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加藤雄一のブログ

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弱みを克服するよりも強みを活かすことの価値

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弱みを克服するよりも強みを活か...
もしも自分の足りないところばかり見ている今の私が、できることに目を向けたら。
 
どうなりそう?
 
 
 
「もっと計画性があれば…」
 
「なんで私はすぐ迷うんだろう…」  
 
「いつも失敗ばっか」

自分の「苦手」ばかりに目がいって、気持ちは乗らないのにひたすらに克服しようと努力する毎日。  
 

でも、いつも苦しさが残ったまま。
 
 
「頑張ってるのに、自信がつかない」と悩み続けて、はや〇年。
 
 
 
もう悩みの大大大大ベテランよ(笑)
 
 

本やセミナーで「課題を克服する方法」を学んでも、成果は感じにくかった。  
 
いや、全く感じていない。

努力しても「人並み」になれるまでいったいどれだけかかるのか、それ以上にはなれない感覚。  
 

苦手をゼロにしようとするほど、どこか自分の心も身体も削っていくような気がしていた。
 
 

あるとき、すで悩みを突き抜けた仲間にこう言われた。  

「それ、本当に“伸ばすべきポイント”なの? むしろあなたの強みって、もっと別にあるでしょ」
 

その言葉をきっかけに振り返ってみたら、自分が自然と人にやっていたことが、ぼんやりとおぼろげに浮かんできた。
 
そう、お米〇〇みたいなひと言(笑)

・誰かが迷っているときに、ゆっくりと一緒に言語化して整理できる 

・落ち込んでいる人に心を寄せ続ける  

・チームで困っている時、誰よりも早く空気の変化に気づく  

…それは、もちろん誰にも評価されてはいない、「当たり前すぎて見過ごしていた力」だった。
 
 
 
そこからは“強み”を中心に仕事や人間関係を見直してみた。  
 

苦手なことは「最低限できるように」整えつつ、得意なことには時間とエネルギーを注いでみた。  
 

すると
 
驚くほど成果が出ているような反応を受け取ることができる!
 
それは自分だけの感覚かもしれないけど、心が躍るには十分な感覚だった。
 
「できないことを補うより、できることで輝く方が、自分も人も幸せになれそうね」
 

そう実感できた瞬間だった。
 

欠点ばかりを見て、自分を修正し続ける生き方は、いつか「自分らしさ」まで磨り減らしてしまう。
 
たぶんソレはもうすでにたくさんの人が実感していること。
 
 
ただ、強みはすでに「在る」ものだ。
 
 
磨けば伸びるし、活かせば誰かの幸せにつながるかもしれない。  

だから、自分にこう言って励ましてあげてほしい。  

「苦手に埋もれずに、得意な光をもっと広げなさーい」
 
って(笑)

それが、人生をしなやかに、強く、美しくする、自分を彩る選択になるはずだ!

ワオ!と言っているユーザー

強みは「見つける」ものではなく「信じる」もの

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強みは「見つける」ものではなく...
自分を認めることって、とても難しい。
 
 

まわりから
 
「それって、君の強みよね」
 
と言われても、どこかピンとこなかった。  

「こんなの当たり前でしょ」って思ってしまって、素直に受け取れなかった。  
 

それよりも
 
「足りないこと」
 
の方が気になって、いつも自分にダメ出ししかしていなかったような。
 
 

強みを探しては
 
「んー…でも自信がない」
 
「これって、特別じゃない」
 
と否定してしまう。  

他人のすごさばかりが目に入って、自分の良さには超絶鈍感だった。  
 

本当は、もっと堂々と自分のことを認めたいのに、たぶんそれは怖かったんだと思う。
 

自分が何気なくやったことに対して、誰かがこう言ったことがあった。  

「それ、私にはできないから本当にすごいことよね」

その言葉を聞いてハッとした。
 
エッ?と思った。
 
「当たり前にできること」を強みって思ってもいいんだ。
 
それはきっと、誰かにとっては価値のある才能なのかもしれないと、少しだけ胸が温かくなった。
 
 
 

そこではじめたのが、「強み」っぽいことをメモ帳に記していくことだった。  
 
 
 
