今日はAkemiが大活躍してくれました。
テーブルクロスやテーブルマットを自ら買いに行った後、バスルームに備え付けるラックも買ってきてくれてその上自ら組み立ててから設置。
この夏毎週のように山へキャンプに行き、しっかり筋肉質に縛られた体を自慢してましたが、この実用的なスキルにも大いに助けられちゃった。
今晩のディナー評価はアッパー&ミドルだそうです。
オリンピック半島はクレセントレイクにある「トトロの木」
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「あなたのその力で」
士師記 6章11~16節
"さて主の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下に座った。このとき、ヨアシュの子ギデオンは、ぶどうの踏み場で小麦を打っていた。ミディアン人から隠れるためであった。
主の使いが彼に現れて言った。「力ある勇士よ、主があなたとともにおられる。」
ギデオンは御使いに言った。「ああ、主よ。もし主が私たちとともにおられるなら、なぜこれらすべてのことが、私たちに起こったのですか。『主は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、先祖が伝えたあの驚くべきみわざはみな、どこにあるのですか。今、主は私たちを捨てて、ミディアン人の手に渡されたのです。」
すると、主は彼の方を向いて言われた。「行け、あなたのその力で。あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」
ギデオンは言った。「ああ、主よ。どうすれば私はイスラエルを救えるでしょうか。ご存じのように、私の氏族はマナセの中で最も弱く、そして私は父の家で一番若いのです。」
主はギデオンに言われた。「わたしはあなたとともにいる。あなたは一人を討つようにミディアン人を討つ。」"
〜救国の士師の召命〜
⑴その不屈さ
①不屈さ、堅忍
他者は洞穴や洞窟に隠れ潜んでいたが(2-3)
村に残り、酒船の中で小麦を打つギデオン(11)
②愛国の情熱
イスラエルの建国を掘り起こし、その栄誉が失墜いる現状を訴える。
自己と民族の同一化。
⑵その謙遜さ
①正しい現状把握 (15)
② 絶対他者なる方の評価
「勇士よ」(12)
⑶その力の源泉 (14)
自らの資質、所有している資源のままで良い
「あなたのその力で生き、救え」
派遣して同行される方がおられるから
「わたしがあなたを遣わす」(14)
「わたしはあなたといっしょにいる」(16)
(結論)
ペテロは、「私にあるものをあげよう」と物乞いの男に言い、彼の足はたちどころに癒された(使徒3:6)奉仕と生活の源泉となる力、期待を置き続ける対象、待望する源泉的な力を見出そう。
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。
卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。
そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。
教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。
本の題名は「人生は80歳から始まる」。
確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。
私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。
今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。
まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。
皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。
その第36回目は、紀伊長島での英語クラスの生徒さんら十数名を引率されて米国へ英語研修旅行に来られた思い出です。
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第四部
紀伊長島の開かれたドア〜牧師転任という変化の中で
私は変化を覚悟していました。そしてそのための心の準備もしていました。
「先生がもし明日亡くなったとしても、錦教会は牧師なしでもやって行けます」
それであっても、こんなことを聞かされたのには少々驚くばかりでした。
「私たちの中で一体、明日のことが分かる人がいるのですか」
私はそうお答えしたい。私どもの明日は全て主の御手の中にあります。
主は私たちそれぞれに計画をお持ちであり、その計画が何であるかを少しずつ明らかにしてくださいます。
より充実して、より自由で、そしてより広く開かれている働きへのドアが紀伊長島で開かれているように感じるのです。
