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加藤雄一のブログ

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誤魔化してきたことを形にする方法

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誤魔化してきたことを形にする方...
いつかは本気で向き合う「つもり」!
 
そう思いながら、ずっと後回しにしてきたことがある。  

やりたいことがあった。
 
ような気がする。
 
それが何だかわからなくなってきているような気もする。
 
時間がない…
お金がない…
スキルが足りない…
準備ができていない…  

そんな理由をつけて、誤魔化し続けた。  

でも、本音ではずっと気になっていたのよ。
 
「形にしたいんだ!」と。  
 
 
 
 時が経つほどに「今さら始めても意味があるのか?」という迷い。  
 

自分が逃げてきた時間が重くのしかかり、「どうせ今からじゃ遅い」と思って、ますます手につかない。  

その一方で
 
「でも、ずっとこれが気になっていたのは事実なのよ…」
 
という想いもある。  
 

やるべきなのか?
 
それとも
 
もう諦めるべきなのか?  
 

ある日、過去に書きかけたメモ帳を見返した。  
 
毎年買い替えては、だいたい同じような内容。

そこには、昔の自分が夢中になっていたアイデアや考えが詰まっていた。  
 
やりたいことをどう面白くできるか。
 
自分なりの実現の方法。
 
いろんなことが書かれていた。
 
年を経るごとに、知らず知らずにブラッシュアップしてる自分。
 
やるじゃん、自分(笑)

読んでいるうちに、「この感覚、まだ自分の中にあるわ」と確信した。  
 

誤魔化していた時間があったからこそ、今の自分はより深く理解できている。  

つまり、「今からでも形にする意味はある」
 
そう思えた瞬間だったのかも。  
 
そこからいくつか実践したことを書き留める。
 
 
 
① 小さく始める

いきなり完璧を目指さず、まずは試してみる。  
たとえば、ずっと描こうと思っていた絵なら、スケッチから始める。  
執筆なら、短い文章をSNSに投稿してみる。  
 
ボクの場合は学んだことを自分なりにアウトプット。

完璧でなくていいから、まずは「形」にしてみることが大事。  
 
 
 
② 溜め込んだものを整理する
 
過去のアイデアやメモを見返し、「今でも使えそうなもの」「今ならもっと良くできるもの」を選び出す。  

すると、誤魔化していた時間も「蓄積」だったと気づける。  
 
今回のメモ帳がそう。
 
 
 
③ 公開することで動きをつくる

誰かに話す、SNSで発信する、作品として公開する。
 
どんな形でもいい。  

人に見せることで、自分の中で「本格的に動かす」スイッチが入る。  

フィードバックが得られれば、さらに磨きをかけられる。  
 
宣言に近いのかも。
 
やれなかったらやれなかったで笑われてもいい。
 
自分の歩みでやったらいい。
 
 
 

「逃げていた時間は、準備の時間だったのかもしれない」  

誤魔化していたことがあるなら、今こそが向き合うタイミングなのかも。  

小さくてもいいから、形にすることで、その時間が価値を持つようになる。  

今から始めるのは、決して遅くない。
 
むしろ、その時間があったからこそ、今がベストなタイミングなんだ。
 
きっとそうだ。  

ワオ!と言っているユーザー

誤魔化してきた時間を力に変えよう

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誤魔化してきた時間を力に変えよ...
「本当は違うことがしたいんだけどな…」  

そう思いながら、適当に現状に合わせて、周りばかり気にして生きる毎日。  
 

やりたいことがあった。
 
んだよね、たしか。
 
そうだった気がする。
 
 
でも、リスクを恐れて、周りになんと言われるか気にして踏み出せず、無難な選択を繰り返していた。  

「この道を選んだのは正解だったのか?」  
 
「いや、そうじゃないんだけど、仕方がない」

そんな気持ちを抱えながら、気づけば数年、いやもう十年以上過ぎている気もする。  
 
 
 
 
何に悩んでいる?
 
