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「型にはめる」ではなく「個を拓く」営みを心掛ける

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「型にはめる」ではなく「個を拓...
ポンコツだが、縁あって3つの部署でマネージャー職をさせていただいた。
 
この経験は、私の人生に大きな影響を与えてくれて、そして自分の家族経営や子育てにも、とても大きい力をくれた。
 
子育ての話しになると終わりがなくなりそうなので、マネージャーとしてサポートしてきた経験を少しだけ書き留めておきたい。
 
 
 
経験を積むにつれて、まだ若い人に対して
 
「こうあるべき」
 
といった期待や理想像をついつい押し付けがちになることがある。
 
ただ、自分の経験則のみの、その『型』が強すぎると、お互いに苦しくなっていく。
 
誰かを特定の型にあてはめようとするほど、「その人らしさ」は見えづらくなり、自分自身も「思い通りに育たない」ことへのストレスに、少し翻弄される。
 
 
  
本当に大切なのは、型にあてはめることではなく、目の前のその「人」という『いまここにある存在』と向き合い、その方らしい芽が育つ土壌を整えること。
 
 
その視点を持つことで、コントロールの連続ではなく、対話と発見の積み重ねへと変化していくように思う。
 
 
先輩として
 
「きちんと育てたい」
 
「(チームの)社会性を身につけさせたい」
 
と願うのは当然のことだと思う。
 
 
しかしその思いが増した時
 
「こうすれば安心」
 
「これができなければ不安」
 
という思考と結びつくことがあって、そうなった時に以前経験した『型』にはめる育て方へと変わっていくような気がしている。
 
 
「言わなくても動ける」
 
「誰とでも仲良くできるように」
 
といった差し支えなく誰とでも良いコミュニケーションがとれる『理想像』が強まると、静かに自分を表現するタイプの人や、慎重に関係を築くタイプの人は、少しずつ「できない自分」「ダメな自分」として周りからばかりではなく、自分が自分をそう思うようになり、そしてつぶれていく。  
 

こうした先輩としての『善意の型』みたいなものこそ、経験の少ない人にとっては自分の自然な表現を封じられる苦しさとなり、リーダー自身にとっても「うまく育たない」ことへの焦りを生みはじめる気がする。
 
 
 「よかれと思って」の期待が、知らぬ間に圧力になっているんだろうな、きっと。
 
 
  
経験の若い人を型にはめたくなる背景には、リーダー自身の不安や恐れがあるんだと思っている。
 
それは今も日々感じる(笑)
 
 
「(チームの中で)人と違うのはかわいそう」
 
「きっと困るよな」
 
そういった思いが、無意識に
 
「こうあってほしい」
 
「こうすべき」
 
という型を生み出しているのだと思う。
 
 
 
これは、『若い』という存在を「未熟」と捉え、「変えられれば、安心できる存在になる」という、勝手な盲信があるんだろうなと。  
 

ただ現実には
 
経験の若い人は自分の思い通りには育たないし、それが自然なことなんだとも思っている。
 
 
そのうえでリーダーが
 
「なぜ伝わらないのか」
 
と思い悩み、そして若い人は
 
「どうして自分はわかってもらえないのか」
 
と感じ、静かな断絶が生まれはじめた時を感じられるかどうかは、その後に大きな影響を及ぼすことも、多くの経験から学んだ。
 
「型」を求めようとするのは、安心感を得て、そしてコントロールしたいと思う気持ちの裏返しなのかもしれない。
 

型にはめることから抜け出すためにできることといえば
 
まず 
 
「その人は、自分とは別の『他者』である」という前提に立ち、そしてその人を深く見つめる姿勢を持つことだと思っている。
 
 
 
若い人=若い頃の自分
 
ではなく
 
自分とは異なる価値観・気質・感性をもつ、独立した存在として認識すること。
 
型にはめるのではなく、その人の型、つまり『自然な姿』をまずは尊重し、活かすかかわりを考えてこそ、育てる土壌が作られるのではないのか。
 
たとえば
 
安心が第一の人には、注意よりもまず共感を示す。
 
好奇心で動く人には、ルールで縛るよりも、可能な範囲で自由な探索の余地を持たせる。
 
 
『ちがい』を問題視するのではなく、「どうかかわれるか」に想像力を全集中させる。
 
それが、お互いの苦しさを減らし、ともに育つ喜びを増やすアプローチのような気がしている。
 
 「個」としてのその人を尊重すること。  
 

型にはめる育て方は、リーダーの意図が強くなればなるほど、双方にとって苦しさを生む構造を持っている気がする。  

それは愛情がないからではなく、
 
「不安」
 
「比較」
 
「理想」
 
などの感情がそこにあり、そしてそれは無意識の反応として、相手に届ける。
  
だからこそ
 
必要なのは『正しい型』ではなく、その人とかかわるための『見つめ方』の質を問い直すことだと思っている。  
 

「この人はどんなときに自然体で動けているのだろうか?」
 
「どんな瞬間に楽しそうにしているのか?」
 
という問いに立ち戻ることで、その人の理解が深まっていき、リーダーはコントロールから信頼へと歩みを進められるような気がする。  

そして何より、リーダーの期待をよそに、自分自身と向き合うその時間こそが、若い人が枠を広げる学びの機会でもあること、そしてそれはリーダーも一緒だということを、いつも心に掛けておきたい。

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