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「自己肯定感」に振り回されない

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「自己肯定感」に振り回されない
自己肯定感が高いか低いかに一喜一憂する。
 
 
自分には価値がない。
 
どうせ自分なんか。
 
 
そんなことを考える必要ってあります?
 
 
「自己肯定感」って言葉に振り回され過ぎじゃないですか??
 
 
そんなことを思い続けるよりも、まずは目の前の小さな行動を積み重ねることのほうが、自分とも相手とも、もっと信頼を築く土台を作ることに時間を割いたらいいんじゃないかと、私は思っています。
 
 
「自己肯定」という概念自体
 
「感じるもの」とか
 
「持つべきもの」とか
 
 
そんな感じで扱われがちなような気がしてならないのですが、それを手に入れようと意識し過ぎることで、かえって自分を見失ってしまう危険があるんじゃなかろうかと。
 
 
 
特に、なんだか現代社会は
 
「ありのままの自分を肯定しよう」とか
 
「自信を持とう」とか
 
そんなメッセージに溢れている気がします。
 
いつも
 
「煽るんじゃねー」って思ってます(笑)
 
 
それが逆に
 
「今の自分では不十分だよね」みたいな焦りを呼び起こしているんじゃないかと。
 
 
そんなときにボディーブローのように効いてくるのが、「今できることを、丁寧に積み重ねる」という姿勢を貫いている方々の姿。
 
 
 
多くの皆さんがそうであると思いますが、ある時期の私は、自分に自信が持てず、「このままでいいのか」と悩みながらいつも仕事に向かっていました。
 
 
自己啓発本を読んだり、ポジティブ思考を心がけても、その場しのぎのような感覚ばかり。
 
 
そんななかでいつも自分を見つめ直すきっかけをくれたのが、淡々と仕事をこなし、目の前の人の話にしっかりと耳を傾けている方々でした。
 
 
 
決して華やかでもなく、効率的でもないようにも思えていましたが、相手の方の表情が全てを物語っているような気がして、「自分とも相手ともしっかり向き合っている」という感覚が、じわじわと湧いてきてきました。
 
 
褒められることがなくても、評価されなくても、積み重ねた時間が「自分は信じられる存在になれる」ということを、教えていただいたよう気がしました。
 
 
振り返れば、それこそが最も安定した形の「自己肯定」なんじゃないかと。
 
 
 
このように考えると、「粛々とやること」は、表面的な自信や承認欲求とは異なる、もっと深くて静かな自己受容に繋がっていくもののような気がしています。
 
 
それは
 
「自己肯定を得る手段」
 
としてではなく
 
「人生の姿勢として選ぶ価値のある道」なんじゃないかと。
 
 
そう考えると
 
「自己肯定がぐらつくときほど、目の前のことを粛々とやり続ける」
 
ことが、自分を肯定することにもつながっていくと思うのです。
 
 
 
「粛々とやる」ことは、ただの作業では終わらないのだと思います。
 
 
そこに自分なりの意図や背景の意味づけを加えられることで、行動そのものが自分との対話になっていくのでしょう。
 
 
自分ではちっぽけなこととしか思えないことでもいいと思うんです。
 
 
そして自分にとって大切なことのような気がしているので、続けられていることがあるんだと思います。
 
 
誰かに笑われているような気がしても、気になさらないでください。
 
 
粛々と積むことのなかに、「今の私はこれでいい」という確かな肯定が芽吹いていて、積まれた経験がしっかりと力強く自分の財産になっているんだと、私はそんな気がしています。

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世界が変わる言葉「ありがとう」

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世界が変わる言葉「ありがとう」
「すみません」
 
気づけば、そればかり言っていた。  
 
 
何かを手渡されたとき

ドアを開けてもらったとき
 
道を譲ってもらったとき
 
名前を呼ばれたとき。
 

何かしてもらうたびに、反射的に
 
「すみません」
 
と口に出していた。  
 
 
それが礼儀だと思っていた。
 
相手に迷惑をかけていないことを示すためでもあったのかもしれない。  
 
誰に謝ってんの?
 
 
何か悪いことでもしたん?
 

「謝ることで、せっかくいただいた好意を蔑ろにしてたのでは?」  
 
 
そんな風に思うようになった。
 
 

「すみません」は、謙虚な言葉だと思う。
 
 
でも、知らず知らずに使い続けているうちに、徐々にどこか遠慮の空気をふくらませてしまっていたような感じもする。  
 
 
 
相手の好意に対して、何となくの申し訳なさを伝えていたんだね。  
 
 
 
 
もっと感謝の気持ちをまっすぐに届けたほうが、相手との関係も変わるのでは?  
 
そんな思いが心の中にないわけではなかった。  
 
 
 
いつもなら「すみません」と言う場面で、口から出たのが「ありがとう」だった。  
 
「ありがとう!」  
 
すると、相手の表情が明るくなった。  

「どういたしまして!」と返ってきたその声は、予想以上に柔らかく、温かかった。  
 
  
「謝るより、感謝を伝えたほうが、人とのつながりが深まるんだ」  
 
そんな感じがした。
 
 

それからは、「すみません」の代わりに「ありがとう」を意識して使うようになった。  

✅ 相手の好意には、遠慮ではなくまっすぐな感謝で返す。
出かかった「すみません」を即座に「ありがとう」に変換する。

✅ 小さな場面でも「ありがとう」を伝えることで、関係に温度が生まれる。
まずは「ありがとう」を伝える意識を持つ。 

✅ 感謝の言葉を受け取った相手も、気持ちが明るくなる。
相手からの「ありがとう」を素直に受け取る。  
 
 
すると、いつもは少し緊張感が生まれる相手との、日常の何気ない会話が少し変わっていった。
 
 
 
「ありがとう」と言うだけで、場の空気がほどけ、対話の流れが変わるんだ。  
 
それだけで、関係がより深く、心地よいものになっていくのを実感した。  
 
 
 

「すみません」ではなく「ありがとう」。  

それだけで、世界の見え方が変わる。  
 
もし今、謝ることが癖になっている人がいるなら、試しにひと言「ありがとう」に変えてみてほしい。  

そのたったひと言が、誰かとの関係をほんの少し、優しくしてくれるはず。
 
「ありがとう」を言える自分に優しくなれる。
 
そして「ありがとう」を伝えてくれる相手にも優しくなれる。
 
「すみません」を「ありがとう」に変えて、自分の世界を変えてみよう^^
 

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