感情の言語化が人生を楽にする
6月
24日
感情をうまく言葉にできないと、曖昧なモヤモヤを抱える。
そんな時
感情を言語化できる力があれば、自分の内面を整理し、相手との関係も滑らかにすることができると思う。
個人的にこれは
「心の技術」
とも言い換えられる気がして、ただそれは特別な才能ではなく、誰もが日常の中で少しずつ育てていけるものだとも思っている。
そしてこの力があると、人生の重たさがほんの少し軽くなる場面が増えていくのようにも思う。
ボクたちは
「イライラする」
「何か不安」
「ちょっとモヤモヤ」
といった感覚は持ちながらも、それを放置したまま日々を過ごしがちだと思う。
けれど
その感覚の正体を具体的な言葉にしようとすると
「あー、自分は寂しかったのか」
「期待していたんだな、だから傷ついたんだ」
と、それまで見えていなかった本音に出会える瞬間がある。
言葉にしようとするプロセスは、自分を一歩外から見て、他者として見つめ直すような作業にも思える。
そこは「自己理解の入り口」でもあり、感情に振り回されるのではなく、感情と丁寧につきあう自分がいるような気がする。
感情をうまく言葉にできないと、怒りや涙といった表現でしか伝えられず、誤解やすれ違いが生まれやすくなる。
それを
「自分はこう感じた」
「○○が心にひっかかった」
と伝えられることで、相手は非難ではなく「思い」としてそれを受け取ることができるようになる。
それは自分自身もそう。
たとえば
「忙しいのに、また頼まれ事か」
と怒るのではなく
「今はいっぱいいっぱいで、頼られるのが少し苦しいんです」
と表現できたなら、対話は全く違うものになる気がする。
素直に受け止めてくれる場合もあれば、もしかしたら相手は気分を悪くするかもしれない。
ただ
感情の言語化は、相手との「関係の質」を静かに底上げしてくれる気もする。
(このように思っている)
それをしっかり伝えられるからこそ築くことのできる関係があるようにも思う。
感情にフタをしてばかりいると
「自分が本当は何を感じているのか」
がわからなくなり、自分の判断や直感すら信じられなくなることがある。
逆に
「私は今、こう感じている」
と明確にできると、心の中に一本の軸が通るような感覚が得られる。
(これこそがボクの真意なんだ)
それは、自分の感情に「ちゃんと気づいてるよ」と声をかけてあげるようなもの。
その積み重ねが、自己信頼を支える静かな土台になっていく。
だからこそ、不安定な状況の中でもぶれずに立ち続けることができるのかもしれない。
感情を言語化することは、ただの“表現”ではなく、自分を理解し、他者とつながり、人生に穏やかにするための尊い技術と言える気がしている。
「どうせ伝わらない」
とあきらめず
「まずは自分に伝えてみる」
たとえ完璧な言葉でなくても、その試み自体が人生を少しだけ優しく、そして生きやすくしてくれるのだと思う。