大型スーパーの進出やコンビニの台等で、街の中から市場がなくなりつつあります。
対面方式での販売で会話も生まれ、人情的な雰囲気で味わいある空間なのですが、いずれ消えてゆく運命なのでしょうね。
叔母の家の近くの「夢野市場」も、震災後13年間再開することもなく、シャッターが降りたままの状態です。
和組みの小屋に、アクリル板が掛ったこの通りも、25年ほど前までは市場として賑わっており、豆腐屋、漬物屋、八百屋等が通路をはさんで営業しておりました。
今はご覧の通り市場の面影もなく、旧仮名遣いの看板だけが、歴史の古さを感じさせてくれています。
生家は、兵庫区下祗園町でした。地名でもお分かりのように、この上側の町名は上祇園町があり、「平野の祇園さん」と呼ばれる祇園神社があります。
この間に挟まれたように平野市場がありますが、ここもご多分にもれず、シャッター通りと化しています。営業しているお店は、2割もないかも知れません。
何年間に一度は市場内を歩いてみます。同級生の玉子屋さんも閉めたまま。50円玉を握って好物の金柑を買いに行きました果物屋さんも閉めたまま。薄暗い静かな市場を歩いていますと、子供の頃の賑わいが嘘のようです。
そんな市場の中ではありませんが、少し離れた場所にこのお店がありました。
八百屋さんで、今見ればなんと奥行きのない売り場かと分かりますが、小さな子供の目線からみれば、山盛りの野菜が積んであり、よく倒れないものだと見ていた記憶があります。
この斜め向かい側に駄菓子屋がありましたので、毎日のようにこの店の前を通ってました。
あれから何十年年、使われなくなったこの売り場ですが、壊されることなく残っています。
新しい住民達には、なんだったのか分からない状況の残骸ですが、市場が賑わっていた頃を知る者には、思い出の区画です。
ブラブラと散歩するには、暑い一日でした。
JR新長田駅の南東、国道2号線山側で、遺跡の発掘調査をしている現場を見つけました。
ネットフェンスにグリーンの幕が張られていますので、外部から中をきれいに見ることが出来ません。
フェンスには、「危険ですから立ち入り禁止・神戸市教育委員会」とのプレートが取り付けられているだけで、何の調査なのか全く知る手がかりはありません。
お役所仕事として、税金を使用しての調査であるならば、どのような内容なのかの掲示ぐらいあってもいいかなと、感じておりました。
工事車両の入口だけが開いており、これ幸いにと、写真を敷地の外からズームで取らせていただきました。
周囲の方々も、何も興味がわかないものなのかな?と不思議な思いで一杯でした。
栄町通にあります、「楽園」という古着屋さんの玄関先で売られておりました、<レトロな看板>です。
<美空ひばり>、<水原弘>が出ていた金鳥の「蚊取り線香」、<松山恵子>が出ていた大塚食品の「ボンカレー」、<大村崑>の「オロナミンC」、といった看板には見覚えがある世代ですが、この看板は初めて見ました。
懐かしく、記憶のある方もおられると思います。
ちなみに、年代物ということなんでしょう、9500円の値札が付いておりました。
とあるカラオケ喫茶を通り過ぎようとして、足が止まってしまいました。
達筆ではありませんが、ナツメロ大会での順位表が1番から50番まで、曲名、歌手、発表年までが丁寧に書かれています。
これは時間がかかって書かれているのが一目で分かります。本当にご苦労さんで、演歌好きでないと、筆が進まないでしょうね。
しかも、演歌にまつわるコメントまでびっしりと書かれているので、写真を撮るよりも先に目で読んでおりました。
私も知らなかったのですが、コメントには、今年から本拠地のマリナーズでのイチローの打席入場の音楽は、石川さゆりの『天城越え』をアレンジした曲が流されているとのこと。アレンジされているとはいえ、演歌が流れるのは野球史上初のことだそうです。
尼崎で行われた石川さゆりさんのコンサートを見たイチローが、使わせて頂きたいとお願いに楽屋まで来られたこと等が詳しく書かれておりました。
さすがカラオケ喫茶を経営されているご主人ならではの情報ですね。
ちなみに順位1番は、『花笠道中』美空ひばり、昭和33年、最後の順位50番は、『ミネソタの卵売り』暁テル子、昭和25年です。
