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加藤雄一のブログ

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感情の言語化が人生を楽にする

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感情の言語化が人生を楽にする
感情をうまく言葉にできないと、曖昧なモヤモヤを抱える。
 
そんな時
 
感情を言語化できる力があれば、自分の内面を整理し、相手との関係も滑らかにすることができると思う。
 
個人的にこれは
 
「心の技術」
 
とも言い換えられる気がして、ただそれは特別な才能ではなく、誰もが日常の中で少しずつ育てていけるものだとも思っている。
 
 
そしてこの力があると、人生の重たさがほんの少し軽くなる場面が増えていくのようにも思う。
 
 

ボクたちは
 
「イライラする」
 
「何か不安」
 
「ちょっとモヤモヤ」
 
といった感覚は持ちながらも、それを放置したまま日々を過ごしがちだと思う。
 
 
けれど
 
その感覚の正体を具体的な言葉にしようとすると
 
「あー、自分は寂しかったのか」
 
「期待していたんだな、だから傷ついたんだ」
 
と、それまで見えていなかった本音に出会える瞬間がある。
 
 
言葉にしようとするプロセスは、自分を一歩外から見て、他者として見つめ直すような作業にも思える。
 
そこは「自己理解の入り口」でもあり、感情に振り回されるのではなく、感情と丁寧につきあう自分がいるような気がする。
 
 

感情をうまく言葉にできないと、怒りや涙といった表現でしか伝えられず、誤解やすれ違いが生まれやすくなる。
 
それを
 
「自分はこう感じた」
 
「○○が心にひっかかった」
 
と伝えられることで、相手は非難ではなく「思い」としてそれを受け取ることができるようになる。
 
 
それは自分自身もそう。
 
 
たとえば
 
「忙しいのに、また頼まれ事か」
 
と怒るのではなく
 
「今はいっぱいいっぱいで、頼られるのが少し苦しいんです」
 
と表現できたなら、対話は全く違うものになる気がする。  
 
 
素直に受け止めてくれる場合もあれば、もしかしたら相手は気分を悪くするかもしれない。
 

ただ
 
感情の言語化は、相手との「関係の質」を静かに底上げしてくれる気もする。
 
(このように思っている)
 
それをしっかり伝えられるからこそ築くことのできる関係があるようにも思う。
 

感情にフタをしてばかりいると
 
「自分が本当は何を感じているのか」
 
がわからなくなり、自分の判断や直感すら信じられなくなることがある。
 
逆に
 
「私は今、こう感じている」
 
と明確にできると、心の中に一本の軸が通るような感覚が得られる。
 
 
(これこそがボクの真意なんだ)
 
 
それは、自分の感情に「ちゃんと気づいてるよ」と声をかけてあげるようなもの。
 
 
その積み重ねが、自己信頼を支える静かな土台になっていく。
 
 
だからこそ、不安定な状況の中でもぶれずに立ち続けることができるのかもしれない。
 
 
 
感情を言語化することは、ただの“表現”ではなく、自分を理解し、他者とつながり、人生に穏やかにするための尊い技術と言える気がしている。
 
 
「どうせ伝わらない」
 
とあきらめず
 
「まずは自分に伝えてみる」
 
 
 
たとえ完璧な言葉でなくても、その試み自体が人生を少しだけ優しく、そして生きやすくしてくれるのだと思う。

ワオ!と言っているユーザー

過去の経験には未来を照らす種がある

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過去の経験には未来を照らす種が...
「これからどう生きる」
 
時々未来ばかりを見つめがちになる。
 
 
でも
 
 
未来を切り拓くうえで最も確かな手がかりは、すでに自分が体験した「過去の経験」の中に眠っていることが少なくない。
 
 
とくに
 
「なんとなく印象に残っている」
 
「なぜだか繰り返し思い出される」
 
そんな経験には、今の自分に何かを問いかけてくる力があるように思える。
 
 
過去の一場面を「振り返る」ことで、未来への「進み方」が見えてくることも少なくない。
 
 
 
過去を意味づけする、なんていうこともあるが、過去の出来事はその瞬間には理解できなかった意味を、あとから植え替えることができるような気もする。
 
 
たとえば
 
失敗と思っていた経験が、後の出会いや選択に影響を与えていた
 
そんなことは珍しくない。
 
 
 
