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陰口は自分の心に静かに傷を刻む

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陰口は自分の心に静かに傷を刻む
私が一番嫌いな場所が、誰かのことを攻撃的に責める場所。
 
 
そう言いながらも、自分も会社の上役についてついつい喋ったりしてるけど(笑)
 
 
そういった役職レベルでのぶつかり合いとは別に、人として相手のいないところでその人の人格を否定的に語る場所からは、1秒でも早くいなくなりたい。
 
 
決して自分は品行方正な人間でもありませんがね(笑)
 
 
陰口は一見、他人への批判に見えても、実はその言葉は自分自身への信頼や心の安定を少しずつ蝕んでいくように思っているんですね。
 
 
陰口を言うことは、一時的な発散や共感の獲得につながるように思えても、その代償は予想以上に大きいものだと。
 
 
そして、そういう場に出くわしたとしたら、それはもう間違いなく自分のことも言われていることと(笑)
 
 
 
 
陰口を言うことで、自分に与えるダメージも小さくはないですよね
 
 

陰口を聞いた相手は「この人は、いない人の悪口を言うのだから、自分のこともどこかで言っているのでは?」と感じていることと。
 
たとえ内容が事実であったとしても、陰口そのものが信頼を損なう言動となり、自分自身の信用を落としてしまう。
 
そしてその印象は、思っている以上に長く残るから、結果的に自分が傷つくことになるような気も。
 
 

また陰口が習慣化している人をみていると、思考が「評価する・裁く」方向に偏ってしまっている気もする。
 
「○○さんはまたこうだった」
 
「あの人はだめだ」
 
というフィルターをかけて人や出来事を見るようになると、本来感じられたはずの感謝や学びが見えづらくなる。
 
せっかく素晴らしい人間性があった人でも、視野や感性が狭まり、相手を見下すようになっていく様を、見たくないけどもたくさん見てきた。
 
 
これは他人を否定する言葉で自分の内面に曇りをかけているようなものなのかもしれない。
 
できることなら、本当はどうしたいのか、どうなっていきたいのか、そのためにどうしたらよさそうか、提案してみたり、考えを聞いてみたり。
 
成功事例を持ち寄って話をしてみるとか、できることは実はたくさんあるのですが、そういったことに意味はないとバッサリ切ってしまうのもまた、考えものですよね。
 
お互いの考えを聞き合いたいなと。
 

そして、皮肉なことに陰口を言った後には、一時的な高揚感のあとに自責や虚しさが残ることもあるよね。
 
 
「どうして自分はこんなことを言ってしまったのか」
 
「言ったところで何が変わるんだろう」
 
と、自分を小さく感じてしまう……
 
それは、陰口が本来、自分の理想や誇りと食い違う行為だからなんじゃないかと。

つまり、陰口は他人へのダメージ以上に、自分の心を静かに削っていく行為なんだろう。
 
 
ただ、それを感じられているうちはまだマトモな状態で、それすら感じられなくなってしまっている人も、悲しいかな、たくさんいるような気も。
 
 

陰口を言わないことは、他人のためというより自分の尊厳と信頼を守ることに他ならないと思う。
 
もしモヤモヤした気持ちがあるなら
 
「建設的に対話する」
 
「信頼できる人に相談する」
 
「感情を紙に書き出す」
 
など、別の方法で扱うことができる。
 
 
陰口を選ばない生き方は、結果として自分の心の透明さや対人関係の質を保つことにつながる。
 
 
 
「言いたいヤツには言わせておけばいい」
 
 
と思いながらも、そうやっておさめられない時もあると思うから、身近に建設的に対話ができて信頼できる人がいたとしたら、そんな人にお話聞いてもらうのが、いいかもね^^

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