本日の<グーグルロゴ>は、ベルギーの看護の発展に寄与し、第一次世界大戦は、多くの負傷兵の救助に尽力しましたイギリスの女性看護師<エディス・ルイーザ・キャベル>(1865年12月4日~1915年10月12日)ということで、生誕153周年となります。
1896年、30歳で王立ロンドン病院の看護師だった<エヴァ・ラッケス>さんの元で看護師としての勉強を始め、イギリスの様々な病院で看護師として働きました。
その後、自立し、個人看護師として、出張で看護の仕事などを行なっていました。
1907年、それまでの実績が評価され、現在のベルギーのブリュッセルに設立された看護学校「ベルギー看護学校」に看護師として招聘されます。
当時、ベルギーでは看護に携わる人材も少なく、その育成環境も不十分でした。
彼女は、看護のための雑誌を立ち上げたり、教育書などを用意し、看護師の育成に尽力しました。
そんな中、第一次世界大戦が起こります。
イギリスやベルギーは「連合国」陣営であり、ブリュッセルは「同盟国」陣営のドイツ軍の侵攻により、占領されてしまいます。
医師や看護師には避難の指示が出ますが、負傷した兵士達は残されることとなり、彼女は見捨てられずにブリュッセルに残る選択をしました。
ドイツ占領後、彼女は多くの「連合国」陣営の兵士の避難の手助けをしました。
傷ついた「連合国」陣営の兵たちは、彼女によってドイツ人から隠され、ベルギー貴族の「クロイ家」の協力により書類が偽造され、中立国の立場だったオランダ経由でイギリスへと避難することができました。
このことで、ドイツ軍に捕らえられ軍事法廷で反逆罪の有罪判決を受け、死刑を宣告されることとなります。彼女を赦免する動きが起こりますが、結局はドイツ軍により処刑されてしまいました。彼女の処刑はドイツ軍の非人道的な「蛮行」として世間に大きく伝えられました。
遺体は戦後、多くの人々の尽力により、故郷イギリスへと戻され「ノーリッジ大聖堂」へと埋葬されています。
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投稿日 2018-12-04 09:16
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2018-12-04 16:38
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