり、全ての移動が全員同時に可能となりました。日本人教会の栄光キリスト教会は、未だかつて教会に行ったこともない人たちを含んだ私たち16人を快くホストしてくださいました。
礼拝後は大変楽しい交流の食事会となり、そこではそれぞれ自己紹介やテーブルスピーチが行われました。キリスト教に対しての印象を私の英語クラスの生徒さんがそれぞれコメントしてくださるのを聞くのは大変興味深かったです。
キリストの教えには生きる希望と喜びがあるのを、彼らは驚きながらも異口同音に話されたのでした。
嵐の中での神様の備え
紀伊長島での英語クラスが夜に開かれると言うのは台風シーズンの間、困難が伴うものでした。
錦に至る紀伊長島道路はしばしば土砂崩れがあり、数ヶ月間遮断されることもあります。
そうなると大変な長距離を迂回した山道を通らねばならず、とても時間がかかるのです。
決して忘れることのできない嵐の夜がありました。
その日、先ず錦を出発する前に紀伊長島の関係者に電話をして、天候の様子を訪ねました。
雨は降っておらず、すべては通常とのことで、私は出かけることにしました。
しかしクラスが終わる頃には嵐は激しくなっていました。
それにもかかわらず主は私を先導する特別なエスコート役を備えてくださいました。
私がちょうど紀伊長島道路に乗り入れたとき、巨大な電飾トラックとトレーラーが私のすぐ運転する直前を走っていたのです。そこでいわばエスコートされるような形となり、錦に至るまでの山道を安心して通り抜けることができました。それも、錦に到着する頃には雨は止んでいました。ですから、その時にはエスコートも必要なくなっていたという訳です。
藤本先生のeラーニングは過去数回受講して、大変有意義でした。
今回も!と思ったのですが、今回のは受講生からの投稿なし、との事で積極的になれませんでした。私は定説となっていることからはみ出して、講師を困らせることを楽しとしている悪趣味の男ですから。
ところが、既に神学校でこのコースを学んだ友人牧師が「人生が変わった」とコメントしてるのを見て受講を決めました。
ありきたりの聖書のお勉強ではなく、聖書の書かれた歴史文化を立体化し、掘り起こしての解き明かしのようで、再び目から鱗を何枚もはがせてもらえそうです。
ギリシャ語ではなく日本語の読解力がキーとなるコースと聞いてさらに興味がわきました。現代国語を得意とする生徒の方が、外国語の得意な生徒よりも深い理解に至るとか。
米国の神学校ではそれ故、「現代聖書」と言うコース名らしいですよ。
今からでも間に合う?
画期的?聖書読解法レクチャー
https://note.mu/mitsuru_fujimoto/m/md5239ed8822a
ホサナキリスト教会の日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「顔と顔とを合わせて神を見る」
創世記 32章24~32節
"ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください。」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、ももの関節の上の、腰の筋を食べない。ヤコブが、ももの関節、腰の筋を打たれたからである。"
⑴死の縁に立つこと
①ある人との格闘
人の策略と知恵とを動員しても拭い去ることのできない不安と恐れ
②「祝福して下さるまではさらせません」
神を見る事は死を意味する。
死を賭してまで、己の存在に勝って求めるものがあった。
⑵自己の本性の告白
①「あなたの名は何と言うのか」
「ヤコブです」〜「押しのけるもの」
出生から今まで他者を押しのけ自己の利益拡大を諮ってきた
② 「イスラエル」と改名
「神の皇太子」「神が戦われる」
ここで本性が変えられた。
⑶新たな原理で生きる
①もものつがいがが外された
自己の力には頼らず、自己の砕かれた様子
②「太陽が彼の上に上った」
「義の太陽」である主イエスに照らされて歩む人生の始まり
(結論)
"しかしあなたがた、わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼に癒やしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る。"
マラキ書 4章2節
神を見るとは、私を見ておられる方を自覚し認識すること。私の本性を知った上で受け入れてくださる方。そこでは不安が溶けて、癒しと喜びが湧く。
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