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紀伊長島での新しい展開

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紀伊長島での新しい展開




日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。

卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。

そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。

教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。

本の題名は「人生は80歳から始まる」。

確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。

私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。

今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。

まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。

皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。


その第38回目は、新たな可能性を求めて紀伊長島に生活と伝道の拠点を移すに至った経緯についてです。




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物置から始まった新生活



実は私は夢見るものでありませんが、ある夜、紀伊長島駅の近くにある大きな古い家にいる夢を見たのです。

それから可能性が次々と連想されて行くと、とても興奮して眠れなくなったのです。
古い家を探したわけでは無いしそこにあることすらも知らなかったのですけれども、実際に私のところにある物件が持ち込まれました。

その所有者の娘さんはここ数年間、英語クラスの熱心な生徒さんでした。私たちは聖書を読み、祈りを共にして来ました。彼女の家族はとても良い友人とご近所さんとに囲まれていました。

とにかくその物件はとても古いものです。その上それは物置として使われてきたものでした。
そこにはキッチンがなく、二つの部屋の天井板は垂れ下がり、床にはヒビが入っている上に、照明器具からの灯りは年代ゆえに黄色い光を放っていました。

なんとも大きなチャレンジです!
この物件の立地と広さには申し分ありません。

所有者の方は「どうぞ修理した上で好きなようにお使いください。家賃は要りません」と言ってくださいました。

その家の修繕工事は見事なものでした。新しいキッチン、頑健な床材、新しい天井板、敷き詰められたカーペット、それに照度調整できる照明器具。工事に直接携わって下さった方々さえもその見事な出来栄えを賛辞したほどです。

私は神様ご自身が何らかのあり方でご臨在されて、その物件を美しく仕上げてくださったように感じました。どんなに修繕したとしてもかつては物置であったのには違いないわけでして、それは外国人差別ではないか、と考える人もいたようですが、私には何ら問題を感じませんでした。


フレンドシップ・ハウス


バーゲンセール、寛大な値下げ、温かい心で熱心に働く大工さん達、電気技師、配管工らの皆さんの協力によって私たちの「フレンドシップ・ハウス」は生み出されました。

経済的な必要が心配される向きもあったのですが、結果として、主は有り余る祝福を持って経済も満たしてくださいました。

これは秘密事業ではなかったことを皆さんはおそらく知っておくべきでしょう。
シェルホン先生には機会のある度に連絡していましたし、日本に来られたポール・フィンキーにももちろんお伝えして来ました。皆さんからの支持や理解とを得られるまでには、かなりの時間が必要であった事は言うまでもないのですが。



私の頼りになるカウンセラー



さて、こうして子供や大人も含めての新しい英語クラスの生徒さんも与えられて、制限なしの機会を得た私の働きは無限大に広がっていくかのように思えました。

高齢者に対する主のお約束に私は深く感謝します。私がまだ日本に来る前、主が私にお約束してくださったことは真実だったのです。

"主は彼らをその望む港に導かれた。"
(詩篇 107篇30節)

"見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、道中あなたを守り、わたしが備えた場所にあなたを導く。"
(出エジプト記 23章20節)

私は慌てたり心配したり必要はないのです。
主は私にイザヤ書を通じてこのように語ってくださっていますから。

"あなたがたは慌てて出なくてもよい。逃げるように去らなくてもよい。
主があなたがたの前を進み、イスラエルの神がしんがりとなられるからだ。"
(イザヤ書 52章12節)



名誉牧師

どうやら私には何やらタイトルがつけられねばならないようなのです。
「名誉牧師」が提案されました。

私には、そのようにして高められねばならない必要なんて何も感じませんでしたので、その提案を受け入れることはなかったのです。

「ただ私を、私のままにさせておいてください。私ができることだけをさせてください」とお答えしました。コンピューターが台頭しているこの世代にあって、私はそのシステムに付いていくことができないのです。

私はまるでサウルの鎧を着たダビデのようでした。
彼は大きなチャレンジを前にした時、その鎧を着たままでは何もする事もできず、歩くことすら出来無いままでした。ダビデがそうしたように、私も普段使い慣れている道具を使いたいのです。

私はチャンピオンにはなれないかもしれませんが、最後まで私のできるベストをさせていただきたいと願っています。



親善大使となって



もし私がキリストとその御国のための忠実な親善大使となることが出来るなら、私の心は満たされるのです。親善大使は、その人自身の個人的な野心には仕えていません。彼はその出身国の便益を代表するものです。彼には働きが任されていますが、その出身国の原理原則に忠実でなくてはならないはずです。

政府はその大使に対してサポートと福利厚生、また安全を保障するための完全な責任を負っています。大使にとっての究極的な願望は、彼の国にとっての最善でしかありせん。

私たちの主イエスキリストの永遠の御国のための親善大使となること以上に偉大なる召しがこの世界に存在し得るでしょうか。



主イエス・キリストの囚人



パウロとシラスはかつて公に鞭打たれて牢獄に投げ込まれた時、彼らの足には足かせがはめられていました。彼らは眠ることができなかったので賛美をしたり祈ったりして、静かにはしていなかったのです。

そんなことがあって後、神様は地震を起こされました。
看守とその家族は改心へと導かれました。これらの試練を通じてどんなことがパウロに起きようとも、彼はただ御国の前進のためにだけに生きるものとされていると言う確信に至ったのです。
彼は時にローマ帝国の囚人として引き渡されることになりましたが、彼自身は常に主イエス・キリストの囚人であるとの認識を持っていました。

看守たちの間に鎖で繋がれながらもパウロは証をして、その魂を御国のために勝ち取り、そしてついには諸教会への励ましと教えの書簡を送り続けて、クリスチャン生活の指針を伝えたのでした。

大変多忙な囚人として、彼は全てのことをキリストとその御国の栄光のために捧げたのでした。
彼はキリストのために被る苦しみと同化されることに喜びを見出していました。

人々がパウロを困難な道から思い留まらせようとしたときに、彼はこのように答えています。

"けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。"
(使徒の働き 20章24節)
これが私の願いでもあります。

次の詩がこの私の想いをよく表しています。

“主よあなたのための働きを終了するまで私を死なせないで下さい。
私の地上での働きがどんなものであったとしてもです。
その使命を成し遂げないうちに 私を召し上げないでください。
私の土地に耕していない部分があるなら それをそのままにしないでください。
この真理を私に刻みつけてください。
私が手付かずに残しておいた領域は 私以外誰も成し遂げる事は出来ないという事を”

ある方はまた言っています。

“私たちは仕事を終えるまで不死身です”


#ドロシー師

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