遙か遠方の造船所に係留された2隻の貨物船
以前、撮影したときは修理中かどうか判別は出来なかったが
今回、新造船と分かった
前の船は塗装が進み、後方の船はこれから塗装にかかるようだ
同じ形の船を二隻並べての建造
大きさから判断すると、国内を運航する貨物船のようだ
昔であれば、この位置から明治に建てられた「運上所」
いわゆる税関の建物が見えるのであるが、現在は郷土資料館と
なり、川岸に新築の建物と右手に昭和初期の銀行を移築保存
の建物があり、見ることが出来ない
これらは、以前にブログルにアップしている
対岸から見える光景をアップした
船の行き交う港に、水鳥が群れて集まる
河口に広がる港は常に上流部から川の流れが
休む事無く流れている
川鵜や鴎が餌を求めて集まっている
小さな船ではあるが、大きな艀にコンクリートの
テトラポッドを乗せて、目的の場所まで引いていく
船を押したり、引いたりするタグボートもあるが
工事用の資材やクレーンなどを乗せた艀を引くのも
大きな馬力が必要である
港から目を転ずると
20世紀末に建てられた、烏賊のようなビルは
「NEXT21」と名付けられた
21世紀になると「presence」になり、名称を変
えずに現在も使われている
暫く、新しい建築物の開発が停まっていたが
ようやく、クレーンが建って、新築工事が始まった
経済が動き出したようだ
橋が二重に重なって見える
手前の橋が出来た為に、クルーザーは帆柱が引っかかり
上流には行くことが出来なくなった
ヨットハーバーの無い所に、レジャーボートやクルーザーを
係留する貧困さを露呈している
このような趣味の高額品を持てる人は、ヨットハーバーに
係留し、リッチに格好良く遊んで欲しいものだ
下流から西方向に目を転ずると、大きな橋が見える
その背後には、ホテルやビジネスビル、マンションが
景色を遮っている
この橋は最近出来たばかりですが、橋げたが低い為に
帆柱の高い船は上流に行くことは出来ない
島国日本は徳川幕府時代は長崎を唯一の開港の場として
それ以外の港は一切、外国の船の寄港を禁止していました
当然、国内は一国での循環社会、食料は自給自足
排泄物は循環し、道路はなく徒歩での旅
まさに、エコ社会を行なってきた訳です
その形態で文明・文化を発展させてきた、稀有な国として
世界に自慢できると思います
港が整った現代社会で、国内の物流やプラントなどに
大いに活用したいものです
上画像 出船 12:16
下画像 入船 15:04
3月も半ばを過ぎると春の足音は日増しに強くなります
通りかかった花屋の店先に惹かれて、撮影をお願いしました
オーナーは快く受けてくれ、是非一緒にとお願いしたが
シャイな店主はそっぽを向いてしまいます
それでも、画像の隅に一枚納まりました
花にも負けない、シャーベット色で明るいピンクの
セーターが映えました
日本では最近まで陰暦の暦で物事が進んでいました
近年になり、陽暦となり、物事も計量も尺貫法から
メートル法になりました
お隣、中国や韓国も陰暦が現在も使われています
そう言えば、お盆は殆んどが「旧」で行なわれますね
お雛様も地方では4月3日まで飾る習慣が残っています
この「有職雛」はそう古いものではないでしょうが
それでも150年ほどは経っています
他にも何組か「享保雛」がありましたが、ピンボケで
アップができません
江戸時代にこのようなお雛様を持っている家は大名や豪農
豪商に限られていました
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