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輸送の近代化と輸送力増強

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D51形蒸気機関車 D51形蒸気機関車
首都圏から蒸気機関車引退
新鶴見操車場から横浜港を結んでいた、高島貨物線が電化されるのに伴い、それまで使用されていた蒸気機関車が廃止になることに伴い、昭和45年10月10日、11日、18日に東京駅~横浜港間をD51形蒸気機関車が牽引する旅客列車が走りました。
東京駅に、蒸気機関車が入線するのは、13年ぶりだそうで、客車6両を牽引してD51791号機が走ったのでした。

夏期の当日の記録を残した貴重な写真が上がっておりましたので、リンクを貼らせていただきます。

東京でサヨナラ蒸気機関車東京でサヨナラ蒸気機関車

この運転を最後に首都圏では一足早く蒸気機関車が姿を消すことになりますが、むしろ昭和45(1970)年まで、東京付近に蒸気機関車が残っていたことの方が驚きです。
むしろ、地方の方が無煙化は早く進んでおり、昭和34年に全通した、紀勢本線の最後に開通した、三木里駅 - 新鹿駅間 (12.3km) を含む紀勢東線区間は開業当初から無煙化されており、トンネルは多いものの旅客が煙に悩まされることはありませんでした。

輸送の近代化に着手
コンピューターを取り入れた運転情報システムの構築に取りかかり、運転計画伝達システム(オペラン-D)と呼ばれるシステムが、昭和45年10月(詳細な府は不明)から開発が始まりました。
弊サイト、国鉄があった時代から引用します。

オペラン-Dに着手


年々増加する需要と社会構造の変化などにより、輸送には即時的、列車には質的な要請が高度化してきている
しかし運転計画から実施にいたるまですべてを人手により処理しており業務の複雑化と所要時間の増大化を来しているのが現状のため、国鉄ではコンピューターを取り入れた運転情報システム(オペラン-A~H)の開発を進めており、今回、運転計画伝達システム(オペラン-D)を実施することになったもの
オペランDとは、主要現場機関に与えられる運転条件の変更、指示をコンピューターを用いて迅速、正確に選択し、伝送するシステムで、このシステムの完成により、従来現場で達示の整理のため局報から所要事項を抜すい、転記していた業務が大幅に軽減されることになる
今回の計画では、このオペランーDを東海道沿線32動力車区で実施することとなったもので、工事は今年度から着手し、47年度には完成する、なおオペラン計画はAからHシステムまで8種類あるが、これらオペラン計画の推進により、運転業務は大きく前進するものと期待される→注:オペラン計画は、昭和46年からスタートしましたが、昭和48年に中止されています

なお、これについては下記のような記事が有りましたので、引用させていただきます。
その原因としては、マシン処理能力が低く、使用対象範囲の拡大につれて計算機処理が追いつかなくなり、入出力機器も未発達で、実務に供するには無理があったこと?列車の運転時刻データという重要データを持たなかったため、大きな効果が表れなかったこと?対象線区以外は従来業務のままであるが、列車は線区をまたがり走行するため、現場での効果が少なくなり、現場の協力姿勢が得られなかったことなどが挙げられている。
出典 輸送計画のシステム化の歴史と列車運行に関わる情報の標準化の重要性について―JR西日本における輸送業務近代化の取り組み―


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万博輸送その後 新快速電車の誕生

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万博輸送その後 新快速電車の誕...
万博輸送後のダイヤ改正
大阪府吹田市千里丘丘陵で開催された、日本万国博覧会(Japan World Exposition, Osaka 1970)は、1970年3月15日から9月13日までの183日間開催され、アジア初かつ日本で最初の国際博覧会として開催されました。
期間中の入場者数は、6,421万8,770人(うち外国人 約170万人)であり、当初目標が3000万人であったので大成功を収めました。
国鉄も、輸送力増強で応えた他、茨木駅を万博東口として、バス輸送を行ったほか、新幹線の16両化、12系客車に見られる、波動用客車の増備などが行われました。
12系客車の話はまた別の機会に詳しくさせていただきますが、15年ぶりに製造された一般型客車であり、6両1ユニットで運用される客車で、冷房装置が付いた車両でありもっぱら急行用に利用されました。
車体の基本構造は、上下2段式の窓や2枚折り戸など同時期に製造されたキハ65とよく似ていました。
国鉄としては、こうした万博輸送に向けて増強した輸送力を活かすための方策が幾つか考えらることとなりました。
その一つが、新快速電車の誕生でした。

