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「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように」

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「鹿が谷川の流れを慕いあえぐよ...
"あなたの大滝のとどろきに淵が淵を呼び起こしあなたの波あなたの大波はみな私の上を越えて行きました。
昼には主が恵みを下さり夜には主の歌が私とともにあります。私のいのちなる神への祈りが。"
詩篇 42篇7~8節


神との交わりが絶たれた孤独の中にあって、
初めて熾烈な渇望を抱く。

最暗黒と思える時にこそ崇高な魂の叫びが始まる。


人の頭を越えていく水や波は、
聖書の中においては侵略軍による蹂躙や激しい試練を表した例えです。

詩人はそのような苦難の中で神から見放されたと感じ、人々からも見放されていると感じます。

唯一の慰めは昔のことで、
共に神殿へ祭りを祝いに行った楽しい日々を思い出すこと他無かったのです。

"昼も夜も私の涙が私の食べ物でした。「おまえの神はどこにいるのか」と人が絶えず私に言う間。
私は自分のうちで思い起こし私のたましいを注ぎ出しています。私が祭りを祝う群衆とともに喜びと感謝の声をあげてあの群れと一緒に神の家へとゆっくり歩んで行ったことなどを。"
詩篇 42篇3~4節

ある時そのようなただ中にあってふとした瞬間がありました。

それは自らとそれを取り巻く世界を客観的に捉えることができた瞬間でした。

いわば地上の視点から、
高い空を舞う鷲からの鳥瞰的な見方と言えるかもしれません。

水の渦巻きに翻弄され気づかないでいたけれども、神は確かに私に恵を施されていたと言うものでした。


"昼には主が恵みを下さり夜には主の歌が私とともにあります。私のいのちなる神への祈りが。"
詩篇 42篇8節


私たちが気付こうと気付かまいとにかかわらず、
神は私たちに変わらない恵み(へセド)を送り続けてくださっています。

それゆえ私たちは顔を上げて、詩人と共に祈りを申し上げようではありませんか。

"わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。なぜ私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い私の神を。"
詩篇 42篇11節
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