「マル生」調査団結成 生産性運動(マル生運動)の実態を把握するために「マル生」調査団が1971年秋頃に結成された。マル生調査団は、採取的には第一次~第三次までの三回結成されたそうで、そのメンバーは、社会党(社民党)、共産党、公明党の国会議員、県議会委員などの地方議員の他、学者、弁護団、総評、単産、国...
生産性運動に対して決め手を欠く、国労と動労生産性運動に関しては、国労自身が組織の危機を感じて本格的な反論を開始したのが、昭和46年1月に入ってからでした。前述の、「ウソだよ生産性運動」(初期はクタバレ生産性運動だったそうです)のような、ビラを配布したり、あの手この手で、生産性運動を批判していました。特に、昭和46年1月以降、国労は「総力戦」の方針を固め、従業員意識(「国鉄一家」意識)の払拭、階級意識に立った労働組合運動の継続発展、簡単に言えば、職制は、資本家階級の使用人であり、労働者階級の敵であると言う意識付けであり、鉄労はこうした手段を、マルクス・レーニン主義そのものであると厳しく批判してい...