新快速電車の誕生
新快速電車の誕生
新快速電車は、万博輸送用の快速電車として投入された車両を使用して増発されることとなり、当初は京都~西明石間に1時間一本の割合で運転されることとなり、京都~西明石間を1時間20分で結びました。
当時は関東から転属の113系冷房改造車が投入されました。
当時の時刻表には下記のような説明文が書かれています。
ただ、国鉄本社は新快速という名称ではなく、特別快速にしたかったようですが、最終的に管理局が押し切ったようです。
ただし、10月号の時刻表では、本文が「新快速」ではなく、「特別快速」と書かれています。11月号からは「新快速」の表記かと思いますが手元に昭和45年11月の時刻表がないので確認ができません。
本文が「新快速」ではなく、「特別快速」
Discover japan(美しい日本と私)キャンペーンの始まり
そして、もう一つ国鉄が充実させた輸送力を活かすために考えたものが、Doscpver Japanキャンペーンでした。
駅頭にDiscover Japanと書かれたポスターが貼られ、駅にはスタンプが用意されていました。
an・anと言う雑誌が発行された頃もこの頃で、女性の社会進出、女性同士の旅行などが増加していった時期でも有りました。
今でも、youtubeで見ることができますが、当時の情勢のファッションなど見ることができます。
こうした新しいキャンペーンは、国鉄の強化した輸送力を吸収するのに上手い具合にマッチしてくれました。


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万国博覧会と旅客輸送 第二話

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ユニークな万博列車、名古屋から... ユニークな万博列車、名古屋からのエキスポ号に加えて、万博号が運転されています。
河瀬発、新大阪、姫路発、茨木止と言うユニークな列車に注目
ユニークな臨時列車
万国博覧会向けに、ユニークな列車が運転されました、大鉄管内だけで見ますと、「万博号」の運転と言うのがあります。
国鉄線という部内雑誌に出ていたのですが、大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転となっています

当時の時刻表を参照しますと、愛称は、「万博号」となっています。
時刻表を参照してみますと、河瀬始発の快速電車が万博1号として、河瀬7:39に出発、新大阪9:16着という列車が運転されています。
同じく、姫路方面からの列車としては、姫路発7:50 茨木9:42着の万博2号が運転されています。
これ以外にも、上り列車としては、16:30 茨木発 河瀬着18:18、万博4号、21:21 茨木発、河瀬着22:47 万博6号 下り列車としては、他に、茨木発 16:17、姫路18:14 万博3号、茨木発 21:17、姫路着 23:10の三往復が運転されていました。
また、名古屋始発のエキスポ号が陰転されていました。こちらは快速電車ですが、「全車指定席となっていました。
河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転する
国鉄線という雑誌の記事を引用したいと思います。
 大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転する。

となっています、また、「快速電車の茨木駅臨時停車」として、当初は臨時扱いだったそうです


万国博覧会その後
万国博覧会が終了した、10月には、ダイヤ改正が行われ、新快速が運転を開始します。
この新快速に関しては、本社は「特別快速」の名称を使わせたかったようですが、大鉄局が押しきった形となりましたが、時刻表の表記は間に合わなかったのか、特別快速と書かれています。

茨木駅と快速停車
茨木駅の快速停車は、万博終了後は正式に、停車駅として認知されることになりました。
万国博覧会が終了した、10月には、ダイヤ改正が行われ、新快速が運転を開始します

北大阪急行の廃止と延伸
北大阪急行は、万博終了後の経営が懸念されていましたが、万国博覧会会場に通じていた会場線(東西線、万博線とも呼ばれた)については、万博終了後の翌々日に失効すると言うことで、仮駅の千里中央~会場までの約三kmの路線は廃止されました。
元々、中国道の路盤を借用していたものであり、撤去工事の費用は道路公団の予算で行われたほか、鉄道建設費は万博輸送で償却できたため、現在でも初乗りが100円と非常に安い鉄道となっています。
建設当初は、万博終了後は赤字になるのは必至だからとして、大阪市交通局が難色を示したと言うのも笑い話のようです。