 

心のどこかで、「このままでいいのか?」とずっとずっと語りかけ続けていた。  
 
「いや、ほんとは違う」

でも、それを認めてしまったら、今までの選択が間違いだったと認めることになる気がして、誤魔化し続けた。  

新しい挑戦をする勇気はない。  

でも、今のままで満足できるほど、自分を騙しきることもできない。  
 

そんな葛藤を抱えながら、何も変えられずにい続けたのよ。  
 
 

ところが、ふと振り返ったとき、「誤魔化してきた時間の中にも価値があることがたくさんある」
 
そんなことに気づいた。  

理想を叶えられなかった時間は、全部が全部無駄ではなかった。  

その間に培ったスキルや経験が、今の自分を支える基礎になっている気もする。  

むしろ、遠回りしたからこそ、何かを実現するための準備が整っていたのかもしれない。  
 
 

あとは「これまでの時間を活かす」ことに意識を向けるだけだ。  

誤魔化してきた過去を否定するのではなく、「今の自分だからこそできること」に必死で切り替える努力をした。  
 

すると、不思議なことに、今まで選んできた道が「理想への土台」になっていることに確信を感じ、自然と踏み出す勇気が湧いてきた。  
 
 

「遠回りした時間は、決して無駄ではない」  

誤魔化しながら過ごした日々も、すべて未来の自分のための伏線だと思ったらいい。  
 
これはむしろ決めつけてしまって力に変えるべきこととも思う。

何かを諦めてしまった過去があっても、それは失敗ではなく、別のルートだっただけ。  

だからこそ、今からでも遅くはないし、活かせるすべての経験を活かしながら、理想へと進んでいきたいね。  

ワオ!と言っているユーザー

人の言葉に揺さぶられる日々— それでも自分を貫いてみる話

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人の言葉に揺さぶられる日々— ...
「それ、やめたほうがいいんじゃない?」  
「そんなことして、意味あるの?」
「(君に)できるの?」
 
周囲からの言葉に、心が少しずつ揺らいでいく。  

新しいチャレンジを始めようとすると、そんな誰かの声が今までに聞いたことのない大きさで耳に届く。  

それはアドバイスなのか?
それともただの否定なのか?  
 
励ましなのか
嫌味なのか

気づけば、自分の選択に自信が持てなくなっていた。  
 

「周りの声に振り回される」  

それが、自分の一番の悩みだった。  

アドバイスを聞くのは大事。
 
でも、どこまで受け入れるべきなのか?  

気づけば
 
他人の言葉の中で生きることが平穏で波風なんて立てない方がいい
 
そんな風な思いになり、自分が何をしたいのか分からなくなっていた。  
 
それでも自分の気持ちに素直になれる日がやってくる。

ある日、尊敬する人に言われた。
 
「周りの言葉って、単純に単なる“意見”じゃない?」  

それを聞いてハッとした。  

今まで、自分の選択を誰かの言葉で決めていたことに気づいた。  

でも、本当に大切なのは、自分がどうしたいか。  
 

そこから、「言葉を選別する」ことを意識した。  

ただの批判なのか?
 
「意味のある」アドバイスなのか?  

「聞く」べき言葉と、「聞き流す」べき言葉を見極めることで、心の揺れが少なくなった。
 
そして意識してソレができるように、自分なりにたくさんの方から学んだり、できるだけ気になる本を読んだり。
 
 
すると、自分の選択に堂々と向き合えるようになり、周囲の反応を気にする時間が減った。  
 
そう、なくなることはないけど、とにかく反応に反応し続けることは格段に減ったのよ。
  
「すべての言葉に影響されなくていい」  

人は、それぞれの価値観で話す。  
 
「影響される言葉を自分には選ぶ権利がある」

その言葉が正しいかどうかは、自分で決めるもの。  

だからこそ、自分の選択を大切にしたい。  

誰かに何を言われても、「自分がどうしたいか」を忘れなければ、多少の揺らぎはあっても、崩れるまでに至ることはなくなるような気もする。  
 
自分はどんな言葉にだったら影響を受けたいか。
 
好きな言葉で満たせるようになりたいね。

ワオ!と言っているユーザー

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