(画像:古代文化調査会提供)
平安時代の10世紀前半ごろに廃棄された平安京の貴族邸(京都市右京区西院南寿町)内の井戸の底から、「井」と墨書された土師器(はじき)の椀(わん)が見つかっています。調査した民間調査団体「古代文化調査会」(神戸市)は、呪符(じゅふ)記号による祭祀(さいし)の跡とみています。当時の貴族が行っていた陰陽道(おんみょうどう)を含む除災・祭祀のやり方を具体的にうかがわせた貴重な遺構だとみられています。
「井」の墨書椀は、調査地の東端の井戸の底から出土しています。椀は直径13・6センチ、高さ2・6センチで、文字は外側の底の中央に書かれています。椀の上には長辺約25センチの平たい石が数個置かれ、その上にさらに2枚の皿が載せられていたようです。
「井」の墨書土器は平城京や長岡京の道路側溝などでも出土し、後の陰陽道でみられる「ドーマン」につながる呪符記号とみられるといいます。「ドーマン」は除災・戦勝を祈願するため、横線5本、縦線4本を交錯させて記号化したもの。
この周辺は、近くを流れる西堀川がたびたび氾濫を起こして湿地化。それとともに疫病が流行した10世紀前半に今回の貴族邸も放棄され、井戸も閉じたとみられる。井戸の底から皿と石がセットで出土したことは、井戸を閉じる際に祭祀が行われていたことを示すとみられています。「古代文化調査会」は「井戸の中から『井』の墨書土器が出るのは珍しく、除災の呪符記号が入ったことで目的がより鮮明になった」としています。
陰陽師は平安時代の初めには律令制度に基づく国家機関「陰陽寮」に所属し、占いや暦の編集などを担当しました。しかし、律令制度が弱体化し始めた9世紀後半ごろから、<安倍晴明>のように皇族や一般貴族の間にも広まり、庶民もまじないを行うようになったとのこと。
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