1970年(昭和45年)

2月24日:南北線・会場線 江坂 - 万国博中央口間 (9.0 km) が開業。
9月14日:会場線 分岐点 - 万国博中央口間 (3.6 km) が廃止、南北線 分岐点 - 千里中央間 (0.5 km) が開業

阪急の駅廃止と駅新設

もう一つの万博への会場アクセスであった阪急千里線に、南千里と北千里駅の間に、万国博西口駅が開設されました。
この駅は、現在の山田駅より北側に400m程行ったところで、現在は跡地は駐車場になっています。
ちなみに、山田駅が開業するのは、昭和48年11月23日でした。

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万国博覧会と旅客輸送 第一話

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万国博覧会と旅客輸送 第一話
日本万国博覧会とは
日本万国博覧会、大阪府吹田市の千里丘陵で1970年3月15日から9月13日までの183日間開催された国際博覧会であり、現在はその跡地の多くが万博公園として残されているのは御存じの通りかと思います。

輸送計画の概要
万博輸送の概要について、当時の部内誌などを参考にしながら述べてみたいと思います。
当時の資料を参照しますと、
万国博覧会の訪問者は

国内日本人  48,980,000人

  • 近畿    27,500,000人

  • 近畿圏以外 21,480,000人


外国人 1,020,000人

  • うち訪日外国人   740,000人

  •   在日外国人   280,000人

と推定されていました。

現在と比べますと、訪日外国人の数は非常に少ないのですが、なお、交通網に関しては、大阪地下鉄の延伸、国鉄、阪急による鉄道輸送と自動車による輸送が想定されていました。


当時の資料から直接引用させていただきます。
参照、交通技術昭和45年1月号、万国博輸送についてから引用

■万国博会場への交通網
 万国陣の会場は、大阪市の中心から北東へ約15 kmのところに千里ニュータウンと隣接して所在し、広さ約100万坪、中央口を始め東口・西口・南口・北口と5つのゲートを有します。国鉄 茨木駅から西方へ茨木駅前道路を経て2.2 km、阪急京都線、茨木市駅から同じく茨木駅前道路を経て3.5 kmで会場東口にいたり、南茨木駅からは中央環状道路を経て4.3 kmで万博中央口にいたる。会場の西駅を阪急千里山線が走り、臨時に設けられる万国博西口駅と陸橋で会場西口と結ばれる。会場のすぐ東側を名神高速道路か走り、吹田インターチェンジが新設される大阪国際空港からは。中央環状道路を経て釣10 kmで会場中央口にいたる。中央環状道路は。会場を東西に横断しており、西側へは中国縦貫道と並行して池田市にいたり、会場の東側へは、名神高速道路と吹田インターチェンジで立体交差し、近畿自動車道と平行して南下し、大阪市の外周を取り巻き、各衛星都市を貫通し、堺市にいたる大阪高槻京都線。国道1号線、大阪生駒線・阪奈道路。国道25号線、国道26号線など大阪市内から京都・奈良、和歌山など他府県へ伸びる放射軸道路を結ぶ基幹的な環状道路である。
         中略
いわゆる万国博急行といわれる北大阪急行電鉄は、現在、新大阪駅に乗り入れている大阪市地下鉄1号線が御道筋と平行して北上し、江坂まで延長されるが、この後を受けて、上新田にいたり、そこで右折して中国縦貫道の道路敷の片側を占用して会場中央口にいたる鉄道である。(上新田~会場間は万国博終了後撤去される)。以上が移換したように万国博への交通網は、鉄道・道路とも網の目のように整備される。もちろん、空の玄関である大阪空港・海の玄関である大阪港・神戸港も整備される。


となっています。

国鉄の動き
国鉄は、大阪に向かう万博利用者のその多くを引き受けることとなるため、新幹線脳輸送力増強、臨時列車の増発等が行われました。
特に、ゴールデンウィーク以降は、利用者が急増し、ゴールデンウィーク及び夏休みにはエキスポこだまなる、なんともユニークな列車が上りのみ運転(下りは回送)されました。【詳細は後述】

