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Slow Life & Trips

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牡丹-1

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牡丹-1
今年も連休に入って、大輪の花を咲かせてくれました
例年より少し早くの開花です
#園芸 #花

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赤い実が想像できますか

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赤い実が想像できますか
沢山ぶら下がっている花
綺麗とは言えない花です

初夏には赤い実がたわわと生るでしょう

茱萸(グミ)

アキグミとナツグミがあります
この花はナツグミでしょう
#園芸 #花

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自然の智恵

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自然の智恵
毎年、同じ場所に若干時期はずれても花を咲かせます
地域によってはこの種が全く無いとは分かりませんでした

以前のブログルでそのことを知り、ビックリした次第です
日本海側の山々では春先に当たり前に咲くピンクの花
太平洋側では無いそうです
列島の山を境に植生が違っている
何方かのエッセイにも書いてありました

タニウツギ
#園芸 #花

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これは在来種

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これは在来種
山野や路傍に生える野生の植物
丁度、花が咲いています
雄花と雌花があるそうですが、これはどちらでしょうか

サルトリイバラ

秋には球形の赤い実が付けば雌花でしょう
#園芸 #花

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今年も伝統に則って

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今年も伝統に則って
別に「武運長久」を願っている訳ではありませんが
5月の節句に因んで、本日の入浴は「菖蒲湯」

奇数の並んだ月日は中国からの節句として日本に伝来
しましたが、日本独自の風習に自家薬籠中のものに
アレンジして、今日に伝わっています

尚武の言葉の掛け言葉から「菖蒲湯」に入ると
無病息災になり
「武運長久」を願ったようです

所により、この菖蒲と蓬を束ねて、入口に飾ったり
屋根に置いたりして、不運が来ないことを祈った
ようです
#アート #伝統 #文化 #芸術

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これも外来種

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これも外来種
毎年、ブログルにアップする花

花びらに見える白いものは顎が大きくなったもの
花弁ではありません
クレマチス・テッセンも顎が花弁のように見えます
この木と同種の日本古来の「山法師」も顎が花びらに
見えます

アメリカハナミズキ

明治時代にアメリカから渡来したもので、最初の木が
確か小石川植物園にあったと記憶しています

現在は街路樹や庭木に沢山植えられています
#園芸 #花

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すっかり日本に定着しました

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すっかり日本に定着しました
以前は北海道などの寒冷地に沢山植えられていたのですが
園芸品種を改良したのでしょうか、南でも結構植えるように
なりました
もともと、明治の中頃ヨーロッパから来た植物だそうです


ライラック (ムラサキハシドイ) シロライラックもあります
#園芸 #花

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だれもいない海

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だれもいない海
5月になると、時折初夏を思わせる時がある

海辺を歩くと爽やかな朝日を浴びて、人気のない海は
気持ちを和ませてくれる

サーファーが波と戯れ、朝のウオーキングを楽しむ人と
すれ違うだけだ

殆んど人の姿を見かけない自然は快適だ

2008/04/30 AM05:56
#自然

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今回は一寸趣向を変えて

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江戸時代の話は教科書や歴史書に沢山書かれているが
果たしてそうなのか、疑ってみる必要がある

例えば、苛斂誅求や百姓は奴隷の如く課税されて、貧困に
喘いでいたと書かれている

しかし、村や町の辻札には「絹を着るな」や「歌舞音曲」の禁止
「祭りが派手」などが書かれている
裏返すと、庶民や農民がそれらを享受していた事の証明である
明治になって、廃藩置県となっても城下町の「殿様」を
市民が吊るし首にしたなぞ、何処にもない
それどころか、未だに当時の主君の末裔を称えている

実際にお伊勢詣でや熊野詣で、四国巡礼など相当の費用を使い
多くの庶民が旅をして、物見游山をしている

全国各地の僻村に立派な屋敷が存在したのは経済的に豊かな
事を証明している

江戸時代が庶民や農民にとって「暗黒時代」のように書かれて
居ることを信じるわけにはいかない

農業は自給自足で成り立っていたなんてのは嘘っ八で
一部の農家は他の産物を作り、米を購入していたことが
多くあったようだ
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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地名考

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地名考
佐渡と対岸の名勝地「笹川流れ」に画像の地名が付いている
これまで、漫然とこんな名前に不思議と思わずに使っていた
恐らく地元の人々はこの名称が何故付いているのか、何処から
来たのかは分からないであろう
wahooも半世紀以上にわたり、不思議とも違和感を覚えずにいた

先般、網野善彦氏の著作を拝読し、wahooの実体験がこれを
裏付けていると確信をした

昭和37〜38年(1962頃)画像の外海府を歩いた
当時は道路が無く、海岸線を歩き沢をよじ登りバス路線のある
地区までの旅であった
その途中に「願」と云う集落があり、小さな布切れで一部を覆った
「海女」が双眼の水中眼鏡を着けて収穫をしていた

後にその地区の人にその状況を話し伺うと、能登半島の舳倉島から
出稼ぎに来た「海女」で何人かは地元の人間と世帯を持ったが
その「海女」は故人となっている
戦前(1945)には韓国 済州島からも来ていたと話していた

前述した網野善彦氏は茨城の霞ヶ浦から紀伊半島、瀬戸内海
九州五島列島、済州島、隠岐、若狭、能登、佐渡に跨り
『海夫』や「松浦党」などの海遊民がおり、交易などを
盛んにしていたと書いている
この『海夫』は「海部」や「海府」などと表記されている

平安、奈良の時代を遡り、海遊民が自由に行き来したのは
多くの学者が述べている
税としての「調」に北の「昆布」が載っている記録があるという

地名はその地域の歴史を物語る大切なもので、簡単に変更する事で
貴重な歴史遺産を抹消する昨今を憂いている
#アート #伝統 #文化 #芸術

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