日本の河川の殆んどは、鋼矢板やコンクリートで覆われた
河が殆んどである。
これまでの自然形態の河は土の土手で形成されて来た。
土木学会の研究成果により、ビオトープよりは洪水や
土手の決壊を防ぐことを優先させ、土木業者への
発注を考えてこのような形態を取って来た。
勿論、この土木業者には市町村、県・国から多くの
**が第二、第三の職場を獲得している事は周知の
ことである
自然おば 征服せむと もくろみて
利便に走る 川の岸辺か
昨日と同じ位置から、西方向に太陽があった
日本海側では真冬に太陽を拝むことは少なく、出たと
思うと直ぐに吹雪になる
古よりこのような季節を経ながら、春を迎える楽しさを
心待ちして歴史を刻んできた
太平洋側では実感の出来ない心情を持っている
滔々と 流れむ河の 冬の空
ひとときの晴れ また雪降りけん
秩父山系 埼玉と山梨、長野の県境に位置する甲武信岳を源に
367Kmを流れ、日本海に注ぐ川
その河口付近の1月の景色を撮ってみた
丁度、西日が当たり時折小雪の舞う晴れ間に遭遇した
岩奔しる 甲斐路の国の 流れから
水を集めて 大河となりぬ
友人と新年の食事を共にした
いつもは、夕刻から居酒屋やスナックでノミニケーション
一寸趣向を変え、昼食にたっぷりと時間をかけて
楽しんでみた
予約を入れて、静かな端の席と指定
幸い、別室の円卓を用意してくれた
ドアを閉めると、他の客の声は聞こえない
至福の時間を過ごすことが出来た
新しき 年を迎えし 昼食(ちゅうじき)は
酒食味わい 話はずまん
昨夜来降った雪は日陰の斜面に残っている
桜の木々は眠りから覚めるには三ケ月ほど先である
1883年(明治16年)に建てられた県会議事堂は幸い
保存され現在に至っている
人工地盤に樹木を植えあたかも自然と一体となった景色を
もたらしてくれる
この画像を撮っている辺りは、明治初期には川岸で
ロンドンのテームズ川河畔に建つ議事堂に似ていると
当時の新聞で報道されている
建てた大工は地元の人間で、洋風建築を真似た「擬洋風建築」
である
両脇の建物の屋根には擬宝珠が上下に付いている
激動の 時代を経ぬる 議事堂で
歩む政(まつり)は 民の為ならむ
一月も半ばとなっても、殆んど降雪はない
この公園は明治に入って県令としてやってきた楠本氏が
恐らく海外視察でヨーロッパ、アメリカに市民が憩う
パブリックな緑地が街中にあることから、日本で最初の
公園を造成・作庭した
現在も神社を核に、市民に親しまれている
雪や雪 降れば降ったで 嘆けれど
雪のなき日は 寂しさしきり
昨日、アップした地震の義捐金により建てられた会館まえに
子供達を先導する教師・保育師の像が据えられている
大きな災害が突如襲い掛かると、大人もパニックになるが
平静を保って、預かった子らを誘導する判断力が要求される
さいがいに そうぐうしたる そのときは
きもちしずめて こらをみちびく
1964年(昭和39年)に襲った地震は、丁度この年に
開催された国体を終えた直後にやって来た
アパートが傾いたり、大きな橋が将棋倒しになった画像が
新聞やTVに盛んに流された
その義捐金の一部を使い、県民会館が建設された
その建物の入口に金色の鳳凰が輝いている
地震が起きて44年が経過した
この鳳凰は日本の将来を見据えて、飛翔出来るのか
このまま留まったままなのか、はたまた朽ちて地に
降り立つのか
大空に 舞う鳳凰の 行き先は
地球の姿 いかになりけん
向かい合った岸壁に専用貨物船が二隻停泊し荷物を
下ろしていた
下の白っぽい船はセメントを運んでサイロへ流している
のであろう
上の青い船の積荷は判らない
喫水から判断すると、まだ相当積んであるようだ
何処(いずこ)より 運び来たりし 船の荷は
下ろす作業に 人影もなし
岸壁で釣りをする人が数人いた
この岸壁では季節により、鯵っ子がさびき釣りで多く釣れたり
ボラが釣れたりする
今の時期はハゼがあがるようだ
あまり釣れてはいない
釣り人は 浮きの沈みを 気にはかけ
今の釣果を 自慢しつつも
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