重要なのは
 
「何が起きたか」
 
ではなく
 
「そのとき自分が何を感じ、何を学んだか」
 
という視点で記憶を読み直すこと。
 
 
過去を再読するというか、振り返ることで自分の価値観や行動原理の輪郭が、たしかに浮かび上がってくる。
 
過去は、解釈し直すことで「未来資源」になるんだろうな。
 
  
そして、記憶に残っている経験の中には「強い感情」をともなった場面がある。
 
悔しさ
 
感動
 
怒り
 
驚き
 
そうした感情は、自分が何を大切にしているのかを教えてくれている。
 
 
たとえば
 
「誰にも頼れずに頑張った」
 
という経験からは
 
「孤独を理解できる人でありたい」
 
という想いが湧き起こっているのかもしれないし
 
「誰かに救われた」体験には
 
「今度は自分が支えたい」
 
という使命感が宿っていることもあるように思う。
 
 
感情は、過去と未来を橋渡ししてくれている。
 
 
さらに、せっかく得た気づきも、言葉にとどめるだけでは変化は起こりにくい。
 
 
過去の経験に込められた意味を、しっかりと今の自分の選択に落とし込むこと。
 
 
過去の「聴いてもらえた安心」が印象に残っているなら、「人の話に耳を傾けることを仕事に活かす」などの形で具体化できることもたくさんありそう。 
 
また「当時の自分にかけてあげたかった言葉を、今の仲間に届ける」というアクションも、自分にとっても相手にとっても力になりそう。
 
自分の過去は、ただ懐かしむ対象ではなく、今の行動にエネルギーを注ぎ込む「記憶の資源」といえるかもしれない。
 

「将来につながる経験」は、どこか遠くにある特別な出来事ではなく、これまでの人生にすでに刻まれている経験の中に存在している。
 
 
それを思い出し、意味づけし、感情をすくい取り、行動に変えていくことで、未来はより自分らしい輪郭を帯びて立ち現れてくる気がする。  
 

未来に迷ったときこそ、立ち止まり、少し過去に目を向けること。
 
 
 
それは決して後ろ向きなことではない。
 
 
 
自分という存在の「軌跡」を礎にして、次の一歩を踏み出すためのしなやかな力となるものを、私たちはすでに持っているんだと思う。

ワオ!と言っているユーザー

やりたいことが見つかった時に、まずやるべきこと

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やりたいことが見つかった時に、...
やりたいことが見つかった瞬間は、人生の中でも特にエネルギーに満ちた、何とも言い難い喜び感じる。
 
 
と同時に、その熱をどう扱うかによって、夢が実現に向かうか、遠のいていくかが分かれることもたびたび。
 
 
「やりたいことを見つけたら、まず何をするか」は、その後の行動の質を決める土台になっているようにも感じる。
 
 

見つけた“やりたいこと”に対し、まず最初に取り組むべきことは「動機の言語化」ではないかと。  
 

どうしてそれをやりたいと感じたのか?
 
どんな価値をそこに感じているのか?  
 

こんな問いを自分に投げかけて、感情や直感だけにとどまらず、自分なりの言葉で「動機」を整理することが大切。
 
それによって、やりたいことが単なる「願望」から「意思」へと変わり、他者に共有したり、自分の判断軸に組み込んだりできるようになる。
 
たとえば
 
私の経験を述べると、「人の話を聴く仕事がしたい」という想いが生まれたなら、それは「人の力になりたい」からなのか、「心のしくみに興味がある」からなのか――その動機の違いによって、そこからまた歩んでいく方向性も異なっていくような気がする。
 
 

そして動機が言語化できたら、次はできるだけ小さく、現実的な一歩を踏み出す準備を考える。
 
 
「その分野の本を一冊読む」
 
「関係者に話を聞いてみる」
 
「仮のスケジュールを立ててみる」
 
など、準備段階でできることを行動に落とし込むことで、行動のハードルを下げ、自然とエンジンがかかってくる。
 
大きな夢ほど「準備が整うまで待つ」姿勢を取りがちですが、実際には「とりあえずやってみる」ことでしか得られない発見や修正がある。
 
 
完璧な計画よりも、まずは頭だけでなく「手を動かす」ことこそが、やりたいことを「実体化」させる鍵なのかもしれない。
 

そして最後に、やりたいことを自分だけの内側にとどめていると、日常の中で埋もれてしまう。
 
そこで有効なのが、信頼できる人に話したり、SNSなどで少しだけ表明するといった「外への発信」が自分を後押しする。
 
 
というか、進まざるを得ない環境になる(笑)
 