日本人牧師が錦教会に任命されるよりも以前に、主は私に黙示録3章8節から素晴らしいお約束を与えてくださっていました。既にその時に道は開かれていたのです。
"わたしはあなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることができない門を、あなたの前に開いておいた。あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。"
ヨハネの黙示録 3章8節
何年間もの長い間、上野ご夫妻からのお招きによって私は紀伊長島にて英語を教えてきました。彼らの歯科診療室に接続している小さなコテージを使わせていただいていました。
そしてその働きは錦教会にとっても祝福となって来たのです。
すでに天の御国にて
紀伊長島は、錦教会にある忠実なクリスチャンを代表しているだけではなく、天においてもそうなのです。確かに私は彼らと天でお会いするの楽しみにしているし、そこでは聖歌隊にともに参列して、白い衣を着て棕櫚の枝を手に振りながら主を賛美するのを待ち切れません。
「祝福と栄光と誉と権威と力とは、永久から永久まで私たちの神にあるように」
英語クラスの海外旅行
紀伊長島での公民館教育で二年間をひと区切りとして、「英語での海外研修旅行」という名のクラスを夜に開いて教えてくれないか、と頼まれました。
参加者たちはとても熱心な方々で、さらにそこから英語の輪が広がって行き、公民館で毎週のクラスが開かれるようになりました。
そして私たちはシアトル、ロサンゼルス、そしてハワイへと海外旅行することになったのです。
特にシアトルへ行ったこと、そこにある小さな日本語教会に出席できたのは忘れられない経験となりました。私は英語クラスの皆さんに教会出席を要求した事はありません。
日本からシアトルまでのフライトは、夜をまたいでとても長時間のものでした。私は彼らにホテルで休んでいても良いし、買い物に行くのも、どこかで見物するのも良いです、とお話ししていたのです。それは彼ら自身のスケジュールに任されていたのです。
私自身は日曜礼拝へ行くことにしていました。もし彼らが私と同行したいのであれば大歓迎です。私はこれまでに多くの方々を教会にお誘いしましたが、あれほど心からの積極的な応答をいただいたことはありませんでした。
前日からひどく体調崩していた一人の女性を除いて全員が教会に来られたのです。
錦教会で共に七年間奉仕をされた私たちの群れの高橋京太先生が、綿密な計画と協力とを尽くしてくれていました。
地元米国のバプテスト教会が全員の乗れるバスを貸して下さり、全ての移動が全員同時に可能となりました。日本人教会の栄光キリスト教会は、未だかつて教会に行ったこともない人たちを含んだ私たち16人を快くホストしてくださいました。
礼拝後は大変楽しい交流の食事会となり、そこではそれぞれ自己紹介やテーブルスピーチが行われました。キリスト教に対しての印象を私の英語クラスの生徒さんがそれぞれコメントしてくださるのを聞くのは大変興味深かったです。
キリストの教えには生きる希望と喜びがあるのを、彼らは驚きながらも異口同音に話されたのでした。
嵐の中での神様の備え
紀伊長島での英語クラスが夜に開かれると言うのは台風シーズンの間、困難が伴うものでした。
錦に至る紀伊長島道路はしばしば土砂崩れがあり、数ヶ月間遮断されることもあります。
そうなると大変な長距離を迂回した山道を通らねばならず、とても時間がかかるのです。
決して忘れることのできない嵐の夜がありました。
その日、先ず錦を出発する前に紀伊長島の関係者に電話をして、天候の様子を訪ねました。
雨は降っておらず、すべては通常とのことで、私は出かけることにしました。
しかしクラスが終わる頃には嵐は激しくなっていました。
それにもかかわらず主は私を先導する特別なエスコート役を備えてくださいました。
私がちょうど紀伊長島道路に乗り入れたとき、巨大な電飾トラックとトレーラーが私のすぐ運転する直前を走っていたのです。そこでいわばエスコートされるような形となり、錦に至るまでの山道を安心して通り抜けることができました。それも、錦に到着する頃には雨は止んでいました。ですから、その時にはエスコートも必要なくなっていたという訳です。
藤本先生のeラーニングは過去数回受講して、大変有意義でした。
今回も!と思ったのですが、今回のは受講生からの投稿なし、との事で積極的になれませんでした。私は定説となっていることからはみ出して、講師を困らせることを楽しとしている悪趣味の男ですから。
ところが、既に神学校でこのコースを学んだ友人牧師が「人生が変わった」とコメントしてるのを見て受講を決めました。
ありきたりの聖書のお勉強ではなく、聖書の書かれた歴史文化を立体化し、掘り起こしての解き明かしのようで、再び目から鱗を何枚もはがせてもらえそうです。
ギリシャ語ではなく日本語の読解力がキーとなるコースと聞いてさらに興味がわきました。現代国語を得意とする生徒の方が、外国語の得意な生徒よりも深い理解に至るとか。
米国の神学校ではそれ故、「現代聖書」と言うコース名らしいですよ。
今からでも間に合う?