阪急電車の動き
阪急電車では、千里山線の南千里と北千里の間に、万博西口駅が臨時で設けられました。
なお、この当時は現在の「山田駅」は誕生していません。
現在、東寺駅があった付近は駐車場となっており、駅から西口まで歩道橋で結ばれていました。

北大阪急行電鉄の建設
北大阪急行電鉄は、昭和42年6月28日に運輸大臣、通産大臣、大阪府知事、大阪市長、及び阪急社長の5者会議で建設が決定したもので、は大阪市営地輸送が不透明であったことから、最終的には、政府・府・市などの強力なバックアップの元にという条件で、阪急の子会社として設立されました。
実際には、建設費の殆どが万博輸送で償却できたほか、東西線(万博中央口から千里中央仮駅間の撤去費用は、高速道路建設の一環として行われたため負担がなかったことも有り、現在も初乗り100円という非常に安い運賃が実現されています。)

以下は、次回以降に書かせていただきます。
ユニークな臨時列車

日本万国博覧会の決算

万国博覧会その後
茨木駅と快速停車

北大阪急行の廃止と延伸

阪急の駅廃止と駅新設
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ヨンサントウ改正、波動輸送の確立と特急列車新設

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昭和43年の改正では、波動輸送... 昭和43年の改正では、波動輸送に備え事前にダイヤが設定された。
ヨンサントウ改正では、波動輸送について特に注意が払われました。
それまでの臨時列車は、いわゆる、「盛りスジ」と呼ばれるもので、既に出来上がったダイヤの隙に押し込む形で臨時列車を設定するようになっていました。
この方式だと、同じ急行列車であっても、途中駅で後続の定期急行列車に抜かれたり、単線区間では普通列車を交換待ちすると言ったことも起こりえるわけで、列車としての価値は低くなるのでした。
そこで、ヨンサントウ改正では、当初から波動輸送が見込まれる線区には当初から定期列車と同じように設定しておくことで、臨時列車の質を高める工夫がなされました。
以下は、紀勢本線のダイヤですが、臨時列車が予定臨として、定期列車とほぼ同じダイヤで運転されています。
例えば、改正前の週末臨時列車の「急行しらはま」は、「急行きのくに」 に統合された上でスピードアップも果たしており、定期列車と所要時間も変わっていません。
昭和43年9月時刻表

「急行しらはま」と異なり、停車駅も整理されてスピードアップしており、定期列車と遜色はありません。

昭和43年10月時刻表


このように、波動輸送の整備を図ったのは、ヨンサントウの改正が最初でした。


また、この改正では中京地区に2本の特急が同時に誕生しました。
1本は、高山本線を走る特急で、急行ひだ2号を格上げする形で設定されています。
急行時代は、富山~名古屋間でしたが、「特急ひだ」は、金沢~名古屋間に延長下にも関わらず、1時間ほどスピードアップしているので、金沢始発の時間は、急行ひだの富山始発の時間と変わらぬ6:45発、(急行時代は富山6:47発)で、名古屋到着は11:57【急行時代は名古屋着12:00)であり、食堂車非連結の6両編成で、1両が1等車【現・グリーン車】で半室が指定席というこぢんまりとした編成でした。
また、もう一つの列車は、「特急しなの」こちらも、「急行第1しなの」を置き換えたようなダイヤで、名古屋始発が急行時代より20分遅い8:40、長野着は12:51で急行時代より50分ほど時間短縮されています。
新製されたキハ181系の堂々9連で、食堂車・1等車を連結した堂々とした編成でした。
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ヨンサントウ改正、東北本線輸送改善と北海道連絡

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東北本線にも進出した583系 東北本線にも進出した583系
国鉄の部内誌などを参考にして、ヨンサントウ改正の記述を見ていきたいと思います。

ヨンサントウの改正で、もう一つの目玉はやはり東北本線でしょう。
東海道線と比べると、近代化も遅れ気味でしたが、盛岡~青森間が複線化・電化開業で近代化は一気に進み、昭和42年に月光がたでデビューした583系電車が東北路を走ることとなりました。

