「マル生」調査団結成 生産性運動(マル生運動)の実態を把握するために「マル生」調査団が1971年秋頃に結成された。マル生調査団は、採取的には第一次~第三次までの三回結成されたそうで、そのメンバーは、社会党(社民党)、共産党、公明党の国会議員、県議会委員などの地方議員の他、学者、弁護団、総評、単産、国...
長らく開けてしまいましたが、久々に再開したいと思います。国労は生産性運動に関して、未だ未だ有効な決定打を打ち出すことが出来ずにいました。さらに、鉄労は10万人結集を合い言葉に国労・動労組合員の引き抜きを行なっていたことは前述の通りです。生産性運動教育を経て、国労から鉄労へ移籍する人たち当局の生産性運動と、生産性運動教育を受けた職員が、ストライキばかりする国労から、国鉄再建を目指すにはストライキではなく自らが働くべき何だと言うことで、鉄労へ加入する動きが加速していきました。当然、鉄労自身も積極的に勧誘に動くわけですが、現場では、組合による差別的行為が行われているとして、国労本部は、現認した時点で...
国労、動労が不当労働行為の証拠を積み上げていくとしていた時期、鉄労の方はどのような状況であったのでしょうか。鉄労の、国鉄民主化への道を参照しながらお話しをさせていただこうと思います。ストライキか合理化か・・・揺れる国鉄と、春闘さて、当時の国鉄はどのような状況だったのでしょうか。国鉄を含む公労協が5月20日に24時間ストを計画しているとして公共企業体等労働委員会 以下公労委と略す)の合同調停委員会は、19日夕方から三公社五現業の賃金調停作業に入るべく準備をしていたそうです。・・・しかし、所定の時間になっても一向に国鉄労使が姿を見せなかったそうです。公労委としては、国鉄のストライキを回避させるため...