画期的?聖書読解法レクチャー
https://note.mu/mitsuru_fujimoto/m/md5239ed8822a
ホサナキリスト教会の日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「顔と顔とを合わせて神を見る」
創世記 32章24~32節
"ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください。」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、ももの関節の上の、腰の筋を食べない。ヤコブが、ももの関節、腰の筋を打たれたからである。"
⑴死の縁に立つこと
①ある人との格闘
人の策略と知恵とを動員しても拭い去ることのできない不安と恐れ
②「祝福して下さるまではさらせません」
神を見る事は死を意味する。
死を賭してまで、己の存在に勝って求めるものがあった。
⑵自己の本性の告白
①「あなたの名は何と言うのか」
「ヤコブです」〜「押しのけるもの」
出生から今まで他者を押しのけ自己の利益拡大を諮ってきた
② 「イスラエル」と改名
「神の皇太子」「神が戦われる」
ここで本性が変えられた。
⑶新たな原理で生きる
①もものつがいがが外された
自己の力には頼らず、自己の砕かれた様子
②「太陽が彼の上に上った」
「義の太陽」である主イエスに照らされて歩む人生の始まり
(結論)
"しかしあなたがた、わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼に癒やしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る。"
マラキ書 4章2節
神を見るとは、私を見ておられる方を自覚し認識すること。私の本性を知った上で受け入れてくださる方。そこでは不安が溶けて、癒しと喜びが湧く。
このワンチャンの寝顔になんだか癒されるなぁ。
「そんなにあくせくするなよ。
慌ててどうする?
ゆっくりと構えていたらいいんだ」
いつもこのチェアーでくつろいでいると言うワンチャンがそのように語っているように感じた。
いつもの日本食レストランでくつろぎながら。
「汝らしづまりて我の神たるを知れ。
我は諸々の国のうちに崇められ全地に崇めらるべし」
(詩篇46:10)
キャンプやピクニックで焚き火を作っている際の米国で定番となっているおやつ。
マシュマロをこんがり焼いたらイタチョコを挟んで食べるのが「スモア」。
日本から来ている留学生は、ここに来るまでこの妙味を知らないんだろうなぁ、なんて思いながら説明を始めた。
すると誰もが知っていて、ほとんどがホストファミリーに作ってもらい食べたことがあると言う。
中には日本のボーイスカウトで既にこれが流行っているとか、
横浜の幼稚園で経験済みであるとか、、、、
すごい伝播力。
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。
卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。
そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。
教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。
本の題名は「人生は80歳から始まる」。
確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。
私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。
今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。
まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。
皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。
その第35回目は、米国のご家族が来日され日本の各地を観光して廻ったことなどです。
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喜ばしい旅行
もし宣教師が休暇を取って観光やリクレーションをする時間を持たないと考えているなら、その誤りを私はここでお伝えしなくてはなりません。
外国から親族や特別なゲストがおいでになった時、私たちは共に旅行に出かけました。
その彼らが私たちのレクレーションの喜びを他者にお分かちするなら、さらに大きな恵みとなって伝えられて行きます。
私の弟とその妻が約一ヵ月間、私と共に滞在する機会が与えられたのは、主からの特別なギフトとなりました。弟とは同じ屋根の下で育てられたのは間違いありませんが、彼は信仰の告白を明確にはしていません。錦教会は彼らのために真摯に祈り、彼らを愛し、そして大切にしてくださいました。その影響には計り知れないものがありました。
彼らは、私にとって日本が世界中で最もふさわしいところであると納得し、満足してくれました。私一人が米国の家族からどれだけ離れて暮らしていようとも、私のために心配することはないことでしょう。
彼らが滞在している間、私たちは大抵の日本人が見るよりもはるかに多くの各地の日本を見物したに違いありません。私たちは、北は北海道から南は宮島と姫路まで旅をし、またその間にある多くの場所を訪れました。そこには京都、奈良、神戸、それに日光がなどがあり、その日光では年に一度か二度しかないとされる百物揃千人武者行列とか言われているサムライ行列を見物しました。三重県にある観光名所もまたそのリストに含めねばなりません。