電車化により、キハ81で運転されていた「はつかり」は、上野~青森間は8時間30分と大幅に短縮されることとなり、現行の「はつかり」と比べると1時間54分の短縮でした。
これは、電車化の高速化以上に、複線化による待避等の時間がなくなったことも大きいと思われます。
ちなみに、昭和33年に「はつかり」が客車列車で誕生した頃は、12時間ほどかかったそうですから、僅か10年の間で3時間半も短縮されたことになります。

北海道連絡に関しては、東北本線の列車のうち。下りゆうづる2号並びに、上りゆうづる1号に接続する特急はないとされています。

実際に、時刻表で確認してみますと、下りゆうづる2号は、青森9:35 青森発10:00発の19便が接続しており、北海道では急行すずらん2号、ニセコ2号が接続する形になっています。
北海道連絡に関しては、東北本線の列車のうち。下りゆうづる2号並びに、上りゆうづる1号に接続する特急はないとされています。


時刻表で確認してみますと、下りゆうづる2号は、青森9:35 青森発10:00発の19便が接続しており、北海道では急行すずらん2号、ニセコ2号が接続する形になっています。
同様に上り列車は、北海道内は、急行すずらん3号が、函館を14:50に出発し、青森駅に18:40に到着する、24便を受ける形になります、こちらは、19;00発の十和田3号と、青森駅で45分待ちで19:25発のゆうづる1号が受ける形になっています。

これは、特急用気動車の配転の関係だそうで、次回の電化完成により捻出される気動車を北海道に転出待ちのため、急行で代用しているとしています。
なお、奥羽本線からの特急日本海は、青森11:50着、12:15青森発の21便と、特急白鳥は同じく、青森 23:40着、00:05青森発の11便が受けており、それぞれ、北海道では、日本海が、北斗2号が、白鳥は、特急おおぞらが受ける形となります。
余談ですが、白鳥ですと、大阪が8:30発で、札幌は翌朝8:50となっており、通しで乗車すると、24時間20分列車に乗りづめと言うことになります。
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ヨンサントウ改正、大幅な見直しが行われた、四国島内のダイヤ

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ヨンサントウ改正、大幅な見直し...
国鉄の部内誌、 交通技術の昭和43年9月号の記事を見ていますと、四国に関しては、急行列車の行き違いを主要駅と複線区間で行えるように列車の配列を考えたと書かれています。
以下、本文から引用させていただこうと思います。
四国連絡網の整備
 ここらで四国連絡に目をむけてみよう。四国の列車ダイヤは、ネットダイヤを組んでフリーケンシーを主体とした輸送計画がなされているが、連絡船~宇野~山陽線と、多岐にわたる連絡はスムーズに行かない。そこで今回は白紙改正の効果を生かすべく、次のような順序でダイヤ作成を行なった。
 まず、四国線内のダイヤの形として、急行列車同士の行き違いが、主要駅と複線区間でできるように列車配列を考え、また、停車訳を養理して精密なネットダイヤを組み、これに合わせて、連絡船の運航を定め、宇野~山腸線の時刻も決定するなと優先的に列車設定を行なって、質的な向上をはかった。
 列車増発としては、山陽線で特急1往復、急行2往復、四国管内で急行2往復であるが。さきに説明したように根本的な改正によって、時分のバランス、接続の改善によって非常に便利なダイヤとなったばかりでなく、到達時分も大阪~松山間で平均30分の短縮となった。

とあります、実際に、宇高連絡線のダイヤを参照したいと思います。
昭和43年9月、ダイヤ改正直前のダイヤ昭和43年9月、ダイヤ改正直前のダイヤ

そして、こちらが昭和43年10月の、改正後のダイヤになります。
昭和43年10月の、改正後のダイヤ昭和43年10月の、改正後のダイヤ

急行列車 うわじま1号と足摺1号の時刻が入れ替わると共に、連絡船の運行時間が五分短くなっています。
昭和42年9月の時刻表では、急行あしずり1号は、5:17でしたが、4:55と25分速くなっていますが、到着は改正前が佐賀着、11:01だったのが、10:04と30分所要時間が短くなっています。
同じく、5:05発だった、急行うわじま1号は、うわじま2号に変更、(うわじま1号は、改正前の急行「いよ1号」を改称)出発時刻も、4:55と10分速くなったものの宇和島到着が10:42と改正前の11:07と比べると、15分短縮されています。
さらに、宇高連絡線との接続時間が劇的に短くなり、ヨンサントウ改正前は、高松駅での連絡時間が、30分ないし40分だったのが、平均7分になっています。
漠然と眺めていると気づかないものですが、改めてこうして時刻表を見ていますと、個々に変更されたダイヤがあることに気づかされます。
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ヨンサントウ改正、強化された、関西対九州のダイヤ