 
人に話すことで、応援者や仲間が現れたり、偶然のきっかけが生まれたりすることが多々あった。
 
また、自分が口にした言葉が「約束」や「動機づけ」となり、行動の促進力になることもたくさんあった。
 
 
つまり、やりたいことは、環境との関係性の中で育っていくんだろう。
 
 
 
やりたいことを見つけた瞬間は、心が開き、未来への可能性が広がる貴重な時間だったりする。
 
そしてその想いをかたちにするには
 
「なぜやりたいか」
 
を言葉にし
 
「できること」
 
から動き始め、環境とつながっていくというステップがとても重要。
 
やりたいことは、静かに温めておくだけでは叶わない。
 
そして温めておくだけだと、もったいない。
 
 
だから、自分の意思と具体的な行動で「秘めた願い」をまずは「生きた願い」にしていく必要がある。
 
 
まずは、未来を分ける最初の一歩を踏み出してみよう。

ワオ!と言っているユーザー

問い続けながら育てる本当の自分

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問い続けながら育てる本当の自分
「本当の自分」がわかる心理学
 
という本が置かれていたのを見て、本当の自分を考えざるを得なくなった(笑)
 
 
本当の自分とはなんだ
 
本当の自分とは誰だ
 
 
「本当の自分」とは、生まれながらに決まっている「何か」ではなく、環境や経験、選択を通じて少しずつ形づくられていく、実にか弱い存在のように思っている。
 
 
そして、他者や社会との関わりの中で、よく見失う。
 
 
が、そのたびに自分の「核」に立ち戻ることがあるので、内にある一貫性や納得感を少しずつ得て、今の自分があるように思う。
 
 
つまり、本当の自分とは、変化の中でもぶれない指針を持っていて、同時にそれを育てていくプロセスそのものなのかもしれない。
 
 

私たちは日々、他者の期待や役割のなかで生きている。
 
「いい人でいなければ」
 
「成果を出さなければ」
 
といった社会的な仮面を身につけるうちに、自分自身が何を感じ何を望んでいるのか、見えなくなることが多い。
 
 
本当の自分を知る第一歩は
 
「こう思われたい」
 
ではなく
 
「自分は本当はどう感じているか」
 
を問い直すことのような気がする。
 
 
たとえば、何かに対してイライラした時、「自分はこの価値観に違和感を覚えているんだ」と丁寧に内省することで、自分の大切にしたいものが浮かび上がってくることが、今までたくさんあったような。
 
ありきたりな感じかもしれないが、他者の眼ではなく、自分の「内なる声」に耳を澄ますことが、やはり大事なんだと思う。
 
 

そして、人は孤立した存在ではなく、他者との関係性の中で自分自身が照らし出されるような気がする。
 
ある人といるときの安心感、ある場で見せる素直さ...そうした「自然に自分らしくいられる関係や場所」こそが、本当の自分を教えてくれる鏡になるとも思う。
 
 
また、信頼できる他者との対話によって、言語化されていなかった自分の想いに気づかされることも少なくない。
 
 
だからこそ、自分を表現できる安全な場づくりも、本当の自分を育むために欠かせない要素なのだと。
 
 
本当の自分は「関係性の中」で浮かび上がってくるんだろうね。  
 
 

そしてもう一つ
 
自分らしさは、何か特別な瞬間に突然あらわれるものではない。
 
 
むしろ、日々の小さな選択の中に
 
たとえば
 
どう挨拶をするか
 
誰と時間を過ごすか
 
どの言葉を口にするか
 
その中にこそ、本当の自分が映し出されているような気がする。
 
 
自分の内側と一致した選択ができた時には、静かな満足感が残っている自分に気づく。
 
その感覚を手がかりに、選択と行動を一致させていくことで、自己信頼を育んでいったらいいようにも思う。
 
本当の自分は「日常の選択」の中に、いつも現れているだろうね。
  
 

本当の自分は、固定された「正解」があるのではなく、人生のプロセスの中で少しずつ言葉になり、かたちになっていく存在なんだろう。
 
 
内なる声に耳を傾け、信頼できる人と関わり、自分らしい選択を積み重ねる。
 
そうした日々の営みこそが、「自分自身とつながりつづける」ことを可能にしていってくれるんだろうね。  
 

そして何より大切なのは
 
 
本当の自分を「探す」だけでなく、まずは「ありのままを尊重する」視点を自分の中に持つこと。
 
 
その姿勢こそが、外側に振り回されない穏やかな軸を育ててくれるように思う。
 
そうやって、問い続けながら自分を育てていこう。

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