その期間、一つの日曜日を川崎教会で、別の日曜日には大江町教会で礼拝を守ることができました。その滞在期間の終わる頃になって、私たちが紀伊長島道路をドライブしていたら、弟は突然こんなことを言い出しました。
「紀伊長島から錦までのこの道路にこんなにも美しい景色が続いているなら、どうして私たちは日本中を旅して来なければならなかったのだろうね」
私も同じような感想を持ちました。この辺の美しさには、決して飽きることはありません。
ミルドレッドおばさん
シェルホン先生の叔母にあたるミルドレッドおばさんが日本を訪れた時、私たちと共に滞在してくださった事は大きな喜びでした。川崎には多くのイベントや集会があるにもかかわらず、彼らは数日間を私たちとの滞在に割いてくれたのです。
美智子先生の案内で近場の観光名所を巡った後、私たちは私の未だ知らないさらに遠くにある観光名所に出かけて行きました。ミルドレッドおばさんが一緒なら、たとい長距離ドライブでも誰も退屈しないのです。
米国の有名なシーワールドでありませんが、鯨や海の巨獣を飼いならしてショウまでしている所は大変興味深かったです。博物館にあった巨大な再現された鯨と、その体内にあったボートの展示物には特別にスッカリと惹きつけられてしまいました。
その鯨が、あのボードを飲み込んだのでないことは承知しています。
その海の巨獣の計り知れない巨大さを表すためにボートが置かれていたのです。
それは、逃げ出した説教者であるヨナが滞在するには充分な広さでした。
従うことの方がよっぽどマシであるとヨナに悟らせるには、三日間の時間で十分であったことでしょう。
その鯨は、おそらく一口で飲み込んだ後に、消化しきれない食べ物に飽きてしまったがために、乾いた陸地に彼を吐き出したのです。博物館にある再現された鯨に使われている骨が、いつどこで発見されたのかは知りません。しかし主がヨナのために備えられた鯨は、充分に巨大なものであったことをそれで理解出来ました。
ホサナキリスト教会の日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「ともにおられる神」
マタイの福音書 28章18~20節
"イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」"
⑴信者に啓示されて来た神
①天地創造された方
仏教の輪廻転生世界観とは異なり、人はそれぞれが個体であり、死後は創造主なる神の前に生前の全ての言動が問われる。
②イスラエルの歴史において顕現された方
アブラハムとの契約、モーセの律法、そして預言者によるメシア的王国の預言など、、
⑵信者とともに歩まれた神
①OTにおいても人とともに歩まれた神。
エノク、ノア、ヨセフらとともに。
② 主イエスが人となってイスラエルの地を歩まれた。そこには自然災害、旅のための食物や住居の必要、人々の妬みと憎しみ、忖度する民衆の移ろいやすい感情など、ありとあらゆる人間模様の只中を歩まれた
⑶信者の味方・援助者・同情者としての神
「そこにある助け」(詩篇46:1)
OTの内容と意義がさらに圧倒的な現実として(カラー3D版)実現したのが聖霊降臨以後の経綸
「助け主」(パラクレートス)として私たちに寄り添ってくださる聖霊。"そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。"(ヨハネの福音書 14章16節)
(結論)
神が共におられるとは、聖霊様が私たちのうちに住まわれることと同義。
信仰者に今、実現していること。ヨハネ14:16では未来形時制であるが、使徒2章で成就。
「いつまでも」(ヨハネ14:16)=「世の終わりまでも」(マタイ28:20)
神が同行されるとは、理論的理解だけでなく経験的に捉えられてその事実に憩う事ができるように。
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。
卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。
そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。
教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。
本の題名は「人生は80歳から始まる」。
確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。
私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。
今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。
まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。
皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。
その第34回目は、新会堂が完成したものの19年間の思い出の詰まった旧会堂からなかなか心までは引っ越しできなかった様子です。
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開拓期の小さな教会堂の思い出は常に
「神にとっては不可能なことは、一つもありません」
新しい教会堂への引っ越しは、私自身に関して言えば、すぐにしっくりとはいかなかったのです。
私のすべての持ち物や、私自身は新しい会堂への引っ越しを終えました。
しかし私の心は簡単には引っ越せなかったのです。すでに電源が切られてはいたのですが、しばしば私は聖書を持って古い教会堂へ出かけて行き、そこで何時間も過ごしたのでした。