<浅田次郎>の同名小説を、<堤真一>主演で映画化した『地下鉄(メトロ)に乗って』(2006年)の<篠原哲雄>が<藤沢周平>の短編を監督を務め映画化した『山桜』が、2008年5月31日より全国で公開されます。
江戸時代後期。嫁ぎ先で辛い日々を送っていた「磯村野江」は、叔母の墓参りからの帰り道にある山桜の下で、かつて彼女に縁談を申し込んだ武士「手塚弥一郎」に出会います。
彼が自分を気にかけてくれていたことを知り元気づけられる「野江」でした。しかし半年後、「弥一郎」が思わぬ事件を起こします。
「磯村野江」役に<田中麗奈>、「手塚弥一郎」役に<東山紀之>が主演を務め、<檀ふみ>、<村井国夫>、<富司純子>ら実力派が脇を固めています。
<常野(とこの)物語>は、 10話の短篇集である 『光の帝国』 から始まっていますが、本書は一冊の長編として書かれています。
物語の語り部としての<中島峰子>が、少女時代に書いていた日記の名称が「蒲公英草紙」です。
1900年代初頭のとある東北の農村の旧家「槙村家」を中心に、その家の次女<聡子>との交流を通して、<峰子>が少女から女性なる自立史でもあり、『光の帝国』の『大きな引き出し』に出てくる、<常野一族>の歴史を『しまう』(記憶する)<春田家>の先祖らしい親子4人が登場してきます。
20世紀という時代に入り、日本国が少しずつ変化していく時代を背景に、ひっそりと移動生活を続けながら<常野>の役目を守る<春田親子>と、旧家としての役割を与えられた一族との関連が、少女<峰子>の目線で、切なく淡く語られていく一冊でした。
須海浜水族園の近くの商店街で、見つけました、マスコミな看板。
明石焼の看板がありますので、おいしいたこ焼き屋さんとして、テレビで紹介されたのでしょうね。
何か事件が起こって・・・、なんてへそ曲がり的な発想はよくないのでしょうが、看板だけでは内容が不明です。
ニュース番組なのか、グルメ番組なのか、さてはて?
いい木製格子戸とさりげない暖簾、壁にはアクリルの上品な看板があるだけに、この字体と垂れ幕は興ざめしてしまいます。
たしかにマスコミの影響は大きいでしょうが、それ以前にお店のセンスを磨くべきではないかと、これまた入らずに通り過ぎるファルコンでした。
(注)関西以外の方の為に、少しばかり追加説明させていただきます。
明石焼というのは、出汁巻きに近い柔らかいたこ焼きを、ミツバを散らした出汁に付けて食べるものです。明石では、玉子焼といっています。
神戸たこ焼という食べ方もあり、これは明石焼に近いのですが、ソースを塗って出汁で食べる食べ方です。神戸下町の味です。
主人公は元刑事<尾木遼平>46歳、傷害事件で相手を死なせてしまい妻とは離婚、5年の刑期を終え、今は別れた妻に払う慰謝料のために売り出している家で、3人の居候と奇妙な同居暮らしをしています。
ある日酔って帰宅中、3人の暴漢に襲われますが居合わせた21歳の<高瀬早紀>の機転でなんとか切り抜けたものの、<早紀>までが居候として転がり込んできます。
<早紀>は、やくざの檜山組の会長<檜山景太郎>の甥の<久保裕也>と組み美人局を行っていましたが、<久保>が橋の上から落とされて死亡、<尾木>は<檜山>から真犯人を見つけ出すべく脅しをかけられ、<早紀>の無実のために奔走することになります。
よれよれの酔っぱらい<尾木>と、それぞれに過去を持つ居候3人の人生を交差させながら、骨太のハードボイルドアクションが楽しめ、またタイトルの「虹」の意味合いが切なく心に残る一冊でした。
神戸の街中で、「G8環境大臣会合」の関連事業が数多く開催されています。
それにあわせて、また花時計のデザインが変わりました。
前回もG8のテーマでしたので、そのまま使えばいいと思いますが、新しいデザインで作りかえられました。
シロタエギク(白)、マリーゴールド(黄)、ペチュニア(青)、ローズマリー(緑)の4種3000株の作品です。
市のコメントは、「花をめでることで環境保護に理解を深めてもらいたい」(読売新聞の記事より引用)とのことですが、わたしには抽象すぎて理解できません。
また、街路樹の足元をいじめるような行為をされる側のコメントとして不適切ではないかと、感じております。
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