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昭和43年9月の時刻表から 昭和43年9月の時刻表から
今回から、しばらくはヨンサントウこぼれ話として、何回かに分けてアップしたいと思います。

一回目は、九州特急と新幹線を取り上げてみたいと思います。
東海道新幹線の成功は、いまだ新幹線が開通していなかった東京~九州の旅行者のスタイルを変えました。
特に前年に運転を開始した、月光と新幹線を使えば、前日の19:45に月光に乗車すれば、翌朝の9:10には東京に到着が可能になったわけです。

この列車の設定には、当初はかなり危惧したらしいのですが、実際には連日好評であったと言うことで、国鉄では、「あさかぜ」を増発することになります。
この増発された「あさかぜ」は、博多駅を14:50とかなり早い時間に出発する列車でしたが、東京に7:30に到着できるダイヤで、広島~東京間のビジネス利用を想定し手設定されていました。
これにより、広島からのビジネス客は、月光以外に、もう一つ19:00台に出発する寝台列車で乗り換えすることなく、東京まで行けるチャンスができたわけです。
さらに、この改正では、1時間ヘッドで寝台特急を設定し、時間帯には、最高4本の急行列車を挿入して、対九州の利便性は大いに強化されました。
飛行機が一般的でなかった時代ですから、寝ている間に移動できる寝台列車は非常に魅力的と言えました。

また、開業以来好調な新幹線も20分ヘッドとなり、3-3ダイヤが構築されました。【それまでは、2-2ダイヤ】これにより、対九州のダイヤは大幅に強化されたのです。【実際には、昭和42年のダイヤ改正で3-3パターンは出来上がっていたのですが、ヨンサントウでは、その時間帯が朝夕のみからほぼ全ての時間帯に拡大されました。(2018/11/4 追記)
【それまでは、2-2ダイヤ】

20分ヘッドとなり、3-3ダイヤが構築
その反面、ヨンサントウ改正までは、東京から直通で走っていた急行列車が1本に減少、それまでは、10:30発の、西海【長崎・佐世保】は、鹿児島行き「桜島」となりましたが、これは臨時列車で毎日運転する列車ではありませんでした、改正前に11:10【桜島】のダイヤは、そのまま、霧島・高千穂となりいずれも西鹿児島行き【高千穂が日豊本線経由】、霧島は鹿児島本線経由でした、余談ですが、後に、この霧島は、桜島を名乗ることとなり、最後の東京発客車急行として新幹線博多開業前まで残ることになります。
10:30発の、西海【長崎・佐世保】は、鹿児島行き「桜島」となりました昭和43年9月のダイヤ、東京発の定期急行が3本走っている。

ヨンサントウの改正では、東京~九州間の輸送力が大幅に強化され、特に大阪では、夕方から寝台列車がそれこそ、18:19 :発の西海1号・べっぷ2号を筆頭に、18:28:始発の「あかつき1号」西鹿児島・長崎行き、季節列車の「桜島」、「雲仙1号」、18:58:始発の「べっぷ3号」大分行き、19:13着 19発の東京始発の:・高千穂が到着、19:28 :始発の「彗星」宮崎行き、その7分後には季節列車の「月光1号」博多行き、19;48には、急行「西海2号」佐世保行きが大阪から出発、更に20:06 :駅から急行「日南」宮崎行き、季節列車「ことぶき」(新婚さん専用列車)、20:28:始発、明星と言った具合で、翌2:39のあさかぜ2号まで、延々と寝台列車が西下していったのです。
大阪駅は憂国から深夜までは、寝台列車のゴールデンタイムだった
寝台列車ファンにしてみれば、羨ましい限りかもしれませんが、当時は高速バスもなく、飛行機も一般的でなかった時代にあっては、こうした長距離の列車は必要不可欠のものでした。
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国鉄の白紙ダイヤ大改正 ヨンサントウ【昭和43年10月ダイヤ改正】第五話 詳細解説(荷物輸送)

