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長らく開けてしまいましたが、久々に再開したいと思います。 国労は生産性運動に関して、未だ未だ有効な決定打を打ち出すことが出来ずにいました。 さらに、鉄労は10万人結集を合い言葉に国労・動労組合員の引き抜きを行なっていたことは前述の通りです。 生産性運動教育を経て、国労から鉄労へ移籍する人たち 当局の...
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長らく更新できていませんでしたが、ひさびさに更新させていただきます。 今回も鉄労からみた生産性運動と言うことを中心にお話をさせていただこうと思います。 労使協調宣言を前面に打ち出す鉄労 国鉄という組織の中で鉄労という組合は、国労内の民同右派から派生した(同盟に所属するグループ)であり、当初から労使協...
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二ヶ月も開けてしまいましたが、再び生産性運動とその取り巻く環境ということでお話しをさせていただこうと思います。 国鉄幹部の生産性研修、管理局の局長クラス及び本社の局長クラスの研修を開始 国鉄が自製の生産性運動の取組始めた頃、国鉄本社では管理局などにあっても管理職の生産性運動が始まっていましたが、本社...
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鉄労は結成当初から生産性運動を提唱 生産性運動は、鉄労にしてみれば組合結成当初(新国労時代)からの理念であり、 生産性運動の3原則 雇用の維持拡大 労使の協力と協議 成果の公正な分配 が、その根底にあるものであるとしていました。 食い違う組合の考え方 鉄労にしてみれば、国鉄当局が合理化を推進するため...
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国労、動労が不当労働行為の証拠を積み上げていくとしていた時期、鉄労の方はどのような状況であったのでしょうか。 鉄労の、国鉄民主化への道を参照しながらお話しをさせていただこうと思います。 ストライキか合理化か・・・揺れる国鉄と、春闘 さて、当時の国鉄はどのような状況だったのでしょうか。 国鉄を含む公労...
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生産性運動に対して決め手を欠く、国労と動労 生産性運動に関しては、国労自身が組織の危機を感じて本格的な反論を開始したのが、昭和46年1月に入ってからでした。 前述の、「ウソだよ生産性運動」(初期はクタバレ生産性運動だったそうです)のような、ビラを配布したり、あの手この手で、生産性運動を批判していまし...