気になる言葉。
 
何となく心地好いワード。
 
聞くと心が反応する。
 

1日1つは、自分ができたこと、誰かに喜ばれたこと、小さな達成を記録する。  
 
1つどころでおさまらない(笑)
 
胸に残る言葉でドンドン埋まっていたのよ。
 
 

さらに、その行動の裏にある「資質」を思うままに言葉にしてみた。  

たとえば

「相手の話を丁寧に聞いた」
→共感力・傾聴力  

「アイデアを整理して伝えた」
→構造化・伝達力  
 
そうすることで、「できごと」が「能力」として自分の中に定着していくような感覚になった。
 
そうなんだ。
 
強みは名詞ではなく、動詞として発揮されていて、それは誰かのために使われてはじめて自分の力として実感できる、そんな気持ちになることができた。
 


「なんとなく得意かも」
 
「周りからよく褒められる」
 
と感じたことは、立派な才能の芽なんだ。  

まずは、自分自身が信じてあげること。それが何よりも大切な第一歩になる。
 
そしてそれは、遠慮なく使うべき、自分とそれによって助かる誰かのための力なんだと思う。

ワオ!と言っているユーザー

感情を隠していた自分に、さよなら♪

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感情を隠していた自分に、さよな...
 

いつからだろう。  
 
 

感情を見せるのは「弱いこと」だと思っていたのは。  

人前で泣くなんて、カッコ悪い。  
 
いや
 
泣くこと自体、かっこ悪い。
 

そうやって笑顔で平気なフリをして、たくさんの気持ちを押し込めてきた。  
 
むしろ
 
泣くことを忘れてた。
 
 

心の奥ではずっとしんどかった。  
 

でも「大丈夫?」と聞かれると、条件反射のように「大丈夫」と答えてしまう。  
 
本当はそれだけで泣きそう。
 
絶対に下手くそな笑い顔になってる。
 
それだけはわかった。
 
いや
 
自然に笑顔を作ることすら難しくなってるんだ。
 
 

ひとりになった夜にだけ、少しだけため息をつく。  
 
自然と深く。
 

「泣いたら、負けたみたいで嫌だ」
 
そんな意地みたいなものが、自分を余計に苦しめているのもわかってる。  
 
 
 
ただ日常の中に、グッと心をつかまれる時もある。
 
それが映画のワンシーンだったり、
誰かのひと言だったり。
 
とある本に書かれていた、こんなフレーズに涙が溢れた。
 
「泣くって、心の浄化なんだよ。心の中の嵐を外に出すことなんだ」
 

その瞬間、堰を切ったように涙が溢れてきた。  

誰にも見られていないのに、泣くことすらためらっていた自分が、少しずつほぐれていくのを感じた。
 
涙だけじゃない。
 
自然と声まで出る。
 
そうだ
 
ボクは泣きたかったんだ。
 
 
  
泣いたあとは、不思議なくらい心が軽くなる。  
 
ずっと込み上げていて、ノドのその辺にあったものが、嘘のようにどこかに行ってしまう。
 
 

そこからは、感情を否定しないことにした。  

辛いときは辛いと言う。
 
泣きたいときは泣く。  
 
嫌いなものは嫌い。
 
何か気分が悪いことは、気分が悪いという。
 
それは「他の誰か」に言っているわけじゃない。
 
 
自分がそうなんだって、自分に言ってあげてるだけ。
 

誰かに迷惑をかけないように、じゃない。  
 
誰かに嫌われないように、じゃない。

「自分の心に嘘をつかないように」
 
と、優先順位を変えただけなんだ。  
 
自分が泣きたい時
 
誰かが泣きたいんじゃないかなと感じる時に思うのが
 
「泣くことは、壊れることじゃない。整えることだ」
 
「泣くことはかっこ悪くない。ちょっと切り替えたいだけ」
 

涙は、溜まりすぎた想いを外へ流すためのやさしい「しくみ」なんだと思う。
 
泣ける自分は、壊れているんじゃない。
 
感じていることを正しく表現するための強さであるとも思う。。  
 

だから、感情を閉じ込めそうになったときは、こう言ってあげてほしい。
 
「もうめっちゃ泣いていいよ」
 
「さっぱりするから」

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