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国鉄の白紙ダイヤ大改正 ヨンサ...
荷物輸送の改善

ヨンサントウの改正は、スピードアップ【電車の最高速度を110 km/h→120 km/h、客車も95 km/h→110 km/hに引き上げ、気動車も100 km/h→110 km/hに引き上げ、いずれも最高速度】の華やかな部分ばかりが目に行きますが、荷物輸送も地味ですが改善されていきました。
それは、荷物輸送にパレット方式を採用したことでした。
もっとも、国鉄の荷物輸送の多くは、最後まで直積みと呼ばれる、直接荷物を車両内に積み上げていくもので、割れやすいもの等は十分なこん包した上で、特別扱いしてもらうと言った処置が必要でした。
その辺は郵便局も似たようなものでした。苦笑
もっとも、郵便局の場合はkgまででしたので、大きな荷物というのはほとんどなかったです。
さて、話が脱線しそうになりますので、話題を戻しましょう。

ヨンサントウに向けて、荷物輸送での大きな改善点は、以下の三点

1)急行荷物列車誕生
東海道区間など主要線区に、速達性と拠点間輸送に活用するため、新たに設定するもので以下の路線に設定されました。

(東海道・山陽・鹿児島本線)

  1.  急荷第三一列車  汐留・熊本間

  2.  急荷第三三列車  汐留・京都間

  3.  急荷第三二列車  熊本・汐留間

  4.  急荷第三四列車  東小倉・汐留間


(東北線)

急荷第三三列車  隅田川・青森間

(東北・奥羽線)
急荷第二〇三五列車 隅旧川・新庄間


こうした列車が設定された背景には、一般荷物の多くがトラックに蚕食され、新聞輸送や郵便輸送のもが残る状況となっており、コストを抑える方式として、締切便の扱いとともに、パレット方式の導入などが導入されました。
また、急行荷物列車を設定することで、長距離の拠点間輸送の所要時間を短縮することで競争力を高める狙いもありました。
他にも、ブルートレインの荷物室や、設定された、急行荷物列車を活用して、中継駅までの集約輸送を強化することで、競争力を高めたとされています。
特に九州ブルトレ便等は、かなり競争力は高かったものと推測されます。
新聞輸送の多くもブルトレに載せられて輸送されていたのも懐かしい話です。
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国鉄の白紙ダイヤ大改正 ヨンサントウ【昭和43年10月ダイヤ改正】第四話 詳細解説(東海道新幹線他)

スレッド
ヨンサントウ改正で大量に投入さ... ヨンサントウ改正で大量に投入された583系寝台電車
引き続き、ヨンサントウの概要を見ていこうと思います。
JTBでは、ヨンサントウの電子書籍をダウンロードサービスしているらしいですね。
さて、新幹線から順に、ダイヤ改正の特徴を見ていこうと思います。
 東海道新幹線
 現在、1時間当たり「ひかり」3本、「こだま」3本のいわゆる20分ヘッド時間帯は下り延べ約2時間、上り1時間であるが、これを下り9時間、上り8時間に拡大する。
と書かれています。
実際に、昭和42年10月のダイヤ改正の時刻表を参照しますと、20分ヘッドは、朝8時に新大阪に向かう他は、30分に1本となっています。
この改正により、新幹線のダイヤは平常期、波動期平日、週末で異なる形となるが東京口の列車本数はシーズンでは、平日73往復(現行63往復)、土曜81往復(65往復)、休日82往復となる。とされています。

