<グーグルロゴ>(98)「テレサ・カレーニョ生誕165周年」
12月
22日
父方の祖父が作曲家であり、父親もピアノの演奏を得意としており、子供の頃から父親の手ほどきを受け、ピアノを始めます。
1859年以降、ベネズエラでは、「自由党」と「保守党」による政権争いが始まり、それを避けるように、1862年、家族はニューヨークへと移住します。
ニューヨークで音楽のコンサートなどに参加している時に作曲家・ピアニストの<ルイス・モロー・ゴットシャルク>さんの演奏を聴いて感銘を受けます。
すぐに彼に師事し、移住した同年(1862年)11月25日に、わずか8歳にして、アーヴィン・ホールにて演奏を行います。
このコンサートを皮切りに、コネチカット、マサチューセッツ、ニューヨーク、ロードアイランド、ペンシルバニア、メリーランド、ワシントンなど、アメリカ北東部および中部を巡るコンサート(1863ー1865)を行いました。
9歳の時には、ボストン交響楽団のソリストとしても演奏を行いました。
1863年秋には、ホワイトハウスでリンカーン大統領に演奏を披露しています。
リンカーン大統領は、彼女の師である<ルイス・モロー・ゴットシャルク>さんの音楽を気に入っており、そのことがきっかけとなり、しばしばホワイトハウスでプライベートコンサートを行うようになりました。
1866年、家族は、ヨーロッパ進出を狙い、活動の拠点をパリへと移します。その時、彼女は、13歳。少女である彼女から溢れ出す優れた演奏は、当時のヨーロッパの音楽界に衝撃を与えました。
作曲家の<ジョアキーノ・ロッシーニ>さんや女性オペラ歌手の<アデリーナ・パッティ>さんとも知り合い、声楽を学びます。
後に、オペラ「ユグノー教徒」(ジャコモ・マイアベーア作曲)のメゾ・ソプラノ歌手としてデビューしました。
生前、ベネズエラに行くことは、ほとんどありませんでしたが、死後、火葬された灰の一部がベネズエラのカラカスに埋葬されました。現在、カラカスには彼女の名前を冠した「テレサ・カレーニョ劇場」が設立されています。