米国宣教師の回想録②
4月
17日
アイオワ州の恐ろしい雷や嵐の日がやって来ると、
私たちの家に中に居れば安全ですが、外にいて安全は保証されません。
ある日の夕食後、少し年上のドーリスっていう怖がり屋の従兄弟ともに外出したんです。
母はそんな私たちを見て、皿洗いの手伝い仕事から逃れるためだろうと決めつけたのですけどね。
その日、外からの帰り道で雷に遭ってしまったの。
「黙示録の患難時代に突入したのかな?」
従兄弟はそう言って大変驚いていました。
家に走り込むなり「殺された、殺された」と喚いていたんだけど、もちろん彼女は立派に生きていましたよ。大きな声を出す元気があったんですから。
ところで、私たちが犯罪者とならなかったのは母親に寄るところが大きかったのです。
四番目の新しい従兄弟はマウデおばさんの家に生まれたの。
私の母は超お世話好きだったので新生児とその母親の介護だけでなく、そのお家全体の家事まで面倒を見ていましたよ。
従兄弟らと生活をともにするのは本当に楽しいものね。
でもね、喧嘩だってしょっちゅうだったんだから。
そんなときが母親の出番だったんです。
ある時、母は私たちのいさかいに疲れて外にやって来ると私たちを年の順番にならばせたの。
そして年長から「あなたは何をやらかしたの?」と聞き始めたわ。
順番となると誰もが同じように互いを責め始めると、
「私はそんなこと聞いているんじゃぁないのよ。
あなた自身が何をやったのかって事よ!」
と言ったものでした。
各人の応えは「いやぁ、何もしていません」となったんですけどね。
私はメディアとペルシアの変更不能な法律のように、彼女の変わらない質問の姿勢を聞きながらその意味していることを理解したものよ。
私たちは天使のようではなかったのですが、人生の早い段階で自分自身の誤った行為には自らが責任を負わねばならない事を学んだのでした。
小さなお馬さんを滑り台にして遊んだのは楽しかったわ。
冬になれば決まって雪を駆け回るお馬に付けた鈴の音も良い思い出ね。