現在の東海道新幹線ダイヤが、8時台で「のぞみ」9本、「ひかり」2本、「こだま」2本、計13本と考えますと、隔世の感がありますね。
在来線を見ますと、下記のように書かれています。
東海道・山陽・九州線
 ア 東京~九州に関しては、
需要の多い夜行特急を東京・博多間に1往復増発して6往復とし、直通旅客の少ない定期急行3往復を1往復に集約する。
なお、この改正で、「特急あさかぜ」が増発され2往復体制になります。
特に、最初に20系化された、あさかぜ号は、「あさかぜ (下り)1号・(上り)2号」となり、1等個室寝台【全室】1両、1等個室寝台+半室車、1両、開放式1等寝台3両、1等座席車1両、食堂車、2等寝台車5両+2等座席車2両を?ぐ堂々とした編成と、さくら・はやぶさと共通編成とした、「あさかぜ (下り)2号・(上り)1号」の2往復となりました。
特に、1等寝台車を5両+1等座席車1両を含む6両もの優等車を連結する「あさかぜ」は、「殿様あさかぜ」とファンの間では語られるなど、別格扱いでした。
さらに、この改正では、「急行3往復を1往復に集約する」と書かれています
急行、雲仙・西海を廃止、霧島を、高千穂に連結して1本の列車に集約されました、後年。高千穂・桜島という列車が走っていましたが、ヨンサントウの改正では、桜島は、臨時列車扱いでした。
なお、急行雲仙・西海も高千穂、霧島もいずれも、東京を10:30から12:00の間に東京を出発する昼行列車で、山陽区間で夜行列車となり、翌朝目的に到達する列車であり、新幹線への転移がどれ程進むか読めませんでしたので、あえて東海道区間に残した長距離列車でしたが、新幹線への転移が順調に進み、利用者が減少していましたので、集約したとされています。
最後まで残ったのは、急行高千穂・桜島で、食堂車も寝台車もない輸送力列車でしたがEF58が昼間堂々と旧型客車を従えて下っていく様は何ともミスマッチな感じがありました。
 イ 名古屋-九州 名古屋・博多間については、夜行特急(電車)を一往復増発し、昼行とあわせ二往復とする。
ということで、前年誕生した、581系の改良型583系により名古屋発博多行きの金星が増発されます。
なお、特急「金星」は昼間間合いを利用して、「しらさぎ」として、金沢まで1往復しています。
 ウ 大阪~九州 新幹線と完全に接続した夜行特急4往復(客車2、電車2)を増発し、6往復にする。
とありますが。このとき、「明星」と「あかつき」「彗星」がそれぞれ新幹線を受ける形で接続する寝台特急として運転を開始します。
明星も、あかつきも、彗星も、元々東海道線で運転されていた夜行列車であり、再び寝台列車の愛称として復活したのでした。
急行も、大阪(新大阪)・博多間、新大阪・大分間に各1往復増発する。と書かれています。
他には、
 エ 九州線 日豊線回りの博多・西鹿児島間特急(気動車)を増発する。
 オ 東京~名古屋・大阪 東海道線の昼行急行二往復を廃止し、東京・名古屋(大垣)間急行4往復のうち、二往復を東京・静岡間列車とし、これにかえて普通列車を増発する。この結果、「こだま」との接続も改善されます。 
カ 大阪~四国 新幹線・山陽線・四国線を主要線区の輸送改善
完全な接続ダイヤとするため、新大阪・宇野間に特急を一往復増発して三往復、急行は季節1往復増発で10往復とする。四国線はこれをうけて高松・高知問い。高松~徳島間に各急行1往復を増発する。
 3 東北・常磐線
 東北線全線の複線、電化の完成に併せて大幅な改善を行う。
 ア 上野~青森 特急は現行昼行1往復、夜行2往復を昼行2往復(電車)、夜行3往復(客車1電車2)にする。電車特急には、この方面で初めて「月光形」の寝台電車を投入する。
 イ 上野~仙台 軌道強化によるスピードアップのほか、電車特急を三往復増発し5往復とする。急行は4往復となる。
概要は続くのですが、次回の機会にさせていただこうと思います。

ただ、ヨンサントウのダイヤで注目すべき点は、前年開発した581系【増備は改良型の583系】電車を東北線などに投入したことでした。
新幹線が当時はありませんでしたので、夜行列車の需要は盛んで、その後昭和45年にはコンプレッサやMGを床下に搭載して機械室スペースを寝台区画に充てた、クハネ583が集中的に東北地域に投入され、それまで東北本線で使われていた、クハネ581は南福岡・向日町に転出することになったのは、熱心なファンの方であれば御存じでしょう。

続きます
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