がらんとした建物の中には何も残っているものはありませんでしたが、私にはそうでは無いのです。誰も私から取り去ることのできない喜びの記憶が、そこには満ちていたのでした。
古い教会堂がついに重機で撤去せられる前日、私たちはそこに集まって感謝の礼拝を捧げました。19年間、主が私たちにしてくださった事柄の一つひとつを思い出しながら。
新しい会堂を皆様にホームと感じてもらうために、私たちは少々アメリカの習慣を取り入れて「ハウス・ウオーミング」を開きました。
二階の牧師館に約30名ほどのゲストが集まってくださり、それは楽しい時間となりました。
その場所は今後長い期間に渡り、その楽しい思い出で温められたのです。
さて、ついに大きなスペースと宿泊のできる部屋が備わった私たちには、特別なイベントも増えて行ったのです。先ずは、チャーチオブゴッド婦人教役者会を二泊三日で開催しました。
その交わりは実に麗しいもので、時間はあっという間に飛び去って行ったのです。
「ファミリー・ナイト」と銘打って全ての教会員の方にお泊まりいただいて、ホーリネスについてじっくりと学んだ機会は、これまでの集会の中でも最も有益なものでした。
京太先生はホーリネスについてそれぞれ一時間のセッションを二回、神学的な側面から教えられました。私も同様にそれぞれ一時間ずつ、ホーリネスの実際的な側面を、生活にどう適用するのかという点からお話ししました。
その準備の段階から、私の心は探られて行きました。
私たちの教会は実に家族同様でして、よって私たちの心は照らされ、正直に告白がなされ、そして祈りの心で溢れた時となりました。
それは実に貴重な時間でした。
ある方は、「こんなに良い集会が出来るなら、どうしてもっと早くしなかったんだろう」と言われ、別の方は「このような集会を、年に二回は待つべきだ」と言ってくれました。
私も全く同意見です。
まことの霊的なハウス・クリーニングが完備された私たち今、将来に向けての正し方向性を見出すことができたのでした。
米国からのクリスチャン大工たち
錦教会は米国から大工さん達が来られるようになって、本当に爆発的な成長を経験することになります。
彼らは四名の独身男性とご夫妻からなるチームでした。
奥様は彼ら全員の料理や家事の世話をする役割を担います。
大阪のあるキリスト教会が、錦峠の向こう側にキングスガーデンと言う特別養護老人ホームを建設する計画とともに進出して来られました。その養護老人ホームは、地元の建設業者によって建てられました。その地での教会堂建設のためにはアメリカからクリスチャン大工さん達が来られたのです。観光ビザで許されている滞在三カ月間以内に建て上げるのが目標でした。
その大工さんたちは毎週日曜、峠を越えて錦教会まで来られて礼拝を共にされました。
彼らとの交わりはとても素晴らしいものでした。その期間はバイリンガルでメッセージと礼拝を行いました。日本人伝道師が説教するときには私がそれを通訳し、私が英語で説教するときには逆に彼が日本語通訳したのでした。私たちは毎週土曜日にそのための祈りと準備の時間を持ちました。彼は上手な通訳者となってくれました。時に彼は私の話した後ではなく、その前に通訳をしてしまうこともあったりしましたが。
香港での“休暇”を終えると大工さん達には、新たな三カ月間のビザが与えられました。
今度は管理スタッフ達の住まいとなる集合住宅を建てるための働きが始まります。
節税のために、彼らへの賃金は米国の銀行に直接振り込まれることとなり、彼らにはお小遣い程度のものが支給されるというシステムのようです。
彼らのうちの幾人かはその変則的な方法を知らなかったのです。そしてある人は、それに気づくと早めに帰国されて行きました。
彼らのすべての働きが終わり、お別れとなったとき、日本に再び来るようにとお招きしました。
「ぜひ再び日本に来てみたいです。でもこのような方法では決して来ません」とある人は答えていました。
彼らが建築した教会堂、グレイスチャペルが完成しました。
実を言えば気が進まなかったのですが、この地域の牧師として、私はその献堂式でのスピーチを依頼されたとき、その招きを断るわけにはいかなかったのです。
主は私のすぐ側にお立ち下さり、私がミキサーの例え話をするのに力付けて下さいました。
「大きなメロンと小さなストロベリーを一緒に入れてブレンドします。すると出てくるものはメロンでもストロベリーでもないのです。もし私たちが聖霊様によって共にブレンドされるなら、私たちはこの地域の渇いた魂にとって必要な栄養ドリンクとなることができるでしょう」
そのグループのリーダーは、ご自分のプロジェクト完成のために地域教会に属するタレントや経済的なサポートを食ってしまうかのようなビジネスシステムをお持ちのようです。
そのようなアプローチが何度か私たちにも及んで、ついにある住民の方が私に、「あそこは福祉事業団体なのですか、それとも宗教団体なんですか」と聞いてきた程でした。
その最後の、そして大きなアプローチというのが、私どもの新しい教会堂の献堂式にやってきました。
ちょうど同じ頃、本部の大阪の教会からかなり大きなコワイヤ・グループが来られていてグレイスチャペルでコンサートをしていたのです。私どもの特別な式典にもそのコワイヤ・グループが喜んで歌う、とのお知らせが寄せられて来ました。これにどう対応するかは、何も難しいことではありませんでした。
すでに私たちには、プログラムいっぱいの計画があって、準備が進められていました。
私どもの町長さんからの祝辞や、私どもの教会クワイアとハンドベル演奏、さらにはシェルホン先生による式辞があります。
コワイヤメンバーを始め、グレイスチャペルの皆さんの出席は大歓迎されて、私どものホームメイドのディナーを召し上がって頂きました。
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