過去の経験には未来を照らす種がある
6月
24日
「これからどう生きる」
時々未来ばかりを見つめがちになる。
でも
未来を切り拓くうえで最も確かな手がかりは、すでに自分が体験した「過去の経験」の中に眠っていることが少なくない。
とくに
「なんとなく印象に残っている」
「なぜだか繰り返し思い出される」
そんな経験には、今の自分に何かを問いかけてくる力があるように思える。
過去の一場面を「振り返る」ことで、未来への「進み方」が見えてくることも少なくない。
過去を意味づけする、なんていうこともあるが、過去の出来事はその瞬間には理解できなかった意味を、あとから植え替えることができるような気もする。
たとえば
失敗と思っていた経験が、後の出会いや選択に影響を与えていた
そんなことは珍しくない。
重要なのは
「何が起きたか」
ではなく
「そのとき自分が何を感じ、何を学んだか」
という視点で記憶を読み直すこと。
過去を再読するというか、振り返ることで自分の価値観や行動原理の輪郭が、たしかに浮かび上がってくる。
過去は、解釈し直すことで「未来資源」になるんだろうな。
そして、記憶に残っている経験の中には「強い感情」をともなった場面がある。
悔しさ
感動
怒り
驚き
そうした感情は、自分が何を大切にしているのかを教えてくれている。
たとえば
「誰にも頼れずに頑張った」
という経験からは
「孤独を理解できる人でありたい」
という想いが湧き起こっているのかもしれないし
「誰かに救われた」体験には
「今度は自分が支えたい」
という使命感が宿っていることもあるように思う。
感情は、過去と未来を橋渡ししてくれている。
さらに、せっかく得た気づきも、言葉にとどめるだけでは変化は起こりにくい。
過去の経験に込められた意味を、しっかりと今の自分の選択に落とし込むこと。
過去の「聴いてもらえた安心」が印象に残っているなら、「人の話に耳を傾けることを仕事に活かす」などの形で具体化できることもたくさんありそう。
また「当時の自分にかけてあげたかった言葉を、今の仲間に届ける」というアクションも、自分にとっても相手にとっても力になりそう。
自分の過去は、ただ懐かしむ対象ではなく、今の行動にエネルギーを注ぎ込む「記憶の資源」といえるかもしれない。
「将来につながる経験」は、どこか遠くにある特別な出来事ではなく、これまでの人生にすでに刻まれている経験の中に存在している。
それを思い出し、意味づけし、感情をすくい取り、行動に変えていくことで、未来はより自分らしい輪郭を帯びて立ち現れてくる気がする。
未来に迷ったときこそ、立ち止まり、少し過去に目を向けること。
それは決して後ろ向きなことではない。
自分という存在の「軌跡」を礎にして、次の一歩を踏み出すためのしなやかな力となるものを、私たちはすでに持っているんだと思う。